第二節 予期せぬ再会

 バンッ、と扉が蹴りつけられるや、蝶番が壊れて扉ごと吹っ飛んだ。店内にいた客の全員が何事かとそちらへ視線を向ける。もちろん蘭香もその例に漏れない。

 戸口に立っていたのは数人の男たち。差し込む逆光で顔つきはよくわからない。が、先頭の一人がぐるりと店内を見渡したのは影の動きで理解できた。

「旦那様、いかがなさいましたか?」

 店員が慌てて飛び出して来てへこへこと頭を下げる。本来ならば扉を蹴破られて怒りたいところだろうが、その先頭の一人は頭一つ飛び抜けた巨体で肩幅も常人の倍はある。そんな相手に苦情を申し立てられるわけがない。なんとか穏便に事を収められないかとおののいているのがわかる。

 巨漢はしかし店員の言葉になど目もくれず、その視線をピタリとある一点で止めた。そしてそのまま背後の誰かに向かって「あいつか」と問いかける。

「そうだ、あいつだ! あいつが兄貴を殺した小娘だ!」

「――その声は!」

 蘭香は驚きのあまりその場で立ち上がった。姿は見えないが、この声には覚えがある。あの日取り逃がし、ずっと追いかけていたあいつだ!

「ようやく見つけたわ。今日この時がお前の命日よ!」

(ああ、「お前の命日よ」だなんて! あたし、今すごくかっこいいわ!)

 蘭香が心中自己陶酔している間に、声の主が前に飛び出し巨漢の前に立つ。逆光が遮られその髭面が見える。

「俺たちに盾突いた娘だ。師兄、あの娘をぶっ殺――」

 それより先は言えなかった。巨漢が腕を振り被り、その拳をガンと脳天に叩きつけたからだ。ぐしゃりと頭蓋がひしゃげ、男は脳漿を散らしながらその場に頽れた。近くにいた客が悲鳴を上げて飛び退き、店内は騒然となる。

「だからぁ、おとうと弟子は兄貴の前に出ちゃいけねぇんだってば。俺、いつも言ってるよなぁ?」

 既に絶命し何も聞こえてなどいない男の体をげしげしと蹴りつけながら、巨漢は熊が唸るような聞き取り辛い言葉で愚痴を漏らす。蘭香は長らく追い続けた相手が呆気なく斃れたのを見てしばし茫然としていたが、すぐさま気を取り直した。

「あたしの代わりに悪人を成敗してくれたのね。お礼を言うわ。あたしは桃蘭香」

 一歩前に出て包拳の礼を取る。周囲の客が「違う、そうじゃない」と言いたげに頭を振っていたが、蘭香の視界には入っていなかった。すると礼を受けた巨漢も少々呆気に取られたような素振りの後、同じく包拳の礼を返す。客はまたも「そうじゃない」と頭を振りかけて、やめた。

万江ばんこうだ。昨日、俺たちの賭場を荒らしたのはお前かぁ?」

「確かに昨日、違法な賭け事をやっていた碁会所を引っ掻き回してやったわね。でもあなたはその場にいなかったんだから、あれはあなたの賭場じゃないわよね? 人違いじゃないかしら?」

「んん? そうなのかぁ?」

 万江は足元の死骸に問いかけるが、当然返答はない。背後の弟分たちが慌てて「師兄、騙されています」と言葉を挟む。

「やったのは確かにこの娘です。昨日だけじゃない、七日前の一件だってこいつの仕業です。こいつは行く先々で桃蘭香と名乗っている。その場にいた誰もがその口上を聞いています」

賢楊けんようもこいつに腕を斬られたんです。おかげでどれだけ迷惑を被ったか!」

 弟分たちの懸命の説得に万江もそうかと頷く。あと少しで誤魔化せたのに、と心中舌打つ蘭香。こんな雑な口車で騙しおおせると思うほうも思うほうだが、それに乗せられそうになるほうも乗せられるほうだ。

「ああ、そうだったそうだった。賢楊が稼げなくなっちまったんで、実入りががっくり減ったんだったなぁ。そうか、こいつが全部悪いのか」

 そこまで言って万江はぐるりと首を捻って背後を振り返り、

「――で、お前たちは何をぼさっとしてるんだぁ?」

 握った拳を振り上げる。ぎょっとした弟分たちは慌てて手に手に武器を取り、わっと叫んで前に飛び出した。総勢十人にも満たないが、女一人に同時に襲い掛かるとは実に恥知らずな行いだ。しかしそれも致し方あるまい。あの拳骨が己の脳天に振り落とされないかと皆が恐れているのだ。

 蘭香はさっと斜めに跳びながら高らかに声を張る。

「いいわ、かかって来なさい! この天下に名高い……えっと、無双むそう美少女びしょうじょ天上てんじょう仙女せんにょの桃蘭香が相手になるわ!」

 美少女なのか仙女なのかはっきりしろ、そもそもそれを自ら言うな――と壁際に身を潜めた客人たちは心中揃って呟いたが、誰も声に出しては言えなかった。

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