File:6 愛獄
PM13:13. 中野区。
蕗二は白いセダンを
被害者・西川綾香の住宅だ。
蕗二たちは本庁で西川夫妻に会う予定だった。だが、直前で
ドアを開ける。
それに違和感を覚えていると、女性三人が一斉に駆け寄ってきた。
「あなた刑事さんよね? 西川綾香ちゃんの死体が発見されたって本当?」
詰め寄られた竹輔が、助けを求めて蕗二を見る。
「大変申し訳ありませんが、事件の事は言えない規則ですので」
やや威圧的に言えば、三人の内、首に薄いスカーフを巻いた女性が「あら嫌だわ」と口に手を当てて笑った。
「そうは言っても、もうみんな知ってますよ」
なるほど、井戸端会議って奴か。つい数時間前に鑑識が出入りしていたのだから、噂が広がって当然といえば当然か。
「で、どうなの? 本当なの?」
「だめよ。言えないって言ってたでしょ? でも、綾香ちゃんが行方不明の捜査に来てるんでしょ?」
蕗二が沈黙で返すと、眼鏡の女性が隣のスカーフの女性の肩を叩いた。
「ほら、やっぱり。こうなった」
「やっぱり?」
反射的に聞き返してしまい、待っていましたと眼鏡の女性が声を
「
「奥様かわいそうよね、あんな犯罪者と結婚なんて」
スカーフの女性が頬に手を添えて
「絶対でき婚よ。ほとんど家にいないんでしょ? 早く別れなさいって言ってるんだけどね、あんな男といたら、子供はグレるわ」
「綾香ちゃん、ほんと可哀想よね」
「早く犯人が捕まればいいけどねぇ」
顔を見合わせて頷き合う女性たちを見ながら、蕗二は綾香ちゃんの父親を思い出す。
事件は他人からより身内から危害を受けることの方が圧倒的に多い。誘拐や殺人が起こったとき、真っ先に身内を疑うのも、刑事の初歩だ。そして今真っ先に疑うべきなのは、 ≪
だが、真っ青になっていた父親の顔は、≪ブルーマーク≫のそれではなかった。たとえ気の迷いで、娘に手をかけたとしても、何日も正気でいられるような感じではない。
だが、人間は嘘をつく。【特殊殺人対策捜査班】に異動してきて、犯人の態度が
腹底にどろりとしたものが
「あの、どうされましたか?」
背後からかけられた声に、蕗二は素早く振り返る。少女が二人、こちらを見上げていた。
夏物のセーラー服の二人は、蕗二に驚いたのか
「
「あら、
「刑事さんが、綾香ちゃんの事件で来てくれてるんだって」
三人の女性の言葉に、
「刑事?」
ぽつりと呟いた。そして、何か歯車が噛み合ったかのように目を見開くと、突然蕗二に詰め寄った。あまりの勢いに、蕗二は軽く仰け反ってしまう。
「綾香ちゃん、見つかったんですか!」
「ちょっと紅!」
菜々美と呼ばれた少女に腕を引かれるが、紅は引き下がらなかった。
「綾香ちゃんが見つかったのか、教えてくれませんか?」
お願いしますと頭を下げる紅を見下ろしながら、蕗二は首を横に振る。
「大変申し訳ないですが、捜査について詳しいことは言えない決まりでして」
「言わなくていいんです、頷くだけでもいいですから」
「お答えできません」
事務的な回答に、紅は悔しげに下唇を強く噛み締める。伏せた
「いえ、仕方ないですよね。私、保育園でアルバイトをしていまして。綾香ちゃんとはすごく仲が良かったので、つい……感情的になって。ごめんなさい」
「すみません、きついことを言ってしまって。僕らも仕事ですので」
竹輔の申し訳なさそうな声に、蕗二ははっと息を詰める。大変、失礼いたしましたと深く頭を下げると、紅は鼻を
「いえ、いいんです。ありがとうございます」
