ACT.1-2 巨乳《ボイン》獣現る! 平たい胸族の屈辱

 挨拶が終わり、学園長が舞台を降りようとしたとき。

 保護者席の最後部から、『それ』は唐突に現れた。


 顔は口元の開いた覆面に隠され、頭上にはバニーガールのような兎の耳が揺れる。

 その露な口元には、妖艶な笑み。

 女性にしては高身長の肢体を包むは、白いボディスーツ。

 凹凸のしっかりした抜群のスタイルが、くっきりと浮かび上がる。


 怪人は、モチーフの兎を意識してかピョンピョンと会場内を跳ね回る。

 跳ねるに合わせその凸の部分も上下左右前後に三次元立体機動。

 これでもか、というぐらいに、揺れる。

 プルンプルンと、揺れる。


 突然の怪人の登場に付いていけず、体育館内は唖然とした空気となっていた。

 だが、言葉はなくとも、多くの瞳がその揺れる乳房に注がれていた。


 怪人はその胸に数々の視線を受けながらしばらく跳ね回った後、突如、大きく跳び上がる。人間離れした跳躍力で、そのまま天井の梁に片手で捕まると、ぶら下がったままアンテナのような突起のついた装置を設置する。


 と、ふいに先ほどまで学園長の挨拶を流していた会場のスピーカーから、

〈北多学園の皆さん、初めマシて!〉


 似非外国人風の妙なイントネーションの、やや高めの男の声が流れ出した。


「な、何者!」


 その声が呼び水となり動き出した体育館の空気の中、学園長が降りかけていた舞台下手の階段上から誰何の声を上げる。


〈ワタシはTKB団の首領、プレジデントK!〉


「首領も何も、そもそも『TKB団』って何なのよ! そこからちゃんと説明なさいっ!」


〈おっと、これは失礼しマシた。TKBとは『 Thorough Kyonyu Believer 』の略! 徹頭徹尾Thorough巨乳こそを Kyonyu 至上と信じる Believer 、『巨乳至上主義団体』デーーーーーーース!〉


「『巨乳至上主義団体』ですってぇ……」


 スピーカーから届いた言葉に、学園長の声が険しくなる。


〈ええ、貴女とはまったくこれっぽっちも縁のナイものデーーーーーーース!〉


「やかましいっ!」


 マイクなしでもこの広い体育館に響く、力強い学園長の言葉。そこに込められた想いは、千沙菜を始めとする貧乳女学生達にも共通の想いであった。


〈因みに、プレジデントKの『K』は『巨乳』のKデーーーーーーース!〉


「聞いてないし、聞きたくもないわ!」


〈そんなワタシ達は、巨乳のポテンシャルを最大限に引き出し、その素晴らしさを万人に知らしめることを望むのデーーーーーーース! 詳しくは、我らがTKB団の頭脳から説明させていただきマショう〉


「さっきから巨乳巨乳五月蠅いのよっ!」


 学園長の怒りの籠もった声が体育館に木霊する。だが、その怒りをあざ笑うかのように、新たな声がスピーカーから流れ出した。


〈我輩は巨乳を科学するTKB団幹部、プロフェッサーπ《パイ》!〉


「いい加減にしてっ! 次から次へと変なの出てきてんじゃんないわよっ!」


〈無論、プロフェッサーπの『π』はおっぱいの『π』だ〉


「何が『無論』なの? そんなことは全力でどうでもいいっ!」

 やたら渋い声で大仰に語られた馬鹿馬鹿しい言葉に、学園長は全力でツッコむ。

〈さっきから一々ウルサイ貧乳デスね。プロフェッサーπの話が進まないじゃないデスか。そんなに細かいことばっかり気にしてるからチチも細かいんデスよ?〉


「無茶苦茶言ってんじゃないわよ! どこまで貧乳を貶めれば気が済むっていうのっ!」


〈どこまででもデーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース!〉


「な、なん、で、すってぇ……」


 プレジデントKの余りの言い分に怒りで力が入り過ぎて、切れ切れに学園長は漏らす。先ほどから学園長にその想いを託しじっと堪えていた、千沙菜を筆頭とする体育館内の平たい胸族の女達も、一様に怒りに体を強ばらせ、震わせる。


