ACT.3-2 貧乳の力と乙女ゴコロ

〈まさかこれほどの数値を叩き出すとは……〉

 暴走バスを止めた翌日以降、改めて千沙菜の貧乳によりPETAが産み出す力について、諸々の計測が行われていた。

〈300トン〉

 バスを止めたときのように、大きく助走を付けてのパンチ力の計測結果を、静真がヘルメットの通信機越しに告げる。

「パンチ力300トンって……」

 前回の結果も大概だったが、ここまで来ると訳が解らない。昭和の特撮の『とにかく凄い威力』というハッタリの数字レベルだ。

〈どうやら、PETAへの適合だけでも想定外の『生命エネルギーティファレト』を発生させている上に、体を使う技量の方も増幅されて『より効率的に力を伝える』という相乗効果を生んでいるようだな。そこが僕の計算を大幅に超えてくる。やはり僕の目に狂いはなかった。君は、素晴らしい貧乳だ〉

 心からの賞賛が籠もった甘いバリトンで静真は言う。

 自らの才能を認められるのは、素直に嬉しい。

 だが、貧乳へのコンプレックスを拭い切れない千沙菜には複雑なものがあった。

〈誇ってくれ。君は、全ての貧乳の希望となれる!〉

 そんな気持ちを知ってか知らずか、静真は絶賛し誇るべしと言う。

 いつもなら軽口を返すなりするところだが、今の千沙菜はどう応じたものかと、上手く言葉が出てこなかった。

 貧乳の力を行使することを決意しながら未だコンプレックスを引き摺っているような半端な自分が、ノリだけで彼の本気にツッコむのもどうなのか? そう思って躊躇うのだ。

 先日のバスの一件の後に抱き締められて以来、静真を妙に意識してしまっていた。

 あのとき、静真の誠意が伝わってきた。

 本気なのだ。

 彼の言葉に嘘はない。

 『貧乳』とは、彼にしては最上級の褒め言葉。静真は心の底から千沙菜のことを認めてくれている。今も、本当に誇って欲しいと思っているのだろう。

 それでいて、決して押し付けがましいことはしない。何事も千沙菜のことを第一に考えてくれていることが、これまでの言葉や態度の端々から伝わってきている。

 あれ以来、そんな静真の心が感じ取れるようになっていた。

 更に、授業開始に伴い保健医の業務が増えてきたため、ここのところ知香は実験に参加していなかった。事前の身体検査だけを保健室で行い、研究所には千沙菜一人で来て実験を行なっている。

 つまり、この研究所では千沙菜と静真、二人っきり。

 意識しろといわんばかりの状況だ。

〈では、今日の実験はこの辺にしておこう〉

 千沙菜の葛藤を余所に、静真は冷静に実験の終了を告げたのだった。



 その夜。

「誇ってもいいのかなぁ……」

 湯船の中、自らの平面を見つめながら千沙菜はこぼす。

 複雑な気分だった。

 中学時代、周囲の女子の成長から完全に取り残された胸。

 散々バカにされてきた貧乳。

 だが、静真はそれを必要としてくれていて。

 自分でも不本意だったけど、それがみんなを護る力となっているのは事実。

 暴走バスさえ止めた自分の貧乳の力には、思うところもある。

「でも……」

 そんな二次元的な胸に両の掌を添える。

 ワキワキと動かしてみて、AAAの手応えのなさに哀しくなる。

 積み重ねられたコンプレックスは、そう簡単に払拭できるものではなかった。

「やっぱり、もう少し欲しいなぁ」



 翌日の昼休み。

 いつものように学食で食事を終えた後、

「音無さん、音無さん……」

 クラスメートの貧乳同盟が一人、佐藤さんが声を潜めて千沙菜を手招きする。

「購買部で面白いものの試供品を配布してるらしいのよ」

「面白いもの?」

「それはね……」

 勿体付けて佐藤さんは千沙菜に耳打ちする。

「そ、そんなの、興味なんてないんだかんね!」

 その言葉に、千沙菜は過剰に反応する。

「ツンデレねぇ」

 貧乳同盟がもう一人、高橋さんが千沙菜の肩に手を回してくる。

 引っ付かれて当たっていても、膨らみの感触をほとんど感じないのは同志の証。

「本当は興味津々なく・せ・に……」

 色っぽく耳元にささやく。

「ゴクリ」

 その様子を、鈴木君が興奮した面持ちでガン見して唾を飲む。

「デリカシーってもんを持ちなさい!」

「何だよ佐藤? そういうこと言うならお前らがもっと恥じらいをもてよ」

「へぇ、そういうことを言っちゃうんだ……」

 言って、佐藤さんはブレザーのポケットからなにやら取り出して見せ付ける。

「これ、この前護身用に購買で買って、性能試したかったんだけど」

「お、おま……何を……」

 佐藤さんは大型スタンガンの電源を入れ、火花が散るそれを鈴木君へと近付ける。

「試させて貰っちゃおっかな?」

「ごめんなさいもうしません!」

 鈴木君は脱兎のごとく逃げ出した。

「ひぃ!」

 そこで急に高橋さんが千沙菜から飛び離れた。

「ん? どったの?」

「な、何か嫌な感じがしたというか本能の訴えに従ったというかなんというか……」

「あれぇ、どうしたの高橋さん?」

 そこへ、ニコニコと笑顔で合歓子が声をかけてくる。

「ちぃちゃん、わたしを仲間外れにして他の女の子に走るんだったら、スタンガンで動けなくしてお持ち帰りしちゃおっかなぁ」

「こっちはヤンデレ!」

「っていつの間に!」

 佐藤さんのスタンガンを奪った合歓子が、千沙菜の背後に立っていた。

 スタンガンは、その首筋に。

「やめんか!」

 怯まず千沙菜は裏拳を放ち、返す刀で体勢を下げて肘を合歓子の鳩尾に向ける。

 合歓子はさっと一歩下がって連撃を回避するが、大きな胸が動きに追い付かない。

 大きく上に跳ね上がり。

 勢いよく落ち。

 鳩尾を狙った肘に、見事に乗っかった!

