酔っ払いたちの取引

 イスマイーラが砦の虜囚りょしゅうとなってから数日が経ったある日の事。普段無口な牢番から声をかけられた。珍しいこともあると牢の外へ顔を向けると、牢番以外に松明を持った男が二人と、妙に酒臭い息をしたハリルがこちらを見つめていた。


「や、久しぶりですね」


 ハリルが呼吸するたびに麦酒の臭気が鼻をつく。思わず顔をしかめると、ハリルがちょいちょいと格子越しに手招きをした。


「ちょっとお話をしたいので、俺と一緒に来てもらえませんか」


「酒盛りのお誘いなら他を当たってください」


「えー、つれないことを言わないでくださいよ。あんたの為に美味しいおつまみ用意したんですよ。開放感のあるお部屋も用意しましたし。こーんなじめじめした場所から出ましょうよ」


「押し込めたのは貴方でしょう」


「そりゃそうですけど、しょうがないじゃないですか。あんた、ダリウスをかばおうとしたんですから。あの状況じゃあ、あんたが元々俺達の味方だったなんて話しても、あんたを信じ切っている殿下以外誰も信用しませんよ。って、そう睨まないでくださいよ。俺はそのことについて話しに来たんじゃないんです。これとは別件と言うか」


「ここで言えないことですか」


「言えないことです」


 きっぱりと言ったハリルが、イスマイーラを伺った。軽快な言葉を放ってはいるが、目は先程から一切笑っていない。


「一緒にお酒でも飲みながらお話ししません?」


 含みのある声に思案を巡らせた。彼はルークの傍で護衛をしていた頃からいつも芝居がかった言動をしている。軽妙でふざけているとしか思えない言動を取ったかと思えば、途端にそれを疑わせるような雰囲気を放つ。恐らくは「演技」なのだろう。ハリルの言動のすべては。ハリルは態度の裏に真意を潜ませ、人知れず人を測ろうとする癖がある。繊細な者はそれを知りつつ無難な答えを用意するが、一筋縄ではいかないのがハリルだ。こちら側が一歩引けば二歩以上踏み込んでくる。あくまで親しげなふりをして。少しでもほだされてしまえば腹の底まで探られる。そんな彼の獲物は自分イスマイーラらしい。


「私が頷くまで誘うつもりか」


 ハリルがわざとらしく肩を竦めた。やはり、そのつもりらしい。思わず嘆きの息が漏れた。


「……今度は糞を投げつけないでいただきたい」


「嫌だなあ、根に持ってたんですか。あれはちょっとした事故だったんですけど」


 と、言いながら兵士に牢の鍵を開けさせるように命じた。兵士がイスマイーラが逃げ出さぬようにと縄を用意し始めると、ハリルがそれを呼び止め、


「あ、彼については縛らなくていいので」


 何か言いたげな兵士に、手をひらひらと振って笑って見せた。


「やはり酔っておられるか」


「いいえ、信頼してるんですよ。貴方なら逃げ出さないってね」


 信頼。なるほど縛るには都合のいい言葉だとイスマイーラは思った。ハリルの言う「信頼している」という言葉の根源はルシュディアークに由来しているのだろう。


 ”本当に殿下を想うのなら、逃げ出せないですよね?”


 つまりそう言いたいのだ、彼は。同時に、脅しも入っている。

ハリルはイスマイーラ自身の忠義が何処に向いているのかを知らない。だから敢えて信頼という言葉でイスマイーラの心を縛った。ルシュディアークを想うのなら逃げ出さないし、ダリウスへ忠義があるのであれば、やはり逃げ出せない。そして、両者を見放して自分だけ逃げてしまうような性格でもないのを、ハリルは数度に渡るイスマイーラとの会話の中で見つけている。


(いいや、そうばかりではないか)


 砦から逃げ出すという選択肢を、ハリルは最初からイスマイーラに与えていないし、許しもしていないのだとしたら。


(私は、本当に虜囚以外の何者でもなくなったらしい)


