File:5 話になりませんね
PM15:28。
路上駐車の多い一方通行の道を進み、新宿駅が見えてきたところで竹輔が声を上げた。
「あ、いました!」
蕗二が左路肩に車を停めると、素早く竹輔が助手席から外に出る。サイドブレーキを引き、ハザードランプを点滅させ、バックミラー越しに竹輔の背を追う。黒い学ランの大人しそうな少年が見えた。少年を引き止めた竹輔がこちらを指差すと、二人は駆け足でやってくる。バックミラーから二人の姿が消えた直後、後部ドアとワンテンポ遅れて助手席のドアが開いた。
「よお、一週間ぶりだな」
ドアの閉まる音に振り返る。後部座席に座った少年・
「どんだけ人を使いパシる気ですか、たった一週間しか経ってないのに」
「口が減らねぇな……つか、学校はどうした」
蕗二がそう言うと、芳乃はさらに不機嫌そうに眉を寄せた。
「授業中ならまず電話すら繋がらないことくらい、わかりませんか?」
「んだと!」
「もうほんと、なんでそんなに仲悪いんですか」
蕗二を向こうに押しやった竹輔が、交代するように後ろを振り返る。
「芳乃くん。この前言えなかったけど、高校入学おめでとう。授業しばらく午前までだよね? ゆっくりしてる所、本当にごめんね」
竹輔が柔らかな笑みを浮かべると、「別に…」と芳乃は顔を背けた。蕗二が舌打つと、軽い電子音が鳴った。芳乃の隣、
「検索が終わったよ」
「どうだ?」
「飯田美穂は、自殺関係について調べてはいたが、ネットやSNSから他人と直接的に接触した様子はないようだ」
「ネットでの接触なしか……」
「あの、ぼくまったく事件の事知らないんですけど」
「ああごめんね、芳乃くん。今回の事件は……」
事件の状況を片岡と竹輔が、芳乃に説明し始める。蕗二はハンドルを抱えるようにもたれかかった。
自分の予想は外れたが、正直ほっとした。これで地元の人間が犯人だと確定しても間違いない。だが、29人の容疑者と飯田美穂の接点が見つからない。
なぜだ?
ふと、ぐるりと思考が一回転する。記憶という机の上に重ねていた資料の束を、床に払い落として行く。ばらばらと乱雑に、集めた記憶が落ちていく。机の上に立ち、床に散らばった記憶たちを見下ろして、やっと思考が結びついた。
「これからどうするんですか?」
芳乃の声に素早く体を起こし、後部座席に顔を向ける。
「片岡、29人の容疑者はチェックしたって言ってたな?」
「ああそうとも。だが被害者の少女とは、これと言った繋がりは無いように見えたが?」
「そうかやっぱり。くそっ、見落としてた」
怪訝な顔をする片岡と、片眉をわずかに上げた芳乃をバックミラーで見ながら、右手でハンドルを握りサイドブレーキを解除した。
「29人って言うのに縛られてた。犯人が地元の人間なら、逆にカメラにまったく映らない可能性だって、あってもおかしくない。脇道から出入りすればいいんだ。違うか?」
「なるほど」
蕗二が車を発進させると、芳乃が身を乗り出してきた。
「振り出しなのはいいですけど、どこに向かう気ですか?」
「すぐそこに、
「聞き込みですか? なら他の刑事さんが、もうとっくに当たってるんじゃないんですか?」
「当たってるさ、でもあくまで参考にってだけだ。最初に囚われてる刑事じゃあ、その程度だ」
「どういう意味ですか?」
「まず、犯人は行きずりじゃない。飯田美穂は現場には下見と、実行日の二回だけしか現場を訪れてない。行きずりの犯行なら、たった二回しか現場を通ってない飯田美穂をターゲットにしない。犯人は初めから『飯田美穂』を殺すつもりだった。でも殺されそうになったら普通誰でも抵抗する。縛られてたなら話は変わるが、飯田美穂の遺体にはそんな痕はない。だとしたら、飯田は望んで殺された。でだ、もし飯田が自殺したがってて、殺しを誰かに頼んだとしたら、変じゃないか?」
「遺体はどう見ても殺されてた……」
竹輔の呟きに、蕗二は頷く。
「そう、そこだ。殺したくないって話は別として、殺人を頼まれてまず思うのは、絶対ばれたくないって思うだろ? 頼まれて殺したとしても自殺幇助は罪だ。警察に捕まって刑務所なんて入りたくないし、≪マーク≫だってつけられたくない。犯行が自殺と見えるように絶対しないといけない。なのに、遺体はめちゃくちゃ、どう見ても殺人だった。つまり、飯田は一人で死のうとしてた。けど犯人はそれを知っていて、何らかの目的で殺した。ネットでの接触がないのなら、犯人はもっと近くにいたってことなんじゃないか?」
芳乃が座席に深く座ったのか、バックミラー越しに蕗二と目が合った。
「学校の中に、犯人がいるんですね?」
「わからない。ただ、犯人は絶対嘘をついてるはずだ。それを」
「「見破れ」」
芳乃と声が重なった。目を見開いた蕗二に「前を向いてください」と芳乃は他人事のように注意すると、窓の外に視線を投げた。その黒い眼には、耳元の青い光と同じ、静かで鋭い光が差している。
「やると言った以上、やりますよ。……あんまりやりたくないけど」
最後はやはり不貞腐れていて、思わず蕗二は声を出して笑った。
新宿。都立高校。
