File:3 暴獄




「ちなみに、その脅迫状には、なんて書いてあったんですか?」

 竹輔が首を傾げると、尾花はスラックスのポケットから液晶端末を取り出し、指先で画面を叩いたり滑らせたりと操作を繰り返す。

「これが誘拐された、葉山はやま優斗ゆうとくんの家のポストに入っていたらしい」

 差し出された端末を竹輔が受け取る。その後ろから蕗二が覗きこんだ。

 画面に表示された画像はシンプルなものだった。真っ白な紙が一枚写っている。折り目がついていて、恐らく三つ折にされていたのだろう。その真ん中に新聞か雑誌から切り抜いたのか、文字の大きさや種類が一つずつ違う文字。

【罪は暴かれなければならない】。その一文のみだった。

「え、これだけ?」

 二人の視線に、尾花は居心地悪そうに足を揺すった。

「同じ顔して、こっちを見るな。本当にそれだけだ。封筒にも入れずに、ただポストに突っ込んであったらしい。いわゆる怪文書かいぶんしょって奴だが、それっぽく加工できるアプリか画像ソフトを使ってるだけで、紙に直接印字されている。鑑識や科捜研にも回したが、指紋しもんも何もなし。紙もどこにでも売ってる安い再生紙だ。唯一、印刷機が年代ものって事だけがわかってる。今、その印刷機用のインクを買った客の履歴を洗ってるところだ」

「わざわざ怪文書っぽくするって、まるで誘拐事件のテンプレですね」

 こぶしを口に当てて考え込む竹輔の隣、蕗二は直球に疑問をぶつけた。

「被害者のご両親に、何か心当たりはありましたか?」

「いや、ママ友パパ友、子供のいじめ関連……すべて思い当たらないそうだ。保育園の先生に尋ねたが、真っ白だ。帳場もそれを探してる真っ最中だな」

 蕗二は眉を寄せてうなる。誘拐と言うのは、現実でも起こる。だが、金銭目的はほとんどなく、ドラマだけの世界だ。現実で起きた場合、目的の多くは報復ほうこく、または性的暴行を加えるためや過剰な恋愛感情ゆえの束縛も考えられる。この脅迫状からは怨恨えんこんたぐい、報復が目的のように見て取れる。だが、被害者には心当たりがない。なら、一方的な勘違いと言う奴なのか。だが、罪は暴かれなければならないという抽象的な表現。

 犯人は何を言いたいんだ?

 痛み始めた眉間をんでいると、目の端を見覚えのあるものがかすめた。あの黒い蝶だ。

 蝶が向かったのは廃屋はいおくの玄関。そこから灰色の遺体袋が持ち出されようとしていた。

 両手を合わせ、二呼吸。閉じたまぶたを開け、顔を上げる。遺体の去った後の現場は、慌しく撤収作業に入ろうとしていた。

「竹、何か思いついたか?」

 蕗二の声に、はっと顔を上げた竹輔は、躊躇ためらいからか口を一文字に結ぶ。蕗二が視線でうながすと、そっと口を開いた。

「僕の勝手な想像ですが、この脅迫状、誘拐された優斗ゆうとのことではなくて、もう一人の女の子のことを言っているんじゃないのかなと」

 端末を尾花に返しながら、竹輔は言葉を続ける。

「少女が誘拐された時には無かった脅迫状が、優斗くんの時にはあった。少女は何か理由があって誘拐されたけれど、犯人の思った方向に事が進まなかった。だから、優斗くんをさらって、ヒントを残したんじゃないかと。そこまで考えましたが、あまりにも飛んだ考えかもしれません」

 尾花と萩原は、竹輔の憶測おくそくに困った表情を見せる。だが、蕗二はそうだなとうなづいた。

 それをとがめる尾花の低い声が投げつけられる。

「憶測に振り回されると、捜査が混乱するぞ」

「いえ、罪を犯すような人間は、普通よりぶっ飛んだことを考えます。それこそ、俺たちにはまったく考えつかない理由があるかもしれません。可能性を潰して真実にたどり着くのが、俺たちの仕事です」

 常識や知性を持っているのなら、そもそも罪を犯すことはない。犯罪者になった地点で、こちらの常識と言う型にまらない。嵌めてしまえば可能性を自ら見逃してしまうことになる。どれだけぶっ飛んだ発想でも、【絶対にない】と言い切れるまでは、可能性の一つだ。もしこの女児死体遺棄事件と男児行方不明事件が同じ犯人となれば、竹輔の言うとおり、犯人の何かしらの要求が通らない限り、犠牲者が増えるということだ。

