イスハークの恩義

「あんた、ダリウスと斬り合ったらしいじゃないか」


 アリーが部屋に入ってくると、ルークを見るなり日に焼けた丸顔を、ぱっと綻ばせた。


「どうしてここに居るんだ。みんなと逃げたんじゃないのか」


「それがさ、やらなきゃいけないことを思い出しちまったんだよ。ねえ、ラビ」


 アリーが開けっぱなしの扉を振り返った。外で息をひそめるもう一つの気配へ、じれったそうに手招きする。


「ほら、坊やに挨拶しなきゃ駄目だろ。あんたイスハークの氏族長になったんだからさあ」


「……心の準備がまだ」


「あんたねえ、坊やに会ったら話したいことがあるんだって言ってたじゃないか。それなのに止めるのかい。別にあたしは関係ないからいいけど、あんたはそうじゃないんだろ。坊やに言わなきゃいけない大切な話があるって話じゃないか。あたしゃ、あんたの代わりに坊やへ言伝ことづてする気は無いからね!」


 アリーに全部任せようとしていたのだろう。部屋の外で悔しそうに唸る声が聞こえた。それを、アリーは呆れたようにねめつける。ややあって、ラビが渋々といった表情で部屋の外から顔を出した。


「……よう」


「ああもう、じれったいねえ!」


 アリーに強引に部屋の中へ引き込まれ、まろびい出るラビの腰には親族から貰う短剣せいじんのあかしが差さっていた。ああこいつ、成人したんだと思うと同時に、向こうから会いに来てくれたのが嬉しくて、ルークは口元を綻ばせた。それなのにアリーはすまなさそうに眉を下げた。


「悪いね、あたしらさあ、皇族との付き合いなんてないから正しい挨拶ってのがよくわからないんだよ。だからこんな挨拶で勘弁しておくれね」


「そんな事かまうもんか。むしろその方が嬉しい」


 本当に、嬉しかった。ラビは会いたくないだろうと思っていたから余計に。ルークはゆっくりと起き上がって寝台の背もたれに背を預けると、改めてアリーとラビに顔を向けた。


「寝たきりで悪いな。今は体が思うように動かないんだ」


「あのダリウスと斬り合ったんだ、それくらいは仕方ねえよ」


 ラビが所在なげに鼻を掻いた。緊張しているのか視線を合わせようとしない。その脇をアリーがちょいちょいと小突いて、何事かをラビに囁いて、こちらを向いた。心配げに、じっと見つめてくるものだから、なにかこちらが悪いことをしてしまったかのような気分になってくる。固い表情だったアリーが、少しだけ表情を和らげた。


「顔色は良さそうだけど、暫くは寝てろって言われてんだろ。無理なんかするんじゃないよ。あんた放っておくと勝手にあちこち歩きまわるんだってハリル様がぼやいてたからね。そこんとこ気を付けてくれないと、治りが遅くなるよ」


「あいつは心配性なんだ、大した怪我でもないのに怪我人以上に大騒ぎするわ、怒り出すわ、俺の話は聞かないわ……アリーがなんとか宥めてくれ」


 アリーが豪快に笑った。


「心配してる証拠だよ。分かってんだったら医術師が良いと言うまでゆっくりしてな」


「そうもいかない。寝てる暇なんか俺にあるものか」


 前のめりになった途端、頭がくらっとした。額を押さえて息を吐く。少し息んだだけでこれとは。困ったと呟いた途端、アリーが憤るような顔つきで睨んできた。


「寝てな」


 有無を言わさない迫力に押され、頷くことしかできなかった。それを、ラビは苦い表情で笑う。


「でもまぁ、意外と元気そうだしね。ちょっと安心したよ」


 そう言ってアリーも微笑むと、扉の方へ顔を向けた。


「もう行くのか」


「坊やが大人しく寝ているか見てくるのがあたしの仕事だったからね。ああ、ついでにそこのお嬢ちゃん、ちょっと借りて行って良いかい。渡すもんがあってね」


 アリーは思い出したようにアズライトに向き直った。頭のてっぺんからつま先までをじろじろと見まわすと、小声で「丈はちょっと足りないかねえ」なんて呟きながら、いぶかしげにするアズライトに微笑んだ。


「あんたにはちょっと小さいかもしれないけど、あんたの為に繕った服があるんだ。どうだい、髪も一緒に整えてやるから、一緒に下に来ないかい?」


「私に身繕いは不要です」


「それでもねえ、あんた、その恰好は酷いよ?」


 あらためて見ればアズライトの成りは酷いものだった。砂だらけでごわごわに固まった髪は結縄キープのように絡まり放題。薄汚れて裾のほつれた外套からは異臭まで漂っている。なにより初めて会った時には白磁のように綺麗ですべらかだった肌は、いまや土埃に煤けていて、まるで、乞食ワキルのようだった。


