File:8 サイレンの最中



 竹輔の声に「だと思ったよ」と呟き、シフトレバーをドライブに入れ、ブレーキからアクセルに踏み変え、車を急発進させる。

 速度を検知した赤色灯せきしょくとうが、天井で赤い光を点滅させながらサイレンを鳴らし始めた。隠れていた路地ろじから飛び出し、慌てふためく刑事たちの前を通り過ぎると、蕗二の眼は前方、方向指示器を出さずに角を曲がるテールランプを捉えた。すぐさま後を追い、芥子菜のステーションワゴンの後ろに張りつく。

 蕗二に気がついたのか、何度も曲がって、車がギリギリ通れる場所や一方通行の細い道に入り撒こうとしているが、それくらいで見失うようなヘマはしない。それに保険もつけている。万が一のため、蕗二の乗るセダンには片岡の人工知能A.R.R.O.W.が侵入している。シューティングゲームのように、フロントガラスに照準を合わせるマークが芥子菜のステーションワゴンを捕らえて離さない。ハンドルを切りながら、フロントガラスの端に映し出された地図を一瞥いちべつする。

 今いる江東こうとう区は、荒川あらかわ隅田川すみだがわはさまれた地形だ。さらに疾走しっそう中のここ、平野ひらの地区は四方を川に囲まれた場所だ。遠くに逃げるには必ず橋を渡らなければならない。

 蕗二は捜査本部に乗り込み、芥子菜からしな宅の家宅捜査に協力してもらうと同時に、菊田から指揮官を説得してもらい、地区全ての橋にパトカーを置き、地区内にも走りのプロである機動捜査隊のパトカーを配備している。

 絶対に逃げられない、完全包囲網の中だ。

「竹、予定通り頼む」

『了解、これより無線130で連絡します』

「了解」

 竹輔との通信が切れると、蕗二は声を張り上げた。

「22より本部。逃走者を追跡マルツイ中。現在、清洲橋きよすばし通り北、裏筋を白河しらかわ方向に西進。これより作戦開始どうぞ」

『本部了解、応援に警視51路地進行したどうぞ』

「了解」

 芥子菜のステーションワゴンは、一旦停止を何度も無視し細い道を駆け回るところから、パトカーからの挟み撃ちを警戒しているようだ。似たような場所を回り大通りには出ようとしない。が、それは予想の範囲内だ。

 応援のパトカーとの協力で、前から後ろから進路をふさぎ、ついに二車線にしゃせんの広い道路へと追い出した。そこに、竹輔の乗る白いセダンが追いついた。

『130より本部、22の後ろ追従ついじゅうどうぞ』

『本部了解』

「来たな、作戦マルA仕掛けるぞ」

『いつでも!』

 その声を合図に蕗二はアクセルを踏み込んだ。一気に反対車線へ飛び出し芥子菜の右へ、竹輔が左へと並走する。左右から車体を挟もうと車体を寄せたその時、芥子菜は急ブレーキで速度を落とし、竹輔の後ろから回って左へと逃げ、また路地へと入る。蕗二がすぐにその後を追う。

 芥子菜の行方には先回りしていた機動捜査隊2班の紺色のセダンが、進路を塞いでいた。が、その手前にあったさらに細い道へと進入し、ゴミを蹴散らし強引に進む。まったく止まる気配がない。

『この道は特定時間車両通行止め区域です』

 A.R.R.O.W.の澄んだ女性の声とともに、フロントガラスの端、『Danger』と赤く表示された。思わず舌打つ。夕方という時間帯だ、早急に決着をつけないと一般人がいつ巻き込まれてもおかしくない。

清洲橋きよすばし通り縦断じゅうだん平野ひらの方向、特車止とくしゃどめ区域通過、寺院じいん方面へ南進どうぞ」

『こちら機捜きそう1、作戦マルC準備完了』

「22了解」

 蕗二は芥子菜の後ろに張り付き、あおって速度を出させる。そして細道を抜ける直前にブレーキを踏んだ。芥子菜はノーブレーキで幅のある道路に飛び出す。その瞬間、出口脇に隠れていた機動捜査隊員が赤白ボーダー柄の三角柱の棒、車両強制停止機材ストップスティックを道路にわせるように滑らせた。突然投げ込まれた棒を、急ハンドルで避けた芥子菜だったが、間に合わず後輪が棒を踏みつける。棒から筒状のとげが飛び出し、タイヤに食い込む。ステーションワゴンが段差を踏んだように、がくんと傾いた。

『機捜1より、逃走車、左後輪パンク確認!』

「よしやった」

 だが喜びも束の間、タイヤがパンクしているにも関わらず、芥子菜は無理やり走り続ける。飛び交う無線を聞きながら、蕗二は鋭く舌打った。

「くそ、止まらねぇな」

『機捜3より22、前出ます』

 無線からの声に蕗二はすぐさまブレーキを踏む。直後、脇道からパトカーが芥子菜の前をふさぐように飛び出した。が、芥子菜は紙一重で右にそれる。蕗二はブレーキにかけた足を即座にアクセルへ踏み変え、パトカーのギリギリ前を通り抜け芥子菜の後を追う。

 何だ、この違和感は。

 直感が疑問を投げかけてくる。無線から声が飛び込んできた。

『被せます!』

「あかん、待て!」

 蕗二の制止の声よりも早くもう一台が脇から飛び出すが、予想していたようになんなく避けられた。

 やっぱりおかしい。動きが読まれてる。

 芥子菜の逃げ回り方は、この一帯の土地勘がある動きだ。だが同じく土地勘を持ち、強襲に特化した機動捜査隊が相手なら、こちらが有利なはずだ。なのに、攻撃を二度も避けた。

 運転が上手いだとか、勘がいいだけでは説明がつかない。

『これより先、一方通行逆走ぎゃくそうになります』

 A.R.R.O.W.の声に、はっと思考が結びつく。

 まさか、無線が筒抜けてるのか!

