第2話「黄泉帰り」
近所にある喫茶店『袖の下』は
「いらっしゃいませ」
ドアを潜るとバイトの女の子が笑顔で挨拶を投げてくる。
「亜緒さんと蘭丸さん。久しぶりですね」
「桃香ちゃん久しぶりー。最近ちょっと仕事が忙しくてねー」
口を衝いて出る亜緒の白々しい嘘に眉を顰めながら、蘭丸は軽い会釈をしてから奥の席に着いた。
木とレンガで統一された落ち着いた内装を、ランタンの淡い暖色が照らし出している。
店内にはビル・エヴァンスに似たピアノが静かに流れていて、客の耳を心地良く撫でていく。
青空とは縁の無い世界の、此処は標準的な昼のお店であった。
「依頼内容は君の命を護るということで良いのかな?」
ハムトーストを食べながら蘭丸が宗一郎に確認を取る。
「出来れば
「つまり、君の護衛と黄泉帰りの始末という二つの依頼だな。まぁ、黄泉帰りを何とかしない限り命は狙われ続けるわけだから必然的にそうなるか」
「少年の護衛だけなら安いものだけど、黄泉帰りの始末は高くつくよ。なにせ目的が達成されるまで何をされても死ぬことは無いんだから」
他愛ない日常会話のように、亜緒の言葉は緊張感を欠いていた。
黄泉帰りの目的は宗一郎を殺すことである。
「仕事の話をしているときに音の出る食べ物はよせと言ったろう」
スパゲッティミートソースを啜る亜緒にベーコンチーズのホットサンドを齧りながら蘭丸が注意するが、本人は「すまん」と言いつつ反省している様子は無い。
「黄泉帰りが厄介なのは死なないだけではない。生前と比べて特別な力が付与されているからだ」
蘭丸がニンジンケーキを口に運んでから、そのフォークをビッと宗一郎に向けながら続ける。
「始末対象は鍵の掛かった鉄製の玄関ドアを腕力だけで引き剥がしたそうだな」
「あれには正直驚きました。今でも信じられません。事実ですけど」
光景を思い出したのか宗一郎の声音は眩暈のようにフラついていた。
「対象はおそらく筋力だけではなく、骨や内蔵含め全身が異常なくらいに強化されているのだろう。単なる腕力だけで出来る芸当ではない」
「まるで鬼みたいだね。他には空を飛んだりとか、特殊な能力が瞳に宿るとか、様々な報告があるからね。単に不死身ってだけじゃないのよ。黄泉帰りは」
ジャーマンポテトエッグを頬張りながら、どこか教師のような言い方をする。
空腹の孤独から開放されたせいか、亜緒は言葉を紡ぎ続ける。
「でも君はツイているぞ少年!」
飲んでいたバナナジュースのストローを無作法に宗一郎へと向ける。
「黄泉帰りに狙われると、大抵は最初の接触時で殺されてしまうものらしいからなー」
言ってから大声で笑い出す。
「すまない。亜緒はこういう奴だから気に障ることもあるかもしれないが、君が現時点で生きているということは本当にラッキーだと思うよ」
蘭丸のコーヒーカップが空になる。おかわりを要求する。
「危機一髪でしたよ。現子に君を永遠に愛すから殺さないでくれって言ったら動きが止まったので、その隙に逃げることが出来たんです」
「それは結構。でも彼女は今夜も君を殺しにやってくるだろうな」
「それなんですけど、考えてみれば夜を待たずに今、この瞬間に現子が襲ってくる可能性だってあるわけですよね」
「可能性としては確かにあるが、先ず間違いなく夜だろう。どういう訳か分からないが、黄泉帰りは決まって日が沈んでから目的行動を取るんだ」
昼の薄暗さが嫌いなのか。その薄暗さの下では異常な力を発揮出来ないのか。
とにかく黄泉帰りの目標達成時刻は、決まって夜の帳の中なのだ。
「でも……始末なんて出来るんですか? 現子は僕を殺すまで死ぬことは無いんですよね」
空になったクリームソーダのグラスの中で、融けかけの氷が不吉に滑った。
「心配するな少年。策は幾つか有る。例えば蘭丸が持っている刀。これは只の刀ではない。『電光石火』と云って、この世界に五振りしかない特殊な刀の一つだ。一見、女みたいで頼り無さそうに見えるが蘭丸自身かなり腕も立つ」
「オマエが言うと嘘くさく聞こえるな」
蘭丸は自身の強さを否定しない。
腕に自信がなければ、初めから始末屋などに身を置いてはいない。
「今夜、中央公園に黄泉帰りが跳び付きそうな餌を放つ。やって来た始末対象を蘭丸が後ろからバッサリって寸法よ」
言いながら亜緒がチョコレートケーキをフォークで二つに切ってみせた。
「隙を突くわけか」
「先ずは一戦して黄泉帰りとやらの実力を見る。身体を真っ二つにされて『死なない』までも『動ける』のかな。身動きを封じることが出来れば、そのまま封印という手段もある」
「なんだか卑怯っぽい作戦ですが、凄そうですね」
「試してみる価値は充分ありそうだ。上手くいけば今夜で決着が付いてしまうかもしれない」
宗一郎は二人の頼もしさを初めて実感していた。『
現子を始末してしまえば、直ぐにでも平和な日常が戻ってくるのだ。
「お会計、宜しいでしょうか?」
先程のポニーテールのウェイトレスが笑顔で立っていた。
「皆さん、食欲旺盛なんですね」
宗一郎は呆れるのを通り越して感心していた。
テーブルの上には亜緒と蘭丸が平らげた皿の山やグラスやカップの数々が、まるで嵐が去った直後のような無秩序状態で散らばっていた。
「僕はコーヒー一杯しか注文していないんですけど。お二人は何処に?」
「亜緒さんと蘭丸さんなら、もう店を出ましたよ」
店の窓から、外で談笑している二人が見えた。
何が可笑しいのか、亜緒が愉快そうに笑っている。
「あの、おいくらですか?」
「十万と千八百三十三円になります」
「十万っ! この店ってそんなに高いんですか?」
「お二人の溜まっていたツケも合わせて、お客様が依頼料の前金として支払う話はついていると……違うんですか?」
やはり依頼する相手を間違えたかもしれないと思いながら、結局宗一郎は今回の食事代と二人のツケを支払うことになるのだった。
中央公園は約四十万五千平方メートルの敷地に緑や池、広場や遊歩道の他にテニスコートや野外ステージなどの施設がある市民の憩いの場である。
休日は元より平日も人で賑わっている場所であるが、午前零時ともなればサスガに閑散としている。
所々に設置された人工灯が橙にぼうっと輝いているが、よほどの物好きでもない限りは闇が深まる時間帯に外出したりはしない。
亜緒と蘭丸は、その数少ない物好きの内の二人であった。
「念のために公園には人払いの結界を張ってある。宗一郎少年、思う存分公園内をウロついて黄泉帰りを誘き寄せてくれたまえ」
「え?
宗一郎が納得いかないといった表情で亜緒に不平を言う。
「餌というのは少年のことだよ。君以上の餌があるのなら教えて欲しいくらいだね。心配するな。大事な金ヅル、じゃない依頼人をみすみすと殺させやしないよ」
「俺たちは死角から君を護衛するから安心してくれ」
宗一郎を残して二人は闇に消えた。これも何か術の類なのかもしれない。
「本当に信用して大丈夫なのかな。あの人たち……」
蘭丸は頼りになりそうだが、なんだか亜緒は頼りないというのが宗一郎の見解だった。
亜緒のほうは猫を撫でたり、いつもヘラヘラ笑っているというイメージしかない。
依頼人である自分を囮にするような策を考えたのも亜緒だし、宗一郎からすればもっと真面目にやってくれという気持ちにもなる。
もっとも蘭丸のほうはこれ見よがしに刀を所持しているので強そう、いざという時に頼りになりそうだと思い込んでいるだけかもしれないし、そう考えるとますます不安になるのだった。
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