File:2 邂逅する二人
蕗二が視線だけで人を殺そうとしている中、竹輔が恐る恐る口を開いた。
「
顔を
「坂下くんは実に冷静だね、感心するよ。ついて来なさい」
会議室を出て角を曲がり、また薄暗い廊下へ足を踏み入れる。やはり人の気配のしない廊下を進めば進むほど、薄暗さは増している気がする。先ほどとは違う緊張の中、やがて突き当たったのは第六会議室。そのドアの脇に、なぜか二人警官が立っている。前を歩いていた菊田がドアを開けた。警視監の後に続き部屋に入ると、中は先ほどとまったく同じような部屋だった。違うところは、後方に積まれていた机と椅子の群れは姿を消し、広い部屋に違和感を残すように椅子だけが三つ並んでいる。そこに三人が座っていた。柳本が蕗二と竹輔に振り返る。
「紹介しよう。左から、
片岡は三十路あたりの神経質そうな眼鏡の男、野村は大学生であろう若く化粧も服装も派手な女性、そして芳乃は緊張しているのか、足元に視線を落とした大人しそうな学ランの少年だった。
何処からどう見ても、警察関係者には見えない。
なんなんだ、こいつらは。
その疑問は、ある物を捉えた瞬間吹き飛んだ。
三人の両耳には青いフープピアスが光っていた。
「≪ブルーマーク≫……!」
喉からその言葉が零れた途端、テレビの砂嵐のように耳元で血の巡る音が頭を埋め尽くす。
白黒の向こうに、はっきりと映し出された赤と青。
父の怒声、視界を覆う背中、一面の血溜まり、青い光。
耳に張りつく
蕗二の様子に竹輔が小さな悲鳴を上げ、菊田が身構え、片岡と野村は
その中で一人、芳乃だけが動かなかった。蕗二の殺気を宿した目が芳乃に標準を合わせても、芳乃は動かない。恐怖でも怯えでもない、ただ無感情に目尻の垂れた目が静かに蕗二を受け止めていた。
「ごっほん」
わざとらしい大きな咳払いに蕗二は肩を跳ねさせ、黒い眼がそれた。瞬間、足の裏に硬い感触を覚え、よろめいた。確かめるように足元を見ると、両足はしっかりと床を踏みしめていた。どっと全身から汗が噴き出す。内側から心臓が激しく胸を叩き、肺が喘ぐように膨らんだ。新鮮な空気を求めてネクタイを緩める指先が震え、握りこんだ指先は冷たくなっていた。
なんだ、何が起きた。答えを求めるように少年を見るが、視線は柳本に向いていた。あの眼の闇はもう、どこにもない。
「話の続きをしても構わないかね?」
「三輪警部補、坂下巡査部長。二人にはこれから【特殊殺人対策捜査班】に所属してもらう。そこで、この三人の≪ブルーマーク≫を率いて、連続殺人の早急な事件解決に取り組んで頂きたい」
高らかな宣言のごとく柳本の声が部屋に響けば、≪ブルーマーク≫の三人は顔を歪ませた。
「どういう意味ですか、何も聞いてないんですけど」
「そうよ! 任意同行とかマジわかんない事言われて、無理やりつれてこられだけなんだよ私らぁ!」
「私達にも個々の生活がある。これは人権の侵害に当たるはずだが」
芳乃、野村、片岡が続けて声を上げれば、柳本は顎に手を当てて首を傾げる。
「そうだったかね?」
とぼける柳本に、さらに嫌悪で表情を歪めた芳乃が立ち上がった。
「ふざけないでください。ぼくは帰らせてもらいます」
その瞬間、ドアの脇で狛犬のごとく微動だにしなかった警官二人が動いた。鏡のように全く同じ動作で、腰から拳銃を引き抜いた。銃口を向けられた芳乃は当然だが、片岡に野村、蕗二も竹輔も、菊田さえ驚きを隠せない。
誰もが緊張で動けない中、柳本はわざとらしく溜息をつき、肩をすくませた。
「君たち三人には拒否権はない。従わないなら、命の保障はできかねん。ああでも、もしここで誰か死んだとして、残った君たちの誰かが訴えたとしても、警官から拳銃を奪い逃走を図ったため、止む終えなく射殺。というように公表させてもらうよ。≪マーク≫付きならメディアからのお
「……最悪だ」
芳乃が歯を剥いて吐き捨て、元の場所に座った。拳銃はまだ下ろされない。すると、片岡が精密機械のようにまっすぐに右手を上げる。
「警視監殿。我々も命は
