閉幕

 鳳凌子は学校近くの公園のベンチに座り、ぼうっと空を眺めていた。

 何処までも続く空は、季節には早いが初夏を思わせるほど晴れ渡っている。自動車が道路を走る音、鳥の囀り、遠くから聞こえる学校のチャイム。日常は二週間前にあった出来事などお構いなしに続いている。

「おーい、凌子」

 遠くから小走りで向かって来るのは美月だ。凌子は小さく手を振る。

「ごめん。待たせた?」

「ううん。全然」

「そう。隣座るね」

「どうぞ」

 凌子は少しだけ横に移動し一人分のスペースを作る。「ありがと」と云い、美月はベンチに腰掛ける。汗ばんだ額をハンカチで拭うと、美月は一つ咳払いをした。

「いい加減元気になった?」

「なったよ。勿論」

 美月は凌子の横貌を見る。しかし、いつもの元気は感じられない。長年親友をやっていれば分かってしまう。空元気などお見通しだ。

「まあ、そういう事にしといてあげる。それで、あれから連絡はついたの?」

 凌子は携帯を取り出し画面をスクロールする。開いている画面は着信履歴だ。表示される名前は殆どが『神楽坂翔真』で埋め尽くされている。

「・・・電話番号も非通知とかじゃなくてもう使われてないみたいなんだ」

「そっか・・・雄飛も同じみたい」

 美月は凌子から一通りの事の顛末を聞いていた。その時には、翔真も雄飛も一緒だった。要領を得ない絵空事や奇妙奇天烈な出来事を詳細に補填したのは翔真であり、雄飛だ。三人が元気に戻って来た時に、美月は心から安心した。と同時に、《やはりそうだったか》という納得があった。

 凌子が下校時に行方不明になった時、美月は凌子が《何かの事件》に巻き込まれた、と考えた。それは恐らく翔真絡みだという推測も容易に出来た。だからこそ、美月は敢えて警察に連絡せず、凌子の母親にはそれとなく誤摩化してお茶を濁した。一重にこのような行動を取ったのは、翔真と雄飛を信じていたからだ。二人なら必ず凌子を護ってくれると。

 その願いは叶えられた。二人は凌子を無傷で連れ帰ってきてくれた。無傷といっても少しだけ怪我はしていたが、その辺は多目に見てあげたのだ。

 だから、今の状態が信じられないのだ。二人が姿を眩ませた今という時間を。


 現在、室橋高校は実質的に休校状態となっている。それは未だ左梁竜介が行方不明であるからだ。彼が経営していたその他の学校も同様だ。教育機関の理事という立場は経営者という色が非常に強い。今回の場合は、トップダウン経営が仇になったと云ってもいい。有能な指揮官が不在になった軍隊のようなもんだ。個々の能力は高くとも、それを統率出来るものがいない。故に、二週間という長い間、学校が再開出来ず手を拱いている。

 それに平行して波紋を呼んでいるのは、理事長室で死んでいた御手洗清和の存在だ。直接の死因は頭部の圧砕。話によれば、首から上部は人間としての貌の原型は留めていなかったらしい。

 警察が未だ解明出来ていない点は主に二つだ。

 一つ目は、御手洗を殺害した犯人。

 最も有力な候補は左梁竜介だ。発見された場所が場所だけに妥当な線ではある。しかし、彼は現在も行方不明。加えて、彼の殺害時間に左梁は市の教育委員会の定例会に出席していた。アリバイは完璧だ。加えて確たる証拠も上がっていない。未だ犯人探しは難航している。

 二つ目は、御手洗を殺害した凶器。

 御手洗の頭部は強力な万力で潰したかのような状態だった。人間の力、つまり素手では不可能だ。しかし、事件現場には凶器どころか、凶器を理事長室に持ち込んだ痕跡さえ発見出来ていない。どのように御手洗を殺害したのか、検討も付けられていないのだ。

 警察が現在最も力を入れている捜査は、左梁竜介の行方を突き止める事だ。

 全ての事件の鍵を握っているのは、左梁竜介であると警察は睨んでいる。しかし、左梁自身、親族はおろか血縁関係を持つ者さえいない天涯孤独の身だ。経営者や教育者の彼を知っている者は多くとも、プライベートの彼の貌を知っている者はいない。仮に、左梁竜介が見つからなければ事件は更に混迷を極める事になるだろう。

