かくかくしかじか

阿井上夫

かくかくしかじか

 唐突な話で恐縮だが、例えば今ここで貴方が他殺体となって発見されたとする。

 しからば、間髪置かずに、

「ああ、此の方はかくかくしかじかで」

 と、つぶさにその来し方を誰かに吹聴してもらえることこそ、男子の本懐ではないかと思う。

 そのためには、不断の努力を積み重ねて一角の人物となるか、さもなければ、

「ああ、此の方はかくかくしかじかで」

 と吹聴してくれる人物を、いつでもどこでも傍らに侍らせておけるほど財力を蓄えるしかない。

 彼の場合は前者の例と言えないこともなかったが、そのニュアンスには天と地ほどの差があった。


「ああ、彼だね」

「そうね」

 集まってきた野次馬はそう言いながら、つまらなそうに立ち去った。

 午後三時半過ぎという、テレビも開店休業中の長閑な時間に殺人事件が勃発したのだから、もう少し張り合いがあってもよさそうなものである。

 しかし、現場の雰囲気は時を追うごとに、まるでアスファルトの上に置かれたミミズのように干からびていった。

「はい、お仕舞い。撤収ね」

 と、鑑識の大御所が切り上げる。

「普通に鋭利な刃物で刺された結果ですよ。事件の背景を探るのはそちらの仕事ですな」

 そう言うと、彼は街角の夫婦喧嘩を目撃した第三者よりもすました様子で立ち去った。

 もとより捜査一課の先鋭たちも意気があがらない。なにしろ日頃から粗暴で地域の厄介者だった彼には、敵が多すぎた。

 また、こうしている間にも彼の絶命をおのが栄名に結びつけようとする輩が、跳梁跋扈しかねない。そちらの影響のほうを重くみた警察によって、彼はそそくさと黒い袋の中に押し込められた。

 彼には係累がいない。このまま無縁仏としてどこかの墓地に埋葬されるのが関の山であり、そしてそれは彼の知られざる功績からすれば、あまりにも不当な扱いだった。


 つい三十分前まで話は遡る。

 地球侵略を目論む謎の異星人の尖兵が、虚数空間の裂け目からまろびでた。その場に居合わせた彼は、人類の危機を瞬時に察知すると、一命を賭してその凶悪なやつばらを虚数空間に押し戻したのである。

 裂け目が閉じる時、エネルギー放射が鋭利な刃物のように彼の腹部を抉り、そして彼は永久の眠りについた。

 この、彼の尊い犠牲がなかりせば、全人類には奴隷として平伏して生きていくという、残酷かつ無慈悲な運命が待ち構えていたはずだった。

 救世の英雄を乗せた救急車は、午後の渋滞が始まった不機嫌な幹線道路にサイレンも鳴らさずに乗り出していく。その間にも彼の偉大な骸は無残に腐敗していくのであった。


 同日同時刻。

 虚数空間の向こう側では「あそこにはかくかくしかじかの敵がいるから、やめておきたまえ」という言葉が、墓碑銘のように囁かれていた。


( 終り )

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