第9話「雨下石家の事情の壱」

 亜緒は外出中で留守だと伝えると、雨下石しずくいし 桜子と名乗る少女は帰るまで待たせてもらうという。


 鵺のこともあるので蘭丸としては早々に引き上げて欲しかったのだが、少女は半ば強引に客間へと上がりこんでしまった。


 今日、仕事帰りに買ってきたばかりのお茶を淹れて客人をもてなす。


「桜子さんは亜緒にどのようなご用件で?」


「妹が兄に会うのに理由が必要ですかしら?」


 言われてみればその通りなので、蘭丸は妙に納得して黙った。


「蘭丸様は兄とどういったご関係なのですか?」


 今度は桜子が質問してくる。


 落ち着いていて、控えめな態度に似合った声だ。


「仕事仲間といったところでしょうか」


「ご友人……というわけではないのですね」


 本人の妹を前にして亜緒を友人と言い切ってしまうのは、さすがに気恥ずかしさを感じてしまい躊躇ためらってしまった。


 実際のところ、蘭丸と亜緒の関係は本当に仕事仲間というのが最も近くを言い当てているのかもしれない。


「仕事というのは妖退治……ですか」


 少女は『左団扇』の看板を見たのだろう。


 門には「妖退治など承ります」と書かれた張り紙までご丁寧に貼ってあるのだ。


「それで綺麗な顔に相応しくない禍々しい得物をお持ちなのですのね」


 少女の妖しく揺れる水色の瞳に妖刀が映った。


 『電光石火』は蘭丸の傍で不吉に黙っている。


「この世に五つしかない妖刀の一振り……」


 好奇心に任せて刀に伸びるか細い腕を、蘭丸の長い指が止めた。


コレに触れると貴女に雷が落ちます」


 『電光石火』は持ち主以外を徹底的に拒絶する。だからこそ、妖刀なのだ。


「ただいまー。お客さんかい?」


 いつものとぼけた調子で亜緒の声が二人の耳まで届いた。


「帰ってきましたね」


 それは蘭丸が自身に向けて無意識に発した言葉だった。


 実は桜子と二人だけの時間に奇妙な閉塞感を感じて居心地が悪かったのだ。


 亜緒が帰宅したことでやっとこの空気から開放されると思い、口を衝いて出た言葉だった。


 滑らかに襖が開く。と、同時に少女は振り向きざま亜緒に向けて数本のナイフを放った。


 それはあまりにも突然で容赦なく、しなやかな動きだった。


 呆気に捕らわれる蘭丸の視界の中で、刃はしかし亜緒へと届くことは無かった。


 空気を裂く銀色の殺意の全てを鵺が中空で掴み取ってしまい、すべてのナイフは鵺の手の中へと収まってしまう。


 瞬間の後、少女の髪飾りがシャララと歌い、鵺の長い黒髪が人間離れした動きの余韻からサラサラと揺れる。


「やぁ、ノン子じゃないか。どうして此処にいるんだい?」


 亜緒が鵺の頭を撫でながら、空々しい微笑みを妹へ投げた。


「ご機嫌いかが? 兄様」


「あんまり良くないかな。帰ってみれば、会いたくない人が来てるし」


「それはお互い様ですことよ」


 二人は険悪な笑顔を交換した。


「兄様は相変わらず何から何まで父様に反抗しているのですね。まるで幼子みたいに」


 少女が亜緒の洋装を揶揄やゆする。


「おまけに妙な妖まで飼い馴らして。雨下石家の跡継ぎのすることではありませんわよ」


 わらう口元を着物の袖で隠しているが、瞳にはあからさまな程に亜緒を蔑む光が宿っている。


 雨下石家は青い髪と瞳を持って生まれたものが家を継ぐ。


 長男だろうが次男だろうが長女だろうが、それが決まりだ。


 青い瞳は慧眼けいがんを、青い髪は霊力を、それぞれに象徴している。


 その青は深ければ深いほど良い。色の濃淡はそのまま能力の差となって現れるからだ。


 そして、色にちなんだ相応しい名が与えられる。


 少女は青い髪を持って生まれることが出来なかった。


 一部分に名残はあるが、それは無いのと同じこと。


 瞳の色も亜緒と比べるとずっと薄く、浅い。


 その事実はコンプレックスとなって彼女の心の深い部分に傷痕となって残っている。


 そもそも雨下石家では妖は調伏ちょうぶくするものと決まっている。


 馴れ合うなど、とんでもない話なのだ。


「亜緒。どうして桜子さんがノン子になるのだ?」


 茶を啜りながら傍観していた蘭丸が、つい二人の会話に入ってしまった。


 それは些細な疑問であり、蘭丸にとってはどうでもいいことであるはずなのだが、しまったと思ったのは口を滑らせた後だ。


「桜子だって? オマエまた適当な名前を名乗ってるのか?」


 亜緒の呆れた声に少女は着物の袖で顔を覆ってしまう。


 きっと鬼灯ほおずきよりも顔を真っ赤にさせて恥らっている。


