皇子と将軍2

 兵力を温存するルシュディアークの戦法は自分と通ずるところがあるとダリウスは思う。しかし、兵を思いやりすぎるところがあるのが目についた。


(誰も見捨てたくないと叫ぶ彼の本心は痛いほどわかる)


 自分と接敵した際に叫んだルシュディアークの言葉は、ダリウスの耳にも届いていた。あのような場面に慣れがないルシュディアークには、さぞや辛かったことだろう。しかし、だ。いくら兵を大切にしていても、自身の身の安全のために切り捨てなければならない時がある。そこをルシュディアークは分かっていないのではないだろうか。とはいえ、ルシュディアークの戦力はカムールの遊牧民ベドウィンであったから、そう思えば残酷に徹しきれないのも致し方ないことなのかもしれない。


「助言とするか、小言とするかは殿下次第でございますが」


「なんだ」


 ルシュディアークが真っすぐこちらを見つめていた。おさないという言葉に気分を害した様子もなく静かに耳を傾ける小さな姿は、ダリウスにほんの一瞬だけサルマンの幼少の頃の姿を思い起こさせた。


「兵と共に戦にお出になられるのは見事な心がけ。しかも入り乱れての乱戦の中に身を投じたり、自らをおとりにするなど生半なまなかでは出来ますまい。しかし殿下は兵を少しばかり大事に扱いすぎる。あまりにも過保護に扱えば、兵にも不満が出ましょう」


 ルシュディアークは痛いところを突かれたと言う顔つきを浮かべた。


「許せ、初陣なんだ」


 ほう。と、ダリウスは唸った。初陣で、しかも遊牧民をかき集めただけの騎兵でアル・リド王国軍わがくにの進軍をさまたげたか、この皇子は。同時に惜しいとも思った。経験を積めば良い将になるに違いないと感じたからだ。


「なれば尚の事、殿下はご自身の身を案じられませ。それでも兵を鼓舞したいと申すのであれば、そうですな。例えば、そちらの」


 ダリウスはルシュディアークの後ろで神妙な顔つきでこちらを見つめているアズライトに目を向ける。


をご自身の代わりに使うとか」


「……知っていたか」


「そういう者の話を耳に入れたことが何度か。しかし、その者は男であったと聞き及んでおりますが、はて」


 ルシュディアークへ目を戻す。ルシュディアークの赤い瞳と、ダリウスの目が合った。探るような光を宿していたが、初めに逸らしたのはルシュディアークだった。わざとらしく片眉を上げ、奇妙な顔つきさえ浮かべて、


「それは


 と、アズライトを一瞥して続けた。


「しかし人形とはいえ女子供を前に出すのは気が引ける」


「お優しいですな」


「優しさじゃない、単にそういう常識を植え付けられているだけだ。彼女を戦には出したくはないが、そうだな。こういう話し合いの場では大いに利用させてもらうとするか――――なぁ、ダリウス。我が国との交戦を止めないか」


 それがルシュディアークの真意か。自然と眉間に力がこもるのを感じた。


「我が国はそなたらの国と、敵国エル・ヴィエーラ聖王国との緩衝国でもある。その緩衝国を失えば今以上にアル・リド王国はエル・ヴィエーラ聖王国との緊張状態を作り出すことになりかねん。加えて我が国にはこの人形と、鉄女神マルドゥークがある。大怪我をする前に兵を引いたほうがいいと思うが」


「……説得と言うよりは、脅迫に近く感じますな」


 ルシュディアークは大きな溜息を吐いた。表情には恨みがましさが混じっていた。


「……脅迫しているわけじゃない。傘下にしたいのなら同盟で構わんだろうと言っているんだ」


「頷けませんな」


「何故支配にこだわる」


「人の意思は同盟という紙切れでは縛れない。我々は未来永劫続く確かな証が欲しいのです、殿下。エル・ヴィエーラ聖王国の遺産遺跡保護協会。これと懇意にしていなければ貴国へ侵攻まではしなかったでしょう。そしてイブティサーム様がご存命であらせられれば貴国と同盟を結んでいたかもしれません」


「義姉上の運命を責められても困る」


「存じております、殿下。義姉君の事はただの恨み言として聞き流していただければ。ですが、エル・ヴィエーラ聖王国だけはいただけない。エル・ヴィエーラ聖王国の遺産遺跡保護協会が遺産を集めているのはご存知ですか、殿下。エル・ヴィエーラ聖王国の動きは、はっきり言って異常でございます」


「各国から集めた先史文明の遺産を収集して眺めるだけであれば、私も安心していられる。だが、違う」


しかり。我が国では、エル・ヴィエーラ聖王国での遺産遺跡保護協会の行動に目を光らせていた者達がおります。彼らは一様にして聖王国側が積極的に遺産を研究し、兵が扱えるように訓練しているという」


「それを、ガリエヌスが知ったのだな」


 ダリウスは、頷いた。


「陛下はこう仰られました。我が国を主導とした一つの大きな国をつくらねばエル・ヴィエーラ聖王国の拡大と、その傘下にある遺産遺跡保護協会の横暴を止めることは出来ぬと」


「今はまだ、聖王国は貴国のように拡大に精を出しているわけではなさそうだが」


「ええ、今はまだ睨み合っているだけにございます。しかし、いずれこちら側に牙を向く。かつて栄華を極めた古代王国の力を保有しておいて、その恩寵に預からぬ訳がない」


「人としてのか」


「いかに賢王と称されるエル・ヴィエーラの聖王ですら、いつ耄碌もうろくするともわかりますまい。であれば、殿下。いつ剣を向けてくるかも分からぬ聖王国に備えるのが、国を背負う者の役目なれば。我が国は一つの大きな国を作らなければならないのです。聖王国に対する事の出来る、大きく強靭な国を。先駆けとして我が国は周辺の同盟国を攻め、支配下に置きました。それを繰り返し、今や南方大陸の大半を手に入れた今、我が国は岐路にある」


 すっと、ルシュディアークが目を細めた。


鉄女神マルドゥークか」


 ダリウスは、頷いた。


「左様。我々は、かつての文明を滅ぼすきっかけとなった神を、無視出来なかったのです」


「二千年以上も眠り続けている神の名を冠した遺産へいきなど、用を為さぬというのがガリエヌス王のお考えではなかったかな。それとも、私の思い違いだったか?」


「我々の脅威であるエル・ヴィエーラ聖王国の遺産遺跡保護協会の者が貴国へ頻繁に出入りしているという話を聞けば、いかに失われた技術に懐疑的な王であっても胸中穏やかではいられますまい」


 絶対的な保証のない可能性はガリエヌスの心に不安を呼び、サルマンの一声で決断をさせた。ガリエヌスが鉄女神マルドゥークを恐れたということが驚きだったらしい。ルシュディアークが奇妙な顔つきでこちらを見つめている。


にわかには信じがたい」


「事実でございます」


 とはいえ、王子であるサルマンはガリエヌスのようには恐れていない。彼の中に在るのは王国の覇を唱えたいという青臭い野心と、イブティサームを失った悲しみだけだ。しかしこの話し合いにサルマンの意思は関係ないだろうと、ダリウスは口をつぐんだ。


「我々はエル・ヴィエーラ聖王国に対するためにこの大陸の覇権を握らねばならない。殿下こそ説得に応じられたい。我が国の傘下となられませ。しからば、いたずらに死体が積み上がることもないでしょう」


 静まり返った室内で、それは明瞭にルシュディアークの耳に届いたはずだ。彼はダリウスを長いこと見つめていたかと思うと、囁くような声で言った。


「断る」


「貴国にも利はありましょう」


「どれほど強く豊かな大国であろうとも、民を奴隷として使い潰す国におもねる気は無い」


 その言葉をルシュディアークから聞いた瞬間、口角が歪んだのをダリウスは自覚した。


「交渉決裂ですな」


 そう言って、ダリウスは残りの茶を飲み干すと、立ち上がった。


「……時に、あの時一緒に捕まった私の兵は、如何なされた」


 ルシュディアークの口元が引き結ばれた。言いよどむように顔色を曇らせた後、ルシュディアークははっきりとダリウスを見据え、言いきった。


「殺した。生かす義理が無いのでな」


 自身の頬がひくつくのが分かった。緩やかにこみ上げてくる怒りを鎮めるために息を吐く。


(幼少の頃から手をかけてきた自身の甥のような兵士であったが。そうか、先に逝ったのか)


 であるならば、この場には無い。


「失礼する」


 部屋を出てゆこうとするダリウスを、牢番が待っていた。彼はダリウスに恭しく礼をすると、先導するように扉を開け、歩き始めた。その背中を、ダリウスは無言のまま追いかけた。





当サイトに掲載されている写真、イラスト、文章の著作権は早瀬史啓に帰属します。無断での複製・製造・使用を全面的に禁止します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る