菜々美に付き添われ、マンションへと入っていく。と、紅が立ち止まった。
「あれ? もしかして
紅の声に、いつの間にか蕗二の陰に隠れていた芳乃が肩を跳ねさせた。息を潜めていた反動なのか、派手に咳き込んでいる。
「なんだ、知り合いだったのか」
「いえ、別に」
気まずげに帽子のつばを握っている芳乃の代わり、紅が答える。
「先日、社会見学で保育園に来てくれたんです。今度は警察の社会見学なんだ? 大変だね、芳乃くんの高校」
「そうですね、かなり面倒です。なので、とっとと終わらせてきます。それでは」
一方的に話を切り、芳乃は足早に玄関ホールの奥へと進んでいった。蕗二は女性三人と少女二人に礼を言い、芳乃の後を追う。先に階段を上がってしまったかと思ったが、芳乃は不貞腐れた様子で階段の影に立っていた。
「お前が保育園ねぇ?」
口の端を持ち上げて笑えば、芳乃の垂れた目が吊り上がった。
「違います。全員強制参加で、保育園か介護施設に行かないといけなかっただけです」
「お前、めっちゃ子供に振り回されそうだな」
両手を子供に繋がれて、左右に引っ張り回される姿が簡単に想像できてしまう。思わず笑うと、蹴りが飛んできた。軽く避け、その勢いのまま階段をリズムよく上がる。テンポよく上ったせいか、目的の三階に思っていたよりも早く着いた。
「それにしても、静かですね」
竹輔がぽつりと呟く。玄関ホールを抜けてから、誰一人ともすれ違わない。空き部屋が多いのかと思ったが、気配は十分にある。先ほどから何か違和感がある。マンション全体に観察されているような感じだ、薄気味悪い。あまり足音を立てないように、廊下の一番奥の角部屋へと進む。ドアの前に立ち、部屋番号とNishikawaと書かれた木製のプレートを確認する。竹輔がインターフォンに指を置く。
ピンポーンと高い音が二回鳴る。返事はない。直前に確認したマンション周辺の≪リーダーシステム≫で確認した綾香ちゃんの父・西川
『どちら様ですか』
ボタンを押し込む直前、女性の声が聞えた。母親の西川
「警視庁の坂下です。少しお話したいことがありまして」
『今日は帰っていただけませんか』
静かな声だ。だが、はっきりとした拒絶を感じた。竹輔は食い下がる。
「大変ショックな事だとは承知しております。ですが、綾香ちゃんのためにも、そして次の被害者が出る前に、どうかご協力いただけませんか?」
『やめてください』
震える声に、竹輔が声を詰まらせた。
『娘を失って、しかも見せられる状態じゃないって、私達どうすればいいんですか? 死んだことだって受け入れたくないのに、ちょっとはこっちのこと考えてくれませんか?』
深い悲しみと怒りが混じった声に、線香の匂いが呼び起こされる。蕗二は血が
「それについては、こちらの
『不手際どころか、犯人もまだ見つけられてないんじゃ』
「犯人は確かに見つかっていません!」
蕗二の声に驚いた竹輔を避け、インターフォンの横に手を付いた。
「証拠も消され、犯人だと思っていた人物は全く関係ありませんでした。これが現状です。でも俺たちがここで諦めたら、次の犠牲者どころか、綾香ちゃんもあなた方ご両親も、誰も救えないんです! だからどうか、ご協力お願いします!」
腰を折り、深く頭を下げる。もはや
沈黙の気配と芳乃の咳の音に混じり、鍵の開く音がする。そっと顔を上げると、ドアが開いていた。顔だけ覗かせた
「どうぞ」
そう言って、すぐに中へ引っ込んでしまった。戸惑いながら短い挨拶とともに玄関をくぐる。背後でドアが閉まると、
