File:4 異獄



 警視庁。ミーティングルーム。


 腕時計が時を刻む。その細い針を見つめながら、物音に耳をませていた。

 遠くから近づいてくる慌しい足音に、蕗二は顔を上げる。

 二つの足音が扉の前で止まった瞬間、ノックもなしに扉は勢いよく開かれた。

「やほぉ、お久しぶりー! 今回の事件すっごいね? もうぐちゃぐちゃのでろっでろ!」

 派手なメイクに、Tシャツにショートパンツと言うラフな野村がくし立てる。目を輝かせて耳を赤くしているその後ろ、片岡が溜息交じりにポロシャツのすそで眼鏡をいていた。

「残念だが、私は少々テンションが下がりそうだ。やはり後先考えず、気の向くまま見るべきではないね」

「うっそぉ! 藤っち、全然変わんないじゃーん」

「いやいや、今なら文字入力速度を一分400打鍵に落としても、どこかでタイプミスを犯してしまうだろう」

「うーん、それって速いの?」

 野村は首を傾げる。レンズを照明にかざし、やっと納得したのか眼鏡をかけ直した片岡が、こちらに視線を向けてきた。

「おや、警部補殿。どうしたんだい? 我々の顔に何か付いているかな?」

「あ、いや、なんだ、もっとピリピリしてるかと思った」

 素直に吐けば、野村と片岡が豆鉄砲を食らった鳩のように呆然とする。ぱちぱちと瞬きを繰り返したかと思うと突然二人同時に噴き出した。

「おい、なんだよ」

「確かに君たち警察にとっては、緊張する時期だろう。だが、日本国民全員がまったく同じ感情を持っている訳ではないのだよ?」

「そうそう! あっ、でもぉ、三輪っちはいつもピリピリしてるから、今日は特にカルシウム取らなきゃだめだよぉ?」

 けらけらと笑う二人に、なんだか拍子抜けする。だが、言われてみればそうかもしれない。

 いつの間にか、警視庁内に漂う緊張感に飲み込まれ、世間が同じ感覚だと錯覚した。この『地獄』の空気に飲まれている。

 ペースを乱されることが、こんなに助かるとは。

 竹輔も同じらしい、照れたように笑っている。蕗二は肩の力を抜いて、ズボンのポケットに手を突っ込んだところで気がついた。

「そういえば、チビはどうした?」

「なんかぁ、学校行ってるみたい?」

「あ? あいつ夏休みじゃねぇのか?」

「自由参加型の補講授業だそうだよ。勤勉でいいじゃないか」

「そうか、来るって言ってるならいいか」

 後頭部を掻いた蕗二は、気を取り直すように手を打ち合わせた。

「とりあえず始めるぞ。今回の事件は、二つの誘拐殺人だ。ひとつ、西川綾香ちゃん、四歳の女の子が二週間前、自宅から失踪。本日、廃屋にて遺体となって発見された。そして昨日、彼女の友人である、葉山優斗くん、同じく四歳男の子が、目を離した隙に誘拐された。自宅には『真実は暴かれなければならない』という、脅迫状が届いた。そっちは、協力者が捜査してくれている。俺たちは、綾香ちゃんについて、捜査する」

 蕗二は部屋の真ん中、会議用の長い白テーブルに両手をつける。天板が白く光り、ホログラムが浮かび上がった。被害者・西川綾香の自宅マンションの立体画像だ。全員が机の周りに集まったところで、蕗二は口を開く。

「状況はこうだ。被害者・西川綾香にしかわあやかは二週間前に自宅から失踪しっそう。目撃証言はなく、母親が寝た姿を最後に確認していることから、失踪時間は深夜。自らの意思で自宅を出ている可能性が高い。そこで事故か他殺か、高所から転落し死亡。その後、犯人は何らかの目的を持って廃屋に放置した」