〈ふん、貧乳など路傍の石も同じ〉


 そこに、感情的になった学園長以下貧乳勢とは対照的な鷹揚な声が続く。


〈巨乳こそが正義。巨乳こそが真理〉


「ふ、ふざけたこと、言ってんじゃないわよっ!」


〈ふざけてなどおらん。我輩が技術の粋、目にしておろう? これこそが、貴様達貧乳には実現不可能な、巨乳のポテンシャルの顕現だ!〉


 その言葉を合図とするかのように、怪人は梁から手を離す。

 体操選手のような華麗な身のこなしで宙返りしながら着地。


 再び跳躍。


 天井も座席もなく、体育館内を縦横無尽にピョンピョンと跳ね回り始める。

 動きに合わせてプルンプルンと胸が揺れる。


〈どうだ、この人間を超越した運動能力!〉


 確かに人間離れした動きだった。それを巨乳がもたらしたというのであれば、例えそれが理不尽な言い分に基づいていようと、認めるしかない。


 学園長は、激しい動きでこれ見よがしに胸を揺らす兎耳怪人を、ギリギリと歯ぎしりが体育館内に響き渡りそうなほどの憤怒の表情で睨み付けていた。


 先ほどから、叫び出しそうなのをぐっと堪えていた千沙菜も、TKB団の無体な言葉に全身に力が入り、膝に置いた手がワナワナと震えるのを止められない。


 嫌味な巨乳の力を見せ付けられ、体育館内の薄胸はっきょう少女達の怒りのボルテージが臨界点を迎えようかという頃。


 その声は千沙菜のすぐ傍から上がった。


「あ、あんなにボインボインしてて、それでもあんなに身軽に動けちゃうなんて……」


 それは、恐らくこの体育館内でも一、二を争うであろう巨乳の持ち主。


 千沙菜の親友であり、現在その隣に座っている合歓子の声だった。


「ねむちゃん?」


 千沙菜は様子のおかしい合歓子に声をかけるが、反応はない。

 ただ彼女は、悔しいような恨めしいような視線で兎耳怪人を見つめていた。


 そこには、千沙菜達ぺたんの怒りとは異質な、だがやはり怒りに通じる思いが込められているように見えた。


 そのうちに、何かに耐えかねるような表情になると、大きく息を吸い込む。

 肺が膨らんだ分、更にその巨乳が強調される。


 吸い込んだ息は、言葉に変換し吐き出された。


「あれは、巨乳の動きじゃないわっ! まるで獣っ! 巨乳ボインの獣、巨乳ボイン獣よぉっっっ!」


 学園長に負けない通る声で、そう、合歓子は叫んだ。


「ああ……胸が邪魔で動きにくいってよく言ってたもんね、ねむちゃん……あと、確かに兎は獣だもんね……」


 叫んで肺の中身を吐き出したにも関わらず、たわわに実ったままの合歓子の胸部に不平等を感じながら、千沙菜はその言葉に呆れながら納得する。


 千沙菜の複雑な想いを余所に、合歓子は叫んだことで落ち着いたのか、先ほどの複雑な表情は鳴りを潜め、すっきりした表情を浮かべていた。


 と、


〈エックセレーーーーーーーント! その名前、イタダキデーーーーーーーース!〉


 スピーカーからプレジデントKの賑やかな声が響いてくる。

 どうやら、あの怪人は公式に『巨乳ボイン獣』となった模様である。


「あ、どうしよぉ、モヤモヤしたから勢いで叫んでみたら、採用されちゃったよぉ」

「いや、嬉しそうに言われても」


 そうこう言っているうちにも、巨乳ボイン獣は会場内を跳び回り続けていた。


「なぁんで、よりにもよって巨乳至上主義活動を私の学園でする必要があるのよ! いよいよ、三学年揃ってこれからってときにっ!」


 時間を置いてクールダウンし、ようやく普通に言葉が発せる程度には冷静さを取り戻したのだろう。学園長が、改めて抗議の声を上げる。


〈そんなの、この学園がけしからんからに決まってマーーーーーーース!〉


「まだまだ歴史は浅いけれど、将来を担う少年少女を育てる理念はそこらの学校には負けないと自負してるわ! 何がけしからんというのよ?」


〈決まっているではないデスか! 名前ですよ、ナ・マ・エ。こんな貧乳に通じる『ペタ』と読み替えられるようなふざけた学園の存在、許し難いのデーーーーーーース! だから、巨乳の素晴らしさを誇示しながら、それを思い知るまで嫌がらせをさせていただきマーーーーーーース!〉


