噂話
阿井上夫
噂話
氷の王は純白のヴェールを大義に揺らめかせると、その神々しいまでに意志の力が宿った瞳を、寒さを避けるために地味な服を丸く膨れ上がらせた小男に、ひたと据えた。
「お前の話にはいつもいらいらさせられる」
「申し訳ございません」
「その謝罪の姿も、殊勝そうに見えて実際は他の事を考えているようにも思えるのだが、余の考えすぎか?」
「他の事は考えてもおりません」
「ふむん、まあよい。それで、その小賢しいやつのことだが――」
「はい」
「余の眼の届かないところでちょろちょろ動き回っていることは、他の者からも聞いて知っていた。しかしな」
「はい」
「表立って余の悪口雑言を触れ回っているという、お前の話は初耳だが」
「他の者は、王のお耳を煩わせることを恐れているのではないかと」
「ほう、お前は実に忠義者であるな」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてなどおらん。皮肉だ」
「……」
「それにしても、それが事実であれば王の威厳に関わる」
「御意」
「余のことを、冷徹な気候を好む冷血漢、純白を纏う腹黒い輩、水面下で常に地道な努力をしている事実を隠している振りをしつつ、一方で公表させて好評価を得ようとする計算高い奴、子供の頃は醜くて苦労したなどという貴種流離譚を流布して己の神格化を図る卑劣漢、と」
「……」
「こんなことを言っていたのだな」
「はい、間違いございません」
「ふむん、他の噂話を聞く限りにおいては、そんな奴とも思えぬのだがな。住む世界が異なり、直接会いまみえることが敵わぬ以上、第三者を介して正義の鉄槌を下す他ないわけだが――」
そのまま深い物思いに沈んだ氷の王の姿を見ながら、小男は決して表には感情を表すことなく、心の奥底で「にやり」とほくそ笑む。
*
灼熱の厨房で忙しく立ち働く黒白正装の女将は、真正面から切りつけるような鋭い視線を、はっきりしないまだら模様の服を着た男に、ひたと据えた。
「まったく埒もない話ね」
「まったくで」
「でかい図体で偉そうにしているとは聞いているけど、そこまで意地が悪いという話は聞いたことがないねえ。本当かい、お前」
「嘘じゃありませんぜ。それで、姉御はどうなさるんで」
「どうもこうも、裏でこそこそ人様の悪口なんざほざいている輩は、お天道様の下で鉄拳制裁と相場は決まっているけれど――」
「……」
「まあ、わたしゃ寒いのは苦手だし、奴さんが暑がりということなら、代わりの者を立ててお礼参りするしかないけれど」
「へい」
「しかし、なんだねえ。私のことを、真夏の灼熱を浴びすぎて頭が可笑しくなった変人、身なりは正装だけど身持ちの悪い毒婦、家では始終幼い子供たちが鳴いているというのに外を出歩いている育児放棄の鬼婆、街角に立つ王子の所持していた宝石や高価な衣装を剥がして最終的に惨めな姿で冬の屋外に放り出した詐欺師、だったっけ」
「へい、その通りで」
「最後の件は、確か足元で死んでなかったかい」
「……」
「都合が悪いからって、黙るのはおよしなさいよ」
「へい、すんません」
「これが本当の話なら捨て置けないね。ちょうと今は忙しいから、また後でおいで」
「へい」
「まったく、子供たちの食事の準備で大忙しなのに、こんな面倒な話を――」
小気味よく体を翻して己の戦場に向かう女将の姿を見ながら、男はまだら模様の服の裾を引っ張りつつ、心の奥底で「にやり」とほくそ笑んだ。
*
決して出会わない白鳥と燕は、噂話の好きな雀にとって絶好の鴨である。
( 終り )
噂話 阿井上夫 @Aiueo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます