蒔いた種が芽吹くとき

 ダリウスが去った後、ルシュディアークは大きな溜息を吐いた。ルシュディアークの中にあった気勢が、ダリウスの姿が消えた瞬間、一気に削がれてしまった。心臓はまだうるさい位に脈打っている。落ち着きを取り戻すために茶の残りを飲み干すと、盆の上に空の木杯を置いた。静かに置いたつもりが、木杯が割れるのじゃないかと思うくらいの音が鳴った。


(これでダリウスの目は完全にこちらを向いた)


 ダリウスが一瞬浮かべた表情には肝を冷やしたが。イスマイーラを殺したという言葉うそは思いのほかダリウスの心根深くを揺すったらしい。イスマイーラがアル・リド王国へ帰り、王国に反感を持つ奴隷達と蜂起するまで時間を稼ぐことが出来るのだと思えば、奴から投げつけられた怒りなど何ほどの事でもない。そう思うと、急くような思いが静まってゆく気がした。


(目下の問題は奴の処遇か。しばらくは砦に置いておくしかないが。もし、奴があの言葉うそを見つけてくれたのなら。面倒は少しばかり増える気がするが、その方がこちらにとって都合が良い。ただし、奴の目が俺だけに向いていれば、だが)


 さて、奴はここに居る間に何かやらかしてくれるだろうか。奴ほどの男が感情を露にするほどの事をするとは思えないが。まぁ良いだろう。何もなければ今度はもう少し強めに心を揺すってやればいい。例えば、今すぐにでも行動に移さなければいけないと思うくらいの、心揺さぶる強い何かを。


「……ルーク」


 ふと、すっかり久方ぶりになってしまった渾名あだなの方を呼ばれて瞠目どうもくした。振り返れば相変わらずの無表情を張り付けたアズライトがこちらを見つめていた。目が合った瞬間、彼女が何を言い出すのか、なんとなく察してしまったのは、この人形との付き合いが長いものに変わったためだろう。


「刺激するのは得策ではありません」


「分かってる。でも、今はダリウスをイスマイーラから離さなくてはいけない」


「貴方がするべき事でしょうか」


「あいつには色々と世話になったからな。最後くらいは何かしてやりたい」


「それをイスマイーラが知ったらどう思うか。もう少し自分の事を大切にして下さい。普段冷静かと思えば時折こんな無茶をする。もう少し周りの人間がどう思うか考えて欲しいところです」


 アズライトに言われるとは思っていなかった。というか、お前がそんな愁傷な言葉を吐き出せるとは、何か悪い物でも食べたんじゃなかろうか。心遣いを示してくれた事は純粋に嬉しいが、やっぱり違和感を覚えてしまう。「お前、今日はちょっと変だぞ?」という言葉を苦労して飲み込んだ。今言わなくてはいけない言葉はそれじゃない。


「……早速で悪いが、やって欲しいことがある。手は空いているか」


「予定は開いています」


「ならばよし。前に主要街道に赤い壁を築いただろう。あれと同じものを主要街道の道々に何個か築いておいて欲しい。出来れば今日、明日中にでも」


 主要街道と言っても一本道しかないのだが、それでも距離はあるし、あれだけの大きさの壁を築くのも一苦労だろう。やはり少し無茶だっただろうか。アズライトの顔色をうかがった。彼女はさほど問題ないという顔つきで、


「分かりました」


 意外にもあっさりと同意したことに首を傾げた。文句の一つくらいは飛んでくると思っていたのだが。こうもあっさりしていると余計な勘繰りを入れたくなる。


「……お前、実は誰かと同じような計画を立ててたか?」


「ハリル達と少々」


「なるほど。なら話は早そうだな」


 どんな提案をハリルがしたかは俺も知らないが。悪事には違いが無いだろう。その悪事がどの程度のものなのか興味はあるが、聞けば話が長くなる。今はとにかく時間がない。話に気を取られているわけにはいかない。


「それで、幾つくらい壁を築けばいいですか」


「多ければ多い方が良い。出来れば二つ以上。ついでに谷の斜面を崩すような罠を仕掛けておいてくれ」


「分かりました」


「それから、行くときは必ずソマを連れていけ」


 一人にさせると何をしでかすか分からないというのは、付き合いが長くなった今でも変わらない。それを知ってか知らずか、アズライトは目も合わせず扉の把手へ手をかけた。その背中を眺めながら、もう一つ用件を思い出して呼び止めた。