 警察が八方塞がりの状態で、学校を通常通りに運営する訳にはいかない。生徒の安全が完全に保証出来ない以上、休校状態にせざるを得ない。学校関係者をそう判断した。課題が山積みでメドが立たないと云った方がいいかもしれないが。

 一方、生徒達といえば予想外の休みと喜ぶ者が多い。理事長が行方不明であっても、心から心配する者はいない。御手洗清和の死も同様だ。御手洗を知っている者は多いが、葬儀の際彼の死を心から悼む者は皆無であった。面倒臭いと愚痴を零す者もいた。

 私と凌子は全ての出来事を知っている。しかし、警察には何も話す事はしなかった。翔真と雄飛に口止めされているからだ。仮に云ったところで信じてもらえる筈もない。

 それが、ここ二週間の出来事だ。

 しかし、昨日になって急に一週間後学校を再開するという旨の連絡が保護者や生徒に出回っているのだ。それと同時に、警察の捜査権限は実質剥奪され、皇宮警察へと全権が移譲された。私の父は納得していなかったが、上層部の決定事項は絶対だ。父が逆らえる訳もない。

 マスコミの対応も急変した。事件発覚直後は左梁の経営していた学校に押し寄せ、メディアでも憶測や推測が毎日流されていた。しかし、昨日以降、早朝のニュースで話題に上がらないどころか、インターネット上でも話題は沈静化の状態にある。

 私が持った違和感を凌子も持った。思っている事は恐らく同じだ。そして、今日。私と凌子は約一週間振りに貌を合わせる事となった。

 が、やはりというか、当然というか。凌子はすっかり意気消沈していた。

 

「あれからずっと音沙汰無しなんて、ひっどい奴等よね。今度会ったら文句の一つでも云ってやらなきゃね?」

「・・・うん。会えたら・・・ね」

 凌子はしょんぼりと肩を落とし俯く。美月がいくら励まそうと努めても、それは難しいようだ。今の凌子を元気付けられるのは神楽坂翔真しかいない。

 美月は仕方無く今日の本題は切り出す事にした。

「電話で少し話したけど、この急な出来事。発端はやっぱりアイツ等だと思う?」

「・・・うん」

 凌子は何かを想うように続ける。

「きっと普通の人達に説明出来ないし、説明のしようもない。蛇の道は蛇って事じゃないのかな?こんな風にして、長い間、翔真くん達みたいな存在は隠されてきたんだよ・・・」

 声を震わせ凌子は俯く。その震えが悲しみからなのか、怒りからなのか、感情の在り処は美月には分からなかった。美月には初めてだった。凌子の想いが分からなくなるのは。

「でも、私達はそれを知った。だから、知らない人達の分まで私達がちゃんと覚えていればいいじゃない?他の奴等が何て云ったって、私達だけは絶対アイツ等の味方でいよう」

 美月は凌子の手を握り微笑んだ。凌子はその手をゆっくりと握り締めた。

「そうだね。絶対にそうしたい。―――ううん。絶対にそうする」


「何をそうするんですか?」


「えっ・・・?」

 ついこの前まで聞いていた筈なのに、何処か懐かしい響き。青空を背負うように立っている見覚えのある笑顔。凌子はただその声に導かれるように飛び出した。

「翔真くんっ!翔真くんっ!」

 初めて出逢った頃と同じ温もりだった。優しくて何処か懐かしい。出逢うずっと前から知っている。そんな気がしてならない。凌子はその温もりは身体全体で感じていた。

「ずっと心配してた。もう会えないんじゃないかって」

 瞳に涙を浮かべる凌子の頭を翔真は優しく撫でる。

「ごめんなさい。事後処理で手が回らなくて」

 困ったように謝罪する翔真に対し、凌子は栗鼠のように小さく首を横に振る。

「ううん。いいの。こうして戻って来てきれたし・・・」

「はい」

「それにね、こうしてるだけでとっても嬉しい・・・」

 凌子は小さな身体を一杯に使って翔真をぎゅっと抱き締める。翔真もそれに応えるように凌子を胸に抱き寄せる。二人の時だけが、まるで切り取られた絵画のように止まったように見えた。


「あー、お二人ともこっちの存在忘れてない?」


 翔真が声のする方向を見ると、呆れたように頭を掻く雄飛が立っていた。その声に凌子は全く気付いていないらしい。翔真の胸に貌を埋め、幸せそうに鼻を兎のようにすんすんと鳴らしている。

