ACT.1-4 力への渇望と平面(胸部)へのコンプレックスとの葛藤

「それじゃぁ、研究所へ向かいましょう」


 話がまとまる頃合いを見計らったように、二人のやりとりを静かに見守っていた知香が声をかける。


「研究所?」

「ああ、この学園の地下に僕の研究所がある。詳しくはそこで話すことにしよう」

「地下に研究所って、何? その無駄に燃えるシチュエーション!」

「おお、この趣味を理解してくれるか!」


 千沙菜の興奮気味の反応に、静真は嬉しそうに応じる。こういった趣味は千沙菜と通じるものがあるらしい。


「ならば多くを語る必要はあるまい。早速出発しよう」


 静真に促されて向かったのは保健室の入り口ではなく、併設されている保健医控え室。四畳程度の小さな部屋である。


 知香が先に入ってその奥の壁を何やら弄ると、ロッカーが横に移動して、人一人が通れるほどの通路が現れた。


「入り口が隠し通路とか、益々燃えるっ!」

「では招待しよう。僕の、自慢の研究所へ」


 ノリノリの千沙菜を、芝居がかったバリトンで静真はいざなう。


 隠し通路は、緩やかな下り坂となっていた。適所に照明も配されていて、足下の不安はない。


「ところで、地出先生と文倉先輩ってどういう関係なんですか?」


 道中、手持ちぶさたなので、千沙菜はふと気になったことを尋ねてみる。


「ああ、僕が所属していた英国の大学の、生命工学研究室の先輩後輩に当たる」

「大学? あれ、文倉先輩は高校三年生じゃ?」

「それは便宜的なものだ。事情があって、小学生の頃に英国へ留学していてね。そこで飛び級を重ねて何年も前に大学の過程は終えている」


 大したことがないように、サラリと答える。


「な、何? その天才的経歴っ!」

「『天才的』なんて失礼よ! 文字通りの天才なんだから。静真様はこの年で幾つもの特許を持っていて、この地下室も学園長の許可の下、自費で建設されたぐらいなんだから!」


 思わずの千沙菜の言葉に、何故か知香がムキになって反論してきた。


「って、え? まさか、地出先生の方が後輩ってこと?」

「そうなるな」

「そうよ、静真様は尊敬する先輩よ!」

「『様』付けするほど!」

「いや、それは止めて欲しいんだがね……」

「だって、静真様は静真様で、やっぱり静真様なんです!」

「……この調子なので諦めた。敬語もやめて欲しいと言ったが、まぁ、実害はないから好きにして貰っている」

「な、なるほど……」


 などと話している間に、研究所の入り口らしき場所に辿り着く。


 千沙菜は『研究所』というからには、何となくサイバーなところを想像していた。声紋や静脈紋などを使った電子ロックの付いた「ウィーン」と音を立てて開くような、そんな機械的な扉が待っていると思っていたのだ。


 だが、そこにあったのは格子状の木の枠組みに擦りガラスが嵌った、レトロな引き戸である。しかも、場違いにも見えるその引き戸をガラガラと開けた先は、どう見ても日本家屋の玄関だった。一畳ほどの三和土に、左の壁面に埋め込みの木製の下駄箱。上がりかまちの先には板張りの廊下が続いていて、その先には襖がある。


「何、これ?」


 想像の斜め上を行く光景に千沙菜が呆然としていると、静真と知香が当たり前のように靴を脱いで板張りの廊下に上がる。千沙菜も釈然としないまま、それに習って靴を脱いで下駄箱に入れると、二人に続いて廊下を歩いていった。


 下部に松の模様のあしらわれた襖を開けると、畳敷きの十畳ほどの和室だった。

 入り口から向かって右手の壁面は床の間になっていて、一目では読めないような達筆な文字が毛筆で書かれた掛け軸までかかっている。


 何が書かれているのか少し気になったが、書かれているのが漢字二文字らしきことと一番上の部分がなんとなく『分』に見えた時点で、千沙菜の本能がそれ以上考えることを無意識下で放棄させた。


