妄実邂逅

第一節 注目の来店

 戸口に立ったその人物を見て、店の者はもちろん、先客たちも皆一様に視線をそちらへ向けた。しげしげと見つめたり、眉を顰めたり、あるいは顔を背けて忍び笑いをしたりとその反応は様々だが、好奇心を誘われたのは共通らしい。

「えーっと、お嬢さん? こちらへは何用で?」

 やや困惑気味の店員が話しかけると、注目を集めるその人物はムフッと鼻息を漏らして胸を反らした。それと同時に、頭に巻きつけた玻璃の飾りがシャランと鳴る。

「もちろん、あたしはお客よ。お腹が空いているの。美味しい物を食べさせて」

 店員は訝しげな視線を隠そうともせずに相手の姿を上から下まで眺め回しつつ、言われた通りに奥の席へとそのお客を案内した。

 客は女だった。年若く、おそらくは十六、七歳程度の娘と思われた。色とりどりの生地を繋ぎ合わせた衣装は曼荼羅のように幾何学模様を描き、縁取りには蓮の花を模した飾りまで縫い付けてある。上着はなぜか二の腕部分がざっくりと省略されて白い肩が露わになっており、それだけで世の娘は赤面ものなのに足元は太腿の半分から先がズボンから突き出ている。頭には薄緑の長布をぐるりと巻き付け、玻璃の飾りはその両端に螺旋を描くように巻き付けられていた。娘が案内された席に腰かけるとまた飾りが触れ合って涼しげな音を鳴らす。

「それで、ご注文は?」

 店員はまだじろじろと娘の奇抜な格好に視線を巡らせていたが、娘の方はそんな視線は気にしていないのか気づいてもいないのか、そうねぇと顎に指を当てて考え込む。

「まずはお茶をちょうだい。それから饅頭を貰おうかしら。肉は入っていなくて構わないわ。あと、空芯菜があればそれを炒めてちょうだい。香辛の類は入れ過ぎないでよ。切る大きさは――」

 娘は事細かに調理手順まで指定して、更に軽めに二品を追加で注文した。店員は少々呆気に取られながら厨房に戻って行った。飯店で料理を調理方法で注文するのはよくあることだが、この娘は使用する材料の量や火を通す時間まで指定したのだ。随分と料理に詳しくなければあんな注文はできない。それが見た目の印象からは意外に思えたのだ。

 運ばれてきた茶を啜りながら娘は料理が出来上がるのを待つ。卓に片肘を突いてその手の平に顎を乗せ、ふうっと息を吐きながら外の風景を見やっていたが、やおらその視線を店内へと向ける。彼女を物珍しげに見つめていた客たちは揃って慌てて視線を逸らした。この時間帯、こんな場末の飯店に足を運ぶのは仕事を怠けた男たちばかり。そこに肌を晒した女が一人でいるとなれば興味を持たれて当然である。

(そりゃあそうよ。皆あたしの美貌に目を奪われているのね)

 娘は――とう蘭香らんかはさらに都合の良い解釈で勝手に上機嫌になる。ふふんと鼻を鳴らして口元に笑みを浮かべた。が、それもすぐに引っ込める。

(浮かれている場合じゃなかったわ。あたしは悪人を追っている真っ最中なのよ)

 数ヶ月前、蘭香はとある二人組の悪人と出くわした。彼らがどのような悪事を働いたのか具体的な事は知らない。しかし彼らの話ぶりからして二人は官憲に追われる身の上であった。加えて、彼らはあろうことか蘭香の幼馴染を奴婢として売り飛ばそうとした。そのような所業を見過ごすわけには行かない。蘭香は一人をその場で斬り伏せ、そして逃げたもう一人を追って方々を探し回っているのであった。

 とは言え、これまで実家周辺から遠く離れたことの無かった蘭香にとって、東西南北どちらへ進めば良いのかなどわかりはしない。地理にも疎ければ武芸者としての勘所もまだ掴めていない。仕方がないので「悪い奴らが居そうな場所」を適当に訊き回っては、単身乗り込んでそれらを滅茶苦茶に荒らし回るという、どちらが悪人だかわからないようなことを繰り返しているのであった。実のところ、昨夜もある賭博場に乗り込んでぶっ潰してきたところだ。

「おかげで懐は温かくなったけれど、肝心な奴は見つからないのよねぇ~」

 ずずっ、とお茶を啜る。厨房の方からはジャッジャッと鍋を擦って調理する音が聞こえるが、出来上がるにはまだ少し時間がかかるだろう。手持無沙汰な蘭香は意味もなくため息を吐き、心中でぶつぶつと独り言ちる。

(ああ、退屈だわ、退屈。それに何だってあたしが追いかけ回さなければならないのよ! いっそ向こうから現れてくれないものかしら? そうよ、例えば今この場に現れてくれれば楽だわ。仲間が何人いようが構うもんですか。だってあたしは――)

「天下の大女侠、桃蘭香さまなんだから!」

 空になった茶碗をタンッと卓に叩きつけた。

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