ACT.3-3 天秤は乙女ゴコロに傾いて
〈……僅かだが、全体的に数値が下がっているようだ。何か不調でもあるのか?〉
豊胸ジェル使用翌日の放課後。
実験結果を見て、静真は心配そうに千沙菜へ声をかける。
「え?」
千沙菜はドキッとする。
思い当たることがありまくる。
十中八九、昨日『フクラーム・ジェル』を使ったことの影響だろう。
だが、それを正直に言うのは静真を裏切っているようで、はばかられた。
「あ、うん……ちょ、ちょっと、その、ね、寝不足で」
だから、咄嗟に口からそんなでまかせを言ってしまう。
〈そうか、ならいいんだが。眠れないようなら知香君に薬を処方して貰うといい〉
「う、うん、でも、大丈夫だから……ありがとうございます」
静真の気遣いが薄い胸に痛い。
〈それじゃぁ、無理はしないで今日はこの辺にしておこう。お疲れ様〉
最後の最後まで、自分の身を案じてくれる静真に申し訳ないとは思う。
気まずい気持ちを抑え込んで、それはそれ、これはこれと自分に言い聞かせながら、千沙菜は研究所を後にした。
その日の帰宅後。
「おお! カ、カップが一つ大きくなってる!」
風呂上がりにバストサイズを計って、千沙菜は驚愕していた。
胡散臭いと感じて期待していなかったが、説明書通りに結果が出たのだ。
AAAからAAだと微々たるものとはいえ、確かな効果である。
――この豊胸ジェルは本物だ!
思わず、ガッツポーズ。
だが、そこで静真の顔が浮かんだ。
「う、でも、これだとPETAの効果が……」
昼間、自分の嘘を疑いもせず、ただ千沙菜の身を案じてくれた静真。
何度棚上げしても、ふとした切っ掛けで湧き上がる不安。
彼は、貧乳を力に変えて、誇れるようにしようとしてくれているのではないのか?
豊胸ジェルを使って胸を大きくするのは彼に対する裏切りではないのか?
「ううん、暴走バスも止められたんだから、ちょっとぐらい効果が下がっても大丈夫よね。今日も、数値が下がっても僅かだったみたいだから、みんなを護るのには支障なし。うん、そういうことにしとこ」
貧乳を護る力とする決意はしても、長年のコンプレックスが拭えた訳ではない。
貧乳を誇るところまでは、辿り着けていない。
人間の『胸』はメスとしてオスを引き付けるシンボルの一つである。
オスを引き付けるため、その見栄えを気にすることは生物としての本能。
なればこそ、貧乳が巨乳に憧れてしまうのも、抗えぬ本能といえよう。
だから、仕方ない。
そう、仕方ない。
「仕方ない、よね?」
誰に言うでもなく、千沙菜は鏡に向かって口にしていた。
チクリ、と。
ジェルによって産み出されたわずかな膨らみを、罪悪感が刺激したのを誤魔化すように。
※
「仲間外れかぁ……」
湯船にたゆたう自らの一部を眺めながら、合歓子は今のクラスの状況を思い出す。
「これのせいで」
大好きな千沙菜が、自分ではなく佐藤さんや高橋さんと楽しげに連んでいる。
勿論、千沙菜に新しい友達ができたのはいいことだと思う。
でも、ようやく同じ学校へ通えて、同じクラスにもなったのに。
ずっと一緒にいられると思っていたのに。
自分抜きで行動されるのは、凄く寂しい。
「このおっぱいさえなければなぁ……」
ことあるごとに千沙菜に揉まれる自身の胸を見る。好きな人に揉まれると大きくなるというから、このサイズまで育ったのは千沙菜の責任ともいえる。
「何かないかなぁ? ちぃちゃんが貧乳を活かすように、わたしが巨乳を活かせる場所が」
そこまで考えて、思い出す。
入学式で、始業式で、通学バスで、学園を騒がせたあの姿を。
「あんなにボインボインしてるのに、あれだけ動き回れるなんて……」
自らが『
足枷となる巨乳をものともせず、獣のように自由に。
それは、かつて自分が憧れ、諦めたものだ。
――何か秘密があるのかな?
ペタバイトに負け続けとはいえ、真っ向から相手になれるその存在が羨ましい。
それに比べて、自分はどうだろうか?
例えば昨日の昼休み。
千沙菜の肘打ちを回避し切れなかった。
逃げ切ったと思っても、胸が相手の間合いに残っていた。
その揺れによる遠心力も行動を鈍らせる。
金的目つぶし当たり前、強制脱衣さえも肯定する。弱点を徹底して攻めることを是とする井伊野流実戦護身術では、そのハンデは致命的だった。
だから、あのとき潔く道場を辞めたのだ。
それが、千沙菜には伝えていない、真実。
「求人してないかなぁ、TKB団?」
冗談めかしてそんなことまで考えつつ、合歓子はアンニュイに入浴を続けた。
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