「お話とは、なんでしょうか?」
たった数時間前に顔を合わせた時より落ち着いているようにも見えるが、手が震えている。蕗二は挨拶もそこそこに、キッチンに向かおうとする一華を引き止め、向かいに座るように促した。隣に竹輔、芳乃と座ったところで、蕗二は本題を切り出した。
「綾香ちゃんが巻き込まれたこの事件ですが、殺人事件であることが確定しました」
桃輝が息を詰まらせる。隣で一華が顔を覆って
「お父さんのお話では、綾香ちゃんは一人で出て行けるようなお子さんではなかったと。なら、犯人は綾香ちゃんが自分から家を出るような動機を用意したか、または何か綾香ちゃんなりの目的があって外に出て巻き込まれたか、どちらかだと思っています。友達など、関わりのあった人物について心当たりがあれば、教えて頂けませんか?」
蕗二の言葉に、桃輝は眉を困らせた。
「おれ、じゃなくてぼくは、仕事があってあまり家にいなくて、一華ならわかるだろ?」
桃輝に問われ、一華は赤くなった目元を指先で
「綾香の友達ですよね? 保育園以外で夜中に遊ぶような友達は知りません。近所付き合いも広くないので、綾香が夜中に一人で出かけるとも思いません」
「今わかる範囲で構いませんので、お友達のお名前など覚えていますか?」
「少しお待ちください」
一華が席を立った。ちらりと横目で芳乃を見る。帽子の下から時々、咳をしながらピントを合わせるように目を細めている。ただそれだけだ。
「お待たせしました」
一華は分厚い手帳を机の上に広げてみせる。
「このお友達の中で、兄弟がおられる方はいますか?」
「
「この中で、よく遊んでいたご家族はおられますか?」
「そうですね、葉山さんの息子さんとは、よく遊んでいました。そういえば刑事さん、葉山さんなんですが、昨日から連絡が取れなくて。何かあったんですか?」
蕗二は冷や汗をかいた。誘拐事件はどこまで内密にできるかで被害者の生存率は大きく変わる。さきほど玄関で見た噂の広がり具合から、情報が知られるのはまずい。竹輔のめくる手帳へと視線を送りながら、どうやり過ごそうかと言い訳を考える。
「すみません。ひとつ、質問してもいいですか」
突然、芳乃が手を上げた。一華の視線が
「綾香ちゃんのこと、好きでしたか?」
あまりにも
「当たり前じゃないですか。親バカって言われても構いません、うちの綾香は可愛いです。だろ、一華?」
「ええ、初めて
「そうですか」
そう言って、芳乃は一際大きな咳をした。途端、電子音が鳴り響いた。その場の全員が自分の端末に意識を向ける中、
「どうぞ出てください。何かあったのかもしれないので」
蕗二が
「綾香ちゃんのお部屋を見せていただいても?」
「あ、はいどうぞ」
桃輝に案内され、リビングのすぐ隣、綾香ちゃんの部屋のドアを開ける。女の子が好きそうなピンクを基調とした家具が多い部屋は、子供の部屋にしてはよく片付いていた。
鞄の中身や棚の中を探し、誰かと繋がるような物がないかと探す。
引き出した収納ボックスに、不思議なものを見つける。棒の先端に丸いカプセルがついている。どこを触ってしまったのか、丸いカプセルの中に星空が広がった。『やみよをてらせ、いんせきのごとく! いけぇ、めておくらぁーしゅ!!』というアニメ声とともにカプセルの中がきらきらと光った。
「うおっ、なんやこれ」
思わず声を
「あー、それ
「そうなのか? てか、なんでそんなの知ってんだ?」
