ビンヅメノテガミ

阿井上夫

ビンヅメノテガミ

 ある日、私は庭の草刈りを思いたった。

 私の家の周囲には背の高い建物がない。そのため、南向きの小さな庭は極めて日当たりがよく、気がつくと雑草が繁殖している。さらに、しばらく海外出張やらなにやらで不在がちであったこともあり、庭の一角にセイタカアワダチソウやらオオバコやらが、元気よく繁茂していた。

 実にささやかな人外魔境である。

 まあ、この程度で収まってくれていれば可愛いものだが、放置しておくと取り返しがつかなくなる。そこで、早朝から覚悟を決めて、物置の道具箱から鎌を取り出し、砥石で刃を磨き、頭に手拭いを巻いて、雑草を刈ることにした。

 手順が少々古臭いのはお許し頂きたい。我が家は昭和の初めから建っている平屋で、曽祖父の代から引き継いできたものだったので、このような古風な段取りでやるほうが似合っているのだ。ちなみに私は四十歳で、いまはここに一人気ままに住んでいる。いろいろ経緯はあるのだが、ここでそれは語らない。


 さて、初めのうちこそ体が動かなかったものの、単調な作業を続けて調子が乗ってくると、頭から変な汁が出てきて途端に楽になる。そして、そうなると鼻歌の一つも出てくる。

「ふん、ふん、ふんふ、ふーん」

 今日の一曲はホール&オーツの『マン・イーター』だった。曲のセレクションに深い意味はない。草刈りのリズムにマッチしたという、ただそれだけのことである。

 研いだ鎌がよく切れるので、ストレスなく快調に進んだ。十五分ほど経過して、全体の三分の一ぐらいまで刈り込んだところで、鎌がなにか硬いものに当たった音がした。

 ――お宝か?

 と、心の中で一応お約束のセリフを唱える。手を止めると青臭い草の断面の香りが強くなり、少しだけむせながら草をかきわけた。


 楕円形をした物体が落ちている。


 上下左右は分からない。素材は金属ないしは硬めの樹脂と思われるが、なにやら奥深さを感じさせる白である。ひっくり返してみると部分的に光が明滅している。卵にLEDが内蔵されているところを想像して頂ければ、だいたい似たような光景を思い浮かべて頂けるだろう。

 古風な我が家には全然似合わない、高度技術による人工物。

 危険な感じはしない。熱を帯びている訳でもないし、光の明滅も間隔が『ピカピカ』というよりは『ピカーリ、ピカーリ』ぐらいである。

 まあ、急に爆発することもあるまいと、縁側にある座布団にその物体を乗せようとしたところで、光の点滅が、何か形のようなものを滑らかな表面に浮かび上がらせ始めた。

 ――新しいゲーム機かなにかだろうか?

 しばらく見つめていると、その模様が次第にひらがなのようなものから、カタカナのようなものを経由して、漢字が交った文様のようなものとなり、次第に意味が読み取れそうな日本語に収束しはじめる。

 私は『見知らぬ土地に放置された旅行者が、現地の言語情報からなんとか言語体系を組み上げようともがいている』ところを想像していたが、どうやらその想像は正しいらしい。

 意味不明の文様であったものが、次第にちょっと書き間違えた小学生のノートのようになり、最終的にほぼ完全な日本語の文章となっていった。

 しかも、それが日本語の音声で再生される。

「くぉんにゅちゅは、くぉんにちゅは――こんにちわぁ」

 それは、小学生ぐらいの少女の調子はずれな甲高い声に似ていた。

「あ、ああ、こんにちわ」

「最初にお詫び致しますぅ。無用の軋轢を避けるために、知的生命体に一般的に見られる論理的思考を、部分的に停止させて頂いておりまぁす。申し訳ございませぇん」

「あ、ああ。そうなの? ところで、どうして日本語?」

「まずそこをお聞きになりますかぁ。なかなかに適応が早い」

 音声が説明するところによると、こうなる。


 この物体は異星人のメッセージボックスである。

 無作為に宇宙を超空間航行し、無作為に惑星に落下する。

 (危険のないように減速もする)

 その星の情報伝達手段を読み取る。

 (地球の場合はインターネットに接続して、その上を流れている情報を読み取ったらしい)

 そこから言語体系を再構築する。

 要するに元々のメッセージは異星の言語でつづられており、流れ着いた先の言語に自動的に翻訳されるようなプログラムが組み込まれているという。

 大昔、ガラスのボトルに手紙を入れて、海に放り投げる『ボトルメール』という遊びがあったが、それと同じことらしい。


「メッセージを再生しますか」

 と質問されたため、

「はい」

 と答えると、わざわざ律儀に電子音まで再生した上で、こう言った。

「あなたにメールが届きました」

「誰から?」

「あなたにとっては異星人になりますが、文通したいとのことです。いずれかを選択して頂けますか」

 目の前の空間に「はい」「いいえ」というボタンが表示される。


 ここでやっと「はて、どうしたものやら」と私は考えた。


 論理的思考の一部を停止したと言っていたが、どうやら異星人から手紙を受け取ったという事実についての衝撃を抑えているらしい。他の部分については自由意思を尊重しているらしく、特に引っ掛かりを覚えなかった。

 正直、さすがに異星人とのメール交換は面倒臭い。

 この翻訳装置がどのような論理で成り立っているのか分からないが、こちらが意図していることを正確に相手に伝達できるものなのか半信半疑である。ネットでチャットができるのは、一応相手が同じ文化に基づいているという仮定が成り立つからであって、それでも諍いが起きる時には起きる。

 そこまで考えたところで、私は「いいえ」を押した。

 しばらくすると、光がすべて消える。それから太くて低い男性の声がした。

「自分を何様だと思っているんだよ。ネットに晒しとくから反省しな」

 慌てたが後の祭りである。異星人からのメッセージボックスは、昔のスパイドラマのように煙を上げると消滅してしまった。


 その後、地球にあるあちこちのサイトに、私の悪口や相手に対する罵詈雑言が書き連ねてあることが分かり、その後始末が大変であったことは思い出したくもない。

 そのあまりにも膨大な量から、早い段階で「私個人がやったことではない」と証明はされていた。

 しかし、アラブの過激派組織のサイトやら、ロシアの非合法組織のサイトやらに民族主義的な書き込みをされたことによる余波は、想像を絶するものがあった。しばらく政府の援助で身を隠していたが、あの懐かしい我が家が焼かれるなどの甚大な被害が出た。

 一年ほどで、やっとお祭り騒ぎが過ぎ去って、私の周囲が静かになる。いまだに脅しや非難の声はあるものの、実害には至らないレベルで収まっていった。


 *


 それにしても、あの異星人は『ネット社会のダメな人』の典型だった。

 これだからネット民の倫理は信用できない。

 何度目かも分からない、いつもの同じぼやきを繰り返しながら、私が日本国内某所に与えられた自宅アパートで、朝の目玉焼きを焼いていた時のことである。何かに上から遮られたかのように、手元が急に暗くなった。

 キッチンには窓があり、先ほど歯磨きをしながら眺めた空は晴天だった。急に日が陰る理由が分からない。隣の家の犬がものすごい勢いで吠えていたが、急に静かになった。

 木々の枝がざわめいている。

 何かが近づいているらしい。

 しかも上から。

 嫌な予感に襲われると同時に、私はそこで「はた」と重大なことに気がつく。

 そういえば、あの異星人は『地球上の』ネットに晒すと限定していなかったようだが、まさか――


( 終り )

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