File:4 眩しさの足元



 昼を過ぎたせいか、気温が上がっている。風が吹くとすずしいが、日差しに当たるとじりじりと肌が焼けていくのが分かるほどだ。

 蕗二は鼻の湿布しっぷがし、指先でれを確認する。

 骨と言うか、奥の方に痛みはあるが、痛みを治まりつつある。助手席の竹輔に顔を向け、鼻を指差す。

「どうだ竹、鼻れてるか?」

「いいえ、赤いだけです」

 竹輔が横に首を振るのに、安堵あんどの溜息をつきながら建物の正面玄関を見つめる。

 高級で洒落しゃれた洋服専門店のようにガラス張りのエントランスの向こうには、広々としたラウンジがあり、奥にロビーが見える。ホテルといわれて案内されても、疑問を持たないかもしれない。そのロビーの壁に、真っ白なユリの花をあしらった英文が見えた。

 芳乃(ほうの)はここへフィールドワークに行っているらしい。

Jibrilジブリール】。

 世界最大手の医療機器メーカーだ。医療機器だけでなく、製薬や健康関係にまで幅広く展開していて、海外企業だが日本でも知らないほうが珍しい。

 建物をたどるように視線を上げ、白く高いビルを見上げた。

 高層ビル群の中、一際目立つ白さに圧迫感や無機質さはなく、太陽の光を柔らかに抱き、神々しくも見えるから不思議だ。

 まぶしさに目を細めていると、わき小突こづかれる。視線をエントランスに向けなおすと、ガラス戸をくぐり抜けた人影に眼が止まる。見慣れた学ランではなく、青いラインが袖に入った白いシャツを着ている。ああ、もう夏が近いんだなと思い出す。

「よお、意外と早かったな」

「よおじゃありませんよ、まったく」

 足音を踏み鳴らし、こちらを見上げる少年・芳乃ほうのれんはいつも以上に不機嫌だった。

 不機嫌なのは、まあいつものことだ。しばらくしたら収まるだろう。

「なあ。フィールドワークって、研究テーマ調べて発表するやつか?」

「聞かなくても分かりませんか?」

 話題を振ってみるが、ますます機嫌は悪くなるばかりで、横目ににらまれあやうく舌打ちしかけたが、間に割り入って来た竹輔にさえぎられる。

「テーマはなんだったんですか?」

「ぼくの班は、日本の医療についてがテーマだったので、海外の現状を取材してました」

「高校生にしては難しい課題ですね」

「工場見学のほうが面白いのにな、話聞くばっかじゃだるいだろ」

「あなたと同じなのは、ものすごく不服ですが、まあそうですね」

「……んだよ、いつまで怒ってんだ?」

 蕗二が眉を寄せると、芳乃はさらに機嫌を損ねたらしい。ズボンのポケットに手を突っ込んで、そっぽを向いた。可愛げがない。竹輔が軽く顔を覗きこみ、手に持っていた携帯端末を指差した。

「僕ら、あそこで待つように片岡さんから指示されてたんです」

 竹輔の言葉に、芳乃は横を向いたまま小さく呟いた。

「片岡さんに携帯をハッキングされて、十分以内に外へ出ないと、爆音でアラーム鳴らすっておどされました」

「わあ、それはやりすぎ……」

 竹輔が顔を引きつらせると、芳乃は盛大に溜息をついた。

「もういいですよ。それで、事件は何ですか?」

「ええっと、今回は……」

 歩き出した二人の、後について行く。

 竹輔の説明を聞きながら考えているのか興味がないのか、前を向いたままの芳乃の旋毛つむじを見下ろす。黒い髪の間からチカリと、こちらを見る青い光。その冷たい光に目を細める。

 犯罪者予備軍・通称≪ブルーマーク≫。

 朝にった≪ブルーマーク≫の男を思い出す。噛み付いてくるあたりは、芳乃に似ている気がする。警察と言う立場から、≪ブルーマーク≫であるがゆえの怒りや劣等感から攻撃的な態度を取られることはいくらでもある。

 だが、芳乃は何かが違う。もっと、根本と言うのか。

 ふと氷の眼を思い出す。平坦へいたんな声、冷たくこちらをつらぬく視線に背筋が凍る。

『あなたには、覚悟がない』

 目の前の小さな背と、氷の眼を持つ影が重ならず、確かめるように芳乃の頭を触る。

「なんですか」

 不機嫌そうな声とともに、下から睨みつけられる。黒い眼は不快だと感情を剥き出しにしている。なんだかそれに安心している自分がいて、誤魔化すように言い訳を口にする。

「いや、丁度いいところに頭あるなぁって?」

 感触を確かめるように指を動かす。意外と普通だ。もう少し柔らかいと思った。なんて感想を言う間もなく、手を叩き落とされる。

「意味が分かりません。あと、暑いんでやめてもらっていいですか」

「ふーん、そんなこと言われると逆にやりたくなるよな」

「ちょっ! やめてください、触らないでください!」

「竹、ワックス持ってねぇか? サイヤ人みたいにしてやる、って! 痛っ、いててて! 蹴るなって、蹴るなアホ!」

「もう、遊んでる場合じゃないですよ二人とも。ほら、通行のさまたげになりますから」

 竹輔はのんきに声を張り上げ、蕗二と芳乃の背を押してずんずん進む。

 信号を渡り、駐車場へと足を進める。奥に止めてあった白いセダンの運転席に乗り込み、自動車のエンジンボタンを押し込む。メーターディスプレイがカラフルに点灯し、システムが展開していく。すると、見計らったようにナビの真っ黒な液晶画面にCALLINGの文字が浮かんだ。画面下の応答ボタンに触れると、機嫌のいい男の声が響く。