 蕗二が呼吸を置くと、竹輔が手に持っていた液晶タブレットに視線を移した。

「綾香ちゃんの落下した高さは、約三階相当。遺棄現場から半径500メートル圏内で、現場になりえる建物は多数。その中に、被害者の住宅である三階建てマンションも含まれていました。被害者住居を鑑識に調べてもらったところ、屋上へ通じるドアや落下防止柵らっかぼうしさくの指紋、屋上のゲソこんも不自然なほど残っていませんでした。屋上は住民全てが使えるので、誰の指紋も付いていないというのは、ありえないそうです。なので、現場はここの可能性が高いと推測できます。もう一つ、駐車場に落下した可能性が高いとして、そちらも調べてもらいました。しかし、ここ最近続くゲリラ豪雨の影響か、犯人が証拠隠滅しょうこいんめつはかったのか、被害者の転落した証拠の採取にはいたっていません。それから、被害者の失踪姿しっそうすがた、転落の目撃証言もつかめていません。我々は、犯人の男女すらも推定できていません」

 竹輔が苦しげに言い終わると、片岡があごでながら、鼻息を溜息のように吐いた。

「うむ、なるほど。行き詰まっているね」

「わーお、いつも以上にやばいねぇ」

 大げさに驚いてみせる野村に、蕗二は鋭く問う。

「もうご遺体は見てきたんだよな?」

「うん、もちろん。頭の割れ方から見ても、固いところに落ちたっぽいから、屋上から駐車場に落ちたのはぁ、間違いないと思うよ? 小さい子はぁ、頭蓋骨がまだ柔らかいから、大人みたいに砕けて脳みそに刺さるとかぁ、そういうのはないんだけど、代わりに脳みそダイレクトに打っちゃって、即死だったと思う。それから、女の子は後ろ向きに落ちてると思うよぉ」

 真剣な顔をしていた野村だったが、ふと首を捻って唸り始める。

「でも、なーんか引っかかるんだよねぇ」

「引っかかる?」

「後頭部の、ど真ん中が割れてるんだよねぇ」

「その、子供だからなんじゃないんですか?」

 ひかえめに手を上げた竹輔に、視線が集まる。

「飛び降りの場合、足から着地するのは、僕ら警察なら知っている常識ですし、おそらく野村さんも知ってると思うんですけど、その、子供なので頭の方が重くて、空中で回っちゃったとか」

 恐る恐る口を開く竹輔に、野村は大きく頷く。細い指が、机の上に展開されたホログラムのマンション。その、屋上部分を指差した。

「うん、ありえるよ? でも、もしこれが事故だったらって、考えてみたの。小さい子が三階から落ちたら、私たちよりもっと恐いと思うの。でぇ、間違って落ちたら普通恐くて、わーって暴れるでしょぉ? だから、頭の側面とかかぁ、なんて言うの? ど真ん中って言うのが、気になるの。なんかぁ、この子ストーンって真っ直ぐ水平に落ちたっぽくてぇ」

 ますます首を捻る野村に、蕗二は腕を組んで、眉を寄せた。

「背面から真っ直ぐ……自殺ってことなのか?」

 自殺の場合は、自らの意志で飛ぶからか、抵抗せず綺麗に落ちることが多いはずだ。すると、野村はすぐに頭を振って否定する。

「それはないと思うよ? 幼稚園くらいのすごくちっちゃい子はねぇ、自殺しないの。てゆーか、まず死っていう感覚がないの。死ぬ方法が分からないって言うのもあるんだけどぉ。お母さんとかお父さんが死んだって言うなら、ストレスで餓死がしすることはあるけどねぇ?」

「じゃあ、ないのか……ご両親ともに健在だし」

「うん、そうだねぇ。だからぁ、たぶん犯人は、女の子を横抱きにしてて、こう、投げたんじゃないかな?」

 両腕を胸の前に持ち上げ、子供を抱えるようにする。そして、宙へ放り投げるように腕を振った。

 だが、すぐに野村は腕を組んで首をひねった。

「でも、それじゃあ変だよねぇ? 女の子が投げ落とされたんだったら、暴れるじゃん? 四歳でも恐いでしょ、知らない人に抱えられたら。首を絞められてたりして、気絶してたんだったら分かるんだけど、わたし見たの『頭』だけだし? 体とか、もう虫の処理でどうしようもない状態でぇ。あれめんどくさいよねぇ? ウジムシって、体の奥まで入っちゃってるから、つまみ出さないと駄目だしー? あ、ねぇねぇ知ってる? チョウチョって、死んだ人の魂運ぶらしいよぉ?」

