ACT.1-3 保健室の目覚めは薄型(胸的な意味で)の力への布石
気が付くと、カーテンに仕切られた白い部屋のベッドに横たわっていた。
「あ、起きた?」
ぼんやりしたまま体を起こすと、カーテンを開いて白衣の女性が顔を覗かせる。
「ふふ、入学式では勇敢だったみたいね。でも、無茶しちゃだめよ?」
大人の色気を感じさせる声で語りかけながらベッドまで歩いてくると、愛用の黒縁眼鏡を手渡してくれる。受け取った眼鏡をかけて視界がクリアになったところで、改めて千沙菜は目の前の女性の姿を見た。
肩に届くか届かないかという長さのストレートのショートヘア。
楕円形レンズの赤いアンダーリム眼鏡。
左目下には、泣きぼくろ。
大人っぽい雰囲気の、均整のとれたスタイルの女性だった。
「こ、ここは?」
未だ朦朧とする意識の中、千沙菜は疑問を口にする。
「保健室よ。それで、わたしは保健医の
言いながら、知香はベッドの傍らに置かれたパイプ椅子に腰かける。
「あ、あたしは音無千沙菜です」
反射的に名乗り返したところで、自分が意識を失う寸前のことを思い出した。
「そうだ、地出先生!
「貴女を倒した後、悠々と逃げていったわ。嫌がらせが目的みたいだから、TKB団の連中はあれだけ騒げば十分みたいなことを言ってたわよ」
「そう……ですか……」
千沙菜は入学式での顛末を思い返す。
闖入者になす術なく蹂躙された入学式。
まるで自分のことにも思える、学園長への罵詈雑言の数々。
皆を護ろうと立ち向かった。
でも、力及ばずあっけなく敗北した。
久しく喫していなかった敗北だ。
だから。
その事実を噛み締めると。
「う……うぅぅぅぅぅ」
悔しさに涙が込み上げてきた。
――護れなかった。
不良達に妙な二つ名で呼ばれ続ける日々は、確かに不本意だった。
それから逃げるようにこの学園に来たのは確かだ。
だけど、奴らを倒して誰かを護ることは、揺るがざる信念。誇りでもあったのだ。
その誇りが、傷ついた。
――もっと、もっと力があれば!
千沙菜は、やり場のない思いを込めて、拳をベッドに振り下ろす。
ボスッと鈍い音が、千沙菜の嗚咽に何度も何度も、混じる。
「うん、泣きたいときは思う存分泣いたらいいわ」
そんな千沙菜を、知香は慈愛に満ちた言葉と表情で、抱き締めてくれる。
特別大きくはないが、それでもほどよい弾力を示す膨らみに頭を埋め、千沙菜はしばし、悔しさを吐き出し続けた。
嗚咽と拳の音が、しばらく保健室を支配する。
知香は、そんな千沙菜の頭を優しく撫でてくれていた。
優しさに包まれて、段々と千沙菜の拳の勢いは衰え、嗚咽も収まってくる。
「落ち着いた?」
「は、はい。ありがとうございます」
泣くだけ泣いてすっきりしたところで、保健医に素直に礼を述べる。
落ち着いたところで、親友が側にいないことに気付いた。
「あれ? そういえば、ねむちゃんは?」
千沙菜も合歓子も保護者は都合が付かずに入学式に出席していない。なので、あの合歓子のことだから、きっと付き添っているだろうと思ったのだ。どころか、余り想像したくはないが、添い寝されていても不思議はないぐらいに思う。
「ああ、あのおっぱいの大っきな子ね。井伊野さんだったかしら? 夕方ぐらいまでは心配そうに付き添って隙あればベッドに潜り込もうとしてたんだけど、どうにかなだめすかして、遅くなりそうだったから先に帰って貰ったわ……かなり、渋ったけどね」
最後の方は溜息混じりに知香は言う。なんとなく状況が想像できて、千沙菜はあったかもしれない身の危険にビクッとする。
改めて壁面にかかっている時計を見ると、既に二十一時を回っていた。入学式は午前中だったから、半日近く気を失っていた計算になる。
「そうそう、怪我は大したことないわ。頭を打ってたんで色々と検査もしたけど、脳に異常はないから安心して。慣れない新しい環境だもの。入学式の大立ち回りを切っかけに、知らず知らずに溜まっていた疲れが一気に出て、よく眠ってただけみたいね」
言われて千沙菜は自身の体調を確認する。特に体に痛みもなく、しっかり休んだこともあって元気なぐらいだった。
「それで、もう遅いんだけど、ちょっといいかな? 貴女に会って欲しい人がいるの」
「? 別に、構いませんけど……」
怪訝に思いながらも、特に断る理由もない。千沙菜は申し出を受ける。
すると、
「では、失礼させて貰おう」
よく通る声がしてカーテンが開かれ、グレーのブレザーの制服の上から白衣を羽織った男子生徒が現れる。
ネクタイの赤は、確か三年生の学年色だ。
背が高く、無駄な肉もない。
肩ぐらいまでの髪は無造作ながら、清潔な印象だ。
スクエア型の眼鏡と、その下の鋭い瞳が知的な印象をもってその容姿を引き締めている。
端的にいって、美形であった。
彼は、そのままスタスタとベッドまで歩み寄り、千沙菜の側へ。
「初めまして、音無君。僕は
「は、初めまして。あ、あの、お、
どこか甘い響きを持つ声に、柄にもなく緊張して言葉に詰まりながら名乗り返す。
これまで、不良学生の相手ばかりでまともに男子と会話したことなどない。
要するに、男に免疫がない。
こんな美形の先輩が相手となると、どう対応していいか解らない。
「え、と、な、何のご、ご用であらせられますでございましょうか?」
軽くテンパって、変な敬語で問いかけてしまう。
「ああ、上級生だからといってそんなに硬くならなくて結構だ。僕は余りそういうのは気にしない性質だからね」
静真は千沙菜の緊張を別の意味で捉えたようだが、その勘違いを正すような余裕も千沙菜にはない。
「それで、こうして時間を貰ったのは他でもない。どうしても君に話しておきたいことがあったからだ」
静真はスクエア眼鏡の奥の瞳を、千沙菜の黒縁眼鏡の奥の瞳にまっすぐに合わせてくる。
「え、え、な、なんで、しょうか???」
千沙菜は顔を真っ赤にし、益々テンパりながらもどうにか視線を受け止める。
そんな千沙菜のパニックを余所に、少し溜めを作ってから静真が口を開いた。
「……力が、欲しくはないか?」
「え?」
真剣な声色で発された言葉は、千沙菜を現実に引き戻し、冷静にするに十分だった。
「
千沙菜の心には、入学式での己の不甲斐なさが甦る。
「他ならぬ君であればこそ、その力を最大限に使いこなせるとすれば、どうする?」
甘いバリトンの響きが問いかける。
求めて止まない力。
みんなを護るための力。
自分だからこそ最大限に使える力。
そんな、燃えるシチュエーション。
心の奥底から湧き上がってくる熱いものがある。
「力が欲しいか?」
改めて静真は問うてくる。
「欲しいっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!」
込み上げる全ての想いを込めて、千沙菜は目いっぱい叫んでいた。
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