 麻雀風に北を『ペー』と読んで『ペータ』→『貧乳ペタ』ということなのだろう。悲しいことに、馴染みのある言葉だけに千沙菜は直ぐに理由に気付いてしまった。


「ふざけてるのはどっちよ! 言いがかりにもほどがあるわよっ!」

「本当にっ!」


 学園長が強く言い返す言葉に、千沙菜を始め会場内の貧乳ペタ達もシンクロする。


 だが、抗議も虚しく、TKB団の嫌がらせは続く。


〈やっておしまいなサイ、巨乳ボイン獣プルンK7! けしからん学園の新しい日々の始まりに、泥を塗ってあげるのデーーーーーーース!〉

巨乳ボイン獣の力、思い知るがいい!〉


 プレジデントKとプロフェッサーπが揃って宣言すると、更に激しく巨乳ボイン獣は動き始める。当然、その胸も、動きに応じて更なる躍動感を示す。


「……もう『巨乳ボイン獣』定着しちゃったね」

「うん。感情が高ぶって思わず口を衝いて出ただけだったのに、『プルンK7』なんてコードネームまで付いちゃって、ここまで活用して貰えると嬉しいんだよぉ」

「いや、だから喜んでる場合じゃないかんね!」


 千沙菜は思わず「なんでやねん!」の要領で全力で裏拳ツッコミを入れ、合歓子はそれをパシリと受け止める。


「あは、そうだね。でも、どうしようもないよぉ」


 そんなやりとりを余所に、巨乳ボイン獣は舞台へと迫る。

 高く跳び上がり、向かうは掲げられた横断幕。

 巨乳ボイン獣の手が、その中央に伸びる。


――北多学園第三期生入学式。


 千沙菜達を温かく迎え入れてくれる文字。


 巨乳ボイン獣の手は、その文字を中央から真っ二つに引き裂く。

 それは、新入生一同の希望に満ちた前途を引き裂くに等しい行為。

 新天地へ夢を馳せていた千沙菜は、その光景に夢を踏みにじられた思いだった。


「なぁんてことをぉ……これじゃぁあたし達の新生活の幕開けが台無しじゃないっ!」


 ただでさえ貧乳に対する理不尽な言いがかりで貯まりに貯まっていた怒りに、追い打ちで燃料が注がれる。これまで堪えてきた千沙菜の炉心溶融メルトダウンは近い。


 もうこうなったら、立ち向かうしかないんじゃぁない?

――ううん、それじゃぁ、悪目立ちして、変な仇名を付けられたりするのがオチ。

 みんなの希望を護らなきゃ!

――でも、それじゃぁ中学時代と同じことの繰り返しになっちゃうんじゃ?

 新しい門出を汚されたんよ?

――駄目駄目、そもそも過去のしがらみから逃れるためにここに来たんだから。


「ああ、もう! どうすりゃいいんよ!」


 葛藤に、千沙菜は拳を固く握り締める。


「別にちぃちゃんが出ていく必要はないよぉ。背負わなくて、いいんだよぉ」


 千沙菜の葛藤を悟ったように、合歓子がその拳を両手で包んでくれる。


「ありがと、ねむちゃん」


 千沙菜は、親友の言葉に微笑みを返す。

 だが、それでも拳は開かない。

 開けない。

 葛藤は、収まらない。


〈ふむ。巨乳ボイン獣を誰も止められぬようだな〉

〈フッフッフ、手も足も出ないようデスね。これぞ、巨乳のポテンシャル!〉


 音声だけでなく、映像も拾っているのだろう。TKB団の面々はご満悦の様子だ。


〈存分に嫌がらせを受けて巨乳の素晴らしさ、思い知るがいいのデーーーーーーース! 恨むなら貧乳を想起させる『ペタ』などと読めるその名前を恨むのデーーーーーーース!〉