蕗二は教員室と書かれた室名札の下、懐かしいスライドドアをノックし、「失礼致します」と少し声を張り上げてドアを開ける。突然侵入してきた長身の男に、教員室にいた教師たちが顔を強張らせた。そんな鬼でも見たようにビビッてくれるなと、蕗二が小さく溜息をつくと、奥の部屋から
「どうも、私が校長の
「お忙しいところ申し訳ありません。お電話いたしました、警視庁の三輪と申します。早速ですが、飯田美穂さんの担任の方と、他に関わりのあった教員の方に、お話を伺いたいのですが」
念のためにと警察手帳を開いてみせると、
「担任の
戸惑った表情で会釈した米屋は、蕗二に警戒しているのか表情が硬い。その隣でもう一人が頭を下げた。
「美術部の顧問、
二人とも蕗二とそう変わらない、三十路辺りの若い雰囲気がある。だがそれよりも、蕗二は視線を奪われるものがあった。
耳元で小さく光る青、≪ブルーマーク≫が二人についていた。
蕗二の視線に気がついたのか、米屋が落ち着かない様子で首の後ろを掻いた。
「最近、判定が付きまして。教師が≪ブルーマーク≫だと、やっぱり変ですよね……」
≪ブルーマーク≫の判定基準の実態は未だ謎に包まれている。公安調査庁と科学捜査研究所が判定を行っていることくらいしか、身内でも分からない。ただ言えるのは、判定が下れば年齢や職業も関係なく、学生から大企業の社長までありとあらゆる人間が≪ブルーマーク≫の対象になるということだ。
動揺を悟られないよう、蕗二はなるべく冷静に声を出した。
「大変不快だと思いますが、≪ブルーマーク≫は捜査対象になります。特にお二人は飯田美穂さんと関わりが深いようなので、何度か警察のものがお伺いすると思いますが、ご了承ください」
蕗二の言葉に不安げに顔を見合わせていた二人だったが、遠慮がちに久保が手を上げた。
「あの、一つ聞きたいのですが、飯田が亡くなったという連絡はあったのですが……その、警察が何度も来るということは、殺されたんですか?」
久保の瞳が不安げに揺れている。
「自殺の可能性もあります。なので、念のため話を聞いて回っています」
蕗二はあえてはっきりと言葉に出す。久保が戸惑いの視線を米屋に向け、米屋は小さく首を横に振った。
「飯田は、これといった問題児ではありませんでしたので……すいません、どちらかというと目立たなかった子で、その……」
「印象がありませんか?」
蕗二の言葉に、米屋の顔から血の気が引いていく。竹輔が横から一歩進み、米屋の肩を擦る。
「そんなに自分を責めないでください」
竹輔に肩を擦られ、少し落ち着いた米屋を横目に、蕗二は久保に視線を向ける。
「美術顧問と言うことですが、あなたから見て飯田さんの印象は?」
「米屋君の言うとおり、飯田は大人しい子ではありましたが、絵の話になると別人のように明るくなるんです……才能のある、いい子でした。本当に、なんでこんな……」
久保の声は徐々に小さくなり、最後には声を詰まらせ、目頭を押さえた。
「あの、質問良いですか」
暗くなった空気の中、
「先生方は、飯田さんの絵を見たことありますか?」
「もちろん。校内に作品が張り出されたこともあるので……」
「私は美術部の顧問なので、何度も」
芳乃はじっと二人を見ていた。帽子の下、一瞬見えた黒い眼から、深く暗い
「絵は、上手かったですか」
「ええかなり。美術大学に進学してみたらどうだと、話したくらいです。ねぇ、久保先生」
「はい。私からそっちの大学を推薦していて、彼女も前向きに考えてくれていたようでした」
「そうですか」
帽子を目深に被り直した芳乃は足元に視線を落とし、上着のポケットに手を突っ込むと黙り込んだ。首を傾げる教師の意識をそらすように、蕗二は大げさに敬礼して見せた。
「ご協力ありがとうございます。それと、飯田美穂さんのご友人にもお話を聞きたいのですが、構いませんか?」
「ええ、はい」
米屋が「こちらへ」と教室を出る。後を追い、静かな廊下を進んでいくと、2年2組と書かれた教室のドアをノックする。中に首だけ突っ込んで短い会話をすると、女子生徒が二人出てきた。
「
髪や服装は普通だが、何か裏のありそうな二人だ。そう直感した蕗二は一瞬、竹輔に視線を送る。小さく頷いた竹輔は、米屋から二人の意識をはずすべく話しかけ始めた。蕗二はスーツの内側から手帳を取り出し、苧環と鬼灯の目の前に掲げる。
「警視庁の三輪と申します。授業中申し訳ないですが、飯田美穂さんについて、少しお話ししても?」
蕗二は目線を合わせるように少しかがむと、
「いいよ。美穂は、そうね、絵ばっかり描いてるイメージ?」
「そうそう。自分の世界に入っちゃってる感じだよね?」
「それそれ!」
「何か悩んでたのは、具体的には聞いたりとか……」
「ぜーんぜん。超クールに、『別に。』みたいな?」
「今の超似てる!」
大げさな仕草で笑い出す二人に、蕗二は腹の中で溜息をついた。
「芳乃」
蕗二はわざと名を呼んだ。帽子の下から蕗二を見上げた芳乃は、すぐに視線を苧環と鬼灯に移した。
「飯田さんは、絵が上手かったですか?」
蕗二は眉を軽く寄せた。なんで、さっきと同じ質問?
