File:2 アスファルトの上



 一定の速度で道路の上を滑るように進む車から、蕗二ふきじは流れる風景を目で追っていた。

墨田すみだ区で発生している、住宅街女性連続遺棄事件は知っているな?」

 蕗二が顔を向けると、菊田が目の端でこちらを見ていた。

「はい、車から突然遺体が捨てられる。って言うやつですよね」

 ここ数日で大きく取り上げられるようになった事件だ。

 夜中、それも住宅街の真ん中、突然車から女性の遺体が投げ出される。恐ろしいほど派手で大胆な事件は、たとえ捜査に参加していなくても、自然と耳に入ってくるほど世間を賑わせている。

「あれだけ目立つ犯行なら、犯人ホシはもう上がってるんでしょう?」

「その通りだ。事件の容疑者は昨夜、本部一課が任意同行している。家宅捜査の結果、確定クロと判断された」

「じゃあなぜ?」

「犯人逮捕直後に、同じ事件が起こっている」

「えっ? ちょっと待ってください、模倣犯が現れたってことですか?」

 後部座席から身を乗り出した竹輔たけすけの問いに、菊田は小さく首を横に振る。

「いや、それより厄介かもしれない」

 前を睨みつけた菊田に、蕗二は眉間の皺を深くした。




 AM8:57。警視庁 6階倉庫奥。


 【特殊殺人対策捜査班】の部署でもあるその扉を開けると、蕗二の机の前、青年が一人、こちらに背を向けている。鑑識と書かれたジャケットに見覚えがある。

「待たせたね、桑原くわばらくん」

 菊田の声に振り返った青年は、機敏な動きで敬礼してみせると、声を張り上げる。

「いえッ、お待ちしておりましたッ! 資料は全てそろっておりますッ!」

 小さい部屋中に響く声に、蕗二と竹輔が耳を塞いだ。

「相変わらず元気ですね」

「元気通り越してうるせぇよ」

「まあまあ、そう言ってやるな」

 勢いよく差し出された液晶タブレットを受け取った菊田が、指先で画面を叩く。

「犯行は四件。知っての通り、被害者は車内から投げ出され、夜の住宅街のど真ん中に遺棄される」

 菊田が液晶タブレットを差し出したが、蕗二は腕を組んで拒否する。わずかに眉を上げた菊田を、正面から見据えた。

「菊田さん、仲間内の悪口を言うつもりじゃありませんが、この事件、目撃者が多数いたでしょう。それに走り去る車も見られてる。なのに、なんですぐ逮捕しょっぴけなかったんですか」

 威嚇するような視線を受け止めた菊田は、小さく息を吐いた。

「初動が遅れたのは、該当車がいとうしゃが発見できなかったからだ」

「どういうことですか」

 蕗二の低い声に、菊田は机に軽く腰かける。

「そう、この事件ヤマは一課も、早期解決を見込んでいた。だが、目撃車種とナンバープレートが毎回違っていた。自動車ナンバー自動読取装置Nシステムは役立たずな上、頼みの綱である≪リーダーシステム≫にさえ有力な情報が引っかかってこなかった。なんとか逮捕にいたったが、その直後にこれだ」

 菊田は液晶タブレットを指で弾いた。

「正直当初、逮捕した犯人ホシは候補に挙がってなかった。母親からの通報の時には、そりゃあもう帳場ちょうばが大いに沸いたもんだ」

 苛立ったように菊田は煙草を持つように丸めた指を噛んだ。竹輔が蕗二の隣でそろりと手を上げた。

「えーっと、ちなみに、どんなものが……」

犯人ホシ篝火歩葉かがりびあゆはは被害者を殺した後、髪を一部切り取り、アクセサリーを奪っていた。母親が篝火≪ホシ≫の部屋を掃除のとき、たまたまひっくり返した菓子箱から、それを発見したらしい」

 思わず身震いした竹輔を横目に、蕗二は組んでいた腕を解いた。

「で、厄介な事って何ですか?」

「とりあえず、これを見てくれ」

 向けられた端末を今度は素直に受け取り、蕗二は指で画面をスライドさせる。すると、女性が路上に横たわる姿が映し出された。

「最初の被害者は、茶谷春子ちゃたにはるこ。第二被害者は柏原優子かししはらゆうこ、第三被害者は川田かわたさつき。そして最後、第四被害者は松田真由まつだまゆ

 菊田が名前をあげるたびに、次々と画面をスライドさせていく。

 全員、胸を血で赤く染め、首には手の痕がくっきりと青黒く残っていた。

 蕗二は画像の隅々まで視線を走らせる。そこでふと首を傾げた。

 被害者の年齢が全員まちまちだ。若い子もいるが十歳ほど離れた被害者もいる。それにタイプもばらばらだ。いわばギャル系も地味系も関係ない。髪の長さ、化粧の派手さ、身なりにも共通点が見当たらない。

