抄録総集
第一節 非礼の詫び
俺か? 俺は姓を
あいつ――李白とは、一応義兄弟の関係だ。とにかくあいつは誰とでも義兄弟になりたがるんだ。実際のところ奴が俺をどう思っているかは分からんよ。もともと俺が勝手にあいつの後について行ったようなものだからな。行動は共にするが、何か意味があるわけじゃあない。本当に、何なのだろうな、この腐れ縁は。――なに、奴と出会ったころの話を聞かせろだと? あんたも物好きだな。別に構いはしないが……あんまり面白い話でもねぇぞ?
あれは確か、そう、俺がまだ十五の時だったか。辛家ってのは代々官僚の家系でね。当然ながら家督を継ぐ者は官職につかなきゃならねぇ。だが俺の兄貴が死んで、俺は辛家の期待をいきなり背負わされることになった。まったく、酷い話だ。それまで好き勝手させて目もくれなかったのに、兄貴が死んでからはやれ辛家の自覚を持てだの勉学に励めだの、都合のいいことばっかりだ。
っと、話が逸れたな。それでまぁ、俺はすっかりグレちまってな。連日のように賭場に足を運んでは囲碁勝負で金を巻き上げる日々よ。別に金に困っていたわけじゃあない。……そうだ、俺は誰かを負かして、強者でありたかったんだ。郷試を受けるたびに俺は俺の不出来さを思い知らされる……そんな思いを消し去りたくて、弱いやつを探しては食い物にして優越感を満たしていたんだ。
そんな時だったよ、李白が現れたのは。開口一番失礼な奴だったぜ。人をいきなり
奴の手筋は最悪だった。定石なんてまるで無視、終始俺の優勢だ。楽に勝てるはずだったが、途中で邪魔が入っちまって……使用人に
二度目に李白と会ったのは、その翌日だな。奴は阿遥との勝負のあと、どこぞのゴロツキにイカサマ勝負を仕掛けたらしい。それをバラして追われていたところだったな。俺は成り行きでゴロツキの一人を殴り倒した。本当なら関わり合いになるべきじゃあなかったが、俺はどうしても李白ともう一度囲碁勝負をする必要があったんだ。あいつは俺が阿遥を代役に立てた勝負を、その後どうやったのか局面を覆して勝ちやがったんだ。これが黙っていられるものか。俺たちはその場で再戦した。
勝負には勝ったさ。当然さ。奴の手は定石を外していたからな。だが俺はそれを見て思ってしまったわけだ。そうだ……道の道とすべきは常の道に非ず、と。こうあるべきと言われた道の通りに進む、だがそれは俺にとって本当に歩むべき道なのか、と。
俺を都合の良い奴と思うか? 一族の期待に応えられない出来損ないが、己を正当化するためだけの思い込みだと。――いや、いいんだ、真面目に答えなくていい。それに、これはその場で李白にも言われたことだからな。だが前日に勘当同然の扱いを受けていた俺にしてみれば、これは救いだった。自身の思うままに生きて何が悪いのかと、そう思えたんだ。
それで俺はうっかり、本当にうっかりと、李白の後に続いてしまった。奴のようになりたいと思ったわけじゃあない。そんなのは死んでも願い下げだ。だがその道の先には、なにか新しい発見があるのじゃないかと思えたんだ。
……酒はまだあるぞ。さあ、呑みな。話は続けるか? それともやめるか? ……そうか、なら続けよう。
李白に続いて向かった先は、大雨だった。なにを思ったかあいつめ、山の中に右も左もわからぬまま飛び込みやがって、それで雨に降られるとは。俺は早々に自らの過ちを悟ったよ。もう遅かったがな。そのときはかろうじて廃廟を見つけて雨宿りできた。そういえば、そこで柳葉刀を持った変な娘に会ったな。名前は確か
ともかく俺たちは運の悪いことに、その廃廟へまた後からやってきた悪党二人組と出くわすことになった。どうにも官憲に追われる身の上だったようだが、素性はよく知らない。うまくやり過ごすつもりだったがそうも上手く行かなくてな、すぐに見つかってしまって乱闘になった。しかしその蘭香って娘は柳葉刀を振り回すくせに武芸はからきし、危うくこっちが斬られるところだった。その黒鉄の柳葉刀は稀に見る利刀だったのに、宝の持ち腐れさ。しかしそんなこんなで俺たちは共闘して悪党を追い出すことに成功した。娘は逃げた奴らを追ってどこぞへと消えてしまったがな。今はどこでどうしているのやら。
東兄と会ったのはその直後だな。ほら、さっきまで同席していたご老体だよ。姓名はなく、ただ号を東巌子と言う。――なに、その話も聞かせろだ? 本当にあんた、物好きなんだな。……話しても良いが、東兄には絶対に俺が話したなんて言ってくれるなよ?
雨夜が明けてから、俺たちは道を見失って山中をさまよった。それで危うく餓死しかけたところ、山小屋を見つけて転がり込んだらそこが東兄の家だった。
最初はいろいろともてなしてくれる東兄にありがたく甘えさせてもらったが、いつまでも山の中にこもって隠者の仲間入りをするわけにも行かない。それで俺たちは一度は東兄に別れを告げたんだが――ここから先が、本当に大変だった。
東兄は付かず離れず、俺たちを追い回し始めた。俺たちの行く先々で姿を見せては、距離を置いて琴を爪弾く。それも陰鬱な旋律を奏でるんだ。それはそれは不気味だったぜ。そんなことをされれば逃げるが道理ってもんだ。俺と李白は逃げ回ったよ。だがそれでも東兄は追いかけてくる。
そんな追走劇を演じている間に、俺たちは街道で野盗に襲われた一団に遭遇した。護衛の鏢局も雇い主も皆殺し、積み荷を根こそぎ奪われていた。そこにうっかり東兄が現れて……いやはや、今思い返してもぞっとするぜ。東兄は俺たちが強盗殺人をやらかしたと思い込んだ。もちろん間の悪い冤罪さ。義憤に駆られて襲ってくる東兄を撒いて俺たちは逃げ出した。で、逃げ込んだ先が本当の強盗一味の隠れ家だったわけだ。幸か不幸か、それで東兄の誤解は解けたがな。俺たちは一緒にそいつらを始末――いや、懲らしめてやったよ。
一件落着して、俺たちは宴席を囲んで義兄弟になった。ああそうだ、東兄、と俺たちは呼んではいるが、あれは本当は女だからな? それも俺たちよりちょっと年下だ。驚いただろ? なんでも、生まれ持っての色白体質で陽の光を浴びることができないそうだ。それで保護材を全身に纏って老爺の姿をしているのだと。衆目を避けて山中で隠者のように過ごしていたのもそのためだな。だが俺たちを追い回したのはどうやら山暮らしが長すぎて人恋しくなったかららしい。可愛いものだぜ。それならってことで俺たち三人は同道することになったわけだ。
――李白のバカ野郎は、その翌朝にどこぞへと消えてしまったがな。あとから聞いたところによると、戴天山で武芸の修行に励んだらしい。あまり詳しくは聞いていないから、そこのところの話も知りたきゃ李白本人に聞いてくれよ。
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