 牢から出る一瞬、ハリルが友へ投げかける様な頬笑みをこちらへ浮かべているのが目に入った。


 イスマイーラが牢から出ると、大人でもすれ違うのがやっとの通路が横に伸びていた。谷の岩をり貫いて作られた狭苦しい通路には壁に埋め込まれた鉱石光サナが控えめに輝いている。松明を持った兵士の先導でイスマイーラはその通路をゆっくりと歩き始めた。その後ろを武装した兵士が一人。牢の外で軽妙な話口だったハリルは意外にも静かにその後ろについてきた。しばらく歩いていると、牢の中に自分達以外の気配が無い事に気が付いた。


「ダリウス様は」


「別のお部屋で休んでますよ」


 自分のように武装を取り上げられ、牢に囚われていないことに驚いた。


「牢には入れなかったのですか」


「怪我人ですからね。虜囚りょしゅうといえども怪我を治すのが先でしょう。それに、配下の貴方を差し置いて逃げ出そうとする様子がない。堂々としたもんですよ、流石は大将軍です。そんな方にはそれ相応の礼儀でおもてなしするのが我々の流儀でして。酒は出しませんけど、良いもの食べていただいたりして養生してもらってます」


 つらつらと、時に微笑みまで浮かべて話すハリルの様子からは、ダリウスが拷問を受けているような様子は見て取れなかった。勘ぐればハリルの嘘ともとれるが、拷問するのならばまず真っ先にイスマイーラ自身がされているはず。しかし、それが無いということは。ハリルの言葉は事実なのだろう。


「意外と優しいんですねぇ」


 と、ハリルが朗らかに笑う。吐く息が、とにかく酒臭さかった。その臭気に辟易へきえきしながら歩いていると、ようやく外に出た。


 眩しさに視界が白く染まる。光に溢れる視界の中からぼんやりと現れたのは、緑晶で形作られた谷の縁と、その谷の縁を穿って造られた建築物達。巨大にして壮大。堅牢にして強固な砦は、傾きかけた陽光を反射して黄金の水晶のように輝いている。そんな光景を見せられては砦と言う現実を一時忘れてしまう。身体ごと後ろを振り返れば、牢番のように佇む巨大なラマス像の足元があった。


「歩け」


 ラマス像の足元を回り込むように歩いていると、様々なものが目に入った。大急ぎで作られた不格好な木柵や、砦の露台に配備された投石器や弾丸になる石の山。忙しく歩き回る兵士や、戦と聞きつけてこれ幸いと精を出す商人達の姿まである。それらを眺めながら砦の上へと続く階段を上り、岩を削って作られた露台にたどり着く。


 そこはちょっとした広間ほどの露台だった。誰かが酒宴でもしていたのか、剥き出しの岩床の上に絨毯が敷かれ、その上に酒杯と料理の乗った盆と、ひっくり返った盤上遊戯シャトランジの駒と地図がとっ散らかっていた。


「ちょっと散らかってますけど、どうぞ座ってください。あ、いける口ですかねえ」


 ハリルは盆の上に置かれた酒壷を振った。軽い水音を聞くと、兵士の一人に酒を持ってこさせるように命じた。真意を測りかねるといった様相のイスマイーラに、ハリルは「座って下さい」と、再度促した。


「この席を用意しようと提案したのは殿下なんですよ。まだ来てませんけど、まぁ良いでしょう。先に一杯ひっかけながらお喋りしましょう。あぁ、堅い事は無しで。姿勢も崩して楽にしてください」


 どっかりと絨毯の上に腰を下ろすハリルを見つめてから、イスマイーラも相対するように座り込むと、胡坐あぐらをかいた。それへ、ハリルは感心したように目を細めた。


「こうしてあんたと腰を据えて喋るのは、二度目でしたっけね」


「いえ、あの時は殿下がいらした」


「あぁ、隠れて立ち聞きしてましたね。じゃあ、これが正真正銘の初めてですか。改めての御挨拶は」


「省略で良いでしょう。それで、話とは」


「あんた、意外とせっかちだったりします?」


「貴方が回りくどいのです」


「あー、それ、殿下にも言われたなぁ」


 ハリルの裂けた口が、まるで獣のように歪んだ。


「まぁ、俺なんかと飲んでも楽しくないでしょうけど。どうぞ」


 そう言って、ハリルはイスマイーラへ空の酒杯を差し出した。それを、イスマイーラは丁重に断った。


「はぁー、真面目なんですねぇ。いや、分かりやすいのかなぁ」


 戻ってきた兵士から酒壷を受け取ると、ハリルは自分の杯に麦酒を注ぎ始めた。泡立った黄金色の酒から、大麦をかもした匂いが、むっと香る。それを一口飲み、ハリルは見張りへ顔を向けた。


