File:7 捕らえた魔の瞬間



 車の中だろうか。薄暗い後部座席に座るジーンズの足が見える。

 ベージュ色のシートには透明なビニールがかけられていた。何か一定のリズムを刻むスニーカーから、ふと運転席と助手席の間から流れる風景へと視線が移る。

 陽は落ち、わずかに余韻よいんの残る昼の空に、深く濃い藍色あいいろにじんでいる。

 その下を車は散歩のように、ゆっくりと進んでいく。

 しばらくして、道の端に女性の歩く後ろ姿が見えた。巻かれた髪が歩くたびに肩の上でふわふわと揺れている。車は女性を追い越し、数メートルして静かに止まった。

 視線が後ろへと動き、先ほど通り過ぎた女性を見つめている。

 歩きながら液晶端末を触り、こちらに向かってくる女性。

 女性が車を避けようとわずかに足並みを変えたその時、突如とつじょ現れた黒い皮手袋がドアを開け放ち、外へと飛び出していく。目の前には丁度、女性。黒い手はまるで流れるように、車内に引き込んだ。

 突然のことに驚き、後部座席に倒れたまま声も出せなかった女性は、ドアが閉まる音にやっと我に帰った。助けを求め、口が開かれた。

 だが、声は出なかった。出し損ねたのだ。

 胸に黒い拳が振り下ろされていた。それだけじゃない、黒い手が離れると胸の真ん中、丁度ちょうど心臓のある場所から黒い棒が突き出ているのだ。

 女性が呆然ぼうぜんとそれを見つめていると、黒い手がそれをつかんだ。女性が血相けっそうを変え、黒い手にしがみ付くがそれより早く突き出たものが引き抜かれる。血に濡れた銀色の刃。

 抜かれた途端、胸に開いた穴から鮮やかな赤い血が滲んで止まらない。

 ひっと喉を引きらせた女性の首を、黒い手は締め上げる。

 首から上を真っ赤にし、黒い手を引き剥がそうと美しい装飾に飾られた爪が黒い手に食い込む。だが、失われていく血と酸素に力が入らないのか、弱々しい。

 顔の色が赤から紫がかり、あえぐ口の中で白い舌が震えた。

 そして何度か身体が大きく痙攣けいれんすると、女性の瞳が光を失い、糸の切れた人形のように血溜まりに沈んだ。

 黒い手が確かめるように細い首をなぞり、やわらかな頬を撫でても女性は反応しない。

 満足げな溜息。待ちきれないとばかりに震える指先が、濡れた目尻をかすめ、つややかな髪へと潜り込む。指にからませるように掬い上げたその先は画面の外へ。

 深く肺一杯に空気を吸う音と小さな笑い声。


 そこで映像は途切れた。



『とまあ、こんな感じなのだが』

 堅く無機質な片岡の声が、映像を流していた液晶タブレット端末から聞こえた。

『つまりこのサイトの掲示板は、ストーカーの溜まり場のようだね。元は好みの女性について語り合う場所だったようだが、管理人がひっそりと代理殺人の運営をしている。金銭の半分を支払い、被害者を殺害後、依頼完遂いらいかんすいの証拠として、犯行動画をアップし、残り半分を支払うシステムだ。サイトの中を隅々まで調べたが、犯行はこの一連の殺人が初めてのようだ』