 左手と正面は襖になっており、別の部屋に続いているようだ。

 どう見ても、研究所には見えない。旅館の部屋といわれた方がしっくりくる。


「ああ、これは僕の趣味だ。海外生活が長かったからね。ようやく日本に帰ったのだから、日本的なものに囲まれたいと思ったんだ」


 千沙菜が部屋の様子に戸惑ってキョロキョロしていると、静真が説明してくれる。


「確かに、外人の間違った日本観じゃなくてちゃんとした感じですけど……」

「因みに、ここは客間で左の部屋が僕の私室となっている。そこには、アニメやコミックやライトノベルやゲームを大量に詰め込んで最先端の日本文化を謳歌している」

「って、そっちも!」

「当然だ。それらこそが世界に誇れる日本文化だからね」


 穏やかなバリトンで当然のように語られると、どう反応していいのか解らない。


「それで、ここは客間に当たる部屋でね。研究所は正面の襖の向こうだ」

「って、私室とか客間とかって、もしかして学校に住んでるんですか?」

「ああ。ここは実質、めでる姉さんの家の地下室のようなものだからね」

「愛姉さんって……あれ、愛? もしかして学園長?」

「そうだ。僕の母の姉の娘だから従姉ということになる」

「そうなんですか!」

「まぁ、この山自体が姉さんの私有地だから、ある程度は無茶して大丈夫という訳だ」

「資産家とはパンフレットに載ってたけど、そこまでだったんですね……」


 話が一段落した所で、正面の襖を静真が開く。


「この先が、僕の研究所だ」


 言って、知香と共に先に入って振り返り、


「ようこそ! 文倉生命工学研究所へ!」


 両手を広げて歓迎の言葉を投げつつ、千沙菜を招き入れてくれる。


「うわ、凄!」


 襖を潜り抜けると、先ほどの和室とは打って変わって、正に『自慢の研究所』と呼ぶに相応しいリノリウム張りの部屋となっていた。


 広さは先ほどの和室とそんなに変わらないが、幾つものガラスの嵌った機械的な扉が正面にあった。正に想像していたサイバーな雰囲気だ。


「実は、気を失っている間に脳の検査なんかもここでしたのよ。研究道具だけじゃなくて医療機器なんかも揃ってるから、やろうと思えばそれなりの手術さえも可能よ」

「へぇ……本当、凄い……」


 ただただ素直に感心していると、入って左手に設置された応接セットへと通される。そこにはガラストップのテーブルがあり、それを挟んで二人がけのソファーが向かい合うように設置されていた。


 奥のソファーに千沙菜、手前に静真と知香が座る。


「さて、音無君。早速本題なんだが、君にはこの研究所の実験に協力して貰いたい」

「実験? それが力に繋がるってことですか?」

「ああ、そうだ。勿論、僕の研究に協力して貰うことになるので、その辺りはきちんとケジメを付けさせて貰いたいとも考えている。知香君、契約書を」

「契約書?」

「ああ。実験に協力して貰うということは、僕の研究の被験者となって貰うということだ。それは、例えば新薬の治験などと同じようなことで、リスクがないとは言えない。だから、きちんとした契約を結んだ上で事に臨んで貰いたいんだ」


 静真が話している間に、知香は応接セットの近くにあったキャビネットから、A4サイズの封筒を持って戻ってきた。


「被験者となって貰えるなら、この契約書に目を通してサインして欲しいの」


 静真の言葉に続けて、知香が手際よくテーブル上に封筒内の書類を広げ、千沙菜に示す。


 A3サイズの二つ折りになっていたその書類には、実験内容に関する守秘義務や、研究所側が被験者の情報を漏洩しない保証、実験に伴うリスクに対する免責事項が並んでいるようだ。


