第四節 二人の隠者

 辛悟と東巌子は蘇頲の伝手により、とある役人の家に宿を借りていた。その役人の名はよう玄琰げんえんと言い、蜀州司戸しこの役職にあった。蘇頲とどのような関わりがあったのかまでは辛悟も知らないが、蘇頲の紹介というだけで手厚くもてなしてくれている。

「今日は噂に聞く都安堰とあんえんを見に行くつもりであったのに、お主のせいで台無しじゃ。あんな騒ぎを起こしたとあっては、ほとぼりが冷めるまでは暫く外出を控えねば」

 屋敷の中に造られた広大な花園の中、ちんの縁に腰かける東巌子。李白は花壇の花をじろじろと見つめながらびーびーと愚痴を垂れる。

「わしのせいじゃないもーん。あいつが大人しく衣装を渡せばよかったんじゃもーん」

「貴様、いったい何歳だ?」

「半人半仙のこのわしによわいを問うとは笑止千万じゃ! それだから辛悟はいつまで経っても短足なんじゃ!」

「それとこれとは関係ねぇ!?」

 辛悟が飛びかかろうとし、李白がさっと飛び退き、東巌子は肩を揺らして忍び笑う。三人がそうして他愛もなく戯れていると、そこへ武官の成りをした男がやって来た。蘇頲に仕える武官であり三人の友人、柯高かこうだ。すっかり傷も癒えた彼は辛悟と東巌子の護衛という名目で同道していたのだ。

「戻られていたのですね。おや、それに李居士まで。これは困ったことになった」

 その一言に辛悟と東巌子はぷっと吹き出す。李白がいると面倒事が起きるのはいつもの事だが、それをこうまであからさまに言うとは。李白は眉をぐいっと吊り上げ、背中を丸めがに股で柯高に詰め寄る。

「おうおう、柯高。このわしがおるとなぁ~んで困ったことになるのじゃ? こんなにも聡明で武芸にも優れるわしが、なぜおってはならんのじゃ、あぁん?」

 その言動がすでに面倒臭いのは知ってか知らずか。柯高はいかにも失言を悔いる表情で李白を押し止める。

「別に李居士を悪く言うつもりはありませんよ。ええ、もちろん。ただ、今しがたこちらへ厄介な客人が参られましてね。広間にいらっしゃるのですが」

「客人? それが李白と何の関係が?」

「いえ、李居士というより、この場合は……」

 そうして視線を向けた先は、意外にも東巌子であった。辛悟と李白もそれに気づいて、三者ともに東巌子へ視線を注ぐ。東巌子もこれは少々意外だったようだ。

「さて、わしが何か仕出かしたかな?」

 東巌子は普段からあまり目立った行動はしない。いつも辛悟の側で影のように付いて回り、目立った行動を起こすことはない。問題行動だらけの李白とは正反対、対極にいると言える。

「よぉーし、ちょっくらその客人とやらの様子を見に行ってみようではないか!」

 李白は宣言するなりもう歩き出している。止めても無駄なことは全員が知っている。柯高は己の失言を悔いながら李白の後を追った。邸内の道を知らぬ李白を先に行かせようものなら、それこそ道中何をやらかすか知れたものではない。であれば諦めて案内するまでだ。

 広間に着いてみると、主の楊玄琰が誰かと話し込んでいる。白髪白髯、六十過ぎの老人だ。李白がためらいもなく中へ飛び込んで行くとちらりと視線を向ける。後に続いていた辛悟は一瞬はっとした。その眼力とでも言うべきか、目つきに既視感があった。すぐさま隣へ視線を向ける。そうだ、東巌子の目と似ているのだ。

「わしこそは東巌子の義弟にして司馬しば相如そうじょの再来、青蓮居士の李白りはく様じゃ。楊大人にご挨拶申し上げる」

「これは李白殿、お目にかかれて何より」

 両手を掲げて拱手するのへ、楊玄琰も礼を返す。李白の名は辛悟からも蘇頲からも聞いて知っていたのだ。高官たる楊玄琰にしてみれば李白などまだまだ取るに足らない若者だが、蘇頲の知人とあっては無下にもできなかったし、詩才を高く評価されているのも知っていた。

「そうか、貴様が青蓮居士の李白か!」

 そこで大喝を発したのは白髪の老人だ。バン、と卓を打って立ち上がる。こめかみに浮かんだ血管がピクピクと痙攣していた。李白はそちらへ向き直り偉そうに仁王立ちとなる。

「おう、そうじゃ。ご老体よ、何をそんなにお怒りじゃ? わしとお主は初対面のはずじゃが」

われとて貴様と会うのはこれが初だわい。しかしこの頃、我が青蓮居士なるどこの馬の骨とも知れぬ輩とつるんでいると噂になっておるそうではないか!」

「ほほ~う? 仙界は元より今生においてもお主とは間違いなく初対面。互いに顔も名前も知らぬ相手がつるむ噂が流れるとは、なんとも面妖なことよのぅ」

 さりげなく自分は仙界に出入りできる高潔の士であり、お前は違うと侮辱している。老人は当然ながらそれに気づいたようだが、ケッと吐き捨てたのみで追及しない。

「貴様のような若輩が何者とつるもうと我の知ったとこではない。しかし我がそのような流言に巻き込まれるのは真っ平御免じゃ。我が今日この場に参ったのは、ここに我を騙る不貞の輩がおると知ったからでな。さあ楊大人よ、その不届き者を出してもらおうか!」

「ご老体、ご尊名は?」

 辛悟が問うと、老人はカッと目を見開き一同を睥睨した。

「我は姓をちょう、名はずい、号は――東巌子だ!」

 全員の視線が一点に集中する。微動だにしなかったのは、老人趙蕤と、黄衣の翁。衆目を集めながら、しかし翁は白髯を撫でながら他人事のように呟くのだった。

「さぁて、どうしたものかのぅ?」

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