第四節 汚された鏢旗

「てめえっ、何をしやがる!?」

「何をしやがるはこっちが言いたいわい。貴様ら図体のデカい奴らが、どうしてこんな所でのそのそのたのたしておるのじゃ。邪魔なことこの上ないわっ!」

「な、何だと!」

 辛悟が慌てて駆けつけてみれば、何のことはない、李白と数人の武装した男たちが口角泡を飛ばして罵りあっている。男たちは先ほど食事を摂っていた鏢局の一団だ。どうやら腹ごしらえを終えて出発の準備をしていたところ、飛び出した李白が彼らの荷馬車にぶつかったようだ。足元には無残に砕け散った酒甕と大皿の破片が散らばっている。そしてあろうことか、荷馬車の上に被せられている鏢旗ひょうきにべったりと料理であったものが染みついていた。金糸銀糸で刺繍された一対の龍が見るも無残である。

 鏢局とは運送業兼傭兵の一団であり、預かった荷や依頼人を野盗の類から守りつつ目的地へ送り届けることを生業とする。故に彼ら、鏢師ひょうしは自らの威名を大事にした。名のある鏢局であればその名を聞くだけで悪党どもは逃げ散るからだ。その象徴たる鏢旗は彼らの誇りである。これを汚されて黙っていられるわけがない。当然の事ながら李白は武装した男たち総勢八人にぐるりと取り囲まれてしまった。

「この青二才が、俺たち「壬龍じんりゅう鏢局」に喧嘩を売るつもりか!」

「あー? みかじめ料もまともに払えぬような壬龍鏢局ごときが、この李白様に喧嘩を売るつもりか!」

 明らかに状況は不利であるのに、李白は一歩も引かぬどころか噛みつかんばかりの剣幕である。その正面で言い合っていた一団の長、鏢頭ひょうとうと思しき男の顔面がみるみる内に真っ赤になっていく。禿頭であるためにその様は茹で蛸のようである。彼は李白よりも頭一つ背が高く、胴も太ければ手足も丸太のように太い。その腕がぶぅんと唸ったかと思えば、李白の体は宙を舞って飯店の壁に叩きつけられていた。憐れ壁面には盛大な亀裂が入り、飯店そのものもギシギシと嫌な音を立てた。

「言わせておけば、無礼な奴め! 吊し上げてやる!」

「やってみよ木偶の坊が。わしに指一本でも触れられるものならばな」

 今しがた指どころか腕で殴り飛ばされた奴が、鼻血を吹き出しながら何を言うか。ともあれこのまま放っておけば李白はズタボロに叩きのめされることだろう。それを見過ごすわけには――いや、別に助けなくてもいいか。巻き込まれたくないし。

「おいこら辛悟、貴様も手伝わんか!」

「だろうと思ったよ!」

 一歩距離を置こうとしていた辛悟もあっさりと巻き込まれた。李白に襲い掛かろうとしていた鏢師たちの一部が矛先を変えてこちらに向かって来る。辛悟は近場にあった椅子を足で蹴飛ばし、彼らの足元に飛ばす。足を取られた一同はどっとその場につんのめった。

「李白! 無用な争いは御免だぞ。俺は先に行くからな!」

 転倒した鏢師の背中を蹴りつけながら外へ飛び出し、顔面に鏢頭の拳を喰らった李白を横目にさらに跳躍。軽功を使って一気に向かいの塀へと飛び移る。直後、拳を喰らった李白は無駄にきりもみ回転しながら荷馬車へと突っ込んだ。ただでさえ汚してしまった鏢旗をさらに血で汚しつつ、荷箱をガラガラとぶちまける。幸い荷箱の中身は空であったが、そのいくつかは李白の下敷きになってバラバラに砕け散った。慌てて飛び降りた御者の足元に大の字になって転がった李白は、頭でも打ったのかすぐには立ち上がらない。それを鏢頭は足で踏みつけようとした。あの巨体が全体重をかけて踏みつければ、人間の頭など西瓜すいかと何の違いがあろうか。

 ガァン! 初め、誰もがその耳鳴りを伴う音の正体に気づけなかった。それを悟ることが出来たのは、鏢頭が膝を折ってその場に頽れてからだった。その背後には横幅だけなら鏢頭にも負けない、桃家飯店の女主人が仁王立ちになっていた。その手には黒鉄の大鍋を持って。

「ごちゃごちゃうるさいよ、あんたたち! 騒ぎを起こすならそこの角を曲がった先に張家飯店って店があるから、そっちでやりな。うちの商売を邪魔するんじゃない!」

「この野郎っ、よくも兄貴を! 俺たちは客だぞ!」

 怒り狂った鏢師の一人が女主人に打ち掛かる。が、女主人の方はそれを一瞥するや、ふんと鼻を鳴らしながら大鍋を揮った。ガァン、鏢師の顔面は一瞬でならされた。

「見てわからないのかい、あたしは野郎じゃなくて女だよっ! それにこっちは酒と料理を振る舞ったし、あんたたちも代金を支払った。お互い果たすべきことは果たしたんだ、もう赤の他人同士さ。威張るんじゃあないよ! それよりも壊した壁の修繕費をよこしなっ!」

 再び大鍋が唸りを上げる。その威力を既に二回も目にしている鏢師たちは慌てるあまりに右往左往するばかり。

「いやぁ、酷い目に遭ったわい。一体誰のせいじゃ、えぇ?」

 いつの間にやら李白も塀の上に登って目下の騒動を見物に回っている。お前のせいだ、と吐き捨てる辛悟。とにかくこれ以上厄介事に巻き込まれるのは御免だと銀子を適当に飯店の窓から投げ込み背を向ける。そこでふと思い出したように振り返ると、東巌子の姿はいつの間にやら消え失せていた。

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