 そして、一番下には自著での署名欄があった。


 何はともあれ内容を確認しようと千沙菜が書類を読んでいると、


「あと、研究の手伝いのバイトという形になるから、研究費から給料も出るわよ」


 知香が聞き捨てならないことを付け足す。これは、渡りに船もいいところだ。


 契約を結べば、力を得られた上に、親から課せられたバイトの問題まで解決する。確かにリスクはあるだろうが、この条件なら千沙菜には得の方が多いと思えた。


「研究内容の詳細についてはこれから説明する。説明を聞いた上で実験へ協力して貰えるなら、この契約書にサインをして欲しい。勿論、嫌なら断って貰っても一向に構わない」


 千沙菜が書類を読み終わる頃合いを見計らって、静真は話を続ける。


「了解です」


 あくまで千沙菜の意志を尊重するフェアな姿勢に好感を覚え、簡潔に応じる。


 一方で、『契約して得る力』という厨二病的状況に微かな興奮を覚え始めてさえもいた。


「それでは、知香君。サンプルを」

「はい、静真様」


 静真の指示に丁寧に返事をすると、知香は研究所の奥から糸巻きと掌に乗るほどの小さな布を持ってきた。


「これが、英国で僕達が所属していた坂月生命工学研究室が発明し、僕が引き続き研究しているものだ」


 千沙菜にそれらを示しながら、静真が説明を始める。


「先ず、その糸巻きに巻いてあるのが『生命の糸セフィロト』。今では珍しくもないが、体に吸収されて抜糸のいらない、手術用の縫合糸だ。生命工学研究所らしい発明品だね」

「な、なんだか厨二病臭い名前ですね」

「ああ、それには理由があるんだが……今は置いておいて、本題は、こちらの布の方だ」


 言って、知香が手に持っている小さな布を示す。


「そうだな、これは実際に触れてみるのがいいだろう」


 静真の言葉に応じ、知香が手に持っていた布を千沙菜に渡す。

 それを受け取って掌に載せてみると、


「うん? 何か、微かにぴりぴりするというか、ぽかぽかするというか……」


 その布の当たっている掌から指先にかけて、僅かな熱を感じるのだ。まるで、


「あ、そうだ! お風呂に入ってるときみたいな感じ!」

「お風呂というのはいい例えね。解り易い所で、血行がよくなるのも確かだから」

「実感して貰えたようだね。『生命の糸セフィロト』は糸。糸は織れば布になる。そこに着目して実際に布にしてみたところ、その肌に触れている部分から特殊なエネルギーが生み出されることが判明したんだ。そのエネルギーは生体の活性を高め、元々人体が持つ様々な力を引き出す効果がある」


 千沙菜の言葉に、知香と静真が説明を加える。


「その布から発生するエネルギーを、僕達は便宜上『生命エネルギーティファレト』と呼んでいる。『生命エネルギーティファレト』とは『生命の糸セフィロト』の語源となったカバラと呼ばれる神秘主義における『セフィロト』の一つ。細かいことはオカルトの範疇になるので省略するが、人体の中心を表し、生命エネルギーを供給するとされる『ティファレト』から名前を取ったという訳だ」

「って、オカルト持ち出して本気で厨二病なネーミングなんですね……」

「そうなるね。でも、さっきも言ったようにこのネーミングには理由があるんだ」


 若干呆れの混じった千沙菜の感想に、静真は特に気を悪くすることもなく落ち着いたバリトンで応じる。


「研究室の教官であった坂月さかづき教授のモットーが『オカルト』と『科学』の根は一つというものだったんだ。原理が解らないために『オカルト』とされていたことが、原理が解明されることで『科学』となることも少なくない。錬金術なんかその最たるものだろう?」

「坂月教授が英国へ渡ったのが、そもそも日本で行き詰まった研究を進めるために『オカルト』の発想からインスピレーションを得るためだったらしいのよ。英国は『オカルト』の本場でもあるからね」

