File:3 テーブルの向かい



 AM 9:44. 中央区、喫茶店内。


 まだ朝と言うこともあるのか、まばらな人の気配のせいもあるだろう。珍しい手書きのメニューにクラシック音楽の流れる店内は、まるで時代に取り残されたようなすたれた雰囲気をただよわせている。

 その店の奥、蕗二ふきじは思わず眉を寄せた。

 通路を挟んで斜向はすむかいに座る、竹輔たけすけと談笑する野村のむらの後頭部を見て、ますます眉間に皺を寄せた。

 正面に座る男、杜山もりやま若貴わかき

 野村とはまるで真逆だ。学校のクラスで言う派手な女子生徒と、堅物かたぶつで真面目な運動部の部長のような……それくらい違いすぎて不自然な組み合わせだ。

 お待たせしましたと声がかかる。女性店員が机のかたわらに立っていた。蕗二の目の前に質素な白い陶器のカップにふっくらと泡の乗ったものが、杜山の前には大粒の氷が浮かぶアプリコットの透き通った飲み物が置かれた。杜山がそこにガムシロップを入れ、ストローで豪快ごうかいに混ぜるのを見届け、蕗二はジャケットからメモを取り出す。

「えっと、ストーカーにってるってのは……いつから?」

「刑事さん、男がストーカーされてるって、に受けるんですね」

 どこか馬鹿にしたような言い方だ。蕗二は持っていたペンを机に置く。

「同性間の性犯罪はなかったんじゃなくて、認知されていなかったから犯罪はないと言われていた。でも、2017年には男女関係なく、強要されれば強制性交等罪で罰することができるように法律が変わったのは、被害者が声を上げたからだ。ストーカー規制法も、性別は関係ない。法を破ったら警察が動く。それだけだ」

「刑事さんに言ったところで、上に通るもんですか? 警察は上下関係がすごいって聞きましたけど、上司が認めないと犯罪も認められないとか、ないんですか?」

 やけにあおってくるな。

 いつもなら青筋の一本立てるところだが、杜山もりやまの視線が先ほどから不審ふしんだった。

 店に入ってきた時からそうだ。指の動きひとつ見逃さないように、唇を引き締め、じっとこちらを観察してくる。なんとなく思い当たることがあり、蕗二はひとつうなづくと、スーツの内ポケットから丁寧に手帳を引き出し、机の上に顔写真が見えるように開いてみせる。

「確かに、警察は階級によって権限けんげんが変わってくる。だとしても、階級で事件の扱いが変わるわけじゃない。相談は受けるのは、まず階級の一番下の巡査がほとんどだ。巡査の受けた事件が通らないんじゃあ、事件を受けつけないのと同じだ。それか、俺がそんなに刑事に見えないか?」

 そこでやっと杜山は表情をゆるめた。

「ち、違います! 念のためと言うか……疑ってすいません」

 打って変わり、丁寧に頭を下げる杜山もりやまに、蕗二の予想が当たっていたことを確信する。

 相手の人格は仕草から染み出す時がある。例えば、店員への態度や相手に何か渡す時、ほんの少しの動作で人格や心理状態を把握することができるらしい。わざと怒りを買うようなことを言って「三輪蕗二」という人間を見極めようとしたのだ。

 賢いというべきか、用心深いというべきか。ますます疑問が膨らんだ。

 手帳を内ポケットに収め、ガラスコップに入った水で舌を湿らせた。

「なあ、お前は野村の彼氏か?」

 杜山はきょとんとした表情で蕗二を見つめ、そして突然吹き出した。

「まさか! ただの幼馴染みですよ。親の仲がよくて、中学まで一緒だったんです。高校では違うとこに通ってたから離れたんですけど、大学でたまたま再会して、世間って狭いなあって思ったところです」

「そうだったのか」

「逆に、おれ達付き合ってるように見えました?」

「ああ。なんて言うか、友達ではなさそうだな、と」

 趣味が合いなさそうな男女で仲が良いなら、自然とそういう結論に辿り着いてしまうのはやや無粋かもしれないが。蕗二の表情に察しが着いたのか、杜山は小さく笑った。

「まあ、そう思われても仕方ないかもしれませんけど、野村はどっちかと言うと妹みたいな感じというか、ただ」

 ガラスコップを握りこみ、杜山は強い視線を蕗二に向けた。

「そばで支えたいなって思います」

 杜山の真っ直ぐな視線に嘘はない。

 蕗二は机の上で手を組んだ。指の腹で、手の甲を撫でる。

 野村は人に触れないと言っていた。それが本当なら手を繋いだり、抱きしめたり、当たり前の触れ合いはできないだろう。だが、やっぱり好きだとか思えば思うほど、触れたいと願ってしまう。その相違そういは付き合う人間も、そして野村自身も苦しめるかもしれない。

 それを杜山は知っている。知っているからこそ……。

「刑事さん、もしかして野村と付き合ってるんですか?」

「あ?」

 突然の声に、反射で不機嫌な声を上げてしまった。杜山が慌てて平謝りする。

「すいません、だってそんなこと聞かれるからてっきり」

「こっちこそ、下世話な話をしてすまない。野村とはただ捜査のえんで知り合っただけだ」

 女性が嫌いと言うわけではない。高校の時には彼女も居たし、今でも好みの女性がいれば目が奪われることもある。だが、なぜだか警察関係者や捜査に関わる女性に興味が出ないのだ。だから、野村にも女性的な興味はない。

 杜山はふと考え込むように腕を組むと、何か思い出したらしい短い声を上げてこちらを指差した。

「捜査って事は……じゃあ、『あの時』の?」

「あの時?」

 何のことだかわからない。首を傾げると、杜山は大げさに首と手を横に振った。

「すいません、おれの勘違いでした」

 口を開きかけた蕗二を遮るように、「お水のおかわりはいかがでしょうか?」と店員の声がかかる。断って、店員が去るその背を見送った杜山が、不意に前かがみになる。一瞬野村を目の端でうかがい、口の端に手をえ、低い声でささやいた。

「刑事さん。ストーカーされてるの、おれじゃなくて野村なんです」

 その声に杜山にならって前のめりになり、同じく声を抑えた。

「詳しく」

「バイト先に来たことある奴なんですが、最近行く先々に奴が居て、いやに後をついてくるから様子を見てたんです。そしたら、おれ達をストーカーしてることに気がついて、まさかと思ったら案のじょう、野村のシフトの入ってる日しか現れないし」

「野村は気付いてるのか?」

「あいつ昔から鈍いんですよ。今日話を遠まわしに振ったら、おれがストーカーにってるって勘違いして、知り合いの刑事さんに連絡してあげるって。野村が知ったらショックだろうから言い出せなくて」

 申し訳なさそうに頭を下げる杜山に、蕗二はペンを握る。

「教えてくれてありがとう。それで、ストーカーの特徴は?」

「あんまり特徴ない顔なんだったんですけど……あ、携帯! あいつ絶対携帯持ってて、黒い本体で骸骨がいこつの全身骨格のストラップつけてました」

「≪マーク≫は?」

「え?」

 ペンを止め、メモから視線だけを上げた。

「青か赤か、≪マーク≫は付いてたか?」

 蕗二の鋭い視線と猛獣のうなりに似た低い声に、杜山は手のひらに汗をにじませる。止まりそうな息を無理やり飲み込み、首を振る。

「いえ、いつもフード被ってたので……」

「そうか……すまない」

 蕗二は陶器のカップを持ち上げ、珈琲コーヒーを口に含んだ。瞬間、き出しそうになる。カップの熱さよりも中身の方が相当熱かった。そっとカップをソーサーに戻し、ひりつく舌を誤魔化すように水をふくんで冷ます。