「なんて悪趣味な……」

 竹輔が怒りに顔を赤らめている隣、今にも吐きそうな青い顔で芳乃ほうのうめいている。

 そんな二人の間から映像を見ていた蕗二は、いやに自分が冷静な事に気がついた。

「このサイト運営者は?」

芥子菜からしなハルト。下取り自動車を修理し、中古車へおろし販売する業者の従業員だ。ちなみに≪ブルーマーク≫だよ』

「なるほど、ナンバープレートは登録抹消分を使えば認識されないわけか」

 蕗二は画面から目を離さないまま、上司の名を呼ぶ。壁際に腕を組んでいた菊田が身じろいだ。

帳場ちょうばは、どこまで動いていますか」

「まだ車種特定と地取りで手詰まりしている」

「ウチの情報を、帳場の捜査本部長に伝えたらどうなりますか」

「そりゃあ、決まっているだろう」

 菊田の返答に蕗二が小さく息を漏らすと、竹輔と芳乃が振り返る。蕗二の浮かべている表情に芳乃は不快げに目を細めた。

 笑っている、ほんの微かに口の端を持ち上げて。それは蕗二には不釣合ふつりあいで、だからこそ腹底にひそむ猛獣の凶悪さを物語っていた。

「俺らを完全に怒らせたこと、後悔させてやる」

 猛獣が、うなり声と共に低く笑った。その笑みに、竹輔もつられるように猟犬の眼差しで笑う。普段穏やかな竹輔も、立派な狩猟犬なのだと改めて思い出させられる。

「そこは『泣こうがチビろうが容赦せーへん、死んだ方がマシやって後悔させたる』じゃないんですね?」

「懐かしいな、コンビ初の時か」

「ええ。あの時、僕はあなたの隣で真面目に漏らすかと思いました」

「んなこと思ってたんか」

「あはは、今だからこそカミングアウトですよ」

「あほ、そういうのは引退前とかに言うんだよ」

「それもそうですね」

「片岡、今のこいつの居場所は?」

愚問ぐもんだね。現在地も行動予測も全て把握済みだ』

「……行くぞ」

「はい」







 PM 18:28. 江東こうとう区。


 日が長くなり始めたおかげで、辺りはまだ明るさを保っている。

 少しにぎわいを残した住宅街の中、ある家の前で白い軽自動車が速度を緩めた。車は車庫に頭から入り停車する。ランプが消え、男が一人車から降りてきた。つなぎの作業服姿の無気力げな男だ。左手で骸骨がいこつの全身骨格がぶら下がった黒い液晶型携帯をいじり、右手で無造作に取り出した鍵で玄関のドアを開け、滑り込むように家へと入っていく。そのドアが閉まった途端、影から十人の男たちが一斉に湧いて出てきた。

 言葉を交わすことなく、六人が家を囲むように散らばり、玄関に四人が残った。

 一番先頭にいた眼鏡の男が、隣に立つ恰幅かっぷくの良い男を見る。視線を受けた男は耳元の通信機を指先で二回叩くと強く頷いた。それを合図に眼鏡の男がインターフォンを鳴らす。反応はない。もう一度鳴らすと、女性の声が返事をした。

芥子菜からしなさん、すみません。警視庁のものですが」

『え、警察?』

 インターフォンが切られる。眼鏡の男の左後ろ、ジャンパーの男がドアをこじ開けるべく近づくと、慌しくドアが開けられた。小太りの女性がドアのすぐそばに立つ男を見て、血の気を引かせた。

「あの、どうされたんですか……?」

「息子さん、帰宅されていますよね」

 眼鏡の刑事の右後ろ、ポロシャツの刑事が鞄から白い紙を取り出した。眼鏡の刑事はそれを受け取ると、女性・芥子菜の母親に見えるように掲げた。

「墨田区で発生した事件の件で、息子さんに逮捕状と家宅捜査令状が出ました」

「え? そんなまさか」

 母親が口元を押さえ、崩れ落ちかける。その時だ。母親の背後から息子・芥子菜ハルトが現れた。刑事たちは確保すべく動き出した瞬間、芥子菜ハルトは口の端を吊り上げた。

「班長!」

 裏から大声が上がる。眼鏡の刑事が顔を向けた先、黒いかたまりが飛び出してきた。黒いステーションワゴンだ。しかも運転席には誰も乗っていない。だが自ら意思を持ったように、車は玄関前に立つ刑事たちへと突っ込んできた。それとほぼ同時に芥子菜ハルトは母親を突き飛ばす。ジャンパーの刑事を巻き込み倒れる母親には目もくれず、刑事たちを蹴散らし、止まったステーションワゴンへ飛び乗ると、刑事たちが飛びかかるよりも速くタイヤを高速回転させ猛スピードで走り出した。

「なんだ、なんで車が!」

「裏の路駐車が突然動いて!」

「遠隔操作でぱくりやがったのか! くそ追え、追え!」

 怒号が飛び交う中、恰幅な男・竹輔は耳元を押さえ、声を張り上げる。

「蕗二さん!」

『だと思ったよ』

 低い声とともにサイレンの音が鳴り響き、刑事たちの目の前を銀色のセダンが猛スピードで横切った。


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