 博物館の昆虫標本を見ているような、気軽な口調で野村は笑う。

 蕗二は、あの廃屋で見た真っ黒になったご遺体を思い出す。そこに群がる黒い蝶と、波打つ蛆虫を思い出すと、背筋にムカデがうような感触がして、大きく体が震えた。思わずと鳥肌の立つ腕をさする。竹輔も青い顔をして背中を向けた。

 すると、控えめな咳払いと指を弾く音がした。

「君たちの気持ちは分かるが、私からも報告してもいいかな?」

 片岡が授業中、話し込んでいる学生に注意する教師のように言い放つ。蕗二は頷いて先を促すと、片岡は左手の人差し指にめられた黒い幅広の指輪を抜き取った。机のディスプレイを指先で一回、間を置いて三回叩く。すると画面の端に、白く光る丸い円が現れる。その中に指輪を置くと、浮かんでいたマンションのホログラムに赤い光が追加された。

「監視カメラは玄関とその裏口、エレベーター、それから駐車場入り口だけだ。屋上には残念ながら設置されていなかった」

 蕗二は眉を寄せ、四つの赤い点滅を見詰める。

「こんな緩々ゆるゆるの警備で、住民は心配じゃないのかよ」

「うーん、それはどうかな。玄関はもちろんだが、個々のドアは暗証番号式の完全オートロック式だ。ピッキングはまず不可能。窓やドアにはセンサーがついているから、万が一、割り破られたとしても警報が鳴る仕組みのようだ。必要最低限の生活圏せいかつけんは、非常に安全と言っても過言ではない。この監視社会だからこそ、逆に魅力的だと思うのではないかね?」

 一人納得するように頷く片岡に、竹輔が静かに問う。

「誰か、不審人物はいませんでしたか?」

「それがだね、不思議なくらい居ない。これを見たまえ」

 片岡はマンションの裏口にある赤い点滅箇所に触れた。ホログラムが解け、変わりにカメラの映像に切り替わる。

「二週間前の深夜と言っていたね? もし、外部から侵入した犯人なら、裏口から出入りしてもおかしくないと思うのだが、誰も通らない。またエレベーターや玄関にも、人の出入りを確認できていない」

ひそんでた可能性はどうだ? 住人や宅急便の出入りに便乗びんじょうして侵入する。オートロックあるあるだろ?」

 昔からよくある話だ。銀行の貸金庫のように、一人一人認証させるなんて面倒な事はできない。管理人が目視で気付かなければ、こればかりは防ぐことはできない。

 だが、片岡は一言で否定した。

「無いね。それも確認したのだが、一度だけの出入りした人物は居ない。悔しいが、私がわかるのはここまでだ」

 珍しく舌打ちをし、画面を睨みつける。だが、蕗二は別の意味で画面をにらんだ。

「いや、これで絞り込めた」

 犯人は、思いついて犯行に及んだんじゃない。

 屋上が開放されていること、監視カメラの位置を十分に知っている。そして、証拠の隠滅や葉山優斗君を誘拐、脅迫状を送りつけているところから、計画性がある。

 だから、導き出される犯人像は、たったひとつ。

「犯人は、このマンションの住人だ」

「じゃあ、ご両親も犯人候補ですね」

「ああ、こればっかりはな。父親が《ブルーマーク》だってのも、引っかかる」

「そういえば、マーク情報を洗ってませんでしたね。すぐ調べます」

「頼む」

 竹輔はすぐさま、机のディスプレイの端に警察専用の画面を展開し、マーク情報を探し始めた。机から宙に浮き出したホログラムを睨みつけていると、細い溜息が聞えた。

「身の毛がよだつね。我が子を手にかけるなんて、考えたくない話だ」

 うつむいた片岡がもう一度、溜息をつく。画面の光が眼鏡に反射して、表情を隠してしまっている。だが、いつも口の端を吊り上げて笑っている片岡とは、まるで別人のようだ。

「そういえば、片岡さんもお子さんいましたよね?」

 ディスプレイから顔を上げた竹輔が問うと、片岡はやっと顔を上げた。

「ああ、まだ小学校に上がったばかりでね」

 片岡は手を後ろに回す。ズボンの後ろポケットから、シンプルな革張り財布を取り出した。その中から一枚の写真を引き抜き、竹輔へと手渡す。蕗二と野村も後ろから覗き込んだ。瞬間、三人同時に驚きの声を上げた。

