File:2 アスファルトの上
一定の速度で道路の上を滑るように進む車から、蕗二は流れる風景を目で追っていた。
「
蕗二が顔を向けると、菊田が目の端でこちらを見ていた。
「はい、車から突然遺体が捨てられる。って言うやつですよね」
ここ数日で大きく取り上げられるようになった事件だ。
夜中、それも住宅街の真ん中、突然車から女性の遺体が投げ出される。恐ろしいほど派手で大胆な事件は、たとえ捜査に参加していなくても、自然と耳に入ってくるほど世間を
「それを、解決しろと?」
「いや。この事件の容疑者は昨夜、本庁一課が任意同行している。
「じゃあなぜ?」
「犯人逮捕直後に、同じ事件が起こっている」
前を
AM8:57。警視庁 六階資料室奥。
【特殊殺人対策捜査班】の部署でもあるその扉を開けると、蕗二の机の前、青年が一人、こちらに背を向けている。鑑識と書かれたジャケットに見覚えがある。
「待たせたね、
菊田の声に振り返った青年は、機敏な動きで敬礼してみせると、声を張り上げる。
「お待ちしておりましたッ! 資料は全てそろっておりますッ!」
小さい部屋中に響く声に、蕗二と竹輔が耳を塞いだ。
「相変わらず元気ですね」
「元気通り越してうるせぇよ」
「まあまあ、そう言ってやるな」
勢いよく差し出された液晶タブレットを受け取った菊田が、指先で画面を叩く。
「まず、住宅街女性連続死体遺棄事の詳細を説明する。犯行は三件。知っての通り、被害者は車内から投げ出され、夜の住宅街のど真ん中に遺棄される」
端末の画面を蕗二たちに向けた菊田は、指を横に滑らせる。
すると画面が切り替わり、女性が路上に横たわる姿が映し出された。
「最初の被害者は、
菊田が名前をあげるたびに、次々と画面をスライドされていく。
全員、胸を血で赤く染め、首には手の痕がくっきりと青黒く残っていた。
蕗二は画像の隅々まで視線を走らせる。そこでふと首を傾げた。
被害者の年齢が全員まちまちだ。若い子もいるが十歳ほど離れた被害者もいる。それにタイプもばらばらだ。いわばギャル系も地味系も関係ない。化粧の派手さ、身なりにも共通点が見当たらない。
「被害者の年齢は二十二、三十一、二十六、と全員年齢が違うことと、勤務先はガソリンスタンド、ファミリーレストラン、インターネットカフェ。全てばらばらだったことから、犯行は行きずりと考えられていた」
「あえて言うなら、髪が長い……くらいですか?」
色は違うが、全員髪の長さが胸元まである。
ただ、全員≪ブルーマーク≫ではない。
目つきを鋭くした蕗二は、
「被害者の死因は、胸の傷か?」
「いえッ、首を
「死亡時刻は、遺棄される直前か?」
「はいッ! 遺棄時間は死亡推定時刻とほぼ同時の、午後八時から午後十時の間ッ。このことから、被害者は主に帰宅途中で車内へと
桑原の報告に、竹輔が首を傾けた。
「でも、犯行が目立ちすぎて、目撃情報が多かったんじゃないですか?」
しかし、菊田が重々しく首を横に振る。
「ナンバーも割れていたが、
「なんですかそれ」
蕗二の低い声に、菊田は机に軽く腰かける。
「目撃車種とナンバープレートが毎回違っていた。盗難車やレンタカーも洗ったが、どれも違った。
「えーっと、ちなみにその気持ち悪いって、どんなものが……」
「容疑者、
思わず身震いした竹輔を横目に、菊田はため息交じりに言葉を続ける。
「正直当初、逮捕した
菊田は液晶タブレットを指で弾いた。
「第四被害者は
再び差し出された液晶タブレットを受け取り、画像を竹輔と覗き込む。
先ほどの三人の女性同様、胸元に傷と首の痣がある。
「犯行はパッとみ、一緒だな」
「忠実な
「いえッ、その……」
言葉を詰まらせた桑原を
「鑑識、科捜研ともに、犯行は同一人物によるものだと判断している」
「同一犯?」
タブレットから鋭い視線だけを上げた蕗二に、桑原はますます背筋を伸ばした。
「はいッ! 全員同じ刃物、刃渡り十七センチの包丁が使用されていますッ!」
「そ、それじゃあ、逮捕した犯人は間違いで、本物はまだ捕まっていないんですか?」
動揺に声を荒げる竹輔の肩を叩き
「今回の事件には
菊田は大きく頷き、液晶タブレットを返すよう手を向けるが、蕗二は腕を組んで拒否する。わずかに眉を上げた菊田を、正面から見据えた。
「菊田さん、身内の悪口を言うつもりじゃありませんが、それくらい吐かせられるでしょう? 本庁一課の刑事ですよ? 証拠も
「ああ、本庁一課は
菊田は自らの頭を指差し、指先で突く。
「まあ、会ってみればわかる。ただ、蕗二くん。手はポケットから出さないように」
「つまり、殴りたくなる相手ってことですか」
肩を
【特殊殺人対策捜査班】の部屋から取調室のあるフロアに下りると、一課の刑事とすれ違う。第三取調室と書かれた室名札の下、部屋の前には他の刑事や制服の留置係員が待機していた。
菊田は蕗二と竹輔に待つように手で指示し、散歩のような気軽さで刑事たちに話しかけに行く。短いやり取りをすると、蕗二たちを手招いた。横目で一課の刑事たちに