 そこには猛獣の面影はなかった。杜山もりやまは乾いてひりつく喉に紅茶を流し込んだ。

 グラスの中を飲み干した杜山に、蕗二は改めて問う。

「そいつを、目撃するのは主にどこだ?」

「バイト先が一番多くて、江東こうとう区のアイス屋サーティンなんですけど」

「待てよ。お前……やけに詳しいな」

「え? そりゃあ、野村と同じバイト先ですから」

「いやいやいや、ちょっと待て。大学もバイト先も一緒なのか?」

「そうですよ? すごい偶然じゃないですか?」

 無邪気な笑顔で笑う杜山に、「あ、そう……」とどこかあきれた表情を浮かべた蕗二は、手元のメモを破いて二つに折り、杜山に差し出した。

「もし、また後をつけられたらここに連絡してくれ。なるべく人目のあるところを通って、できたら犯人がうつるようなカメラのある場所がいい」

 杜山は強く頷き、メモを受け取る。斜向はすむかいの竹輔に視線で合図し、立ち上がる。

 竹輔が頷くと野村が振り返った。どうやらこちらを待っていたらしい。大股でこちらに来ると、急かすように野村が足踏みして急かす。

もりっち、ちょっと急がないと、講義こうぎ間に合わないかもぉ」

「あ、マジ? もうそんな時間か。えーっと……」

三輪みわだ。お茶代は良いから、気をつけて授業行けよ」

「三輪さん、ありがとうございました」

 あわただしく荷物をかつぐ杜山の隣、野村は蕗二に手を振った。

「じゃあね、ありがと三輪っち! またねぇ」

 二人は急ぎ足で店の外へと出て行った。

 その背を見送り、隣に立った竹輔に視線を落とす。

「悪いな、相手してもらって」

「いえいえ、超盛り上がりましたよ。それよりストーカーの件、どうでした?」

「ああ、杜山じゃなくて、野村の方にストーカーがついてるらしい」

 驚きの声を上げかけた竹輔は、慌てて自分の口を手でふさいだ。誰もこちらを見ていないのを確認し、そっと手を外す。

「じゃあ、野村さんがSOSを?」

「いや、杜山が言うには、野村は気がついてないらしい」

 蕗二はまとめて会計を済ませ、店を出る。二人が走り去った道に視線を向けるが、もう野村と杜山の背は見えなかった。授業に間に合うようにいのりながら、店の裏へ繋がる細道へと入る。

「ストーカーの出る場所が江東区らしい」

「江東区って、今回の事件ヤマの隣区じゃないですか!」

「ああ、野村のストーカーが事件と繋がってるかは分からねぇが、とっととケリつけないと厄介なのは間違いない」

 裏手の小さな駐車場、停めていた覆面パトカーに乗り込む。竹輔がドアを閉めるタイミングを見計らって口を開いた。

「野村、なんだって?」

「はい。どれを見てもまったく同じ殺し方で、また何回も犯行をしている割に、慣れから来るざつさが出てないことから、犯人はかなり几帳面な性格だそうです。あと、胸の刺し傷は致命傷から外れていて、即死そくしに繋がらない場所だったようです。胸を刺されて動揺し、抵抗する意思をいだうえ、より確実に首を絞めて殺害するために……」

 竹輔は下唇を強く噛み締める。蕗二は腕を組んでうなった。

「慎重で几帳面で、計画的な犯人……」

 慎重なくせに、わざわざ人目につくようなリスクを犯すだと。考えと行動があまりにチグハグで意味が分からない。それに慎重だとするのならまず、なぜ篝火かがりびの言うことを聞く? 相応そうおう報酬ほうしゅうもらっていたのだとしても、人を殺すメリットがない。ばれないという自信の表れなのか。それとももっと別の……?

 蕗二は鋭い舌打ちをし、後頭部を掻く。

「あー、やめた。考えててもらちが明かない。なんとしても、篝火を吐かすぞ」






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