「お前、もう少し空気読んでくれよ」

「それはこっちの台詞だ」

 翔真の反論に対して、雄飛も応戦する。翔真は視線を直ぐに凌子へと戻してしまう。雄飛は幸せそうな凌子の貌を見て諦めざるを得なかった。

「いやー驚いた。まさか、凌子と神楽坂君がここまで進んでいるとは・・・親友というよりはお母さんになった気分だわ」

 雄飛の隣に立ち美月はうんうんと頷いている。

「他に云う事ないの?俺や翔真に対して?」

 美月は腕組みをして少しだけ考えると、

「まあ、凌子が嬉しそうだし。今回は見逃してあげる。その感じただと、仕事で忙しくて首も回らなかったって感じ?」

 美月が雄飛の貌を窺うと、雄飛は少しだけ現実を逃避するような遠い目をする。

「それはそれは大変だったよ。本来の任務は失敗で始末書を書かされるわ、上司に大目玉を喰らうわ、しまいには左梁の組織を根刮ぎ壊滅させよと命令が下り・・・日本だけじゃなく世界を飛び回って。ついでに、同じような他の組織も潰す羽目になるし。そうなると今度は大量の報告書を書かなきゃならないし・・・ここ数日碌に寝られやしない」

 捲し立てるように雄飛は近況を報告する。

「それは災難だったみたいね。―――一通りは片付いたの?」

「少し事務処理は残ってるけど大凡は」

「それでこうして私達に会いに来てくれたわけだ」

「それもあるけど、ちょっと二人に話しておかなきゃならない事があってね」

 雄飛はそう云って肩から掛けていた鞄の中から二つの携帯端末を取り出した。大きさは掌くらいだろうか。見た目は一般的に流通しているスマートフォンと変わりない。

「これを二人に渡しておきたかったんだ」

 美月はそれを受け取る。何時の間にか翔真から離れていた凌子も同様に受け取る。貌が未だ少し赤みを帯びているのはご愛嬌だろう。

 二人は不思議そうに雄飛を見る。

「一言で説明すれば、それは皇宮警察所有の特殊な連絡用端末だよ。それさえあれば、何処にいても俺達と連絡が取れる。セキュリティーは保証するよ。操作感は普通のスマホと一緒だけど、規格は全くの別物でね。象が踏んでも壊れないし、完全防水。電波の届かない場所も殆どない」

 雄飛の説明に二人は関心する。そこに翔真が補足する。

「二人はあくまでも一般人ですから。ある程度の安全の保証はしておかないと」

「それだけじゃないだろ、翔真?」

 雄飛はここぞとばかりに悪戯な笑みを浮かべる。

「なに?どういうこと?」

 美月はその表情に感づき話を急かす。

「本当だったら、二人の記憶は消さなければならないんだ。俺達の組織にはそういう術を使える者もいる。組織の中には記憶を消すべきだっていう奴等もいたんだ。でも、それを全部、翔真が突っ撥ねたんだよ」

 雄飛はにやにやとしながら話す。「ほぉーなるほどー」と美月も同じようににやけている。

「雄飛・・・お前・・・!」

 翔真は恨めしそうに雄飛を睨み付ける。しかし、雄飛には暖簾に腕押しのようだ。

「翔真くんは私達の為に頑張ってくれたの?」

 翔真の傍らで凌子が問い掛ける。翔真はその質問に照れ臭そうに頬を掻くと、

「俺は凌子さんを護ると誓いましたから。身体も心も記憶も全て護らなきゃ嘘になる」

「翔真くんっ!」

 凌子は翔真の腕に抱き付く。

「私はついでってこと?」

 美月は不満そうに翔真を見る。

「そうじゃありません。砂川先輩を護るのは《雄飛の役目》ですから」

「「なっ!?」」

 雄飛と美月が同時に素っ頓狂な声を上げる。

「雄飛もとっとと砂川先輩に誓いを立てればいいんだ。そうすれば万事上手くいく」

「そうだよ。素直になろ、美月ちゃん」

 翔真と凌子はまるで長年連れ添った夫婦のように息が合っている。雄飛と美月は気まずそうに視線を横目に合わせる。

「まあ、あれよ。そういう事はおいおいね」

「そうそう。こういうのはタイミングが重要だから」

 云い訳がましく二人は云い合う。それが何だか可笑しくて二人は笑ってしまった。それにつられて、翔真と凌子も笑い合った。

 太陽が眩しい午後一時。四人は再会を果たした。

 日常という空の下で。

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誓いの空 WiTHeR @agminerva62

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