File:4 結論から言おう


 そこは、他の場所と気温が違った。

 寒い。エアコンを効かせ過ぎにも程がある。蕗二ふきじは脱いでいたジャケットを着直し、二の腕をひとさすりした。

 しかし、部屋の様子を見て納得する。

 ワンフロアすべての壁が、モニターに覆われていた。

 それだけじゃない。部屋に並べられた机の上にもモニターが隙間なく並び、画面が煌煌と光っている。画面は最低でも四つに仕切られ、異なる映像が映し出されていた。

 東京の全ての監視カメラの映像が、ここに集まっているのだろう。

 さすが監視ルームというべきか。

 黙々と警官服を着込んだ監視員が画面と向き合う静かな空間には、機械のわずかなモーター音くらいしか聞こえない。蕗二と竹輔はできるだけ音を立てないように歩き、目的の人物を探す。

 奥へ奥へと進んでいくと、一人だけスーツの男がいた。

 机に片手をつき、監視員の後ろから真剣な眼差しで画面を覗き込む様子は、ここのフロアを仕切っている上層部の人間に見えなくもない。だが、その両耳にはやはり、青いフープリングが小さく光っていた。

 その男は蕗二たちに気がついたらしく、神経質そうな外見とは裏腹の陽気な声を上げた。

「やあ! まさか本当に呼び出されるとは、思いもしなかったよ」

 軽快に笑う男・片岡藤哉かたおかふじやに、蕗二は脱力する。

 野村にしろ片岡にしろ、なぜか緊張感がなさすぎる。調子が狂って仕方が無い。眉間に深い皺を作る蕗二に代わり、竹輔たけすけがゆるい敬礼をしてみせた。

「仕事後にすみません、片岡さん」

「なに、≪他のメンバー≫も来ているのだろ。私だけ行かないのは変な話だ……が、野村のむらくんと芳乃ほうのくんは来ていないのかな?」

 二人の姿がないとわかると、眉を下げ寂しげな表情を浮かべる片岡に、竹輔は困ったように笑う。

「野村さんは大学があるので、いったん帰宅されました。芳乃くんはちょっといろいろありまして」

「ああ、≪彼≫はね。そんな気がしたよ」

 肩をすくめてみせた片岡に、蕗二は口を開いた。

「で、今回も俺らが電話した後、“てた”のか?」

「もちろん。“覘視しゅみ”だからね」

「つかお前、普段なに覘いてんだよ。女の裸か?」

 片岡が横目で蕗二を見て、呆れを隠そうともせず眼鏡を指で押し上げた。

「君は勘違いをしている。私が望んでやまないのは、名の知れた企業や国家が隠匿いんとく隠蔽いんぺい捏造ねつぞうを尽くした果て、闇にほふられるであろう事実をのぞくことだ。他人の裸体を見るなどの下卑げびた性癖は持ち合わせていない。そしてまず、私のこの行為は、窃視せっしではなく覘視てんしだ」

 半分ほど聞きなれない単語でまくし立てられ、蕗二は内容が頭に入らないまま頷くしかなかった。それに満足したように片岡が鼻息とも溜息ともつかない息をついた。すると、拍手のような電子音が鳴った。

藤哉ふじやさん、大変素晴らしい答弁でした』

 女性の澄んだ声に、片岡は左手を得意げに持ち上げる。その人差し指にはまる太く黒い指輪を指先で軽く叩くと、宙に画面が展開された。真っ黒な画面に、一本の揺れ動く白い線が横切っている。

わかってくれるのはA.R.R.O.W.アロー、君くらいだ、ありがとう。それで、どうだった?」

『はい。頼まれていた画像ですが、一致率64%です。鮮明化に関しては、元である画像の画素数が非常に低い為、これ以上の鮮明化は不可能です。早急にカメラの精度または画素数を高くする必要があります。推奨カメラと予算の算出を致しましたが、ご覧になりますか?』

「いや、今は良い。ありがとう」

『また何かあれば、お呼び出しください』

 黒い画面が消え、代わりにアイコンの並ぶ画面に切り替わる。片岡は迷いなくアイコンをタップし、次々と画像を展開し始めた。

「結論から言おう。犯人は特定できない」

「はあ?」

「そんなまさか!」

 片岡の言葉に、蕗二と竹輔は同時に声を上げた。片岡は画面から視線をそらない。

「犯行の起こった金曜日に、現場を通行した人は往復合わせて108人。内≪ブルーマーク≫は57人だ。ただ、気になったのは」

 次々と開くファイルの中から二枚の画像を引っ張り出すと、画面にかざした親指と人指し指をくっつけ、離す。すると、画像が拡大された。画像は鮮明ではない。だが、見覚えのある服装をしていた。

「これは……飯田美穂か?」

「一致率は64%だ。断定はできない。しかし、この飯田美穂という殺された少女らしき人物は、事件当日の金曜日の17時32分と、その二週間前の金曜の17時44分だけ確認できた。普段から通学路として利用していたわけではなさそうだ」

 片岡は一瞬間を置いて眼鏡を指先で押し上げる。

「この少女が通った時間帯で犯人と思しき人物をチェックしてみたが、それでも29人だ。しかも、全員がこの場を通ったかと言われると、断定できない」

「なんでだよ。監視カメラはあるんだろ?」

「私も驚いたのだがね、現場を映す監視カメラは存在しない」

「はあ? 嘘だろ、そんなはず……」

 『犯罪防止策』として、日本には監視カメラが山ほどある。特に、人目の無い場所には50mごとに監視カメラと≪リーダーシステム≫が設置されているはずだ。現場の前の道路は100メートルほどで、ちょうど現場あたりにカメラがあるはずだ。一台も無いなんてあり得ない。

 眼鏡を指で押し上げた片岡は、肩を大げさに上下させた。

「いや、正確には事件現場に一台あった。が、それが解体現場の一角だったらしく、作業の際、邪魔だということで一時的に撤去されていたようだ」

「待ってください。現場の前の道路って、一本道でしたよね? 端と端を映しているなら、両端で映った人を照らし合わせれば……」

「これを見てほしい」

 片岡は画像を縮めると代わりに衛星地図を広げてみせた。どうやら事件現場周辺らしい。

「坂下巡査長の言うとおり、事件現場の前は一本道。その道の端と端にカメラがある。片方は大通りに面しているのだが、その反対側、丁度カメラの死角に地図には無い獣道のような脇道が一つ存在するようだ。つまり、ここから出入りされた場合、こちらでは把握できない。まあ、アクティブな犯人なら、フェンスを乗り越えた可能性も考えられるだろうが、そこまで予測を広げてしまうと収集がつかないから止めるがね」

 片岡は指輪式の端末に軽く触れる。展開されていた画像が一瞬で消えた。

「“KOMOKUTENコウモクテン”で記された数値によれば、現場周辺は治安が悪いそうじゃないか。その割に監視体制がなっていない。早急な改善を検討してくれたまえ」

 端末を隠すように腕を組み、姿勢よく立つ片岡はどこか威圧的に見えた。竹輔が申し訳なさそうに肩をすくめる中、蕗二は事件の整理を始めていた。空いていた椅子を引き寄せ、腰を深く落ち着かせる。それに習い、竹輔と片岡も椅子に座った。

「竹、正直どう思う」

「土地勘がありそうですよね。地元の人間かもしれません。あと……」

 不意に竹輔は口をつぐむ。ただ黙って待つ蕗二の真っ直ぐな視線に覚悟を決めたのか、恐る恐る口を開く。

「野村さんの言っていたことが気になります。もし、彼女が殺されたがっていたとして……、その……犯人は、彼女が自殺したがっていたことを知っていた……顔見知りなんじゃないかって、思うんです」

「あり得るな。遺体の状況からは、自殺にも他殺にも取れる。自殺してるところにばったり出くわすとか、すごい確率だろうし。どっちにしろ、犯人と被害者は見知った人間で、自殺を手伝ったか、あるいは頼まれて殺したかだろう」

 蕗二の肯定に、竹輔はほっと胸を撫で下ろすと、気を取り直すように椅子に座りなおした。

「二週間前に、事件現場に行っている事も気になります。そこで犯人と接触してたとか?」

「ああ、片岡が予測した29人の容疑者。そこに犯人がいるはずだ」

「でも一人一人当たるには、時間がかかりすぎますよね……」

 蕗二と竹輔が口を閉ざすと同時に、じっと話を聞いていた片岡が真っ直ぐ手を上げた。

「飯田美穂の携帯端末に侵入クラックして、インターネット回線を中心に洗ってみようか?」

 その言葉に竹輔が目を輝かせ、蕗二は一瞬顔をしかめたが、小さな舌打ちとともに頷いた。

「……仕方ないか。SNSはもちろん、自殺サイトとか出会い系でもなんでもいい。飯田美穂が誰かと接触してないか、探ってくれ」

 蕗二の賛同は意外だったようだ。片岡は眼鏡の奥で目を瞬かせ、ふと口の端を吊り上げる。

「おや、素直だ。この前は噛み付く勢いで否定してきたが、牙でも抜いたか?」

 茶化す片岡をわざと睨みつけた蕗二に、「おお怖い」と片岡はわざとらしく怖がってみせると、指輪に触れて早速画面を展開する。さまざまなファイルを次々と開いているところから、しばらく時間がかかるだろう。