 蕗二は歯を食いしばる。そうだ、相手は片岡と同じハッカーだ。他人の車を遠隔で奪うことができるような奴が、暗号化された警察無線を解読し盗聴できないわけがない。なら、始めの逃走劇は茶番か。ふざけやがって。怒りにはらわたが煮えくり返り、血が沸騰ふっとうしそうだ。

 だが、頭の奥だけは恐ろしいくらい冷静を保ち、瞬時に判断する。

「至急至急、22から各位。作戦マルFを決行せよ。繰り返す、作戦Fを決行せよ!」

 無線から非難の声が上がる。

『そんな無茶ですよ!』

「やれ! ここにける」

『っ、130了解』

 竹輔の車が速度を落とし、脇道に飛び込むのをバックミラーの端で捕らえる。蕗二はアクセルを踏み込み、芥子菜のステーションワゴンの後ろギリギリに迫り、ライトを上げ、クラクションを激しく鳴らし威嚇いかくする。蕗二を引き離そうと、他の路地へ入ろうとするが、先回りしたパトカーや車両強制停止機材が行く手をはばんでいた。

 芥子菜はさらにアクセルを踏み込み、路地から一車線道路に飛び出す。左へハンドルを切ろうとしたが、猛スピードで回りこんだ竹輔が後輪を滑らせ、車体を横に向けて道をふさいだ。左を塞がれた芥子菜は急ハンドルを切り右へ、平野ひらの交差点へと疾走しっそうする。

 交差点は赤だ。だが停車する車の列を押しのけ、強引に交差点へと進入。そのまま正面を突き切ろうとアクセルを踏み込む芥子菜だったが、そこへ何台ものパトカーの赤ランプが道を占拠せんりょうし近づいてくる。さらに左からもパトカーが三台突っ込んでくる。とどめに蕗二が追突する勢いで追い立てる。サイレンとクラクションが鳴り響く中、強引に平野交差点を右折した芥子菜は、三好みよし交差点へと続く、長い一本道へと突き進む。そこで蕗二の意図に気がついたのか、車体を左右に振って蕗二の行く手を阻む。が、芥子菜の目の前、対向車のトラックがけたたましいクラクションとともに突っ込んでくる。紙一重、芥子菜が避けた瞬間、蕗二は一気にアクセルを踏み込んだ。横すれすれを一気に追い越す。そして左に急ハンドルを切り、芥子菜の前へと車体をじ込んだ。

 芥子菜の車が悲鳴のようなブレーキ音とともに飛び込んでくる。車がぶつかる轟音ごうおんと窓ガラスが砕け散る音、助手席が大きくへこむほどの衝撃に押され、体が前に押し出された。胸に食い込むシートベルとしがみ付いたハンドルから飛び出したエアバックが蕗二を包んで受け止める。衝撃に揺れる頭でシートベルトの解除ボタンを押し、エアバックを掻き分けドアの外に転がり出た目の前、蕗二のセダンのボンネットを芥子菜からしなが飛び越えた。

 遠ざかるその背を、獲物を追う本能のように足がひとりでに追いかける。アスファルトを蹴れば蹴るほど耳の横を駆け抜ける風のうなりが強くなり、背中で背広がはためいた。離された距離はまたたく間に縮まり、強くアスファルトを踏みしめた反動で体当たる。勢いそのまま、殺せなかった反動で芥子菜ともみくちゃになり、体中アスファルトにぶつけながら派手に転がった。腕をアスファルトに叩きつけ、回る視界を無理やり止める。

 目の前、痛みにうめき立ち上がれない芥子菜の背に覆い被さって動きを封じた。耳から外れかかった通信機に向かって、声を張り上げる。

「確保、確保した!」

 無線の向こう、歓声が聞こえる。それに安堵あんどの溜息をついた途端、体中がきしみを上げた。

 さきほど衝突しょうとつした衝撃しょうげきからか、脇腹がちくちく小針こばりで刺されたように痛む。思わずうめくと乾いた笑い声が上がる。視線を下げると、芥子菜からしなが首だけをひねり、こちらを見ていた。

「まさか、日本の警察がこんな無茶するなんてね」

 どこか興奮したように笑みを浮かべている。その顔があまりに不快で、拳を握り固めるが、理性がギリギリ引き止める。代わりに噛み付くように言葉を吐いた。

「理由は何だ」

「理由? 何の?」

「お前が人を殺す理由だ」

 低い蕗二の声に、芥子菜からしなは瞬くと首を傾げた。

「無いね。本当にただ人を殺したかったんだ。でも、理由がないし、誰を殺せばいいか分からなかった。だから殺して欲しい人がいないか募集したら、これがまた、いるんだよね馬鹿がさ」

 腹の下で、堪えられた笑い声とともに芥子菜の背が小刻みに波打つ。

「ごっこ遊びだとでも言う気か?」

「そうだよ。でもこれが面白いんだ。どうやって殺すのか、そいつらの気持ち悪い妄想もうそうを詳しく聞けば聞くほど、そいつの気持ちになれるんだ。ああ、そうだ。刑事役も面白そうだ。さっきのすごい興奮し、痛ッ」

 腕をひねり上げ芥子菜の言葉を遮った蕗二は、後ろ手に手錠を取り出した。

「からっぽのお前には、絶対なれねぇよ」

 鳴り響くサイレンの中、手錠を巻きつめる硬い音が蕗二の耳に届いた。




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