「妹の本名はノコギリ。雨下石 ノコギリっていうんだよ」


「それはまた随分と個性的な名前――」


「私をその名で呼ぶなー!」


 絶叫と共にナイフが裂開果れっかいかの如く座敷に飛び散る。


 沢山のナイフは着物の袖の中に仕込まれているようだ。


 だが、どんなに多くのナイフであっても二人に届くことは万が一にもありえない。


 蘭丸は刀で一瞬に弾いてしまうし、亜緒に迫る脅威は鵺がすべて排除してしまう。


「だからノン子って呼んでやっているじゃないか」


 今日、最初の拳骨げんこつがノコギリの頭に落ちる。


 少女はノン子と呼ばれることに満足しているわけではない。


 迂闊に不満を言おうものなら「ギリ子」、もしくは「ギリギリ子」などと呼びかねない兄だから我慢しているだけだ。


 亜緒の拳骨でノコギリは冷静さを取り戻したようで、蘭丸の視線を意識したのかまた顔を覆ってしまう。


「オマエ、一体何しに来たの?」


 恥をかきにきたの? とまで言おうとしたが、そこは兄として思いとどまる。


「そうだわ。私は鵺を回収しに来たのよ!」


 亜緒は雨下石家を出るときに御神体である鵺を持ち出しているのだ。


「兄様、鵺は何処? 隠すなんて卑怯だわ」


 亜緒と蘭丸は顔を見合わせた。


「鵺ならさっきからずっとノン子の目の前にいるんだけどね」


 いくら目を見張っても視線を泳がせても鵺らしきものは見当たらないので、ノコギリは困ったように亜緒を見返した。


 亜緒が指差す先にはネコミミの妖が表情少なげに佇んでいる。


「久しいなノコギリ。騒がしいのは変わらんな」


 鵺は感情はあるようだが、表情が豊かでは無い。


 まだ人の体に慣れていないのか、感情を表に出す必要性を感じていないのか、声も淡々と空気を伝う。


「コレが鵺?」


 思わず見つめ合う水色と淡い金色の瞳。


「兄様の冗談に付き合う気は無いのですけど。だいいち響きが違いますでしょ」


「響き?」


 会話に耳慣れない言葉が出てきたので蘭丸が亜緒に尋ねた。


「識別信号みたいなもの……かな」


 響きを使用しない者に説明するのは難しい。


 どのみち理解出来ないし、出来たところで意味が無い。


「ノコギリはもう帰れ」


「まぁ! なんて失礼な妖なのかしら」


 鵺の態度はノコギリに素っ気無い。


 これは好き嫌いの問題ではなく、鵺は霊力の高い者にしか興味を示さないのだ。


「失礼なのはオマエのほうだ。手ぶらで土産の一つも持たずにやってくるとは相変わらず気が利かない奴め」


 ドンッと勢いよく畳を踏みしめて、ノコギリが両手にナイフを広げて構えた。


 金属の冷たく渇いた音が白い指の間から漏れ、その瞳は殺気を孕んで揺れている。


 明らかに先程までのノコギリとは雰囲気が違う。


「雨下石流操刃そうば術――」


 言葉が終わらないうちに亜緒の二度目の拳骨がノコギリの頭に落ちた。


「鵺を虐めちゃイカンでしょ!」


「痛いわ。兄様! 可愛い妹の頭をそう何度も殴るものではなくてよ!」


「慌て者め。冷静になって慧眼でよく視なさい!」


 慧眼とは浄眼とも呼ばれ、「真実を見抜く瞳」といわれている。


 妖の化け術なども一切無効にするもので、見鬼けんきと呼ばれることもある。


 雨下石家の者は能力の差こそあれ、大抵はこの慧眼を持って生まれてくる。


 ただ、ノコギリは慧眼の使い方が上手くない。


 精神を集中させないと、ノコギリの瞳は何も教えてはくれない。


 暫しの間、ノコギリは黒髪にネコミミを生やした金目、色白の妖を見つめた。


 そして、膝を突く。


「そんな……。鵺に人の体を与えてしまうなんて!」


「いろいろと止むを得ない事情があってね」


「それもネコミミの少女だなんて趣味の悪い! 兄様らしいけれど……」


「兄様の話聞いてる?」


「私、帰ります!」


 勢いもよく立ち上がると、ノコギリは玄関へと静かに足を向けた。


「今度来るときはパンの耳でも持ってこい」


 ノコギリが鋭い視線を鵺に向ける。バカにされたと思ったのだろう。


「とにかく、この忌々ゆゆしき事態は父様に伝えます! その青い髪が抜け落ちるくらい叱られるといいですわ!」


 謎の高笑いを残してノコギリは『左団扇』を去っていった。


「オマエたち兄妹って、すごく仲が悪いな。正直、驚いた」


「世間一般の基準でいえば、僕らはまだ仲が良いほうさ」


 座敷中に刺さったナイフを数えながら、それは少し違うのではないかと蘭丸は考え込んでしまうのだった。

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