「殿下が心配なんで、代わりに呼んできてもらえます?」


虜囚りょしゅうを放って殿下をお呼びするわけには参りません」


「良いから、良いから。何かしてくることなんてないですよ、彼はね」


「ですが」


「彼と俺は知らない仲じゃありませんから、ね」


 兵士はハリルとイスマイーラを見比べると、渋々と部屋を出て行った。

 その姿が見えなくなったのを見計らって、ハリルは再び杯に口をつけた。余程喉が渇いていたのだろう。喉を鳴らして飲み始め、杯の中の麦酒を空にしてしまうと、一つげっぷをして息を吐いた。


「正直なところ、俺ね、あんたの事を勘違いしていました。初めは殿下の従者だと信じてたんですけど、段々信じられなくなってしまいましてね」


「信じられないほど埃が出ましたか」


「わんさか」


 くく。と、ハリルが笑う。


「やっぱこれ、素面しらふじゃお話しできませんね。あんたも相当我が強い。酒の力でも借りないと、あんたは口を開かないでしょうし」


「強引に口を割らせますか」


「そうします。ってことで一口くらいは、どうです。俺が責任取りますから」


「責任を取ると言って、本当に責任を取った人を私は見たことが無い」


「じゃあ、俺が初めてってことで」


 笑いながら空の杯をイスマイーラに押し付ける。それを、イスマイーラは戸惑いながら受け取った。イスマイーラの受け取った酒杯に麦酒を注ぎながら、ハリルは苦笑する。


「責任取るって言う奴は、やっぱ信用できませんか」


「出来ませんね」


「そいつは、氏族単位で責任を取らされたから、でしょうか」


 ちら、と、ハリルと目が合う。どうやら宴席を用意した真意はそこにあるらしい。


「……オルハンの一件以降、氏族では酒宴が禁忌になりました」


「なるほど。酒宴の席でのことでしたもんね。いや、すみません。その頃の話は親や周囲からの聞きかじりでしか知らないんです。まさか氏族で禁忌にしていたとは」


「しかし、それは氏族内でのこと。氏族シリルから離れた私には最早関係がない」


 言って、麦酒を煽る。あっと言う表情で固まったハリルが、少しだけ可笑しかった。


「もう一杯いただけますか」


 固まったままのハリルは破顔すると、


「やっぱりあんた、いける口だったんですね」


 そう言って、麦酒を杯に注いだ。


「今のうちに沢山飲んどいてください。最近じゃあ戦が始まったって言うんで、麦酒商人が俺達の足元を見て値段を吊り上げにかかってるんです。酒が高級品になるのも時間の問題ですよ」


 いやはや世知辛いと、ハリルは笑った。


「惜しいなあ。あんたとは良い飲み友達になれそうだったんですけどね。再び嫌われなくちゃならなくなるかもしれない」


 ハリルから笑みが消えた。今さら言われなくても分かりきった事だった。


「私もです。このまま実の無い雑談に興じるのであれば、いくらかましだった」


「ええ。でもね、貴方と雑談してみたかったのは本当ですよ。まぁ、真剣なお話をするつもりでもありましたし、どちらも本当です。酒飲んでおいて真剣な話なんて笑い話ですけどね。でも、こいつは飲んでないと出来ない話だ」