「だから、目論見通り英国で完成を見たこともあって『オカルト』に敬意を表し『生命の糸セフィロト』や『生命エネルギーティファレト』といった命名を採用したんだ」


 教授のことを思い出しているのか、静真も知香もどこか懐かしげに語っている。


「まぁ、そんな理由で英国へ渡るようなもの好きな教授の研究室に入ったのは、僕と知香君とあと一人ぐらいだったんだがね」

「意外に少ないんだ……」

「しかも、偶然にも全員日本人だったのよ」

「それって英国人に相手にされてないだけなんじゃ!」


 最後で色々台無しだった。千沙菜は、この研究に関わって本当に大丈夫か、少し心配になってくる。


「……少し話が脱線してしまったね。では、音無君、今度はその布を直接左胸に当ててみてくれないか?」

「え、ちょ、直接って……」

「これは失礼した。僕は席を外そう。知香君、後は頼む」


 言い残して、静真は先ほど入ってきた襖の向こうに颯爽と退場する。紳士的で好感の持てる対応だ。


「それじゃぁ、わたしが立ち会うわ。別に脱がなくても、服の隙間から手を入れて軽く当てるだけでもいいわよ」

「そ、それじゃあ」


 言われるまま、ブラウスの襟元を開いてそこから手を突っ込むと、掌の布をその平らな胸に押し当てる。


「あ、ぽかぽかして……………………ってう、うわぁぁぁあっぁあぁぁあぁあ」


 ほんの数秒押し当てたところで、千沙菜は大慌てで手を引き抜く。


「な、何これ? 何か、胸が熱くなったんですけど!」


 抜き出しても、まだ布は熱を持ったままだった。

 その反応に、知香は驚愕の表情を浮かべて静真を呼びにいく。


「知香君、それは……」

「はい、静真様の目に狂いはありませんでした。間違いなく、わたしの場合とは段違いの『生命エネルギーティファレト』発生量でしょう」


 慌てて戻ってきた静真は、知香の報告に興奮気味だった。


「ちょっとちょっと! 何、何なの! あたしにも説明してください!」

「音無君、それこそが僕が君に与えることのできる力だ。その布は接触する対象と部位によって効果に大きな差異が生じるんだ。最も効果を発揮する対象は第二次性徴を終えた女性。これは、恐らくホルモンとの関係だと推察される。因みに、第二次性徴前の女児や男性では効果がほとんど発揮できないぐらい、この時点で極端な差がある。そして、最も効果を発揮する接触部位は胸部、特に左胸になる。原理としては胸部で『生命エネルギーティファレト』を発生させることで、その力が心臓からの血流に乗って全身に効率的に広がるからだと考えられている。君が感じた熱は、心臓から全身に巡っていく『生命エネルギーティファレト』の流れだったんだっ!」


 熱の入ったバリトンで、静真は千沙菜の身におきたことを説明してくれた。


「なるほど、そんな力が……」


 言われてもう一度、静真が見ているのにも構わず、千沙菜は襟元から胸に手を突っ込む。


「お、おおおおお、確かに! さっきは驚いたけど、なんか漲ってきた感じがします!」

「そうだろう、そうだろう……と、ちょっとはしたない格好になっているんで、とりあえず服を整えて貰えると有り難いんだが」


 見ると、静真は紳士的に視線を外していた。


「あ、そ、そうですね」


 急に恥ずかしくなって襟元から手を抜き、乱れたブラウスを直す。


「も、もう大丈夫です」

「そうか」


 言って、静真は再び千沙菜の方に向き直り、コホンと咳払いをして語り始める。


「君に被験者となって貰いたいのは、この布の効果を試す実験だ。果たして、どこまで人体の活性を高めることができるのか? そのデータの収拾が目的となる」


 ここで、ようやく千沙菜にも状況が見えてきた。


「なるほど。それで、あたしはその『実験』として、さっきの力を使って巨乳ボイン獣に挑む、そういうことですね?」


 さっき漲った力。

 あれは、今まで感じたことのないものだ。


 千沙菜は期待を膨らませる。

 あの力があれば、もしかするかもしれない。


 そこまで考えて、ふと気になったことがあった。


「そういえば、この布には『生命の糸セフィロト』や『生命エネルギーティファレト』のような厨二病的な名前はないんですか?」


 その問いに、静真は少し寂しげな表情を見せる。


 千沙菜はその反応を怪訝に思ったのだが、すぐに静真は元の表情に戻り、答える。


「いや、そういう名前はない。本当は、研究が進んだ段階で最終的には同じようなオカルトから採ったネーミングにする予定だったんだが……」


 そこで静真は言葉を切り、目を閉じて少し考え込む。


「そうだね、この話をする上でも、先に大事なことを話しておく必要がある」


 真剣な表情で居住まいを正し、言葉を続ける。


「昼間の巨乳ボイン獣を率いていたTKB団だが、実はプロフェッサーπの正体には心当たりがあるんだ」

「え?」

「あれは、坂月さかづきだい教授に違いない」

「坂月大教授……あ、『坂月』って、文倉先輩と地出先生の英国時代の研究室の?」

「そう、僕の師匠だ。だけど『生命の糸セフィロト』の応用理論研究中に、僕と教授はとある事情で袂を分かってしまってね。僕は研究室を去ることになった。そんな形で研究が中断されてしまったから、さっきの布には同じようなルールでの命名がなされていないんだ」