 一人の少女と女性が写っていた。

 小学校の校門だろう、入学式という看板を背に、ふたつくくりをした少女は人懐っこい笑みを浮かべている。頭には黄色いつば広の帽子とピンク色のランドセルを背負っていた。その隣、少女と視線を合わせるように屈んでいる女性は、綺麗にまとめられた毛先を鎖骨に垂らし知的な印象だ。だが、こちらを見る視線は甘く、白いスーツが良く映えている。

「わあーお! お子さんめっちゃかわいい! ママさん美人!」

「あれっ!? お子さんこんな大きかったんですね! 奥さん若い!」

「嘘やろ! 片岡の子供と奥さんと言われても、絶対信じられへんわぁ」

 まじまじと写真に食い入る。が、突然写真はひったくられてしまった。忽然こつぜんと消した写真を追い視線を向けた先には、写真を胸元に隠して首から上を真っ赤にした片岡が居た。

「そうだとも、妻は聡明そうめいでかつ美しいのは私も誇りに思っているし、娘も愛らしく将来母以上に美しくなると安易に想像できる。だが男性二人!! 我が妻子を不埒ふらちな目で見ることはこの私が許さああああああん!」

「え? ふ、不埒ふらち!? 違います違います!」

「うるさああああい! 一盗二卑いっとうにひ三妾四妓五妻さんしょうしぎごさいと言うじゃないか! 理解できなくはないが、だからと言って許すわけにいかん! 我が全総力を持って貴様らを日の当たるところから排除してくれる!!!」

「すまん、半分何言ってるかわからねぇ! おいこら何してんだ、とりあえず画面しまえって! わかったわかった機械には触らないから! 絶対誓ってないからまず落ち着け!」

 押さえ込みなだめ、とりあえず写真をしまわせる。それだけのことに、迷い込んだ野生動物を追いかけるくらい体力を使った。軽い息切れを起こす中、片岡もなんとか落ち着いたようだ。

「てか、写真そこはアナログなのかよ。お前なら、その端末に入れるんじゃないのか?」

 左人差し指にめ直した黒い指輪を指すと、片岡は顎を擦った。

「愚問だね。刑事ら諸君しょくんもこの発達した電子社会で、なぜいまだ手書きでメモを取るのだろうか?」

 思わず口を閉ざすと、片岡は口の端を持ち上げた。

「恐らく、警察の重要機密文書などは、手書きのはずだ。電子で全て保管すると管理も便利で、コンパクトだ。が、喪失する時は一瞬。全てが跡形あとかたも残らない。反対に手書きのものは、ほんのわずかにでも残ることがある。日本の歴史的書物がそれを証明しているだろう。私の場合は、君たちほど重要な物を持っていない。だが万が一の可能性を考えて、最低限の電子化に留めている。ハッカー同士の攻防戦で、操作端末のシステムを破壊されたり、相手に奪われる可能性もあるからね。この指輪型端末も、いわゆる作業用だ。まあ、そんなヘマはしないが」

 指輪型端末を指先でなでる片岡の指から、事務的な動きが見える。端末に愛着があるわけではないらしい。

「へぇ、ハッカーって言うからには、端末に依存してると思ってた」

 そう漏らすと、片岡は片眉を上げて蕗二を見る。呆れたような視線だ。蕗二が眉を寄せると、ずれてもいない眼鏡を指で押し上げる。

「そもそも警部補殿は、ハッカーについて多大ただいなる偏見と致命的な勘違いをしているが、そこはあえて触らないで置こう。君の思考を強制するには、少々骨が折れそうだ」

「さらっと馬鹿にしやがったな」

「馬鹿にはしていないよ、事実を言ったまでだ。それより君たち。今回の事件、早急な解決をしなければならないのだろう?」

 蕗二ははっと腕時計を見る。長針が、約束の時間に迫ろうとしていた。








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