「朝のニュース番組の前になんとなく観てたら、習慣で観ちゃうんですよ。こう、続きが絶妙に気になっちゃって。最近CMも多いですし、コラボグッズも見かけるんで、流行ってると思いますよ」
「すげぇな、流行りって」
おもちゃを元の場所に戻し、改めて探していると、竹輔が桃輝に向き直った。蕗二は手を動かしながら耳を傾ける。
「綾香ちゃんへの嫌がらせ、または無言電話や何かポストに
「いや、たぶんないと思います……
「そうですよね、いきなり言われても思い出せないと思います。もし何か思い出したら、こちらの番号までご連絡いただけますか?」
竹輔は自分の手帳を千切って電話番号を書き、桃輝に手渡した。蕗二は軽く咳払いする。
「アルバムと奥様の手帳だけ申し訳ないですがお借りしても?」
「はい、それくらいなら全然構いません」
リビングに戻ると、芳乃の姿はなかった。
「ご協力ありがとうございました」
蕗二が頭を下げると、桃輝が背筋を伸ばした。
「当たり前です。刑事さん、必ず綾香の
桃輝が勢いよく頭を下げる。その後頭部に蕗二は静かに、だが力強く声を落とした。
「必ず」
もう一度、竹輔とともに桃輝に頭を下げ、玄関のドアを開ける。芳乃がドアの脇に立っていた。蕗二たちが出てくるのを待っていたらしい。後ろでドアが閉まり、鍵をかける音がする。
「どうだった?」
声を潜めて問う。だが、芳乃は首を横に振った。
「少し、黙っててくれませんか?」
冷たい声だ。俯いたまま、表情は見えない。そのまま咳を抑えるために口元に拳を当て、廊下を引き戻り始める。その後ろをついていきながら、隣に並んだ竹輔と歩調を合わせる。
「どう思う?」
竹輔は眉尻を下げ、小さく首を左右に揺らす。
「正直わかりません。ただ、最初の聞き込みで、どちらか片方と綾香ちゃんが出かけることはあっても、夫婦そろってはあまりないようでした。まず父親を見かけること自体少ないとも。ですが、近くの公園で一緒に遊んでいる姿を見たり、買い物に出かけたりされるのを見かけることはあるようで、
「だけど働いてると、正直そんなもんだよな」
労働基準法が何度も改正され、三十年前などに比べると休みやすくなったらしい。だが、実際そう簡単にはいかない職業も多い。自分の父親も、家にいるほうが少なかった。と言っても、刑事を例に挙げるのは論外かもしれないが。
ふと、玄関ホールで聞いた女性の言葉がよぎる。
「夫婦喧嘩が聞こえるって話があったな」
「まさかですけど、綾香ちゃんの取り合いになってたとか?」
「離婚しかけてたとか? 親権の取り合いで
「いいえ、あの二人は綾香ちゃんを愛しています」
芳乃の小さな呟きが聞こえた。
「ついでに、離婚の話も視えませんでした。ですが、根本がすれ違っています」
吐き捨てられたその言葉を、頭が理解した時にはすでに、小さな背は階段を下りていた。
慌ててその背を追い、肩を捕まえる。
「おい、何か視えたんだろ」
芳乃はこちらを振り向かない。肩を掴んだ手に力を入れると、振り払われる。触るなと言わんばかりに段差を二段降りると、けほりと咳をする。帽子を取り、頭が振られ、埋もれていた青い光がこちらを見た。
「視たくないものです」
青い光の向こう、芳乃の眼が細められている。何度も見てきた絶対零度の冷たさとは、なにか違った。たとえるのなら、冷たく透き通る氷の表面を、氷の結晶で覆ったような不透明さを感じる。その奥に、【何か】がいる。
背骨の付け根から
一体なんだ? 何の感情を隠してる?