「ああ、それから。主要街道のそばに谷の上に繋がる岩道がある。お前達はそこから道を登って塞がれた主要街道を上から見てきて欲しい。街道のそばに敵がいるのならサクルを飛ばして知らせてくれ」


「知らせるだけですか?」


 アズライトが物足りなさそうな顔つきで振り返った。


「……魔族部隊は暫く秘密にしておきたい。くれぐれも下手な行動は起こしてくれるな」


「場合によります」


「確約してくれ。頼むから」


 アズライトはどこまで分かってくれているか分からない表情で頷くと、足早に部屋を出て行った。入れ替わるように入ってきたのは、固い表情を張り付けたニザルと、具合が悪そうなハリルだった。ダリウスとの話し合いをする前に呼びつけていたはずだったのだが。ダリウスとの話の後にやってきたのはどうしてか。自分でも自覚するくらい憮然とした表情で二人を招き入れた。


「もう少し早く来て欲しかったんだがな」


 大方、挨拶を渋るニザルをハリルが引っ張ってきたのだろう。ニザルが恨みがましい目つきでハリルを一瞥すると、気を取り直すように咳払いをした。


「ご挨拶が遅れてしまったこと、申し訳なく思います。ですが殿下、お怪我はもうよろしいのですか」


「問題ない。それよりもどうして早く俺のところに来ない?」


「あまりに刺激的な話を致しますと治癒に差し障るかと思いまして。こうして殿下にお声がけされるまでお待ち申しておりました」


「そう言うのは遠慮しなくていい。余裕なんか無いのはお前が一番分かってることだろう」


「確かに余裕はありませんが、我が砦は殿下のお怪我を治すいとまを与えぬくらい脆弱ではございません」


硝子谷ここは我が国の鎖鑰さやく点だからな、当然だ。しかし何故避難民を受け入れなかった?」


 硝子谷の大街道を封鎖すれば物流が滞ると言われるほどの堅牢さを誇るアムジャードの砦は今、人の出入り極端に制限している。どこから王国の間者が忍び込むか分からないためだ。加えて戦時と言うのも影響している。それでも程度というものはあって、皇国から特別な許可を得ている行商や荷運びチャスキと戦時下で住居を失った避難民だけは出入りを許し、必要とあればかくまったりもしている。そうするよう皇主カリフないし、第一皇位継承者イダーフから正式に通達があったはずだが、ニザルはそれを無視し、砦の門を固く閉じて出入りの一切を禁じようとした。


「ここ程安全な場は無い。逃げ場を失った民が受け入れて欲しいというのなら答えてやるのが領主だと思うがな」


「避難民の中にアル・リド王国と密通している者がいるという噂があったのです」


「間者はいたのか」


 ニザルは気難しい表情で黙り込んだ。


「不安を覚えるのは俺としても理解できる。だが民を閉め出し、砦の兵を民の眼前に突き出したのはいただけない。そして正規軍がありながら援軍を寄越さなかったというのも」


「砦の人員が不足していたのです」


「民に差し向ける兵はあっても、戦っているカムールの戦士達を救援する人員は無いと?」


「砦と民を守りながらでは、とても」


 怒りが喉元まで込み上がってくる。しれっとした表情なのがいただけない。喉元までつっかえている言葉はとりあえず我慢した。ニザルは身構えるような顔つきを浮かべていた。大方この日のために言葉いいわけでも準備してきたのだろう。その態度がまた腹立たしい。でも、呼び出したのは責める為だけじゃない。現状を知りたい為だ。


「まぁ、いい。砦の防備は順調に進んでいるか」


「アムジャードに四つあるうちの全ての出入り口に木柵を設け、投石器を配置してあります。ただ、いまひとつなのは主要路から外れた小道への対策ですな」


 硝子谷には主要路と呼ばれる一本の大街道の他に、狭く険しい谷の小道が樹状に広がっている。岩盤は脆く崩れやすく、足場が悪いため投石器を持ち込めない。歩兵を配置するしかなかったが、兵の数には限りがある。いま、砦の兵士とカムールの騎兵を合わせて二万八千人がいる。

主要街道に兵を一万。砦に兵を一万待機させて、小道に八千待機させようか。いや、小道は狭く入り組んでいる。そんなに多くの兵を待機させられるような場所じゃあない。


「何名か置きたいが……」


「……俺達は砂上戦闘の経験はありますが、谷の岩場で、それも入り組んだ場所での戦闘は慣れてません。カムールの戦士達を置くのは無理がある。でもこの砦の兵士なら少しくらいは岩場に慣れてるかもしれません。親父殿、二千程小道の方に配置してもらえませんかね」