 言って、静真は再び寂しげな表情を浮かべる。


「そうして、研究室を去った静真様を追いかけて、研究助手兼被験者となったのが、わたしよ。静真様の親族がここの学園長しかいないのは事前に大学のデータベースやらに侵入してこっそりと調べて知っていたから、来たら案の定。丁度、常勤の保健医を探していたらしくて仕事の口も見付かったし、本当、静真様々よ」


 うっとりしたように、今度は知香が事情を語る。一部不穏な表現があった気もするが、真面目な話の流れなので空気を読んで千沙菜はスルーする。


「それで、僕も知香君も教授の研究内容はよく知っているからね。解るんだ。巨乳ボイン獣だったか、あの不埒な怪人の力の源は、先ほど君に体験して貰ったものと根は同じものだ」

「そうか!」


 千沙菜は合点がいった。あの人間離れした運動能力は先ほど千沙菜が感じた『生命の糸セフィロト』の布の力によるものだったのだ。


「僕と教授の決別の理由にも関わるんだが、『生命の糸セフィロト』の布を最大限に張り詰めさせて一枚当たりの胸部に触れる面積を最大限にすることで効果を高めるというのが、坂月教授が提唱した理論だ。同じ量の布でも、張り詰めればそれだけ多くの部分を包み込むことができる。そうして、触れる部分が多ければ多いほど効率的に『生命エネルギーティファレト』が発生する、という理論だ」

「なるほど……ん? 『張り詰めて包み込む』って、場所は胸な訳だから……」


 千沙菜は、静真の説明に不穏な、自らと対立する概念の予感を感じる。

 予感は正しかったらしく、静真は千沙菜に頷いてみせる。


「ああ、音無君の想像通りだろう。張り詰めて包み込む部位は乳房となる。要するに胸が大きければ大きいほど人体の能力を累乗的に高める、というのが坂月教授の理論の本質だ」


 確かに、あの巨乳ボイン獣は動くのに邪魔そうな乳房をこれ見よがしに揺らしていた。TKB団の連中の言葉に偽りなく、その巨乳があの人間離れした運動能力を産み出していたのだろう。


「因みに、教授は決別の間際、その技術を即興でBOINと名付けていた」

「まんまじゃないですか!」


 余りにあんまりな命名に千沙菜は思わずツッコミを入れてしまう。が、静真は冷静に話を続ける。


「それに対して僕が提唱した理論は、教授の発想とは逆に、布の密度を高め幾層にも折り重ねることで触れている部分に対する布の量を増やす、というものだ」

「確かに真逆ですけど……あれ? それだと伸びたら薄くなるからダメ、ってことですよね?」


 静真の話を理解するために布を伸ばす仕草をしつつ、千沙菜は問う。


「その通りだ。伸びれば密度が下がるのは道理だからね。僕の理論では、伸びたりせず、可能な限り高密度を保ったままで胸部に触れることが効果に直結する」


 そこまで聞いて、千沙菜は気付く。


「……それって、胸が小さければ小さいほど効果が高まるってことですか?」

「勿論だ! だから僕は教授との決別の間際、その技術を咄嗟にPETAと名付けた!」

「こっちもまんまじゃないですか! って、もしかして、決別に至った『とある事情』っていうのは……」


 ここまで話を聞けば、なんとなく想像が付いてしまう。


 果たして。


 何かを堪えるように拳を握りしめ。


 これまでになく深刻に、厳かともいえるバリトンで。


「そう、僕が貧乳派で……教授は、巨乳派だったんだ……」


 静真から語られる、真実。


「ああ、静真様! その嗜好の違いに師弟の絆を断ち切られて……なんて悲劇的な運命なんでしょう! でも、わたしはどこまでもついて参りますわ!」


 更に、知香が妙なノリで追従するモノだから、千沙菜は反応に困って頭を抱える。世紀の大発明のような馬鹿馬鹿しいような、感心していいのかツッコんでいいのか解らないノリに、千沙菜は混乱していた。