『やあ、諸君しょくん。おはよう』

「ん? 片岡、風邪引いたか?」

 いつもの片岡なのだが、ほんの少しだけ声がかたい気がする。首を傾ける蕗二に、片岡がはははと声に出して笑った。

『さすが警部補、耳が良い。そちらに行きたいのは山々なんだが会社の案件が大詰めでね、あいにく席を外せない。代わりに文字入力してA.R.R.O.W.アローに音声変換してしゃべってもらっている。音声にさほど違和感はないはずだが、まだまだ改良の余地はありそうだね』

 AIエーアイとは思えない軽快な声で楽しげに笑う。いやいや、タイピング早すぎるだろ。と突っ込みたい欲を、指でハンドルを叩くことで押さえる。

「で、何か見つけたか」

『うむ、そうだね。はっきり言ってこの犯人、相当優秀だ』

「何がだよ」

 もったいぶる片岡を急かすと、どこか楽しげに声を弾ませる。

『犯人は≪リーダーシステム≫の弱点を突いている』

「弱点? そんなのあるのか?」

『あまり知られていないのだがね、≪ブルーマーク≫は単体ではほとんど役に立たない。≪リーダーシステム≫が発した微弱な電波に、≪ブルーマーク≫が反応を返して初めて機能する。その時の電波は微弱ゆえに人体への影響はないのだが、さえぎられると受信できない。つまり、車などに乗っていると機能しない』

「おい、それヤバくないか?」

『安心したまえ。すでに改善されている。今は車内のどこかに感知器かんちきが仕込まれているそうだよ。感知器は物理的に外すと自動車自体が壊れる仕組みだから、システムを触る以外止めることは不可能。つまり犯人はある程度ハッキングの知識があるだろう』

「それを踏まえても、該当車がいとうしゃは見当たらなかったのか?」

『そうなんだよ。旧式車両の登録台数が限られるからね。防犯カメラとNシステムをシラミ潰せば、簡単に見つけられると思ったのだが、まったく見当たらない。プレートに小細工いたずらをした車も見当たらないし、盗難プレートでもなさそうだ』

 竹輔が悔しげに歯を食いしばり、蕗二はうなり声を上げた。後部座席で大人しく座っていた芳乃が、独り言のように呟いた。

「ナンバープレートって、そんな簡単に外せるんですか?」

「ああ、外し方さえ分かってれば、外せないこともない。けど、ナンバープレートを登録して車に取り付ける時に、封印って特殊な金具を取り付ける。それを無理に外すと、その金具自体が壊れるようになってて、小細工しようとしたことが一発でバレる」

「目撃者も、走り去る車のナンバーを覚えるので精一杯で、封印が外れてるか分からないでしょうけど、警羅隊けいらたいなら見つけているでしょうし、盗難ナンバーはNシステムに登録されてて、すぐに発見できるようになっています」

「そこなんだよな、なんで逃げ切れるんだ。あり得ねぇ」

「まさか、幽霊自動車だったり……?」

「オカルトから離れろよ、あんな奴の話信じてどうする」

 蕗二は鋭く舌打ち、ナビ画面の端で点滅するROUTE STARTの文字に触れる。車が静かに警視庁へと向かい始めた。片岡がふと思い出したように口を開く。

『そうだ、犯人が逮捕されたというニュース。まだ報道されていないが、いつまで持ちそうだね?』

「報道規制か? 上の判断によるだろうけど。それがどうかしたか?」

一見様いっけんさまお断りの招待型会員制の少し怪しいサイトを見つけたんだ。が、犯人逮捕の報道があると、逃げられるかもしれないのだよ』

「逃げられるって、どういう事だ?」

『サイトを跡形もなく破壊するってことだよ。どうやら面白そうな画像がっているようなのだが、なにせまだ確認できていない』

「確認できてないって、お前なら侵入できるだろ?」

『ああ、覗くのは鼻をほじりながらでも簡単にできる。だができない』

「えーっと、片岡さんでも難しいセキュリティって事ですか?」

 竹輔がこめかみを指でくと、片岡は不服といわんばかりに声を低くする。

心外しんがいだ、気付かれずにできるよ。一般人相手ならね』

「と言うと?」

『向こうには私と≪同種≫がいるということだよ。恐らく、会員以外が不法侵入した地点でサイトを破壊するウイルスがかれるようプログラムされている。こちらがサイトを破壊されまいとウイルスの対処に追われている隙に、本体は逃げるシナリオでも立てているのだろう。それは、君たちにとって危険じゃないかね? 犯人の逃亡に、証拠でもあるデータ消滅だ。ちなみにウイルスに破壊されたデータは復元できないよ。そのリスクを天秤てんびんにかけると、正当な方法で開けさせるのが得策だと思うのだが?』

 片岡の言葉に、芳乃へと視線を向ける。

 黒い眼が蕗二の視線を受け止めた。細められた目の奥、闇が深くなる。

「犯人、めんどくさそうですね」

「その前にしゃべってくれれば、問題はないんだけどな」

「それくらいの相手なら、まず≪ぼくら≫を呼ぶ必要ないですけどね」

『そうだとも、れんくん。君からお願いするんだ。そして唱えてもらおう、Open the sesameってね』

 楽しげな片岡に、芳乃は窓枠にひじを突いて、長く息を吐いた。

「やりたくありませんけど、今更いまさら戻るほうがめんどくさいです」

 手のひらに顎を乗せ、静かに目を閉じる。見えなくなった黒い眼を、これから『る』ものの為に休ませているようにも、視たくないと拒むようにもみえた。

 何か声をけるべきか。口を開いたが、ナビゲーションから到着を知らせる電子音に、口をつぐまざるをえなくなった。

 視線を向けた先、警視庁地下駐車場への入り口が、大きく口を開けて待ち構えていた。




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