File:5 ある刑事は記憶している





 8月31日日曜日AM10:40。


 警視庁には、警察手帳に組み込まれたIDがなければ、まず乗ることができないエレベーターがある。

 大の男が10人入れるその箱は、下へ下へと降り続けている。浮遊感はほとんど感じない。稼動音も壁に耳をつけなければ聞こえない。熱さも寒さも感じない快適さ。全てを遮断され、隔離された空間は時間の感覚を狂わせる。

 蕗二ふきじは一人、その空間の中に立っていた。

 目を閉じ、普段意識することがない自分の呼吸音や、胸板を内側から叩く心臓の鼓動を聞く。

 到着を知らせる音。ゆっくりとまぶたを上げれば、デジタルで表示された階数を示す数字が止まっていた。扉が左右に開く。目の前にはやや広い無機質な部屋が広がっていた。左右と奥の壁に、タッチ式のパネルが30台ほど埋め込まれ並んでいる。その画面一つ一つは、銀行のATMのように擦りガラス状の板で仕切られていた。

 蕗二は右側の一番端のタッチ式パネルの前に立つ。パネルの下には指紋ひとつない鉄製の机が壁からせり出している。パネル中央には、警察のシンボルである旭日章きょくじつしょうが映し出されていた。そこに警察手帳をかざせば、ピコンと言う軽い音とともにパネルの画面が切り替わり、空白のスペースと1から9の数字が並んだパネルと、認証という赤いボタンが表示される。蕗二は迷うことなく592946と数字をタッチし、認証ボタンに触れる。ピコンとまた音がする。すると、何もなかった机の真ん中に長方形の穴が開く。そして、その中から拳銃と弾丸がせり上がってきた。

 初めからそこにあったように姿を現した武器を、蕗二は手に取る。黒い銃身は見た目よりも軽い。引き金の上、本体フレームに刻印された番号と入力した番号が同じであることを確認し、ロックを外して回転弾倉シリンダーを左側にずらす。穴は梅の家紋のように5箇所かしょ、正確に空いている。

 隣のスペースに人が立つ気配。視線を向けなくても分かる。

「射撃訓練以外で拳銃持つの、一年前だったかな……ガサ入れ以来です」

「あー、俺もぶっちゃけ射撃訓練以外は撃ったことないからな」

 拳銃とともにせり上がって来た、金色の弾丸は五つ。一つずつ指でつまみ、穴の中に差し込んでいく。

「そんなもんですよねー。現場って、銃よりまず警棒ですし」

「ほんまそれ」

 穴は全て金色の弾で埋まった。回転弾倉シリンダー本体フレームに戻すと、鉄が噛み合う硬い音がして固定される。壁に埋まるパネルの右隣、壁にやや不自然な引き出しが二つ上下に取り付けられている。上の引き出しを開け、その中から黒いゴムをひとつつまみ出す。半月はんげつ状のゴムを拳銃の引き金の後ろにめ込む。これで引き金を間違って引くことはない。今度は下の引き出しから、盗難や落下防止の伸縮型つり紐カールコードを一本取り出したところで、目の端でとらえていた竹輔の動きが止まっていることに気がつく。視線を向ければ、仕切り板に映りこんだ影もこちらを見ていた。

「やっぱり、畦見は実行するんでしょうか?」

 語尾がかすれた不安げな声に、蕗二は押し黙る。


 そう、犯行予告当日を迎えてしまった。

 あの後、誰一人として畦見聖人あぜみきよとを見つけ出すことはできなかった。

 サイバー課やハッカーの片岡をもってしてでも、畦見の足どりを掴むことができなかった。捜査本部は畦見を公開指名手配し、捜査第一課の刑事と所轄しょかつの警官、さらに機動捜査隊きどうそうさたいなど100人以上を動員し、ギリギリまで聞き込みや潜伏していそうな場所をシラミ潰した。それでも、ついに畦見を見つけることはできなかった。

 そして今日。早朝に捜査本部へ集合を命じられた警察官全員が眼を血走らせ、腹を空かせた猛獣のように殺気立っていた。苦渋くじゅうの決断を迫られた捜査本部で下されたのは、港区みなとく品川区しながわく目黒区めぐろくの内、人が多い場所に警察官を多く配置することだった。

