第3話「雷鳴」

 宗一郎は夜の公園内を歩きながら、現子うつつこと初めて出会った頃のことを思い出していた。


 ぼうと光る人工灯が、夜の暗幕に宗一郎の過去を少しだけ浮かび上がらせる。





 校内の廊下で擦れ違った瞬間、何かに引かれるように再び彼女の姿を確認するため振り返ってしまう。


 藤野宮 宗一郎にとって、瞑想類めいそうるい 現子うつつことはそんな「特別」を持った少女だった。


 動きに合わせてよく揺れるサラサラな長い髪と大きな瞳が印象的な、少し幼さを残した天真爛漫な美少女。


 彼女はきっと幸せになるべくして生まれてきたに違いない。そして、自分とは無縁のところで幸せになってゆくのだろう。


 そんなふうに思いながら、ただただ廊下で擦れ違うだけの瞬間を重ねていく時だけが降り積もってゆく。


 そんな日々の中で宗一郎は現子の妙な噂を耳にする。


 彼女と付き合った男子は皆、二ヶ月を待たず関係が終わるというのだ。


 宗一郎は現子のほうから別れ話を切り出しているのだと思った。


 可愛い美少女はやはり相手に求める理想も高いのだと。


 自分は告白などという暴挙に出ずに正解だったと安堵あんどした。


 しかし、どうやら男のほうが現子から離れていってしまうらしい。


 ――これはいったいどういうことなのか?


 宗一郎の中で大きな疑問符が浮かぶ。


 別れた男子達はその理由を誰一人として語らない。


 ならば自ら確かめるまでと、宗一郎は一念発起の精神で現子に想いを伝えるのだった。


 噂を気にでもしているのか、告白の返事は幾日かの間を要した。


「どんなことがあっても私の味方でいてくれるなら、いいよ」


 天真爛漫な美少女は、しかし何処か影のある表情で宗一郎の告白を受け入れた。


 まさか付き合うことになるとは思ってもみなかった宗一郎は、夢か幻でも見ている気分で浮かれた。


 そして、彼女の願望が口に乗って現れるようになる。


 ――私を殺して欲しい。


 結局、彼女の常軌を逸した願いを聞いてくれたのは宗一郎だけだったのだ。


 何故、彼女は死を望んだのか。


 その理由を宗一郎は未だもって知らない。


 ただ、彼氏達が離れていった理由は分かった。


 彼女は皆に同じく、自分を殺すよう願ったのだ。


 もしかしたら自殺願望でも持っていたのかもしれない。


 こういうのも縁といってしまってよいものか分からないが、宗一郎は結局のところ現子を殺して黄泉帰った彼女に命を狙われている。


 危機だというのに生前の現子を想い、懐かしさに浸る自分を宗一郎は奇妙な感覚を持って認識していた。


 規則正しく並ぶ人工灯に照らされた遊歩道を一定の間隔で歩いているうちに、軽い催眠状態にでも落ちてしまったのかもしれない。


 何しろ深夜に一人公園を歩くなんて経験は、この世界の住人の殆どが体験したことがないはずなのだから。


 遊歩道を抜けて広場に出た頃だった。


「宗くん……」


 聞き覚えの有る、清楚で内向きな声。


「う、現子!」


 思い出から突然現実に引き戻されて、宗一郎は驚きながらも間の抜けた声を出した。


「今日、学校来なかったね。どうしたの?」


「ちょっと体調が悪くて」


 近づいてくる現子から離れるように宗一郎は後ずさる。


「ふーん。そんなことよりさ。昨日私のこと永遠に愛してくれるって言ったよね。だったら、死んで一緒に黄泉で永遠の愛を誓ってよ」


 虚ろな瞳で柔らかく笑う。その笑顔には生前とは異なる異質な愛嬌が漂っている。


「人殺しはよくないよ」


「私のことは殺したくせに」


 現子の口元からクスクスと笑い声が漏れる。


「大丈夫だよ。あんまり苦しまないように一瞬で心臓を潰してあげるから」


「それ、充分苦しそうなんだけど」


 もはや問答無用で現子がモーションに入った瞬間、宗一郎はどこか遠くで雷鳴を聞いた気がした。


 その刹那に広がるのは信じられない光景。


 現子の両手足と首が胴から斬り離されて、悲しげにモゾモゾと地を這って蠢いている。

 ボロボロになった制服が胴体部に張り付いていた。


 宗一郎の傍らには蘭丸が既に刀を納めた状態で立っている。

 凛とした姿は一滴の返り血すら浴びていない。


「相変わらず出鱈目でたらめな早技。何度見ても太刀筋どころか、刀をいつ鞘から抜いたのかも分からん。まるで蘭丸以外の時が止まったかのようだ」


 どこにいたのか亜緒も出てくる。


「宗くん……酷いなぁ」


 現子の首が冷たい石畳の上で不満を漏らす。


 宗一郎は現子から少し離れた場所で、盛大に胃の中のモノを吐いていた。


「宗くん……酷いなぁ」


 現子は宗一郎の姿を見て傷ついたのか、二度目の不満を漏らした。その声はどこか嬉しそうに歪んでいる。


「で、これからどうする?」


 蘭丸が亜緒に始末を聞く。


「とりあえず部位ごとに分けて、この桐箱へ入れる」


 亜緒が何処からか取り出した六つの桐箱には得体の知れない札が貼られていて、まるで現子にあつらえたように首、胴、手足と大きさが対に対応している。


ついの封印だ。これに入れてしまえば仕事は終わったようなものだ。ただ……」


「何だ?」


「黄泉帰りの少女は生きるでもなく死ぬでもなく、永遠にどっちつかずの存在になってしまうけどね」


 亜緒の表情が曇る。出来れば使いたくないのかもしれない。


「仕方あるまい。殺すことが出来ないのだ」


「頼んだところで、素直に死んではくれないだろうしね」


 黄泉帰りというのは呪術の一種でもあるから、あるいは目的を遂げるまでは死ぬことすら出来ないのかもしれない。


 突然、闇がさらに深くなって異質な空気が辺りを包んでゆく。


 闇がたなびくように拡がって、その闇と闇とがうねり重なってより深い闇を生み出す。


 闇の連鎖の中からとうとう喪服のような黒い衣服を纏って、黒い日傘を差した女性の姿が浮かび上がってくる。


 この世で最も深い闇から来た存在。


 漆黒の髪に白磁はくじのような肌。形の良い輪郭の中で大きな単眼の瞳が夜をむようにわらっている。


 異形の名は闇子やみこという。


「こんばんは」


 闇子の瞳が嬉しそうに漆黒の中で揺れた。


 すぐさま亜緒が宗一郎に駆け寄ると、彼の目を手で覆って叫ぶ。


「見るな少年! いや、何も見えまい!」


 宗一郎の視界が急激に狭くなって、ついには何も映らなくなる。


「一体何が起こったんですか! 亜緒さん? 蘭丸さん?」


 いきなり視覚を奪われたパニック気味の宗一郎を抱えて、亜緒は一目散にこの場から走り去ってしまった。


「相方さんはせっかちなのね」


 亜緒の忘れていった桐箱を見て、闇子が寂し気に言う。


「闇子……」


「あ。闇子さん、こんばんは~」


 現子の頭部が闇子に愛想を振る。


「随分手酷くやられちゃったわね。いくらなんでもやりすぎよ。蘭丸」


 闇子が現子の胴体に手を置くと、首と手足が瞬時にくっ付いて元に戻ってしまう。


「アリガトウゴザイマス。闇子さん」


「君が関わっているとは思わなかった……」


 蘭丸の声は重く、寂しそうに夜に融けた。

 二人は顔見知りのようだった。


「私の存在理由は世の中に闇をより深くばら撒くこと……不思議ではないでしょう?」


 考えてみれば、高校生が黄泉帰りなんて呪術めいたことを簡単に出来るものではない。


 疑ってみるべきだったのだ。


 蘭丸は自らの浅慮を悔いた。


「私は現子さんの望みを叶えてあげただけだわ」


「そのために少年の心の闇をも利用したということか」


 人殺しなんて容易く出来るものではない。


「それは違うわ。彼はそういう人間としての素質があったのよ」


 詭弁だと思った。人なら誰しも持っている負の可能性の一つに過ぎない。


「頼みがある。闇子」


「それは聞けないわ。現子さんは彼を殺して永遠の闇の中で永遠の愛を成就させるのよ」


 それが今回の闇子の退屈しのぎだった。


 誰の意見も忠告も聞かない。聞くはずが無い。


 それが古い知り顔の頼みであっても。


「どうしてそんなに怖い顔をするの? でもね私、蘭丸のそういう顔が好き。貴方の美しい顔が怒っているような、同時に悲しんでいるような感情に曇るのを見るのが好きよ」


 闇子の一つだけの瞳が嬉しそうに蘭丸の顔を覗き込む。

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