 覗き込む蕗二と竹輔の首が傾いたところで、菊田が口を開いた。

「犯行は行きずりと考えられている。被害者の年齢は22、32、26、19と全員違うことと、職種も全てばらばらだったからだ。ただ、≪ブルーマーク≫は今のところ被害者にはいない」

 目つきを鋭くした蕗二は、しつけの良い犬のように待機する桑原を一瞥≪いちべつ≫する。

「被害者の死因は失血か?」

「いえッ! 致命傷は首を絞められたことによる窒息死ですッ。胸の傷から生体反応が確認されたので、刺された後、首を絞められ殺害されたことになりますッ。また、遺体を遺棄された時には、被害者は全員死亡した状態だったこともわかっていますッ!」

「死亡時刻は、遺棄される直前か?」

「はいッ! 被害者は主に帰宅途中で拉致されたうえ、直後に殺害され、遺棄されているようですッ! 遺棄時間は、死亡推定時刻とほぼ同時の、午後8時から午後10時の間ッ」

「僕からも一つ。凶器は同じですか?」

「はいッ! 全員同じ刃物、刃渡り17cmの包丁が使用されていますッ!」

「でもその中で、最後の女性はその犯人じゃない可能性があるんですよね?」

「いえっ、その……」

 竹輔の言葉に、桑原が言葉を詰まらせた。それを補うように菊田が答える。

「鑑識・科捜研ともに、犯行は同一人物によるものだと判断している」

「それじゃあ、逮捕した犯人と殺しの犯人は別ってことですか!?」

 動揺に声を荒げる竹輔の肩を叩きなだめた蕗二は、持っていた液晶タブレットを掲げる。

「つまり、今回逮捕した篝火かがりびって奴は、犯人クロだった。だけど、犯行は同じ人物。実行犯は別にいて、篝火はそいつと共犯ってことですね?」

 菊田は大きく頷いた。

「ああ。その共犯者も芋づるで引っ張れると考えているが、そう簡単にいかないようだ」

「と言うと?」

 菊田は自らの頭を指差し、指先で突く。

「供述が曖昧と言うか、ちょっとここがイカレてるかもしれない」

「イカレ?」

「まあ、会ってみればわかる。ただ、蕗二くん。手はポケットから出さないように」

「つまり、殴りたくなる相手ってことですか」

 肩をすくめて見せた菊田に、蕗二の顔は険しくなった。





 【特殊殺人対策捜査班】の部屋から取調室のあるフロアに下りると、一課の刑事とすれ違う。第三取調室と書かれた室名札の下、部屋の前には他の刑事や制服の留置係員が待機していた。

 菊田は蕗二と竹輔に待つように手で指示し、散歩のような気軽さで刑事たちに話しかけに行く。短いやり取りをすると、蕗二たちを手招いた。

 横目で一課の刑事たちに威嚇いかくされながら、取調べ室に入ると、前髪で目を覆った男が項垂うなだれていた。

 体型のわからないゆとりの有る部屋着を着ている。さらされたうなじは細く白いところから、男は痩せているようだ。ふと、長い髪の間から青い光がこちらを覗いていた。

「蕗二さん」

 竹輔と目が合う。それに促されるように息を深く吸うと、いつの間にか拳を握っていたことに気がつく。手のひらに食い込んでいた爪を解き、代わりにスラックスに親指を引っ掛ける。

 担当していた刑事が退出し、鉄の扉が重い音を立てて閉まると、部屋は瞬く間に静寂に包まれた。菊田は扉にもたれ、蕗二が男の前に座ると、竹輔は蕗二の隣に立った。

篝火歩葉かがりびあゆはだな」

 蕗二の声に長い前髪の間、伏せられていた瞼が持ち上がり視線だけでこちらを見る。

「そうだよ」

 小さくざらついた声だ。

「初めまして、刑事課の三輪だ。何度も似たようなことを聞いて悪いが、もうちょっと付き合ってくれ」

 持ったままだった液晶タブレットを篝火かがりびの前に差し出した。

「この事件は、本当に自分がやったのか?」

「ああ、そうだよ」

「じゃあ、これも?」

 指先で画面を滑らせ、四人目の被害者を見せる。

 すると、篝火かがりびの頭が動いた。首が伸び画面を覗き込んでいる。長く伸びた前髪が画面に触れそうだ。その様子はなんとも言いがたい不気味さを漂わせている。そして、ゆっくりと顔が上がった。液晶タブレットの光に薄っすらと照らされた表情に、竹輔が身じろいだ。

 にんまりと、笑っているのだ。

「なあ、刑事さん。あんた恋愛したことある?」

 蕗二がきつく眉を寄せると、ますます口角を上げた。さらに首を伸ばし、蕗二を下から覗き込む。

「男ならわかるだろ? 自分の女の体、まじまじ見て、体中むしゃぶって、舐め回したいと思うじゃん? おれは違うよ? 女は清らかじゃないと。誰も触れちゃいけない。だからおれは肉体と精神を分離させ、愛しい者をこの手で殺すんだ。これは崇高すうこうにして最愛の儀式だ。そうだろ?」