 尾花は厳しい表情で蕗二を見詰める。だが、蕗二は視線をらさず、ただ真っ直ぐに尾花の視線を受けていた。やがて観念したように、尾花が肩をすくめる。

「わかった。女の子については、君たちにまかせる。おれ達はもう一度、葉山優斗くんと犯人の接点を探す。これでいいな?」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあ、写真もってけ。昼前の十一時に中野署で答え合わせだ」

 尾花と竹輔が端末を突き合わせ、捜査資料や脅迫状の画像をやりとりする。それが終わるや否や、尾花は萩原のケツを叩いて急かしながら現場を出て行った。

 竹輔の端末を覗くと、西川にしかわ綾香あやかという名前と住所が表示されていた。

「意外と近いな」

「歩くには遠いですね、タクシー拾いましょうか」






 AM 7:58. 中野区。


 タクシーに乗って十五分ほどだろうか。蕗二と竹輔は、尾花からの住所を頼りにマンションへとたどり着く。マンションと言っても、三階建てだ。上にではなく横に伸ばしたような、なんだが不思議な形状だ。周りを見れば、威圧感のない開けた空がまぶしい。この場所自体がどうやら高い建物を受けつけていないらしい。

 分厚い木目のドアを押し開けると、白い大理石の広い玄関が見える。だが三歩進んだところで、目の前をくもりないガラス張りのドアがさえぎった。二枚のガラスが隙間なくぴったりと閉じている。指先で叩くと、ガラスにしては分厚さを感じる音がした。強化フィルムが張られているのだろう、簡単に破ることはできなさそうだ。木目のドアとガラスのドアの間、壁に埋め込まれたタッチパネルに竹輔が触れた。画面にようこそと文字が浮かび、続いてマンションの外装写真が浮かんで、1から9の番号が出現した。画面の一番下、ひかえめに管理人呼び出しと書かれたボタンに触れる。すぐに反応があった。竹輔が事情を話すと、ガラスのドアが滑らかにスライドした。

 エントランスに足を踏み入れた直後、男性の大声が響いてきた。

 何だと顔を向けた先、曲がり角から階段を駆け下りてくる音が聞こえ、転がる勢いで女性が駆けてくる。その後ろ、恐らく大声を出していた男が追いかける。

 その男の耳に、青い光を見つけた。≪ブルーマーク≫だ。蕗二が踏み込むより先に、竹輔は二人の進路を阻んだ。

「失礼します、警視庁の者ですが」

「警察?」

 女性が目を見開いたと同時に、男性は竹輔に掴みかかった。

「お巡りさん! さっき警察を名乗る人から、綾香あやかの遺体が見つかったって『いたずら電話』が入ったんです! 嘘ですよね? 綾香は生きてるんですよね!」

「おおお落ち着いてください!」

 揺さぶられながら、竹輔は必死に男性をなだめる。その後ろで蕗二は混乱していた。

 『犯罪防止策』によって、日本国民の個人情報は政府に全て把握されている。事件が起きた場合、個人情報は捜査に必要な部分のみ、警察は自由に見ることができる。

 つまり、昔のようにあれこれ病院だったり市役所だったりを聞き回らず本人確認ができ、早急に身元を特定できる。そして恐らく、ついさっき女の子のご遺体の身元が判明したのだろう。

 通常なら、まず事件担当の刑事に伝え、遺族に余計な混乱を与えないため、用件は伝えず親族を呼び出すか迎えに行くなりして、身元確認をしてもらうことになる。だが、この『地獄の七日間』という警察が最も混乱した時期。慌てた担当者が直接ご両親に娘の死を通達してしまったのだろう。ヒューマンエラーもいいところだ。今すぐ文句を言いたいところだが、起きたことは仕方ない。

 あせるな。と蕗二は眉間をつまみ、深く息を吸い込んで腹に力を入れた。

「お二人は、西川綾香さんのご両親で間違いありませんね?」

 蕗二の低い声に、竹輔に詰め寄っていた男が顔を上げた。

「え、あ、はい」

「急ぐ気持ちは重々承知です。ですが、その様子ですと、焦りから転ばれたり事故に巻き込まれるかもしれません。だからこそ我々に、迎えの車を呼ばせていただけませんか?」

 なるべくゆっくりと言葉をつむぐ。そのおかげか、男性・西川綾香の父親は我を取り戻したのか、強く掴んでいた竹輔の肩から手を離した。蕗二は竹輔にパトカーを呼ぶよう耳打ち、戸惑うように父親と蕗二に視線を往復させる女性・西川綾香の母親を預ける。足早に遠ざかる足音を聞きながら、蕗二は呆然と立ち尽くす父親に向き直った。

