File:4 眩しさの足元
昼を過ぎたせいか、気温が上がっている。風が吹くと
蕗二は鼻の
骨と言うか、奥の方に痛みはあるが、痛みを治まりつつある。助手席の竹輔に顔を向け、鼻を指差す。
「どうだ竹、鼻
「いいえ、赤いだけです」
竹輔が横に首を振るのに、
高級で
芳乃(ほうの)はここへフィールドワークに行っているらしい。
【
世界最大手の医療機器メーカーだ。医療機器だけでなく、製薬や健康関係にまで幅広く展開していて、海外企業だが日本でも知らないほうが珍しい。
建物をたどるように視線を上げ、白く高いビルを見上げた。
高層ビル群の中、一際目立つ白さに圧迫感や無機質さはなく、太陽の光を柔らかに抱き、神々しくも見えるから不思議だ。
「よお、意外と早かったな」
「よおじゃありませんよ、まったく」
足音を踏み鳴らし、こちらを見上げる少年・
不機嫌なのは、まあいつものことだ。しばらくしたら収まるだろう。
「なあ。フィールドワークって、研究テーマ調べて発表するやつか?」
「聞かなくても分かりませんか?」
話題を振ってみるが、ますます機嫌は悪くなるばかりで、横目に
「テーマはなんだったんですか?」
「ぼくの班は、日本の医療についてがテーマだったので、海外の現状を取材してました」
「高校生にしては難しい課題ですね」
「工場見学のほうが面白いのにな、話聞くばっかじゃだるいだろ」
「あなたと同じなのは、ものすごく不服ですが、まあそうですね」
「……んだよ、いつまで怒ってんだ?」
蕗二が眉を寄せると、芳乃はさらに機嫌を損ねたらしい。ズボンのポケットに手を突っ込んで、そっぽを向いた。可愛げがない。竹輔が軽く顔を覗きこみ、手に持っていた携帯端末を指差した。
「僕ら、あそこで待つように片岡さんから指示されてたんです」
竹輔の言葉に、芳乃は横を向いたまま小さく呟いた。
「片岡さんに携帯をハッキングされて、十分以内に外へ出ないと、爆音でアラーム鳴らすって
「わあ、それはやりすぎ……」
竹輔が顔を引きつらせると、芳乃は盛大に溜息をついた。
「もういいですよ。それで、事件は何ですか?」
「ええっと、今回は……」
歩き出した二人の、後について行く。
竹輔の説明を聞きながら考えているのか興味がないのか、前を向いたままの芳乃の
犯罪者予備軍・通称≪ブルーマーク≫。
朝に
だが、芳乃は何かが違う。もっと、根本と言うのか。
ふと氷の眼を思い出す。
『あなたには、覚悟がない』
目の前の小さな背と、氷の眼を持つ影が重ならず、確かめるように芳乃の頭を触る。
「なんですか」
不機嫌そうな声とともに、下から睨みつけられる。黒い眼は不快だと感情を剥き出しにしている。なんだかそれに安心している自分がいて、誤魔化すように言い訳を口にする。
「いや、丁度いいところに頭あるなぁって?」
感触を確かめるように指を動かす。意外と普通だ。もう少し柔らかいと思った。なんて感想を言う間もなく、手を叩き落とされる。
「意味が分かりません。あと、暑いんでやめてもらっていいですか」
「ふーん、そんなこと言われると逆にやりたくなるよな」
「ちょっ! やめてください、触らないでください!」
「竹、ワックス持ってねぇか? サイヤ人みたいにしてやる、って! 痛っ、いててて! 蹴るなって、蹴るなアホ!」
「もう、遊んでる場合じゃないですよ二人とも。ほら、通行の
竹輔はのんきに声を張り上げ、蕗二と芳乃の背を押してずんずん進む。
信号を渡り、駐車場へと足を進める。奥に止めてあった白いセダンの運転席に乗り込み、自動車のエンジンボタンを押し込む。メーターディスプレイがカラフルに点灯し、システムが展開していく。すると、見計らったようにナビの真っ黒な液晶画面にCALLINGの文字が浮かんだ。画面下の応答ボタンに触れると、機嫌のいい男の声が響く。
『やあ、
「ん? 片岡、風邪引いたか?」
いつもの片岡なのだが、ほんの少しだけ声が
『さすが警部補、耳が良い。そちらに行きたいのは山々なんだが会社の案件が大詰めでね、あいにく席を外せない。代わりに文字入力して
「で、何か見つけたか」
『うむ、そうだね。はっきり言ってこの犯人、相当優秀だ』
「何がだよ」
もったいぶる片岡を急かすと、どこか楽しげに声を弾ませる。
『犯人は≪リーダーシステム≫の弱点を突いている』
「弱点? そんなのあるのか?」
『あまり知られていないのだがね、≪ブルーマーク≫は単体ではほとんど役に立たない。≪リーダーシステム≫が発した微弱な電波に、≪ブルーマーク≫が反応を返して初めて機能する。その時の電波は微弱ゆえに人体への影響はないのだが、
「おい、それヤバくないか?」
『安心したまえ。すでに改善されている。今は車内のどこかに
「それを踏まえても、
『そうなんだよ。旧式車両の登録台数が限られるからね。防犯カメラとNシステムをシラミ潰せば、簡単に見つけられると思ったのだが、まったく見当たらない。プレートに
竹輔が悔しげに歯を食いしばり、蕗二は
「ナンバープレートって、そんな簡単に外せるんですか?」
「ああ、外し方さえ分かってれば、外せないこともない。けど、ナンバープレートを登録して車に取り付ける時に、封印って特殊な金具を取り付ける。それを無理に外すと、その金具自体が壊れるようになってて、小細工しようとしたことが一発でバレる」
「目撃者も、走り去る車のナンバーを覚えるので精一杯で、封印が外れてるか分からないでしょうけど、
「そこなんだよな、なんで逃げ切れるんだ。あり得ねぇ」
「まさか、幽霊自動車だったり……?」
「オカルトから離れろよ、あんな奴の話信じてどうする」
蕗二は鋭く舌打ち、ナビ画面の端で点滅するROUTE STARTの文字に触れる。車が静かに警視庁へと向かい始めた。片岡がふと思い出したように口を開く。
『そうだ、犯人が逮捕されたというニュース。まだ報道されていないが、いつまで持ちそうだね?』
「報道規制か? 上の判断によるだろうけど。それがどうかしたか?」
『
「逃げられるって、どういう事だ?」
『サイトを跡形もなく破壊するってことだよ。どうやら面白そうな画像が
「確認できてないって、お前なら侵入できるだろ?」
『ああ、覗くのは鼻をほじりながらでも簡単にできる。だができない』
「えーっと、片岡さんでも難しいセキュリティって事ですか?」
竹輔がこめかみを指で
『
「と言うと?」
『向こうには私と≪同種≫がいるということだよ。恐らく、会員以外が不法侵入した地点でサイトを破壊するウイルスが
片岡の言葉に、芳乃へと視線を向ける。
黒い眼が蕗二の視線を受け止めた。細められた目の奥、闇が深くなる。
「犯人、めんどくさそうですね」
「その前にしゃべってくれれば、問題はないんだけどな」
「それくらいの相手なら、まず≪ぼくら≫を呼ぶ必要ないですけどね」
『そうだとも、
楽しげな片岡に、芳乃は窓枠に
「やりたくありませんけど、
手のひらに顎を乗せ、静かに目を閉じる。見えなくなった黒い眼を、これから『
何か声を
視線を向けた先、警視庁地下駐車場への入り口が、大きく口を開けて待ち構えていた。
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