 息がかかるほど近くから、こちらを覗き込む眼は暗くも狂気の光を差していた。

「ああ。わかるよ」

 ゆっくりと目を瞑る。瞼裏の闇に、あの日の嘲笑ちょうしょうが響いた。

「お前がイカレ野郎だってことがな」

 吐き出した低い声と共に目を見開くと、篝火かがりびが息を止めた。肉食獣に睨まれた草食動物のように篝火かがりびが身を引いたのと、蕗二が立ち上がるのは同時だった。

「次俺がここに来た時が、お前の最後だ」

 そう吐き捨て、気がつけば取調室を出ていた。靴音を鳴らしながら廊下の端まで辿り着くと、壁に額を打ち付ける。痛みに揺れる頭から『あの日』の嘲笑ちょうしょうが遠のいた。白いコンクリートに額を擦り付けると、伝わってくる無機質な冷たさがみる。

「大丈夫ですか?」

 声に振り返ると、竹輔と菊田が心配げに蕗二を見ていた。蕗二は長く息を吐き出すと、壁にもたれかかり、腕を組む。

「ありゃあ、イカレてるんじゃない。自分に酔ってやがる。あれじゃ、聞き出せなくて当たり前だ」

 二人と強い視線で目を合わせ、はっきりと発言してみせる。それに胸を撫で下ろした竹輔は、顔を引き締めて口を開いた。

篝火かがりびが言ってたあれ、本当ですかね。テレパシー的な、幽体離脱チックな……」

「はっ、んなオカルトな犯罪があったら世も末だ」

 蕗二はジャケットのポケットから携帯端末を取り出し、画面に指を走らせる。目的の画面を開いたとき、静かに蕗二の指先を見つめている菊田に気がついた。

「菊田さん。アイツら呼びますけど、良いですよね?」

「それを決めるのは、班長である君だ」

 おだやかながら不敵に笑った菊田に、蕗二は強く頷いた。

「竹、片岡に電話してくれ。俺は≪アイツ≫を何とかする」

「はい、お願いします」

 蕗二は目的の名前をタップする。黒い画面に白い文字で呼び出し中と表示され、電子音が鳴り始める。焦れるほど待っていると、文字が通話中に切り替わった。相変わらず画面は真っ黒で、蕗二は端末を耳に押し当てた。音は聞こえないが、向こう側に気配がある。

「よお、芳乃ほうの。元気か?」

『元気も何も、一ヶ月も経ってないんですけど』

 予想通りの不貞腐れた声だ。

「世間話だったらどうすんだよ」

『あなたとぼくは、そんな間柄でしたか?』

「うーん、じゃあ今度だべりに掛けるわ」

『迷惑なんでやめてください』

 即答で拒否した芳乃は、大げさすぎるほどの溜息をついた。

『あの、悪いんですが、今ぼく出先なんですけど』

「はあ? 何処に行ってんだよ、学校どうした?」

『……どうやら刑事さんは、ぼくを不良扱いしたいようですね。残念ですが、学校のフィールドワークですので。それくらいわかりませんか?』

「んだと!」

『いちいち大声出さないでくれませんか? あ、そろそろ時間なので、これで失礼します』

「あ、おい!」

 途端に単調な電子音が鳴った。耳から話した端末の画面には、白い文字で通話が切れたことを示していた。すぐさま電話をかけるが、電源はもう入っていないらしい。

「うおおおくそ切りやがった」

「蕗二さん、片岡さんは今から周辺のカメラをチェックしてくれるようです」

「ついでに芳乃の高校が、今どこに社会見学に出てるか調べてくれ」

 竹輔が頷き再び端末に視線を落としたところで、握っていた蕗二の端末が音を立てて震える。画面をなぞると、今度は画面いっぱいに派手な女性の顔が映し出された。

『やっほー、三輪っち! おひさしぶりー。今良―い?』

「なんだ野村、奇遇だな?」

『あれ? もしかして事件だったぁ?』

「ああ、丁度かけようと思ってた」

『へへへ、タイミングよかったぁ。でもその前に、ちょっと相談があるんだけどぉ』

「なんだよ、体調でも悪いのか?」

『んーとねぇ、ストーカーに遭ってるのぉ』

 思わず端末を落としかける。『三輪っち、動揺しすぎー』とへらへらと笑っている野村を睨みつけた。

「おい、何で早く言わねぇんだ!」

『うーん、そんな事言われても……。だってぇ、困ってるの、私じゃなくてぇ』

 画面が引かれ、どこかの喫茶店らしい店内が映る。ふらふらとカメラアングルを探るように揺れていた視界が定まると、野村とその正面に座る男が映し出された。

『こっちだもん』

 画面の向こう、野村が指差したのは正面の男の方だった。

「……ん?」

 思わず蕗二と竹輔は目を合わせた。








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