芳乃はじっと言葉を待っている。その強い視線に
「上手かったよ、ねぇ?」
「う、うん、ちょっと凄すぎてわかんないけど、めっちゃ上手かった」
「……そうですか、ありがとうございます」
ふと帽子を目深に被りうつむいた芳乃の頭が、ふらりと大きく揺れたかと思うと、踵を返した。
「あ、おい芳乃!」
蕗二が追うよりも早く、片岡が「私が追おう」と言って走り出した。蕗二はその背に甘え、少女たちに向き直る。
「他に、何かあるかな」
「うーん、どうだっけ?」
「美穂からは、あんましゃべんなかったもんね?」
「そうそう、私らより絵の方が大事だったしね」
「あー、わかるー!」
もはや少女たちの会話は、雑談のようになって来た。これじゃあ埒が明かない。
蕗二は二人を遮るように、背筋を伸ばした。
「捜査へのご協力、ありがとうございました。もう授業に戻ってもらって構いませんよ」
「えー」
頬を膨らます二人を教室に入るよう促し、蕗二は竹輔を呼ぶ。竹輔は米屋に丁寧に頭を下げると、駆け寄ってきた。
「どうでした?」
「ぶっちゃけ、本当に友達か? って感じだった。なんか腹底にあるな。そっちは?」
「米屋は教師としてまだ浅いようで、特に態度も成績も問題もない飯田さんについては、あまり注視してなかったようなので、はっきり言って話しになりませんね」
「だと思った。けど、芳乃が何か
蕗二と竹輔は二人が去ったほうへと足を向ける。
廊下を抜け玄関へと続く階段を下りていくと、階段の一番下、片岡と芳乃の背中が見えた。
「芳乃くん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です……」
背を丸め、うなだれているが声ははっきりしていた。片岡が芳乃の
「何か、視えたのか?」
芳乃は帽子を取り、帽子で乱れた黒い後頭部を小さく揺らした。
「彼女達、彼女の絵が上手いことを、妬んでいたようです」
「……いじめ、か?」
「はい。『たいして可愛くもないくせに先生の機嫌取りやがって、気に入らない』……だそうです。教師には分からないような、質の悪い方法で嫌がらせをしていたみたいですね」
感情のこもっていない声だ。だが、芳乃は両手の指が白むほど、帽子を握り締めている。蕗二は宙に視線を投げ、少し声を張り上げた。
「まあこんな御時世だ。一人の命を奪うきっかけを作ったのが事実なら、あの子らも
≪レッドマーク≫。
犯罪者を撲滅するためのシステム、『犯罪防止策』のひとつ。≪ブルーマーク≫が犯罪者予備軍に対し、≪レッドマーク≫は犯罪者だ。
一度でも罪を犯せば、生体チップに加えGPSが強制装着させられ、≪ブルーマーク≫よりも完璧に全ての行動を監視され、行動制限も非常に厳しい。ゆえに、問題でもあった再犯にかなり効果があった。そして、いじめにもこれは適応されていた。2006年からいじめ問題が深刻だった為だろう。悪質ないじめの場合、関係者には未成年だろうと容赦なく≪レッドマーク≫が付くようになっていた。
無知は罪とはよく言ったもんだ。自分らの一瞬の優越やプライドのために、人生を棒に振ることになるなんて考えてもいないだろう。
蕗二は「アホらしい」と呟いた。
「芳乃くん」
片岡の声に視線を向ける。左手の小型最新端末が宙に画面を展開していた。指先で眼鏡を押し上げ、悪巧みをしている子供のように、楽しげに口の端を吊り上げる。
「君が言ったとおり、とても面白いことが見つかったよ」
芳乃の顔が上がる。黒い髪の間から見えた目は、透明度の高い氷が反射する、明るくも鋭い光に似ていた。ただ、瞬きもせず遠くを睨みつける冷ややかな視線に、蕗二は反射的に唾を飲み込んだ。
芳乃の口がゆっくりと開く。
「刑事さん。犯人が、判りました」
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