その言葉は凍りついたまま、
「蕗二さん?」
竹輔の声に驚き、コツっと踵が音を立てる。蕗二の踵が段差にぶつかったらしい。小さな衝撃だったが、おかげで忘れていた呼吸を取り戻す。喉を擦っていると、ジャケットのポケットの中、液晶端末が震えた。片岡からだ。画面をスライドして通話を繋ぐ。
『やあ、頼まれていた
珍しくカメラを切っているらしい通話画面は真っ暗だ。
弾むような片岡の声だけが鮮明だ。
『
電話を聞きながら玄関を抜け、止めてあった車へと近づく。すでに芳乃がたどり着いていたが、ロックを解除しても乗ろうとしなかった。ただ車に
「身内を責めたくないが、凡ミスすぎるだろ」
『まあ、
葉山優斗くんの件は行き詰まりか。蕗二は座席に深く腰掛け、溜息をついた。
「そういえば、誘拐された葉山優斗くんが走って行ったらしいけど」
『安心したまえ、もちろん調査済みだ。葉山優斗くんが走っていったのは、住宅街。だいたい、今君たちがいるマンションの方向と言っても過言ではないね』
「防犯カメラから、
『ああ、そうだね。その前に』
すぐ真横、窓ガラスを叩かれる。
『「来てしまったよ」』
「うお!」
思わず飛び上がり、ただでさえ低い天井に頭を打ちつけた。
「痛ッ、びっくりした……いるならいるって言えよ!」
『「その反応が見たかったんだよ。わざわざ通話カメラを切った
「お前の考えてることが、マジで分からねぇ」
端末の通話を切り、後部座席のロックを外す。すぐさま片岡が滑り込んできた。振り返り、楽しげに笑っている片岡を睨みつける。
「つーか、何で来たんだよ」
「いいじゃないか。私も【チーム】の一員だろう?」
さも当然といわんばかりに首を傾げられ、これ以上は
「あー、わかったよ。好きにしろ。で、失踪ポイントはどうだって?」
「失踪ポイント、と言うと少し大げさだが、カメラから映らなくなったポイントはある。今、
「それって、犯人は監視カメラの死角を
竹輔が額を押さえて
≪ブルーマーク≫検索画面を開き、文字を入力し、検索を指先でタップする。
検索中に変わった文字は、蕗二が座りなおしている間に消えていた。
氏名、西川桃輝。年齢は三十歳。マーク指定理由は『著しい
理由に一瞬首を傾げるが、同時にその疑問は頭から転がり
十一年前施行された『犯罪防止策』。文字通り、事前に犯罪を防ぐ為の政策だ。
犯罪をしうる可能性が高い人物に≪ブルーマーク≫を、罪を犯した人物には≪レッドマーク≫を目印として装着させる。
理由がなければ、どちらも付くことはない。
蕗二は指輪型端末を操作していた片岡を見る。その両耳に光る青いフープピアスを見て、ふと疑問が浮かんだ。
「片岡。≪ブルーマーク≫がつく時って、どうなるんだ?」
蕗二の言葉に、片岡が宙に浮かぶ画面を見たまま、動きを止めた。数回、
「家に、スーツの男たちが三人来たよ。『判定の結果、
その分厚いレンズの奥、視線はどこか遠くに向けられている。記憶を探すように、ゆらゆらと視線は揺れる。
「もう十年位前の話だからね、どんな場所だったかははっきりと思い出せないんだ。だが、目隠しを外された先は、窓もない真っ白な壁の大きな部屋だったよ。イスと机が並んでいた。そこには何人いたかな、ざっくり五十人くらいだと思う。全員で≪ブルーマーク≫についての説明を受けた。一時間くらいだったか。それが終わったら、一人一人呼び出されるんだ。私は早めに呼ばれた気がする。呼ばれて大きな部屋を出たら、これまた真っ白な部屋で、真ん中にぽつんと革張りの、ああそうだ、動きを拘束するような、少し
片岡が肩を
耳の穴を囲むように
そういえば、じっくりと自分の耳を触ったのは初めてだ。ましてや、他人に触られたこともない。もちろん、ピアスの穴さえ開けたことがない。
その柔らかい皮膚を突き破り、冷たく固い、金属が通される。
青い光に触れた気がして、指先がかじかんだように
片岡の口調のせいか、あまり深刻に聞こえない。いろいろ、
「悪かった……」
蕗二が息に