体型のわからないゆとりのある部屋着を着ている。
ふと、長い髪の間から青い光がこちらを覗いていた。
「蕗二さん」
竹輔と目が合う。視線に促されるように持ったままだった液晶タブレットを見ると、割らんばかりに握り締め、脇に垂らした手も拳を握っていたことに気がつく。息を深く吸い、手のひらに食い込んでいた爪を解く。
担当していた刑事が退出し、鉄の扉が重い音を立てて閉まると、部屋は瞬く間に静寂に包まれた。菊田は扉にもたれ、蕗二が男の前に座ると、竹輔は蕗二の隣に立った。
「
蕗二の声に長い前髪の間、
「そうだよ」
聞き取りづらい、ざらついた声だ。
「初めまして、刑事課の三輪だ。何度も似たようなことを聞いて悪いが、もうちょっと付き合ってくれ」
液晶タブレットを
「この事件は、本当にお前がやったのか?」
「ああ、そうだよ」
「じゃあ、これも?」
指先で画面を滑らせ、四人目の被害者を見せる。
すると、
にんまりと、笑っているのだ。
「なあ、刑事さん。あんた恋愛したことある?」
蕗二がきつく眉を寄せると、ますます口角を上げた。さらに首を伸ばし、蕗二を下から
「男ならわかるだろ? 自分の女の体、まじまじ見て、体中むしゃぶって、
息がかかるほど近くから、こちらを覗き込む眼は暗くも狂気の光を差していた。
「ああ。わかるよ」
ゆっくりと目を
「お前がイカレ変態野郎だってことがな」
吐き出した低い声と共に目を見開くと、
「次俺がここに来たら、死ぬほど後悔させてやる」
そう吐き捨て、気がつけば取調室を出ていた。靴音を鳴らしながら廊下の端まで辿り着くと、壁に額を打ちつける。鈍い音と衝撃。遅れてやってくる痛みで頭から『あの日』の嘲笑が遠のいた。白いコンクリートに額を押しつけると、伝わってくる無機質な冷たさが沁みる。
「大丈夫ですか?」
声に振り返ると、竹輔と菊田が心配げに蕗二を見ていた。蕗二は長く息を吐き出すと、壁にもたれかかり、腕を組む。
「ありゃあ、イカレてるんじゃない。自分の世界に入って自分に酔ってやがる。あれじゃ、聞き出せなくて当たり前だ。酒なら抜けるのを持てばいいが、ああいう場合はどうしたらいいんだろうな」
はっきりと発言してみせる。竹輔は顔を引き締めて口を開いた。
「
「はっ、そんなオカルトな犯罪があったら、お
蕗二はジャケットのポケットから携帯端末を取り出し、画面に指を走らせる。目的の画面を開いたとき、静かに蕗二の指先を見つめている菊田に気がついた。
「菊田さん。アイツら呼びますけど、良いですよね?」
「それを決めるのは、班長である君だ」
「竹、片岡に電話してくれ。俺は≪アイツ≫を何とかする」
「はい、お願いします」
蕗二は目的の名前をタップする。黒い画面に白い文字で呼び出し中と表示され、電子音が鳴り始める。焦れるほど待っていると、文字が通話中に切り替わった。相変わらず画面は真っ黒で、蕗二は端末を耳に押し当てた。音は聞こえないが、向こう側に気配がある。
「よお、
『元気も何も、まだ一ヶ月も経ってないんですけど』
予想通りの
「世間話だったらどうすんだよ」
『あなたとぼくが? そんな間柄でしたか?』
「うーん、じゃあ今度だべりに掛けるわ」
『迷惑なんでやめてください』
即答で拒否した芳乃は、大げさすぎるほどの溜息をついた。
『あの、悪いんですが、今ぼく出先なんですけど』
「はあ?
『……どうやら刑事さんは、ぼくを不良扱いしたいようですね。残念ですが、学校のフィールドワークですので。それくらいわかりませんか?』
「んだと!」
『いちいち大声出さないでくれませんか? そろそろ時間なので、これで失礼します』
「あ、おい!」
途端に単調な電子音が鳴った。耳から話した端末の画面には、白い文字で通話が切れたことを示していた。
「うおおおくそ切りやがった」
すぐさま電話をかけるが、電源はもう入っていないらしい。
「蕗二さん、片岡さんは今から周辺のカメラをチェックしてくれるようです」
「ついでに芳乃が、今どこに社会見学に出てるか調べてくれ」
竹輔が頷き、再び端末に視線を落としたところで、握っていた蕗二の端末が音を立てて震える。画面をなぞると、今度は画面いっぱいに派手な女性の顔が映し出された。
『やっほー、三輪っち! おひさしぶりー』
「なんだ野村、
『あれ? もしかして事件だったぁ?』
「ああ、丁度かけようと思ってた」
『へへへ、タイミングよかったぁ。でもその前に、ちょっと相談があるんだけどぉ』
「なんだよ、体調でも悪いのか?」
『んーとねぇ、ストーカーに
思わず端末を落としかける。『三輪っち、動揺しすぎー』とへらへらと笑っている野村を
「おい、何で早く言わねぇんだ!」
『うーん、そんな事言われても……。だってぇ、困ってるの、私じゃなくてぇ』
画面が引かれ、どこかの
『こっちだもん』
画面の向こう、野村が指差したのは正面の男の方だった。
「……ん?」
思わず蕗二と竹輔は目を合わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます