左団扇奇譚

音叉

黄泉帰り

第1話「奇妙な依頼人」

 少年は少女が好きだったので告白をした。


 少女は愛されることを欲していたので少年と付き合うことにした。


 少女の望みは愛する人に殺されることだった。


 自殺でもなく、何処の誰とも知れない変質者に殺されるのでもなく、自分のことを愛してくれる人に殺されなければならなかった。


 だから少年は少女を殺した。


 ただ、それだけのことだった。





 ここは黒い太陽が輝く世界。昼は薄暗く、夜は尚暗い。


 商店街や家々から橙に揺れる淡い明かりが灯る頃。その幻想的な光景をこの世界の人々は「朝」と呼んだ。

 この世界の住人にとっては、生まれたときからある極当たり前の風景だ。


 その当たり前の風景の中に『左団扇ひだりうちわ』という看板が下がった家があった。


 外観は年季の入った木造の二階建てといった具合で変哲は無いものだが、門に貼られた紙にデカデカと『妖退治の類など承ります』と書かれていて、何やら胡散臭い。


 もっとも、この世界では良く見る類の胡散臭さではあるが。


「腹減ったな」


 空腹を訴える自身の腹の音を一頻り聞き終えてから、改めて現実を噛み締める。


 雨下石しずくいし 亜緒あおは洋装を身纏った青年で、その青い色をした髪が印象的な『左団扇』の経営者である。


 彼の膝の上に乗っている「ぬえ」という名前の黒猫が一声鳴いた。


「人というのはお腹が空くと鳴るんだよ」


「ニャァァァン」


「面白い? 僕は少しも面白くないけどね」


「猫と会話をするのを止めろ。なんだか余計に腹が減る」


 亜緒と猫の会話にモノ申したのはみぎわ 蘭丸らんまる


 墨黒色の着流しに、長い黒髪を後ろで纏めた彼も『左団扇』の経営者だ。


 色白で女性のような容姿をしている美青年だが、彼と対面した者が先ず注目するのは容姿ではなく手にしている日本刀かもしれない。


 二人はもう三日間マトモな食事を取っていなかった。

 口にしたものといえば水道水くらいである。


「『左団扇』って名前が良くなかったのか……。チョロイ仕事が沢山舞い込んで文字通り左団扇で暮らせる日々を夢見て付けたのに……」


「その考えが邪なモノを呼び込んでいるのだ。この世に楽な仕事などあってたまるか」


 店の名前を付けたのは亜緒だが、依頼など滅多に無く実際は閑古鳥が鳴きまくっている状態であった。


 亜緒がいきなりクスクスと笑い出す。


「なんだ気持ち悪いな。空腹が頭にまで回ったか」


「いや鵺がね、左団扇どころか『前途多難』や『風前の灯』といったほうがシックリ来るってさ。上手いこと言うと思って」


「まったく笑えん! 前から聞こうと思っていたのだが、その猫は人語を話すのか? 俺にはニャーニャー鳴いているようにしか聞こえないのだが」


「鵺は僕の猫だからね。基本、僕にしか話しかけないのさ」


「人語を使って飼い猫と意思疎通出来ているつもりになっている飼い主はいると聞くが、まさかオマエまでその類とは思わなかった」


「そんなこと、今此処で言い争っても仕方ないだろ。それより客が来なければ、僕たち揃ってこの家で飢え死にするぞ」


 腹が減っていると、普段気にならないことも言い争いの原因になったりするものである。


 突然来客を告げる呼び鈴が鳴った。


「客か!」


 亜緒の期待と願望が声になる。


「借金取りかもしれないから迂闊に出るな!」


 一方で蘭丸は慎重だ。


 呼び鈴一つ取っても二人の受け取り方は異なる。


 慎重に覗き穴から来訪者の様子を確認する。


「学生のようだな」


 蘭丸が門前に立つ少年の姿を認めて言う。近隣の学園の制服を着ている。


「なんだ学生か」


 亜緒が繰り返した。


 二人のテンションが急速にダウンしてゆく。学生では金回りに限界があるからだ。


 しかし、客を選り好みできる現状ではない。


 二人は頷き合うと勢い良く扉を開けた。




藤野宮ふじのみや 宗一郎そういちろうと申します。両天秤学園の学生なんですが……ちょっと、いえ……かなり困ったことになっていまして」


 二人はもう一度頷き合った。学生ではあるが、客であることも完全に確認できたからだ。


「ウチにやってくる客は大抵困っているよ」


 亜緒は宗一郎を客用の座敷へ通した。


 かしこまって座布団に座る少年は、緊張と多少うろたえた様子で落ち着きなく見えた。


 真面目そうに見えるのは、眼鏡を掛けているせいだろうか。着崩さずに着用している制服のせいだろうか。


 出されたお茶……ではなく、水の入ったコップをマジマジと見つめている。


「さて。一体どのようなご用件かな?」


 バツ悪そうに蘭丸が話を促す。


「僕は彼女に命を狙われているんです」


「彼女?」


「ああ。このなんですけど」


 少年が取り出した写真には、少年と一緒に女の子が明るい笑顔で写っている。


「へぇー。なかなか別嬪べっぴんさんじゃない。名前は何て言うの?」


 亜緒が茶化すように聞く。


瞑想類めいそうるい 現子うつつこっていいます」


「変わった名前だね」


 オマエが言うな。と、亜緒に一瞥くれてから蘭丸が逸れた話を戻す。


「この娘に命を狙われるような覚えがあるのか?」


「まぁ。そうですね……。彼女のことを殺しちゃいましたから」


 二人は顔を見合わせた。互いが妙に困った顔をしている。


「つまり、殺した彼女が幽霊になって君を取り殺そうとしているとか、そういう話か?」


 蘭丸の言葉に、「よくある話だ」と亜緒が付け加えた。


「似ているけど、全然違います」


 少年のドヤ顔に軽くイラッと来る。


「現子は、ちゃんと生きている身体で僕を殺しに来るんです」


「お前、本当にキッチリ殺したのかよ。未遂に終わったんじゃね? そんで怒り心頭の彼女が、今度はお前を殺そうと復讐しに来ているんじゃね? だったら警察か逃がし屋へ行け」