 悔しい話になるが、どこを狙うか分からない中、東京全域の人通りが多い場所に、警官を配置することは人数的に不可能だ。

 そこで、科学捜査研究所が畦見の≪マークデーター≫から犯罪心理分析プロファイリングし、KOMOKUTENこうもくてんと掛け合わせ、畦見が犯行を起こす可能性の高いエリアを予測した。

 その3区のうち、特に人が集まりやすい場所、六本木や東京タワー周辺、品川駅、渋谷しぶやのスクランブル交差点など私服警察や制服警察がより多く警戒に当たり、そこに向かう自動車の検問も行っている。

 これが、今我々警察ができる最大の手段だ。

 後はただ、祈るのみ。


「畦見が直前で恐くなって、やっぱり止めた。って思ってくれたらそれでいい。そうなる方がいい」

 蕗二は静かに息を吐く。左腰のベルトにカールコードの先端を取り付け、反対側を拳銃の底面グリップエンドに取り付けられた金具ランヤードリングに繋ぐ。装填そうてんを終えた拳銃を、脇の下にあるショルダーホルスターに差し込んだ。上着を上から被せれば、一見しただけでは拳銃を持っているとは思わないだろう。

 まだ動きを見せない竹輔を急かすように、仕切り板をノックする。

「おい、気持ちは分かるけど、ネガティブな事ばっか考えるなよ。一日ずっと気が滅入めいってたらしんどいだろ?」

 左手首のアナログ腕時計を見ると、もうすぐ11時になろうとしていた。







 港区。PM14:50。


 路肩に止まる青灰色のセダンの中、無線から現状報告をする刑事たちの声が流れている。

 歩道を行き交う人々を、運転席から鋭い視線で観察している菊田の横顔を眺めながら、蕗二は右耳に小型無線を装着していた。

『本当に実行するんだろうか』

『うーん、指名手配されちゃったしー? 意外とめたりしてぇ!』

 液晶端末の画面には、片岡と野村がこちらを覗きこむように映っている。蕗二と同じく耳に無線を装着していた竹輔は困ったように眉尻を下げた。どこかで似たような会話をした覚えがある。思うことはみな同じと言うことだ。蕗二は軽く肩を上下して、装着した無線のスイッチを押した。「Connected」と自動音声が聞こえ、回線が繋がったことを確認する。

「捜査16班より本部。捜査員準備完了どうぞ」

『本部了解』

 菊田の聞いていた無線にも蕗二の声が入った。耳の穴をもう一度なぞる。小型無線は横から耳の穴を見られない限りは気がつかないほど、小さなものだ。また、蕗二も竹輔も今日はスーツではなく、完全な私服だ。拳銃や手錠、警棒などの装備を隠すために一枚上着を羽織っているが、警察手帳を見せなければ警察だと気がつくことはないだろう。

 準備は整った。液晶端末を覗き込むと、蕗二の声を聞いていたのだろう片岡と野村がこちらを向いていた。

「じゃあ予定通り、俺と竹と芳乃、他にあと2班で見回る。異常がなければ、30分毎に定期連絡を入れる。片岡と野村はそのまま、監視カメラと≪リーダーシステム≫の監視を頼む。ほんのちょっとでもいい、気になることがあったら俺か菊田さんに報告してくれ」

『らじゃー』

『任せたまえ』

 通話が切れる。真っ黒になった画面に、不機嫌そうな芳乃ほうのの顔が反射する。蕗二と竹輔が準備している間、二人の間に挟まれていた芳乃は無言のままだった。相変わらず不機嫌そうだが、緊張しているのかもしれない。

「あれだ、無理はするなよ。気分が悪くなったり疲れたら言え。それから、もし俺たちの前に畦見が出たら、俺か竹がお前を逃がすから安心しろ。お前の≪立ち居地≫はグレーだが、一般人だからな」

 指名手配をされている今、畦見はのこのこ現れないだろう。恐らく顔をマスクで隠すなど何かしらの変装をするはずだ。畦見の顔は頭に叩き込んでいるが、こっちも機械じゃない。見逃す可能性も十分ありえる。だからそこ、心が視える芳乃の手助けが必要だった。