「行ってこい。身づくろいして悪いことは無い」


 人形ですから身繕いなんかしなくてもいいと言いたげな顔つきでこっちを見降ろしてくるアズライトの肩を、アリーが小突いた。


「あんまり言いたくないけどね、あんた、一部の男どもの間からなんて言われてるか知ってるかい。物乞いワキルの女神様なんて言われてんだよ」


 何を言われているのか分かっていない顔つきのアズライトに、アリーは言い辛そうに言継いだ。


「恰好が酷すぎて物乞いワキルにしか見えないんだってよ。でも王国軍相手に奮闘してカムールの男連中を守ってくれたから、一応の敬いを持って、あんたのことをって呼んでんのさ。女としては失礼な男共にぎゃふんと言わせてやんなきゃ気が済まないだろう?」


「特に構いませんが」


「あたしが構うのさ」


 と、アズライトを睨んだ。


「守ってやった男共に小言を言われるのをただ見ているだけってのは、腹が立つもんでね。ぎゃふんと言わせてやりたいんだよ。だから上等なものってわけにはいかないけど、その中でもとびきりのやつを選んで繕ってきたんだ。一度袖を通してみておくれよ」


 アズライトはそれでもと渋っていたが、ルークにとっては嬉しくてたまらなかった。けれど、そこまでしてくれることが引っかかって、


「良いのか?」


 思わず伺うと、アリーは気楽な声で頷いた。


「あたしらが王国軍の奴らに襲われたときに、あんた達が助けてくれたろう。あたしらね、いつかその時の恩返しがしたかったんだ。あんたにもとびきりの恩返しがあるから、そっちはラビに聞いとくれ。ほらほらお嬢ちゃん急いで来ておくれよ、皆待ってるんだからさ」


「みんな?」


「あたしだろ、ラビのかあちゃんに、キーアの嫁さん。もう下で用意して待ってるんだ。あんまりにも待たせると二人が待ちくたびれちまう」


 それでもと、アズライトは外套の裾をぎゅっと握って、戸惑ったような視線をルークへ寄越した。


「好意は有難く受け取るのが礼儀だぞ」


 そう言ってやると、アズライトはしぶしぶと頷いた。


「さあ、おいで。綺麗になって見せびらかしてやろうじゃないか」


 アリーはアズライトへ微笑むと、アズライトの手を取って部屋の外へ連れて行ってしまった。賑やかしいアリーとアズライトの声が遠ざかってゆくのを耳にしながら、ルークは改めてラビをみつめた。


「……久しぶり、だな」


「……うん」


「元気でやってたか」


「うん」


 いざとなると、言葉が出てこない。嬉しくて仕方ないのに、ラビの顔を見ると、投げかけようとした言葉がほぐれていってしまう。一生懸命考えて、出てきた言葉はあれからずっと後悔していたという言葉だった。


「……大切な人が殺されたのに、無理を言って悪かった」


 ラビの祖母は、アル・リド王国軍の兵士によって殺された。あれはほとんど騙し討ちのようなものだった。アル・カマル皇国軍と名を偽ってやってきたアル・リド王国軍の兵士が食料を買取にやってきた所に、ラビの祖母が現れた。アル・カマル皇国軍のふりをした敵であったことをいち早く気付いたラビの祖母は、そのせいで殺されてしまった。正体を現したアル・リド王国軍の兵士は、ラビの住む営地を荒らして回った。家々に火を放ち、逃げ惑う人々を殺し、殺した人々から物を奪い去てゆく。その中に居たルーク達は、逃げるよりも戦おうとイスハークの人々をたきつけ、共に立ち上がった。そして、イスハークの氏族長の孫であったラビにも、戦えとたきつけ、王国軍を撃退することが出来たのだけれど。

あの時、悲しみに暮れるラビに無理強いをしてしまったのを、ルークはずっと後悔していた。なのに、ラビはそんなことは無いと首を横に振った。


「そりゃな、初めはなんであんなことを言うんだって、あんたに怒りが沸いたよ。でも、お前の言っていることが正しい事だったんじゃないかって気付いたのは、こっちに来てからでさ」


 遅すぎるだろと、ラビは苦笑した。


「硝子谷に着いた時、砦の連中は俺達を中に入れてくれなかったんだ。砦の門の外で、俺達や他の大勢のカムールの連中が助けてって叫んでるのに砦の連中は知らんぷりでさ。あんまりにも酷いから、門を壊してやろうって声がきっかけで、その……石を投げたり、矢を射たりしたりもしたんだ。暴動になればびっくりして砦の連中が出てくるだろうって思ってたんだ。そしたら砦からニザルが兵士を引きつれて出てきた」


 まさか、避難してきた民衆に剣を向けたのかと蒼褪めたルークに、ラビは違うと首を振った。


「まぁ、ニザルとしては数百人の兵士相手に俺達がおぞけづいて逃げ出すとでも思ったんだろうな。武器を持って来たけど、こっちは数千人の避難民だ。あっという間にニザル達は俺達に囲まれて、尻尾を巻いた犬のように吠えだしたんだぜ」


 あれは傑作だったとラビは吐き捨てるように言った。ニザルは「門を閉じていればアル・リド王国軍は硝子谷を越えて来ない。砦は兵士達でいっぱいで、避難してきたお前達を中に入れられない」と、そう宣ったそうだ。じゃあ如何すればいいんだと問いかければ、自分達だけで考えろと言い放ったという。