同意を求めるように隣の野村に視線を向けると、彼女は勢いよく頷いた。
「そうそう。コレ着けてても、別に完全な犯罪者じゃないんだもん」
青いピアスを見せ付けるように耳を広げる野村に、柳本は娘でも見るような表情を浮かべた。
「それはそれは、失礼した。確かに正しい。乱暴な物言いは改めよう」
柳本が右手を上げると二人の警官は拳銃を下ろした。片岡と野村が小さく
「三輪警部補。君がこのチーム、【特殊殺人対策捜査班】の指揮官だ。しばらくは菊田警部を補佐に付けるから、まあ詳細は彼に聞きなさい。それから君たちが主に在籍する部屋については」
突然の電子音が柳本の言葉をさえぎった。
蕗二は柳本の脇に立つ警官に目を向ける。右耳に装着していた小型の通信機を押さえ、じっと耳を澄ましている。そして静かに柳本へ耳打ちをする。柳本は深く一度頷くと、両手を一度叩いた。広い部屋に鳴り響く音に全員が身を固めた。
「ちょうど一報が入った。説明は途中だが、百聞は一見にしかずと言うじゃないか。さあ、【特殊殺人対策捜査班】初出動してくれたまえ」
人の良い笑顔が、今度こそ悪魔に見えた。
「何が」
蕗二の荒げた声は腕を強引に引かれたことによって途切れた。菊田は蕗二を廊下まで引きずり出す。それに便乗して会議室を脱した竹輔がドアを閉めた直後、蕗二の堰が切れた。
「菊田さん、一体どういうことなんですか!」
腹底から出された蕗二の怒声で廊下が揺れる。菊田の腕を振り払い、
「≪ブルーマーク≫とはいえ、あの三人は一般人ですよね。捜査に巻き込むなんて、納得できません」
「そうだな。君と坂下君には詳しい話をしないといけない」
菊田はそれだけ言うと早足で廊下を進み出す。それを追い、エレベーターに乗り込むとすぐにドアが閉まった。直前、ドアの隙間から見た薄暗い廊下には誰も見えず、音も無く下がり始めるエレベーターの中には≪ブルーマーク≫の三人はいなかった。彼らは別のルートで現場に向かうのだろう。が、それより言いたいこと聞きたいことが山ほどありすぎて、一般よりは早いだろうエレベーターに舌打ちをする。地下駐車場まで降りた三人は手短なパトカーに乗り込む。パトカーはすでに起動していて、ナビには行き先が設定されていた。菊田がナビの画面端で点滅するROUTE STARTの文字に触れると、パトカーは滑るように勝手に動き出す。
自動運転システム。通称ADS。
日本では7割使われているこれは、もちろん警察でも犯人を追跡する場合以外は基本的に使われる。運転席に座る菊田は、万が一の為だけにハンドルに手をそえているだけだ。
パトカーは独りでに地下駐車場を走り、地上に出るとサイレンを鳴らし道路へ飛び出した。車の間を縫い加速していく車内、やっと菊田が口を開いた。
「11年前に作られた『犯罪防止策』。日本国民全員に定期的なテストを行い、犯罪者になりそうな人物を探し出し印付けする。それが≪ブルーマーク≫だ。警視監はそれを逆手にとって、犯罪者を捕まえる手段として利用するつもりだろう。目には目をってやつだ。私も深い内容は知らされていないが、あの三人には、≪ブルーマーク≫の中でも特異なところがあるのかもしれない」
竹輔が後部座席から身を乗り出した。
「いいんですか、そんなの……」
「もちろん反対はした。だが、私では止められなかった」
「蕗二さんは」
竹輔は助手席の蕗二を見て言葉を詰まらせた。菊田は横目で蕗二を
「君が、≪ブルーマーク≫をひどく憎んでいることは知っている。だが、今は辛抱しなさい」
「わかってます」
口ではそう言ったが、腹底は荒れ狂っていた。噛み締めた奥歯がギチギチと音を立てている。
犯罪者を止めることは警察、刑事の使命だ。だがたとえ、正義だとか日本のためだとしても、≪ブルーマーク≫は信用できない。まして警察に協力させるなんざ真っ平ごめんだ。
イラ立ちを抑えられない蕗二は、冷たい窓に額を押し付ける。強く目を
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