「君が謝る必要はない。知らなくて当然だろう。それに、私は≪ブルーマーク≫が付いたことで、むしろ『私は普通にならなくて良いのだ』と、すっきりした」
口の端を持ち上げた片岡は、今にも鼻歌を歌い出しそうな機嫌のよさを滲ませている。
「そういうもんなのか?」
「少なくとも、私はそう思ったよ」
再び指輪型端末を操作し始めた片岡から、沈黙している竹輔へと視線を移す。
俯いていた竹輔は、手元の液晶端末を見つめている。蕗二の視線に気がついたのか、顔を上げて画面をこちらに向けてきた。ニュースの記事のようだ。
「菊田係長の方、
「そうか、怪我人は?」
竹輔は指先で画面をスライドしながら、小さく首を振った。
「何人か出ているようですけど、詳細はわかりませんね……」
「菊田さん、無事だと良いけどな」
「ええ、本当に。あっ」
「どうした!」
「今日、ペルセウス座流星群の日だったなあって」
「なんだよ、びっくりさせやがって」
起こした体をシートに沈め直して大げさに溜息をつく。
「そもそもそのペルなんとかって流星、こんな都会で見れるもんなのか?」
「ペルセウス座流星群ですよ。すごい数が多くて、東京でも毎年この時期に見れるんです。今年は確か、月も細めだから、いつもよりはっきり見えると思いますよ。ほら見て下さい! 去年のですけど、めっちゃ綺麗でしょ」
「おお、こんなはっきり見えるんだな」
向けられた画面は動画だ。深い紫色の星空を横切る白い光りが幾筋も見える。
それに、なぜか引っ掛かりを覚えた。それは
ふと背後から遠く、片岡の声が聞えた。
「警部補。防犯カメラの死角で、
言葉を
訪れた沈黙の中、
頭の中で、閉じていた扉が、
その間をすり抜け、真正面。大きな黒板の前に立つ。
濃い緑色の表面に、白いチョークで文字を書きこんでいく。カツカツと、黒板にあたるチョークの先が出す音は、何か思い出せと
流星、アニメ番組。
被害者、西川綾香。腐乱死体。死因:転落死。
被害者の友達・葉山優斗くん行方不明。
不審者の出入りなし。指紋などの犯人の証拠なし。
父親が≪ブルーマーク≫。犯人最有力候補。
そこで手が止まった。蕗二は文字を睨みつける。犯人最有力候補の文字にバツ印を重ねて書いた。その下に、書き直すように文字を並べる。
アリバイあり。綾香ちゃんを溺愛。家にはあまりいない。
蕗二はそこで文字を止め、今度は犯人の証拠なし、の隣から矢印を伸ばしそこに、犯人はマンションの住人、住人の証言:夜中に言い争う声、と書き足した。さらに葉山優斗くん行方不明の隣に、文字を書き足す。
脅迫状・罪は暴かれなければならない。
もうひとつ、蕗二は腕を上げ、腐乱死体の文字を丸で囲んだ。その上に、文字を書き込んでいく。
犯行は深夜。目撃者なし。死体遺棄の場所・廃屋。隠す気がない?
チョークは見る見るなくなり、文字は乱雑に書き殴られ、白い文字が黒板を埋めていく。
被害者の綾香ちゃん、怖がり。事件の日、自分から出て行った。なぜ? 目的は? 脅迫状の意味は? そもそも犯人の動機は何だ?
爪が黒板を引っ掻いた。はっと、大きく息を吸いこむ。
「綾香ちゃんのお母さん、どこ行った?」
口から疑問が飛び出した。だがその答えは、直感的にわかっている。気がつけば、蕗二の体は車外へ飛び出した。視線を向けた先、芳乃がマンションの中へと滑り込むのが見えた。すぐさま追う。後ろから、慌てて竹輔と片岡が追いかけてくる。
ガラス戸をくぐり抜けた瞬間、電子音とともにCallingの文字が浮かんだ。すぐに応答のボタンに触れた。電話の向こうは野村だった。
「三輪っち今どこ! 大変な事がわかったんだけど! 今、東さんに病院のカルテ検索してもらってるんだけど、もしかしたら犯人は……」
切羽詰った野村の声に、予感は的中したのだと確信する。
「わかった。確認できたら、至急メールくれ。今から犯人を問い詰める」
蕗二は階段を駆け上がった。
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