File:3 吼えるなら


 AM9:13。荒川河川敷。


 晴れた日なら、そこは草野球や散歩をする人でにぎやかなはずだった。しかし今、何台ものパトカーによって溢れ返り、独特の緊張感と野次馬の好奇心に満ちていた。

 

蕗二ふきじ竹輔たけすけ菊田きくたが車を降りた所に、もう一台パトカーが到着した。降りてきたのは≪ブルーマーク≫の三人とあの狛犬のような二人の警官だ。≪ブルーマーク≫を捜査に協力させるという柳本の言葉は本気だったらしい。苛立ちを隠せないまま、蕗二はブルーシートで覆われる荒川の土手、川に入れないよう人工的に木々を植えたその場所の一角に足を進める。入り口に立つ若い警官服の男が、無造作に近づいてくる蕗二に警戒の色を見せた。帽子の下の目を不審そうに蕗二、竹輔と視線を向け、最後に菊田を窺う。

 あのくそ狸。現場に出動させるなら、それぐらい話し通しとけよ。

 人相がより悪くなった蕗二を隠すように一歩前に出た菊田は、満面の笑みを向けた。

「大丈夫だ、こちらは本日付けで警視庁に異動になった三輪警部補と坂下巡査部長。あと後ろの三人も私の連れだ。もし何か文句があれば、一課の菊田まで言いに来いと伝えてくれ」

 淡々と業務的に伝える菊田に警官は敬礼をして、一歩横にそれる。菊田はブルーシートを押し分けた。形ばかりの会釈えしゃくをしながら蕗二も素早く後に続く。足を踏み入れた先、ブルーシートの中はさらに緊張していた。蕗二は整えられた芝生の向こう、雑草や低い樹が並び青い服の鑑識が集まっているそこへ進む。

 行き交う鑑識を避けながら、あと数メートル。芝生しばふが膝上ほどの雑草に変わる境界線で、蕗二は眉間の皺を深くした。ほぼ同時に竹輔が小さな咳をし、ハンカチで口を覆った。正確に言うと鼻だ。

 臭いのだ。

 生ゴミを腐らせた時の、酸っぱく嗅げば嗅ぐほど吐き気を呼び、さらに川の泥臭さが合わさって拒絶反応を起こす不快さだ。それでも蕗二は足を止めることなく、雑草を掻き分け、鑑識たちが見つめるソレを覗く。

 男が一人、仰向けに倒れていた。

 五十過ぎほどだろうか、ところどころ深い皺のある顔と右半身を川に浸からせている。時折川の流れに合わせて水面下を揺れ動く腕が、白い魚の腹を思わせた。

 蕗二は素早く視線を走らせる。男の服はTシャツにジーパンと簡素だったが、血のような派手なものは見当たらない。事故死といわれれば頷いたかもしれない。しかし、問題は男の辺りに浮く脂らしき白い物だ。分厚いビニールの手袋をした鑑識が男のすぐ脇から何かを掴みあげた。悪臭を放つ白い枯れ枝のようなそれは、真っ黒に腐った腕だった。肘から下だと分かったのは一瞬で、トカゲの尾のように肉と手首が千切れ、自らの重みで川へと落ちた。水気を含んだ重い肉が、水袋を落としたように鈍い音を立てて沈む。

「こりゃ、二人だな」

 菊田の呟きに、蕗二は静かに頷く。竹輔はハンカチを両手で挟んで合わせると、そばでしゃがんでいる鑑識に声をかける。

「すみません、第一発見者はどちらに?」

「外のワゴンで事情聴取しているはずですよ。ゴミ拾いをしていた人が、偶然にも遺体を発見したとのことです」

「わかりました。蕗二さん、僕も聴取に参加してきます」

「ああ頼む」

 竹輔が離れるのと同時に、蕗二は近くの鑑識に声をかけた。

「ホトケさんの死因は頭か?」

「はい、他に目立った外傷がありませんので恐らく。もう一方の腐乱した遺体は」

「わーお、めっちゃドラマみたい!」

 突然の場違いな声に振り返ると、野村が蕗二の真後ろにいた。目を輝かせてまるで可愛い小動物を見つけたかのように、異臭を放つ遺体を覗き込んでいる。

こいつ鼻詰まってんのか? それとも俺が思ってるより臭わないのか?

 少し深く息を吸うと、堪らずむせ返る。現場慣れをしている蕗二でさえ、あまり気持ちの良い臭いではないソレを、ただの一般人が耐えられるはずがない。その証拠に離れた場所で片岡は手の甲で鼻を押さえ、眼鏡の奥で不快に顔を歪めていた。その隣の芳乃ほうのにいたっては腕で顔下半分を覆い、その上からさらに手を押し付けて完全に血の気を引かせている。

 もう一度野村を見るが、表情は変わらなかった。それどころか、蕗二を見上げながら「ねえ、もっと近くで見てもいーい?」なんて言い出す始末で、蕗二は言葉が出なかった。周りで作業中だった鑑識たちも目を剥いて、野村を見つめる。

「許可しよう」

 そう言ったのは、菊田だった。

「え、まさか菊田さ……」

「靴にこのビニールを被せなさい。あと、ご遺体には触れないように」

 蕗二の言葉を遮り、あっという間に野村に身支度させると、今度は真っ青な芳乃と片岡を連れて踵を返した。その後を蕗二は慌てて追う。

「菊田さん、どういうことですか」

「君はそればかりだな」

 菊田は芳乃をブルーシートの端に座らせ片岡に看病を任せると、蕗二の肩を掴んで歩き出した。

「何が気に入らない?」

「≪ブルーマーク≫がなんの役に立つのか、まったくわかりません。うちは観光会社じゃないんですよ」

 菊田は蕗二の肩に腕を回し、顔を近づけた。

「私の予想だが、【特殊殺人対策捜査班】は試作段階の部署。柳本いわく早期解決専門部署だ。もし、検挙までに時間がかかれば、自然と解散の方向になるだろう」

 不意に首に菊田の腕がかかった。あっと思った瞬間、後ろえりをつかまれ強く引き倒される。受身を取ろうと身体をひねるが腕を取られ、勢いそのまま体の正面から地面に激突した。衝撃に息が詰まり、たまらず咳きこむ。苦しさにもがこうとするが腕は背中に捻り上げられていてビクともしない。

 芝生しばふに頬をこすりつける蕗二の背に、体重がかかった。

「今安心したな。そうだろ」

 重く冷ややかな声が投げられ、蕗二は口をつぐむ。

「三輪警部補。君は今、【特殊殺人対策捜査班】の班長だ。たとえ≪メンバー≫が気に食わないとしても、班長である以上現場では迅速じんそくに指揮を取り、部下の面倒を看なければならない。お前は私に、いっぱしの刑事になったと言ったな。では職務をまっとうしてみせろ」

 腕が開放され、蕗二の目の端を色褪いろあせた革靴が通り過ぎても、顔を上げることができずにいた。

≪ブルーマーク≫は憎い。憎くて堪らない。あの日奪われたものを、もう奪われまいと刑事になった。

 絶対に揺らがない。青い光を見るだけで憎しみが、怒りが腹奥で牙を剥いて荒れ狂う。

 だが、いくら下っ端が低底から吼えても届かない。なら届くところまで這い上がれ。頭を使え、使えるものは全て使え、そして示して見せろ。

 全てはそれからだ。

 蕗二は地面を拳で叩く。骨に響く痛みに舌打ちした。

「やってやるよ」

 自分の低い声が、鼓膜を強く叩いた。勢いをつけて立ち上がる。

「おい、竹」

 蕗二が声を上げると、菊田とのやり取りで声をかけるタイミングを見失って、一部始終を見ながら立ち尽くしていたのだろう竹輔が近寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか?」

「んなことはどうでもいい。それより、何か分かったことあるか?」

「あ、はい。判明している被害者は、

森慶太さんと言うそうです。もう一人は現在捜索中。第一発見者は毎月第一土曜日に必ず清掃に来ているそうで、その時は何もなかったと」

「じゃあ、一ヶ月前の3月1日まで、遺体は両方とも無かったってことか」

 ふと、遺体のあった方へ視線を向けると、黒い袋を持ち運ぼうとする捜査員の姿が目に入った。

 直に撤収だ。これから、連続殺人として帳場が立つだろう。

 遺体を見送るために手を合わせ、目を瞑り一呼吸。目を開けると、回収されて見る物がなくなったのか、野村が手袋と靴のビニールカバーを取りながら歩いてくる姿が見えた。

「お前ら、ちょっといいか」

 蕗二は少し声を張り上げる。竹輔は蕗二を見つめ、野村が首を傾げ、片岡は眼鏡を押し上げ、芳乃は不服げに立ち上がった。

「殺人事件が有った場合、警察が面取めんとり、地取ぢどり、鑑取かんどりしてありったけの証拠を集める。つまり、犯人を見つけるまで、時間がアホほどかかりまくるわけだ。お前らも、捜査が終わるまで何日も協力してもらう」

 三人はそれぞれ不満な表情を浮かべた。

「俺も、お前らと一緒は真っ平ごめんだ。だから早くケリをつけたい」

 全員の視線を受け、蕗二は姿勢を正した。

 やってやるよ。

 お偉い様のご都合でつくったやっつけ部署おもちゃで、踏ん反り返った頭殴りつけてやる。

「誰よりも、早く犯人を捕まえたい。協力してくれ!」








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