「あとは、証拠か……」

 蕗二は膝に肘を引っかけ、指を組んだ。

 前回の井上事件のように、人数は絞れていない。しかも、頼りのカメラや≪リーダーシステム≫に引っかからない以上、確実に犯人だと断定し、逮捕することができない。そんな奴が、事情聴取程度で犯行について口を開くだろうか。いや、それどころか容疑を否定するだろう。凶器を持ち帰ったことを考えると、犯行は行きずりなんかじゃない、とても計画的だ。科捜研や鑑識が総力を挙げているだろうが、決定的な証拠になるようなものは見つからない可能性がある。

 バレる訳がない。きっと、犯人はほくそ笑んでいる。

 その顔面に、強力な一撃を食らわせなければ。

 蕗二は液晶端末をポケットから引っ張り出した。だが指先が引きつったように画面の上でたじろぐ。

 ふと顔を上げると、竹輔が不安そうな視線とぶつかった。蕗二は左胸に手を当て、深呼吸する。強張っていた体から力が抜ければ、指はいつも通りに動いた。アイコンをタップし、目的の人物に電話をかける。画面は真っ暗のまま。呼び出し中から通話中と切り替わったが、聞こえてきたのは留守番電話を知らせる柔らかな機械音声だった。

 録音開始を告げる高い電子音。蕗二は息を吸った。

「芳乃、被害者はお前と大して変わらない年の子だ。犯人はいまだ判らない。このままじゃ、また誰かが犠牲になるかもしれない最悪の状況だ。お前の、気が乗らないのは知ってる。だけど、どうしてもお前の力が必要なんだ。これ以上」

ふと、咽び泣く飯田美穂の母親の背と悲鳴に似た泣き声が、鮮明に頭の中で再生される。

 悲痛な泣き声。濡れるスーツ。握り締められた腕。食い込んだ爪。むせび泣く母の声。今まで聞いたことのない母の嗚咽おえつまじりの泣き声と名を呼ぶ父の叫び声。広い背。赤い血の色。青い光。耳につく笑い声。

 全てが津波のように、蕗二の思考を飲み込もうと押し寄せる。

「これ以上!」

 無理やり声を出す。耳に自分の声が響いた。静間にかえる。記憶の波は消えていた。再び息を深く吸うと、喉に細い針が刺さるような痛みがした。声を振り絞ると、低い声が画面に落ちる。

「これ以上、人を死なせたくない」

 画面をスライドし、電話を切る。瞬間、電話が振動した。画面の着信画面には【芳乃】と書かれていた。指でゆっくりと画面をなぞると、画面が黒くなり白い文字で通信中とだけ浮かぶ。

『留守電に気持ち悪いこと、入れないでくれませんか』

 繋いだ液晶端末の向こうから唸り声に似た声がした。

『前もそうでしたけど、刑事さんの台詞が臭すぎて吐きそうです。おえっ』

「う、うるせー……」

『臭い自覚があるなら、直してください』

 そういって、芳乃がわざとらしく大きな溜息をつく。

『行きます』

「え?」

『だから、今から行きますよ。行けばいいんでしょ』

 不貞腐ふてくされたような言い方だった。が、蕗二は思わず拳を握った。合わせて歓声を上げたかったが、乗り気になった芳乃の機嫌を損ねるわけにはいかない。蕗二は感情を抑え、平静を装った。

「おう、迎えに行く。今何処に来るんだ……って、あいつ切りやがった!」

 通話終了に変わっていた画面に奴当たるように声を荒げると、竹輔が口に人差し指を立てた。

「蕗二さん、声大きいですって」

「ああ、おう、悪い……」

 慌てて声を潜めた蕗二に、竹輔は小さく笑う。

「どうしましょう。芳乃くんを待ちますか?」

「いや、時間が惜しい。片岡、検索はまだか?」

「もう少しかかるね」

「分かった。竹、≪リーダーシステム≫で芳乃を探せ。拾いにいく」







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