「あんなのが北カムールの領主様だってんだから、北カムールの連中は大怒りでさ」


 ニザルへの非難が怒号のように上がる中、ラビは思ったという。


「俺、そんときに気付いたんだ。ニザルとあの時の俺は一緒だって。門を閉じて震えて閉じこもっていれば、いつか外の争乱も過ぎ去ってくれるって期待していたんだって。本当は閉じこもっても争い事は向こうからやって来る。自分で跳ね除けなきゃ、大切な人達はどんどん倒れてくし、自分自身も追い詰められていくのに……それを、ニザルも俺も分かってなかったんだ。だから、俺、言ったんだ。自分の事ばかり考えてないで、他の連中のことも考えろよって。俺達も一緒に考えるからって」


 ラビが照れ臭そうに鼻を掻きながら、


「お前の言ったこととおんなじことをニザルに言っちまった。他人の事なんか言えるわけがないのにな」


 と、苦く笑った。


「それからは言い合いだ。だけど、俺とおんなじ意見の奴らがあんまりにも多くて、それに圧される形でニザルが砦の門を開いてくれたんだ。そっからだ、俺達が動いたのは」


「動いた?」


 怪訝そうにするルークへ、ラビは胸を張った。


「俺達だってカムールの民だぜ。王国軍に良いようにされて黙ってる場合じゃねえ。何やったと思う」


 ラビはルークの答えを待っているらしく、期待するような眼差しをこちらに向けてきた。ルークは顎に手を当てた。伸びかけの髭を指先で玩びながら考える。


(正規の皇国軍の代わりに、アル・リド王国軍の軍勢の規模を周りに周知して回ったのだろうか。いいや、これは既にアリー達が俺達ですら気づかない方法で皇都へ知らせている)


 他に何かあったかなと思いながら、アズライトの去っていった扉の方を見て、閃いた。


「まさか」


「そ、補給路を作ったのさ。あんた達のな!」


 ルークは目を丸くした。


「お前達だけで、その、用意したのか」


「俺達ばかりじゃない。北に南、中央カムール連中全員で協力し合ったんだ。最初に提案したのはアリーだった。あのおばさん、見かけによらず顔が広いらしくてさ。あっという間に数十氏族の連中と連絡を取り合って補給路と物資の運搬の手筈を整えちまった」


 というわけで、と、ラビは、にかっと白い歯を見せた。


「イスハークを初めとする三氏族の連中は引き続き砦に残って、その他は硝子谷以北へ散らばって貰った。その散らばった連中と連絡を取り合って、一番皇都に近い遊牧民ベドウィン連中から皇国軍に入用の物を伝えて逐次ちくじこちらに流してもらう手筈になってる。物資の運搬については大河ナムティラクと陸路を使う。それだけじゃまだ時間がかかるから、近辺の行商にもサクルを飛ばしておいた。だから、必要なときにすぐに必要なものが手に入るはずだ。とりあえずは不足している食料と矢羽根を頼んでおいた。もう少しすればあんたの所に届くだろう」


 まさに今、ハリル達と話し合おうとしていたことを、ラビが簡単に言い切ってしまった。あんまりにもあっさりと言うものだから、開いた口が塞がらない。それを、ラビは感心しての事だろうと更に胸を張る。誉めろとでも言いたげに。


「それから、お前も聞いたと思うけど、セーム首長国からの援助もある。だから、あんたが焦りまくる必要はないってわけ」


 逃げてくれさえすればいいと思っていたのに。そこまでしてくれたラビの、アリーの、そして皆んなの心意気が嬉しくて堪らなかった。なのに、心は沈んだままだ。そんなルークにラビは表情を改め、真剣な目つきで言った。


「イスハークはさ、恩義を忘れないんだ」


 礼を言いたいのにラビの顔を見つめていられなくて、


「カムールを守れなくて、ごめん」


 絞り出したのは懺悔の言葉だった。カムールを、ラビ達の居場所を守ろうとしたのに、守れなかった。アル・リド王国軍にカムールの砂漠を越えさせてしまった。硝子谷の前まで進軍させてしまった。彼我の戦力の差が大きく、王国軍を撃退出来るほどの戦力をぶつけてやることが出来なかった。だから、考えに考え抜いて取れたのは遅滞戦術。アル・リド王国軍の進軍を遅らせて兵站の枯渇を狙いつつ、未だ準備の整っていない砦と、皇国から派遣されたばかりの軍の到着を待つもので戦うなんて名ばかりだった。


「守るんだって言った癖に、何にも出来なかった」


「確かにカムールは連中の手に落ちてしまったけど、また取り戻せばいいじゃねえか」


 ラビは肩を落とす事なく、かと言って怒ることもなく気楽に言い放った。その目を見た瞬間、失っていた熱いものに触れた気がした。少しだけ、ほんの少しだけ。諦めかけた心が奮い立つようなそれを。


「……ああ、そうだな」


「そうだ。カムールは、俺達が取り戻すんだ」


 絶対に、絶対に取り戻してやる。

 そう、二人で誓い合うようにお互いの手を握りしめた。

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