 ハリルは、すっと、息を止め、一息に問いかけた。


「まずあんた、どっちの味方ですか」


 その言葉は、まるで矢のようだった。問いかけるまで相当悩んだのだろう。ハリルの眼差しは酔っている者のそれとは違い、明らかに思いつめていた。


「貴方はどう思いますか」


「俺が聞いているんですけどね」


 ハリルは溜息を吐いた。


「あんたの意味不明な言動の理由についてはアズライトって子から聞きました。ムトの道であった出来事も、あんたの考えも。最初はこの人裏切り者に見せかけて、本当は味方だったんだなって反省もしました。でもあんた、殿下とダリウスの一騎打ちでダリウスを守ろうとしたでしょう。あれで俺、また分からなくなったんです。やっぱダリウスの味方だったのかなって。で、どうなんです」


「やはりそこに行きつきますか」


「あんたみたいな人の考えが、よく分からないんですよ」


 だから本音を聞き出そうと、酒宴を催したということか。酒が入れば誰でも本性をつまびらかにする。それを利用したというわけだ、ハリルは。


「……我々には、アル・リド居場所がない。そう答えれば、分かりますか」


 疑問符を頭に思い浮かべたような顔つきのハリルが、しばらく経ってから、あっという顔つきに変わった。


「じゃあ、居場所を用意したら俺達の味方になってくれます?」


「それはどういう意味です」


「俺ね、こっちに来てからとある噂を耳にしちゃいまして。なんでもアル・リド王国の奴隷達が王国に反感を抱いているって話じゃないですか」


「それを、何処で」


 杯を取り落としかけたイスマイーラに、ハリルはやっぱりと言うような顔つきを浮かべた。


「ある情報筋です。って言ってもね、貴方も遊牧民ベドウィンだったから分かるでしょうけど、遊牧民ベドウィン同士の噂って周りが凄く速いんです。それはもう飛び交うサクルのようにって、実際にサクルを飛ばして言葉を交わし合ってますから早いのは当たり前なんですけど。で、耳にしちゃったんですよねえ。王国に反感を持つ人々が寄り集まって武器を集めに走ってるって。しかもこの国との戦争が始まってからその動きは活発になったって言うじゃないですか」


 まるでアル・カマル皇国との戦争の影で蠢くように。

秘密裏に行おうとしていたことをハリルに見透かされたようで落ち着かなかった。動揺を隠すように麦酒を飲めば、ただただ苦く熱い。高鳴りを醒ますには些か足りない。もう一口飲もうとして、止めた。ハリルに見透かされる。いいや、もうすでにハリルは見透かしている。そのうえでイスマイーラに提案しているのだ。


「アル・リド王国を経戦不可能にする方法は、あんたが握ってる。もう一度自由とやらのために戦いませんか?」


 氏族シリルがずっと追い求めていた物をもう一度取り戻すため。しかし、それは逆にもう一度氏族シリルに血を流せと言っているようなものだ。立ち上がるだろうか、我々しぞくは。ふと、ダリウスが放った言葉が脳裏に思い出される。


 ”いずれアル・カマル皇国もまた、アル・リド王国になる。働き次第では多少の自由くらいは許されよう。”


 シリルの処遇に激怒してくれた将軍ダリウスの慈悲は、アル・リド王国の民としての氏族シリルへ向けたものだった。それをイスマイーラやタウルが気づくには遅すぎた。


(いや――――)


 いいや、遅すぎることは無いのだろう。タウルの言葉がそれを証明している。


 ”イスマイーラよ、俺はな、もう一度立ち上がろうと思う。”


 もう一度と言った。既にタウルは立ち上がるための下地を整えているのだ。それを見透かしたようにハリルは言った。


「あんたがこっち側につくのなら、俺達の為にサクルを飛ばして欲しいんです」


 アル・リド王国に反感を持つ人々へ。

 今まさにアル・リド王国へ剣を向けようとしている人々へ。


「あんたらの戦う相手はアル・カマル皇国じゃない。アル・リド王国だってね」


 その言葉を、私は受け入れるべきか。受け入れざるべきか。

 いいや、懊悩おうのうなど今更ではないか。さいは既に投げられてしまっているのだから。


「受けましょう」


 もう一度、自由の為に立ち上がる。

 その言葉を信じて。


サクル結縄キープをお借りしたい」


 ハリルが、にっと、笑った。


「よろこんで」




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