「理不尽よ! 私は代々受け継いだこの名に誇りを持ってるわっ! そんな嫌がらせには絶っっっ対に屈したりしないっ!」


〈確かに、誇りを持つだけの見事なナイチチデスねぇ、北多愛さん〉


「くっ! 好き勝手言ってくれるわねぇ……我が家は古くからの神道の家系だからって訳かは知らないけど、大和撫子の慎ましさを受け継いで女はみんなAカップよっ! 文句あるっ!」


〈ふっ、どこかで聞いたような詭弁だな。そうやって、大和撫子の慎ましさだの理由を付けて開き直らねばならない時点で、そこにコンプレックスがあることは明白。つまり巨乳に憧れを抱いているということだ〉


 学園長の言葉をプロフェッサーπが鼻で笑い、調子に乗ったプレジデントKが続ける。


〈敢えて言いマショう。貧乳に人権はナーーーーーーーーーーーーーーーーイッ!〉


「ふっざけんな! 胸はなくとも、人権はあるわボケェッッッ!」


 気が付くと、千沙菜は立ち上がり荒々しく叫んでいた。

 講堂中の視線が集まる。


 もう、限界だった。

 門出への希望に満ちた入学式の妨害。

 度重なる貧乳への誹謗中傷の嵐。

 トドメに、この言葉。

 『ムネナシ』と呼ばれ続けてきた千沙菜には特に堪える。


 千沙菜の中で、何かが切れた。


――もう、なりふりなんて構ってられるかっ!


 正直、敵うかどうかなんて解らない。

 これでまた悪目立ちして、変な仇名を付けられてしまうかもしれない。


――でも、そんなことは知ったことじゃないっ!


 新しい門出が汚されて、みんなが困ってる。

 誹謗中傷を受けた貧乳仲間達は、心も傷付けられてる。


 学園のみんなの平穏を護るために。

 貶められた貧乳の立場を護るために。

 ここで立ち向かわなかったら、きっと後悔する。


 それだけは、確定的に明らか。


――ならば、やることは決まっているっ!


 千沙菜は決意を込めて、改めて拳をしっかりと握り、


「まぁったく、好き勝手言ってくれちゃって……海より広いあたしの心も堪忍袋の緒が切れちゃったかんね! ここでやらなきゃ女がすたるってもんよっ!」


 力強く啖呵を切る。


「ちぃちゃん……いいの?」

「うん。ここで動かなかったら、あたしじゃないかんね。もう、気合い、入れて、いくっきゃないっ!」


 宣言と同時、駆け出す。


 人間離れした能力で跳び回る巨乳ボイン獣プルンK7。

 だが、物理法則までは無視できないだろう。


 跳び上がってしまえば、着地点は予想可能。そこを狙えば、勝機はある。

 千沙菜は、数多の不良達との実戦で鍛えた勝負勘で、そう判断する。


 見れば巨乳ボイン獣は、体育館の外壁付近へ向けて跳躍したところだった。

 揺れない胸の代わりに長い三つ編みを揺らし、予想着地点へと素早く駆ける。


「ここだ!」


 落下してくる巨乳ボイン獣に向かい拳を構える。

 タイミングを合わせ、相手の落下の勢いを上乗せした一撃を叩き込まんとする。


――今だ!


 巨乳ボイン獣の鳩尾に向けて拳を放つ。

 タイミングも角度もばっちり。

 一撃必殺といかないまでも、大ダメージは必至。


 そう、踏んでいたのだが。


「う、そ……」


 巨乳ボイン獣が軽く振った手に、鋭く放たれた拳はあっさりいなされ。


「そ、そんな……」


 着地と同時に繰り出された蹴りで、背中から壁に向かって弾き飛ばされる。


「ち、ちぃちゃん!」


 合歓子の悲鳴が聞こえ、


「そんな貧乳に負ける巨乳ではないのデーーーーーーーーーーーーーーーーース!」

巨乳正義は勝つ!」


 憎らしいTKB団の言葉を最後に、千沙菜の意識は闇に飲まれた。

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