 と、混乱の中、そもそも自分が誘われたときの言葉を思い出す。


「! って、そうなると、あたしだからこそ力を使いこなせるっていうのは……」

「勿論、君のその類い希なる貧乳ゆえにだ」


 静真は変わらず厳かな口調で、千沙菜にとって残酷な答えを告げる。


「そう、僕が英国の地で長く夢見ていた慎ましさを美徳とする日本の心……それを象徴するのは、控えめな胸なんだ。愛姉さんの更に上を行く君のその真っ平らの胸は、至高といってもいい。効果対象となる第二次性徴を終えてもそこまでの平坦さを保つなど、そうそういない逸材だ」


 穏やかに憧憬の籠もった甘いバリトンで語られる、千沙菜への賛辞。


 だが、千沙菜にしてみれば酷い言われようだった。


 結局、自分という人間はに帰結してしまうのか?

 あの、不本意な二つ名の根源となった、AAAの平面に。


「何を悩むことがある? 昔の人は言っていただろう『貧乳はステータス』だって」


 静真は、優しいバリトンで語りかける。


「その人、そこまで昔の人じゃないし、それ以前に漫画のキャラです!」


 語り口に騙されそうになったが、踏みとどまって千沙菜はツッコむ。


「『昔の人』というのはちょっとした言葉の綾だけど、僕は貧乳こそが大和撫子の魅力だと思っている。それを文字通り『ステータス』とみんなが胸を張って言えるようになって欲しいという願いに嘘はない。だからこそ、僕は君を選んだ。君がとても魅力的な大和撫子であると、そして、素晴らしい可能性を秘めた女性だと信じている」


 ツッコミを受け流し、聞く者を惹き付けるバリトンで語られたのは、そこだけ取り出せばプロポーズのような言葉。


 だが、千沙菜にとっては受け入れ難い内容だった。


 これまでの言葉から、静真の貧乳への愛は本物だと嫌でも伝わってくる。

 それでも、散々揶揄されてきた己の貧乳を、急にステータスだとプラスに考えられるものではない。


「それに、あんな巨乳ボイン獣に好きにさせていていいのか? 見返してやりたいとは思わないのか? 向こうが巨乳のポテンシャルなら、こちらは貧乳の可能性を示してやろうとは思わないのか?」


 理屈は解る。

 見返してやりたい。


 でも、あの不本意な二つ名は……


 そこ《貧乳》に抱えた払拭できないコンプレックスが、葛藤を産む。


「それに何より、巨乳ボイン獣を退けて、この学園を護りたいんじゃないのか? そのために、力が必要なんじゃないのか?」


 最後に付け加えられた静真の問いに、千沙菜はハッとする。

 心に去来するのは、あの、入学式での想い。


 そうだ。


 何を悩む?

 入学式で立ち向かった時点で、腹は決まっていたんじゃないのか?

 『護る』って、決めたんじゃなかったのか?


「だったら使うべきだ。君の比類なき貧乳才能をっ!」


 不本意な二つ名を恐れるよりも、立ち向かうことを選ぶ。


 いや、既にあのとき選んでいたのだ。


 ならば、自らの誇りを取り戻すために、使うべきなのだろう。


 自らの『貧乳才能』を。


「正直、選ばれた理由は不本意だけど……そう簡単にコンプレックスを克服できるとも思えないけど……それでも、あの巨乳ボイン獣に対抗できるっていうんなら……何より、みんなを護る力が手に入るっていうんなら……」


 即答は難しかった。遠回しな言葉が口を衝いて出てしまう。

 でも、そこまで言葉にしたところで、気持ちの整理ができた。


 静真に視線をしっかり合わせ、大きく息を吸い、


「望むところですっ! そのPETAの力、有り難くいただきますっ!」


 迷いを断ち切るべく決意を込めて、声高らかに宣言する。


 かくして、契約は成立し。

 千沙菜は、小さければ小さいほど強くなるPETAの力を手に入れたのだった。

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