「大変辛いのは承知ですが、迎えが来るまでの間だけ、綾香ちゃんについてお聞かせください。行方不明になったとお聞きしていますが、どういった状況でしたか」

 動揺からか、どこか遠くに視線を向けたままの父親は、かろうじて蕗二の声に反応した。

「えっ、あ、えっと……妻によると、綾香は夜中にいなくなったそうです」

 父親の言葉に、蕗二は眉間の皺を深くする。

「それは、奥さんが綾香ちゃんを連れて、夜中コンビニに行ったとかではなく?」

「ぼくはその日、名古屋に出張で荷物を運んでて。妻からメールで、綾香がいなくなったって……妻は、いなくなる前の夜、綾香が寝たのを確認したそうで。なのに、朝起きたらいなくなっていたと。でも、綾香はまだ四歳で、夜中に一人でトイレも行けない子で、それこそ一人で外へ出ていける子じゃないんです。だから、なんで、綾香がそんな……」

 父親がふらついた。反射的にわきへ差し込んだ腕に、父親の体重がかかる。顔から血の気が引いて真っ白だ。貧血ひんけつを起こしているらしい、気を失うのも時間の問題かもしれない。 

 蕗二は父親を座らせながら、玄関の外に視線を向ける。赤色灯せきしょくとうの光はまだ見えない。

 ふと、鼻の奥に木をいぶしたような、花にも似た匂いを感じた。線香の匂いだ。瞼裏に、白く無機質な部屋を思い出す。何度も何度も、遺体を確認する親族の姿を見てきた。その中で今回のように、まともに原型が残っていない遺体は、一番最悪なケースだ。身元確認のために呼び出した家族の目の前、ビニール袋に包んだ遺留品を差し出すことしかできないのだ。「これは家族じゃない、嘘をつくな」と逆上してつかみかかられたこともある。だが、面会なんて到底できる状態ではない。だが心の整理がつかないからだろう。どうしても会いたいという遺族もいる。遺族の意思は無視できない。念を押し、虫に食べられ残りかすとなった腐った肉片と骨を見せると、遺族の大半はその場で吐いたり、あまりの悲惨せいさんさに気を失った。見るんじゃなかったと後悔されることもある。

 どちらを選んでも、最悪に後味が悪い。

 この父親は、変わり果てた愛娘まなむすめの姿を見て、堪えることができるのだろうか。

「蕗二さん」

 線香の匂いが途切れた。いつの間にか伏せていた顔を上げる。竹輔がすぐかたわらに立っていた。その背の向こうで赤い光がチラついている。

 蕗二は竹輔とともに父親を立たせ、外へと連れ出す。

 後部座席のドアを開けて待っていた警邏隊けいらたいの青年に敬礼し、先に乗り込んでいた母親の隣に父親を座らせ、ドアを閉める。

「向こうに着いたら、西川綾香ちゃんのご両親だと伝えてくれ」

 一緒に乗らないのかと視線で尋ねる青年にそれだけを伝え、早く出発するように促した。遠ざかる赤い光を見届けていると、スラックスのポケットが忙しなく震えた。

 取り出した端末に表示されている名前は、なんとあずまだ。大げさなくらいに顔をしかめてしまう。鳴りやむ様子のない端末に、心配げな竹輔に画面を見せると顔を引きつらせた。意を決し、通話ボタンをスライドする。端末を耳に押し当てる前から、よく通る声が鼓膜を強く叩いた。

『三輪警部補、ご遺体の身元が判明した』

「西川綾香ですか」

『話が早くて助かる。西川綾香でほぼ断定した。歯の治療痕とご遺体の歯、捜索届けの服装が一致している。念のため、これからご両親に確認を』

「東さん、今そちらに西川ご夫妻が向かっていますので、面会準備をお願いします」

『はあ? 西川って、ちょっと待てまさか』

 蕗二は返事の代わりに電話を切った。ベテランの東のことだ、恐らく今ので十分通じたはずだ。気の毒だが、せっかちな担当者は胸ぐらを掴まれて怒鳴られるだろう。その怒りの飛び火がこちらに来ないとは限らない。あとで東にわずに済んだらいいのだが。

 蕗二は寄せすぎて痛む眉間をまんで、マンションを見上げた。

「とりあえず、このマンション、鑑識に見てもらうぞ」

「まず屋上ですね」

「ああ。それから、このマンションの住人に聞き込みだ。そのあと呼ぶぞ、≪あいつら≫」

 竹輔が顔を明るくした途端、気まずげに眉を困らせた。

「皆さん、この時期は荒れますよね、たぶん……」

「あー……あんまり考えたくないな」

 あの≪三人≫は、一般人よりも扱いが難しい。特に事件解決の切り札の少年は、いまだ考えていることがわからない。

 蕗二は今日一番の溜息をついて、液晶端末に指を滑らせた。



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