 意味は異なるが、亜緒の発言は事の真相を半分近く言い当てていた。


 投げやりになった亜緒を蘭丸が嗜めながら、宗一郎少年の話を纏める。


「少し話を整理させてくれ。宗一郎くん、君は自分の彼女である現子という少女を殺したのかね。間違いなく?」


「間違いなく、この手で殺しました」


 言ってから少年は考え込んで再び口を開いた。


「もしかして、御二人とも僕が一方的に無理やり現子を殺した殺人犯……なんて目で見てます?」


「安心しろ。妄想殺人癖か自傷癖を持った多感なお年頃だと思っているから」


 亜緒が少年に哀れみを込めた視線を送る。


 蘭丸は最初からキチンと順序立てて話せと言った。




 事の発端は、現子が自分を殺してくれと宗一郎に頼みだしたのだという。


 最初は冗談なのだろうと一笑に付していたが、現子の頼みは回を重ねる度に執拗かつ懇願とも取れるような異常性を持つようになっていったという。


「それで殺してしまったのか?」


 蘭丸の声音は呆れていた。


「だって愛する彼女にそこまで頼まれれば、断るなんて出来ないじゃないですか」


「君の彼女も随分と変わっているけど、だからって本当に殺しちゃう君も大概たいがいだねぇ」


 少年の事情には感心無さそうに、亜緒は鵺を膝に乗せた。


「現子の心音が消えて脈が無くなるのを確認した後、僕は十分くらい傍らで現子に愛を囁きました」


「死んでいる人間に愛?」


 鵺を撫でながら亜緒がわらう。


「人は心停止してからも、脳が十分くらいは活動しているらしいんです。特に聴覚は残るらしくて」


 それはまるで闇に囁くように甘美な一時だったと宗一郎は興奮気味に話した。


「でも彼女は、翌日何事も無かったように普通に登校してきたんです」


 辻褄の合わない現実に混乱したという。


 昨夜の出来事は夢だと思い込もうとしても、両手に残る生々しい感触が現実だと訴えている。


 何か普通では考えられない異常な事態が、自分か彼女に起こっている。もしくは両者に。


 そんな出るはずの無い答えを探しているうちに夜になり、闇が濃くなった頃に部屋の扉を叩く音がした。


「言い忘れていましたが、僕アパートで一人暮らしなんです」


 誰かと尋ねると、外から聞こえたのは死んだはずの現子の声。


「次は宗一郎くんが死ぬ番だよ」


 言ってから少女は、鍵の掛かった鉄製の扉ごと力任せに抜き取ってしまったという。


「それが本当なら、人の出来ることではないな」


 蘭丸が亜緒を見ながら言う。見当はついているというふうだ。


「事実ですよ! 今ならまだアパートへ行けば証拠がそのまま残っているはずです」


「いや、信じるよ。これはアレだな」


 亜緒が蘭丸に視線を投げた。


「黄泉帰りだな」


「よみがえり?」


「黄泉帰り。甦りとも書く」


 蘭丸がメモ用紙に漢字を書いて宗一郎少年に見せた。なかなか達筆である。


「死者が周囲からは生きているように見える。または振舞う現象のことだ」


「そんなことが現実にありえるんですか?」


「起こりえるから、君はこうして僕らのところへ来たんでしょ」


 亜緒は欠伸あくびを一つ挿んでから、「まぁ一種の呪術のようなものなんだけどね」と続けた。


「これは人の世の法則から外れた現象だ。とはいえ、黄泉帰ってきた人間が死ぬ以前とまったく同じなら問題は無いが、じつは大きく異なる厄介な点が二つある」


 蘭丸が無意識に刀に手を伸ばした。


「それは……なんですか?」


 宗一郎は大きく息を呑んだ。


「一つは自分を殺した人間を必ず殺そうとする。もう一つはその目的を遂げるまで黄泉帰りは絶対に死なない」


「そんな! それじゃ僕は現子に殺されるしかないってことですか?」


「心配するな少年。そうさせないために俺たちみたいなのがいる」


 蘭丸が刀の鞘を立てて見せたのは、依頼人を安心させるためだ。


「どんなクズ野郎でも依頼人の命は護って見せるから」


 亜緒は一際大きな欠伸を作った。


 そして二人のお腹が同時に空腹を訴える。


「「金次第でな」」


 二人の欲望が言葉となってシンクロした。


「こういう店は初めてなので相場というものが分からないんですが、だいたい幾らくらい掛かるものなんですか?」


「最低でも一千万円……くらい」


 亜緒が提示した金額は大袈裟である。


 闇の支配率が大きいこの世界では、妖絡みや呪術めいた事件がそれほど珍しいわけではない。 

 だから商売として成り立つわけで、実際は客の取り合いにより価格はリーズナブルである。


 もちろん依頼内容や始末屋の腕などによって、多少料金は変動する。


 一千万円以上は鬼や吸血鬼などが対処相手であった場合の基本価格である。


 黄泉帰りは二百万くらいが相場だ。


「一千万? 学生の僕にそんな大金用意できませんよ!」


「じゃあ、大人しく殺されるか? 君は彼女のように愛する人になら殺されてもいいとは思えないのか?」


「思えませんね。僕は彼女と違って、好きな人とは一緒に生きて幸せを追求するタイプなんです」


「清々しいまでのクズっぷりだが、はした金で動くほど僕たちは安くないぜ?」


「僕だって何の用意も無しに、こんな如何わしい店にやってきたりはしません」


 如何わしい店。というくだりで二人の表情が曇る。


「三百万までなら都合つきます」


「それは君の真っ当な金か?」


 失礼を承知で蘭丸が問う。


 学生の口から三百万という金額が出れば、誰だって怪しむ。


 今までの聴取から依頼人はマトモな精神構造をしているとは思えないし、結果人殺しをするような人間だ。


 この金がワケありなら受け取るわけにはいかない。後でトラブルに巻き込まれたくはないからだ。


「もちろん、僕が自由に出来るお金です。何か困ったことがあれば使うようにと父から渡されたもので、ちょっとしたお小遣いみたいなものです」


「三百万がちょっとしたお小遣いだってさ」


 亜緒が鵺に耳打ちする。


「失礼だが、君のお父上はどのような仕事をなさっているのかな?」


 蘭丸が宗一郎少年の父の職業を尋ねると、寺の住職だという。


 亜緒は坊主丸儲けと愉快そうに笑うのだった。


 蘭丸が前金として百万円を要求すると、宗一郎は金は渡せないという。


「この三百万は僕にとって切り札のようなもの。渡すのは御二人の実力を見せてもらってからということで宜しいでしょうか」


「目の前で黄泉帰りを退散させなければ信用出来ないというわけか」


 蘭丸が不敵な動作で刀を持ち直した。


「まぁ、分かる話ではある」


 亜緒も不敵な笑みで蘭丸に応じる。


「では取り敢えず、近所の喫茶店で詳しい話や打ち合わせや食事でもしよう」


「それも分かる話ではある……」


 またしても二人の腹が同時に鳴った。

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