 前髪の間から黒い眼がちらりと覗く。芳乃は小さく溜息をついて、手に持っていた蕗二の液晶端末を差し出した。

「グレーじゃなくてブラックの間違いですよね?」

警察ブラック一般人ホワイトの間だから異例グレーだろ」

「ブラックって言い切りましたね」

「事実だからな」

 端末を受け取り、ついでに液晶の時計を表示する。時間は15時に切り替わったところだった。端末をズボンのポケットに仕舞うと菊田が振り返った。

「準備はいいな。被疑者マルヒを発見した場合、速やかに連絡を。やむを得ず接触する場合は、ナイフを所持している可能性を十分考慮こうりょすること。くれぐれも、無茶をしないように」

「はい」

「では、現在15時。捜査開始」

 菊田の掛け声とともに蕗二と竹輔は同時にドアを開け放つ。車から出て、幅の広い歩道から少し脇に入れば、突然人が増えたように感じた。

 そこは普段、老舗しにせが多く並ぶ商店街だが、今は歩行者天国として開放されて道の両側には出店でみせや屋台が並んでいた。頭上を見上げれば、紅白の提灯ちょうちんが空を彩っている。

 毎年8月最後の土日に開催かいさいされる、地元では有名な夏祭りだ。特に今日は夏休み最後の日曜日と言うこともあり、人でごった返していた。人混みにまぎれるように足を進める。

「夏祭りとか、久々だ」

 思わず漏れ出した言葉に、竹輔が軽快に笑った。

「僕もいつぶりだろう。仕事してると、なかなか行きたくても行けないですよね」

「ああ、そうだよな。おっ、出し物もあるのか、すげぇな」

 食べ物関係の屋台が多いように見えるが、射的やヨーヨー釣りなどもあるようだ。最後に夏祭りに行ったのは、高校の時だった気がする。親にもらったお小遣いを握り締めて、友達と屋台を巡ったあの楽しさはなかなか忘れられない。

「芳乃くん、何かしたいゲームとかない?」

 どちらかと言うと自分がやりたいらしい竹輔は、芳乃を誘いたいのだろう。だが、芳乃は顔を引きつらせていた。

「いえ、興味ありません」

 ぶっきらぼうに答える芳乃だが、興味深そうに屋台を見回している。蕗二は芳乃の旋毛つむじに手を置いた。

「お前、もしかして縁日とか行ったことねぇの?」

「ありません。……人混み嫌いですし」

「お前小さいから迷子になりそうだよな。肩車してやろうか?」

「結構です。幼稚園児じゃないので、迷子になるわけないじゃないですか」

 思いっきり手を叩き落とされ、蕗二を追い越すように歩調を速める。が、言ったそばから人波に飲み込まれた。蕗二と竹輔は慣れた様子で人波を避けて、芳乃を連れ戻す。

「こらこら、あんまり離れんな。竹、場所変わってくれ。芳乃の前に立ってくれるか? 俺が一番後ろの方が歩きやすいだろ、屋台も見やすい」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 人の波に乗りつつ、陣形を入れ替える。芳乃は頭上で繰り広げられる会話に、困惑した表情を向けた。

「二人とも、本来の仕事はいいんですか?」

 蕗二は背を丸め、芳乃の肩を抱き寄せる。顔をしかめ、引き剥がそう手首をつかむ芳乃をなだめるように、指先で肩を叩く。

「いいか、芳乃。何も買わずに辺りばかり見回しているのも不自然だ。風景として溶け込むためにも、ちょっと楽しむ分には問題ないし、罪悪感なんて持つ必要もない。全部必要なことだ」

 耳元で聞こえた蕗二の呟きに、芳乃は意外だと目を見開く。その表情に、羽目の外し方がわからないんだろうなと思い当たる。学校帰りに制服のまま寄り道だったり、友達と馬鹿騒ぎしたり、テーマパークで長者の列に並んだりする経験が圧倒的に少ないのかもしれない。ちょっと無茶して怪我だったり、注意を受けて学んでいけばいい。頭ごなしにしてはいけないことばかり教えていたら、加減を覚えられないだろう。少々の失敗はしたほうが良い。良いことも悪いことも、教えるのは大人の役目だろう。そして、子供に悪い事しか教えない大人を取り締まり、道を外したなら連れ戻すのも警察の役目だ。