 具合の悪そうなハリルが、吐き気を堪えるような顔つきで言った。ニザルが溜息をついた。


「小道に兵を待機させても敵など来ない。兵が無駄に暇をするだけだ。それよりも砦の守備に人員を使いたい」


 ハリルがニザルを睨んだ。


「砦だけに人員を集めても、小道から攻められたらひとたまりもないですよ。ただでさえ俺達の苦手な籠城戦になるってのに」


「籠城戦をするから人員がいるんだ。険しい小道なんぞを使って攻めてこれるものか」


 酷く温度差のある表情で睨み合う。内心で毒づくものは多かったろう。口には決して出しはしないが、目は雄弁に物を語っている。


「親子喧嘩は後にしてくれないか?」


「喧嘩なんかしてませんよ。わからず屋に忠告しているだけです」


「分からず屋はどちらなんだかな」


 ぴりぴりとした沈黙が親子の間を流れてゆく。ルシュディアークは参ったなと、頭を掻いた。


「二人とも冷静になってくれ。喧嘩をしてほしくて、こんな話をしているわけじゃないんだから」


 盛大に溜息を吐いたその時だった。扉が外から叩かれたのは。

入ってきたのは堂々たる背丈の偉丈夫だった。エル・ヴィエーラの人間を思わせる色の白い肌に高い鼻立ち。編み込まれた赤銅色の長い髪を揺らして歩んでくる。睨み合う親子なんて最初から眼中にないのだろう。両人の間に立つと、ルシュディアークへ貴人へ対する礼をした。


「セーム首長国からの使者、アクバルにございます」


「良く来たな、アクバル。こんな時でなかったら丁重にもてなせたが、許せ」


「戦では仕方がないかと存じます」


 にっと、笑う。その笑みはさっぱりとしたものだった。

セーム首長国はアル・カマル皇国の南、カムールの砂漠を越えた岩山の麓にある。人口はおおよそ三万人。山の翁と呼ばれる首長を中心にまとまった小さな国だ。そこではとおになる子供の中で初代山の翁の記憶を持つ子供を選定し、首長に据えているという少々独特な風習のある者達だった。その首長が抱く民達は皆、山々での戦いに秀でていた。そんな山の民が遥々と硝子谷まで来てくれたことに軽い喜びを感じつつ笑みを返す。


「まずはお体の方、快癒されたようでなによりでございます。失礼ながらご挨拶はこのくらいで。首長からの達しでございます」


 腰に下げていた革の鞄から丸まったパピルスを丁寧に取り出すと、ルシュディアークに差し出した。それを受け取ると、木の皮で編まれた紐をほどいて内容を改める。


「我が首長国は宗主国アル・カマル皇国と戦線を共にする覚悟だと仰せでございます」


「既に兵を派遣しているようだが?」


「四千名ほどを砦のそばに待機させてあります」


 ニザルとハリルの表情が如実に変わった。ニザルは苦い表情のままだったが、ハリルはまんざらでもなさそうに口元を綻ばせている。アクバルが片眉を上げた。


「お前達には硝子谷の小道に控えて、主要街道を逸れてやってくるアル・リド王国軍を迎え撃って欲しい」


「では今すぐにでも?」


「そのほうが嬉しい」


 聞くや否や、さっと立ち上がったアクバルに、


「待て。首長に答を返しておいた方がいいな。おい、書くものを」


 控えていた兵士に命じてパピルスと筆を用意させる。部屋の隅からパピルスと筆の入った小箱を用意した兵士が進み出た。瞬間、開け放ったままになっていた扉から飛び出てきた人物とぶつかった。筆と墨壷とパピルスを盛大にぶちまけてのたうつ兵士をよそに、やってきた影、バラクはいち早く起き上がると、まくし立てるように叫んだ。


「大変です。ダリウスが逃亡しました!」


 ニザルが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、アクバルは唖然とルシュディアークとバラクを交互に見つめ、青い顔をしたハリルが訊ねた。


「捕まえますか」


「いや」


 ダリウスが動いた。胸の沸く様な思いがむくむくと込み上がってくる。


「捕まえなくていい」


 意図を察しかねた四人が怪訝そうに顔を見合わせた。


「追い立てるように、逃がせ」


 にわかに慌ただしくなった部屋の外へ耳を傾けながら、ルシュディアークはほくそ笑んだ。




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