「な、なんて重量! こ、この、こぉの乳やんごとなき人がっ!」

 千沙菜は叫んで体ごと反転すると、胸の谷間に入り込んで正面から揉みしだく。

「あ、やん、くすぐっ……あぁん」

 合歓子が艶っぽい声を挙げるが、千沙菜は容赦なくその感触を堪能する。

「くぁぁぁああ、こんな感触がこの世にあるなんて……」

 ひとしきり揉んだ両掌を、じっと見る。しばしその感触の余韻を反芻して、

「うん、素直になることにしたかんね! 佐藤さん、高橋さん、あたしも行くっ!」

 千沙菜は決然と宣言した。

「そうこなくっちゃ!」

「うんうん、素直が一番よ」

 佐藤さんと高橋さんが言いながら伸ばした手を、千沙菜は握る。

 貧乳同盟の絆が、これで一つ深まった。

「じゃ、じゃぁ、わたしも……」

「これは、ねむちゃんには関係ないことだかんね!」

 拒絶された合歓子は、目に見えてしゅんとしてしまう。

「結果的に仲間外れにしちゃうのはごめんだけど、今から購買に行くのはね……」

 流石に可哀想に思ったのか、テンションが上がっている千沙菜に代わって高橋さんが合歓子に事情を説明する。

「はぁ、確かにそれじゃぁ仕方ないよねぇ……わたしには必要ないから。寂しいけど、先に戻ってるわぁ」

 合歓子は渋々ながらも納得はしたようで、トボトボと教室へ戻っていった。

 そんな、乳勝ち組の悲哀もなんのその。

「さぁ、行くわよ! 早い者勝ちみたいだから、急ぎましょう!」

 佐藤さんの号令の下、貧乳同盟三人は購買部へと向かう。

「これよ!」

 購買部の目立たない一角にひっそりと置かれた折り畳みテーブルを、佐藤さんは示す。

 そこには、不透明のグレーのビニール袋が十個ほど並べられていた。件の試供品が収められた袋だろう。『悩める乙女はご自由にお持ちください。ただし、C以上はお断り』と書いた注意書きが添えられている。

「よかった。まだ残ってて」

 佐藤さんが安堵しながら袋を手に取り、高橋さん、千沙菜と続く。

 中身を確認してみると、『フクラーム・ジェル』というラベルが貼られた透明のチューブと、A4のクリアファイルに収まったジェルの説明書が入っていた。

「でも、本当に効くの、こんなの?」

「効果については学園長のお墨付きらしいわよ」

 高橋さんが訳知り顔で告げる。

「……使ったのか、あの学園長」

 先日のバス騒動で散々貧乳の可能性云々言ってたよね? と思わず内心でツッコむが、ここに来てしまっては千沙菜も人のことは言えない。貧乳の可能性がどうあろうと、大きくできるならしたいと思うのもまた、貧乳の本能的な行動だろう。

 そんな風に、自己肯定。

「そうみたい。実は、今朝たまたま登校中に学園長に出くわしたときに教えてくれたのよ。自分で口コミしてるみたいよ、学園長」

「それで、少しだけど確実に大きくなったんだって。ぎりぎりBとか」

「B! 夢のようなアルファベットね……」

 AAAの千沙菜から見れば、三階級上。殉職して二階級特進でも届かない、もう天上の存在といってもいい。

「そうよ、千里の道も一歩から! まずはBに辿り着かないとどうしようもないのよ!」

 芝居がかった口調で、高橋さん。

「そうね、まずはB……これは、早速今晩にでも使ってみないと」

 入手した試供品を胸に抱いて、佐藤さん。

「ほらほら音無さんも! 一つ上の女を目指そう!」

「さあさあ音無さんも! 夢への一歩を踏み出そう!」

 佐藤さんと高橋さんが、千沙菜へと手を伸ばす。

 同じ志を持つ同志として。

 共に戦おうという意志を込めて。

 ふいに、静真の顔が浮かび、一瞬の躊躇。

 だが、同時に。

 ついさっき味わった、異次元ともいえる合歓子の胸の感触が千沙菜の掌に甦る。

 確かに、貧乳を必要とされているかもしれない。

 それでも、世の中には厳然たる乳格差が存在する。

 拭いようもないコンプレックスと巨乳へのやっかみが躊躇を払いのける。

「よっしゃ! じゃぁ、誰が一番効果が上がるか競争だかんねっ!」

 気が付けば二人の手をがっちりと取り、そんな啖呵を切ってしまっていた。



 その日の夜。

 冷静になるとどうしてもPETAへの影響が気になってしまうが、それはそれ、これはこれだ。心に棚を作って、PETAのことは一端その上に乗せておく。

 約束したからには、使わないといけない。

 風呂上りに、鏡の前でその鏡に対抗するかのような平面を見せる自らの胸を見ながら、千沙菜は覚悟を決める。

 チューブを搾って掌にジェルを出すと、両の胸に馴染ませるように塗り付ける。結構即効性があるらしく、説明書によれば大体二十四時間で効果が出るらしい。

「学園長で効果があったらしいけど……まぁ、そんなに期待せずに……」

 言葉とは裏腹に期待を込めて、念入りに、両掌で平らな胸を撫で回した。

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