 近づけていた顔を離すと、竹輔も芳乃の肩を叩く。

「そうですよ。美味しいものだったら僕に任せてください! もしはぐれたら、蕗二さんが目印になりますから」

「人を看板みたいに言うな!」

 蕗二の反論をさらりと流し、竹輔はさっそく芳乃を連れてあれこれ屋台の選別を始めた






 陽は沈み始め、空に温かいオレンジ色がほんのりと混じり出す。

 左手首に巻いたアナログ腕時計の短針は5を、長針は真上から少しずれたところだ。

 あれから二時間経っている。だが、これといった怪しい人物も、畦見の姿も見かけない。時折入る無線にもまだ畦見発見の情報はない。

 漂ってくる香ばしいソースの匂い、浴衣姿の男女、いらっしゃいませーと客を呼び込む掛け声、ほんのり酔った人々の楽しげな笑い声、特設されたステージからは気分を高揚させる音楽が流れ、子供が上げる喜びの声や屋台で出される種類豊富な食べ物の匂い。ごちゃごちゃと混じりあい、しかし活気に満ちている。

 道の両側に屋台が並ぶ一直線のメインストリートの真ん中、少し道幅が狭まるサブストリートが交差する場所は人がまばらになる。道の端で立ち止まり、目の前を通り過ぎる人を観察しながら、カキ氷を口に運ぶ。口の中で一瞬にしてけるほど細かく削られた氷の中、甘さ控えめのつぶあんが入っている。深みのある緑色をした宇治抹茶のシロップとともに食べる手は、なかなか止められない。

「あ、提灯ちょうちんつきましたね」

 牛タン串を頬張っていた竹輔の声に視線を上げると、紅白の提灯がほんのりと光っていた。もう少し日が落ちれば、屋台と提灯が夜の暗闇に浮かび上がってまた違った雰囲気に変わるだろう。

「浴衣の人も増えてきましたね」

 りんご飴をかじる芳乃が目の前を通り過ぎる浴衣の男女を目で追う。

「盆踊りも始まってるんだっけ?」

「特設ステージの方も、次の演目が始まりますね」

「じゃあ、そろそろ動くか」

 カキ氷を口の中にかき込み、壁を向いて右耳の無線機に触れ、小声で報告を入れる。ステージ正面とステージへと続く周辺の脇道を警邏けいらする捜査14班とメインストリートを警邏けいらする捜査15班からも異常なしと応答があった。蕗二たちの持ち場であるサブストリートは、特設ステージがある広場の裏に繋がっている。ステージが始まるなら、人の流れが変わるはずだ。壁際を離れ、人の流れる歩調を見ながら、列に入るタイミングを見計らう。

「それにしても、牛串美味しかったぁ! あ、とうもろこしまだ食べてないなぁ」

「おいおい、まだ食うのかよ。屋台制覇する気か?」

「そりゃあ、持ち場の端から端まで」

 隣で蕗二と同じように列へ視線を向けていた竹輔が腹を擦る動きに、思わず苦笑する。

 サブストリートへと続く人の列が途切れた。その隙間に乗ろうと足を踏み出した。が、目の前で芳乃が立ち止まっているせいで、上手く前に踏み出せなかった。

「どうした?」

 芳乃は答えない。人波の向こう、目を細め、遠くの何かを見ようとしている。

 その目線をなぞった先、一台の車が見える。白いSUVだ。歩行者天国区間の前に、静かに止まっている。

 誰かを迎えに来たのか、または誰かを降ろすのか、一時的に止まる車はたびたび見かける。だが、その白いSUVからは、人が乗り降りする様子は見られない。

 芳乃の眼が、闇夜を吸い込んだように黒く塗りつぶされる。小さく口が動く。なんだあれ。

 蕗二はすぐさま右耳の無線に手をかざした。

「16班より15班。メイン西端、歩行者天国ほこてん規制線前、白のSUVが駐停車、いつからあるか聞きたいどうぞ」

 応答はすぐさま返された。

『15班より16班。班員よりついさきほどまで駐停車車両はなかったのと意見どうぞ』

 返答を聞いている最中、不審に思ったのだろう警備員がSUVに近づき、運転席側の窓をノックする。だが、窓は開けらない。目をらせば、左の運転席にフードを目深く被った人物が座っているのが見える。フードの人物は微動だにしない。

 まさか。蕗二の脳裏に最悪の展開がよぎった瞬間、排気ガスを吐き出す大きなエンジン音とともに車体がわずかに上を向いた。

「逃げろ!」

 蕗二は反射的に竹輔を突き飛ばし、すぐ隣に居た浴衣の若い女男を抱えて地面を蹴る。竹輔が芳乃を抱えるのが見えた直後、白い塊が目の前を横切った。

 重いものがぶつかる音、ガラスが割れる音、タイヤが滑る音、悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 波のように押し寄せる音が全身を叩く。

 ゆっくり目を開ける。近くなった地面と、黒い髪。体にこれといった痛みはない。首だけ上げて周囲を見れば、うめき声を上げて倒れる人が何人も見えた。

「大丈夫ですか?」

 抱えていた体を離すと、真っ青になった女性と口を開いて呆然とする男性が蕗二を見上げた。

「今すぐ逃げてください」

 男女の腕を引き上げ、立たせると背中を押す。その反動に乗るように、二人は走り出す。その背が無事に走ったのを見送り、竹輔と芳乃の姿を探しつつ、耳につけていた小型無線機のスイッチを押し込んだ。

「至急至急、16班より被疑者マルヒと遭遇! 怪我人多数、繰り返す! 16班、被疑者マルヒと遭遇。怪我人多数、至急応援願う! なお被疑者マルヒは車にて暴走」

 無線の応答が悲鳴で掻き消される。突然の事に呆然としていた人々が我に返ったのだ。押し寄せる人が肩に腕に背中に人がぶつかり、悲鳴や怒号とともに押し流される。

 俺は、【この光景を知っている】。

 気がつけば、逃げ惑う人に逆らい、ぶつかる人を避けて走っていた。人波が途切れた一瞬で、ジャケットの内側に手を伸ばし、ホルスターから銃を引き抜く。ゴムを親指で弾き飛ばし、引き金を覆うトリガーガードに指を沿わせる。


 もし、あの日に戻れるのなら、俺は何ができるだろうか。

 そんな無意味な事を、何度も考えたことがある。


 恐怖に驚き怯え、訳もわからぬといきどり泣き叫ぶ悲鳴が轟々ごうごうと嵐のように荒れ狂う。なぎ倒された屋台、ぶちまけられた飲食物、踏み潰された提灯、脱げた下駄が道に散らばっている。ぼろきれのように倒れる人々から呻き声が上がり、助けようとする人が助けを求めて叫んでいる。

 人を跳ね飛ばした車は、メインストリートからサブストリートへ進入したようだ。が、さほど進まず右側に立つ街燈がいとうにぶつかって止まっていた。バンパーはへしゃげ、ボンネットは跳ね上がり、エンジン部分が露出している。もう走ることはできないだろう。そして、運転席のドアが大きく開け放たれていた。その脇を通り過ぎると、人が点々と倒れている。

 赤い血をにじませ、うめき声を上げている。

 助けようと駆け寄るよりも先に、悲鳴が上がる。

 顔を跳ね上げると、フードを被った男が一人、悠然ゆうぜんと歩いていた。逃げ惑う人々を追いかける様子は、家畜の羊を追い込む狼のようだ。


 夢を見れば、いつも同じ。何度も同じ始まり。同じ終わり。

 壊れたビデオのように永遠と繰り返し見ていた。

 そして血溜まりの中、父の冷たい体を抱えて、自ら問う。

 あの日、無力な俺に何ができたのだろうか?

 いや、何もできなかった。

 あの日の俺が何度あの場にいても、きっと同じ結末を迎えたのだろう。

 だから、俺は選んだ。

 もう二度と、同じことを繰り返さないように。


 拳銃を空に向け、引き金を引く。鉄板をバットで叩いたような硬い爆発音が建物に反響する。

 男が止まった。振り返る動きがやけにゆっくりと見えた。

 蕗二は上げていた右手を降ろし、握りこんだ拳銃を目の前に構えなおす。左手でぶれないように拳銃の底面グリップエンドを固定する。

「動くな」

 蕗二を深く被ったフードの下から認識した途端、男は歯をいて笑った。

 だらりと垂れ下がった腕の先、血濡れの刃は真っ直ぐこちらを向いている。

 無意識に体が震えていた。気を抜けば、歯が噛み合わず不快な音を立てていただろう。

 呼吸をしているはずなのに、息を吸っても吸っても苦しいばかり。

 瞬きができない。目をつぶるのが恐ろしい。

 両手の中に構えた、黒い鉄越しに青い光が、嘲笑あざわらっている。


 そしてもし、今の俺があの日に戻れたなら、どうするのか?


 今、答えを求められている。


 あの日の光景が、目の前に広がっているのだから。






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