第三十節 仇討ち

 コツン。三重塔へ向き直った斐剛の肩に、何かが当たった。何だろうかと思って踵を返そうとするや、今度は額を直撃した。更に立て続けにばらばらと雨のように降り注ぐそれは、何と言うことはない小石だ。

「いたぞ、あそこだ!」

 次いでそんな声がしたかと思うと、参道からワアワアと歓声を上げて誰かが集団で駆けてくる。すわ憲兵の類かと身構えた斐剛は、しかし現れたその姿を見て失笑を漏らした。

 掛け出してきたのは幼い子供たちだ。何人かは見覚えがある、梁家甘処にいたあの子供たちだ。手に手に棒きれや弓、飛礫を握り締めて突撃してくる。

「蕾姉さんの仇!」

 言うや、飛礫の一つが投擲される。斐剛はこともなげにこれを払い落とした。フン、と鼻を鳴らす。

「ガキどもめ、弱小のくせに一端いっぱしに仇討ちのつもりか?」

 更に飛んでくる飛礫や矢を拳足で打ち払う。しかし子供たちは手を緩めることなく攻撃を続ける。斐剛はすうっと息を吸い込むと、大喝一声、雷鳴の如き咆哮を発した。すると子供たちは一斉に耳を塞ぎ、そのほとんどがそのまま地面に倒れ伏すや昏倒してしまった。斐剛は今の一喝に内力を込めていた。大の大人でも怯ませるそれを、年端も行かない子供たちに耐えられるはずがなかった。辛うじて気絶せずに済んだ者も、足がふらついて立っているのもやっとの状態だ。

「うぅ……くそっ、くそっ!」

 その中の一人が、なおも手にした棒を構えて斐剛に向き直ろうとする。斐剛はその子供に見覚えがあった。翡蕾が庇ったあの女の子の、すぐ側にいた少年だ。

「お前がこいつらを扇動したのか? 命知らずをやるには少し早すぎるぜ」

 斐剛が袖を振ると、内力を帯びた風が少年を襲う。それだけで既に前後不覚な少年は突き転がされてそのまま地面を二回転する。しかし、少年はすぐにまた立ち上がり、棒を振り上げ斐剛に飛びかかってきた。

 振り下ろされる寸前の棒きれを斐剛は掴み取り、いとも容易く少年の手からもぎ取って投げ捨てる。そのまま棒立ちとなった少年の首を掴むと、そのままぐいと宙吊りにする。

「この辺りのガキは全員が身の程知らずなのか? この俺様に向かって来ようなど、まるで力の差というものが分かっていない。それとも皆が皆、自殺願望でも持っているのか? バカバカしい!」

 ぐいと力を入れれば少年の首はメシメシと音を立てた。あとほんの少しで少年の頸椎は折れてしまうだろう。それだというのに、少年は全く怯む様子を見せない。

「悪党め、これでも食らえ!」

 少年が掌中に隠し持っていた何かを斐剛の顔面に投げつける。まさかこの状況で反撃されようなどとは思ってもいなかった斐剛は避ける間もなくそれを食らってしまった。ピリピリとした刺激が皮膚を刺し、目には激痛が走る。唐辛子の目潰しだ。

 激昂した斐剛は雄叫びを上げるや、少年を宙に放り出した。単に手放したのではない。上方高く放り上げたため、そのまま落ちれば五体が砕けてしまうだろう。少年は空中でもがいたが、掴むものも支えるものも無いのではどうしようもない。そのまま落下してあわや肉塊へと変じるかと思ったところで、横合いから飛んできた何者かがその襟首を掴んだ。

「間一ぱぁぁぁぁつ! ガキんちょめ、勝手なことをしちゃダメだぞ?」

 少年を受け止めひらりと着地したのは、閔敏であった。小脇に抱えた少年をひょいと降ろすと、その顔をぐいっと覗き込む。

「親御さんが心配してたよぉ~。子供たちがみぃんないなくなったって、あちこちひっくり返して探し回ってるんだからっ。――しっかし、まさか本当に仇討ちに来てたとはねぇ~。おねーさん感激しちゃうなぁ!」

「感心している場合じゃないだろう、閔妹」

 ため息混じりに言いながら裏門を飛び越え現れたのは馬参史だ。少年は目を白黒させて二人を見た。二人とも手にはそれぞれ鉤剣と三節棍を持ち、馬参史は書生姿、閔敏は襤褸切れを接いだような見窄らしい衣装を着ていたからだ。それは二人が二年前に「貪欲禽獣」と呼ばれていた時の服装であり、梁家甘処で働き始めてからは見せることの無かった姿だ。

 馬参史はさっと倒れた子供たちに駆け寄ると、トントンと素早く点穴して回った。うぅんと子供たちはたちどころに意識を取り戻す。

「あれっ、馬兄ちゃんに閔姉ちゃん? どうしてここに?」

 気がついた子供たちは口々に同じ疑問を口にするが、馬参史はそれに答えず本堂に向かう参道を指差した。いつの間にか、そこには梁工の姿があった。武芸の出来ない彼は額から滝の汗をかいてぜいぜいと息を切らしている。

「よ……良かった、間に合ったんだな?」

「ああ、間に合ったよ。さあ、子供たちを連れて行ってくれ。本堂まで戻れば安全だろう」

 馬参史の言葉を聞いて、少年は頭を振った。

「ダメだよ。僕らは蕾姉ちゃんの仇を討たなくちゃならないんだ。じゃなきゃ……じゃなきゃ僕らは人でなしだ!」

 真摯な視線を向けて言う少年に、馬参史はえいと軽く手刀を見舞った。コツンと打たれた少年はびっくりして飛び退いた。

「何をするんだ?」

「こんな見え見えの一撃も躱せないようじゃ、仇討ちなんて無理だね。――大人しく聞き分けて下がりな。大丈夫だ、お前は立派だし、仇は俺たちが取る!」

 言うや、馬参史は双鉤剣をキィンと頭上で打ち鳴らし、目潰しでまだ若干の前後不覚に陥っている斐剛に斬りかかった。閔敏もまた同時に突きを繰り出す。斐剛は慌てて三歩後退った。馬参史と閔敏は一切手を緩めることなくさらに攻め立てる。その隙に梁工は子供たちを引き寄せ、揃って参道へと取って返した。

 子供たちが下がったのを見るや、馬閔二人は戦法を変えた。先ほどの数手はただ斐剛と子供達を引き離すだけの牽制技だったが、今度は急所を狙った殺人技である。

 馬参史はまず「蟷螂双斧とうろうそうふ」で左肩を狙った。同時に鉤剣を繰り出しているように見えて、実は外側に来る右手の方がわずかに速い。相手が防御しようとすればその先手が防御の腕を引っ掛け落とし、追撃の一閃が頸を狙うのだ。しかし斐剛は双鉤剣を持つ手首を掌で打ち払い、この斬撃を流した。しかしながら間髪を入れずに閔敏の「蠍尾刺かつびし」が襲い掛かる。三節棍の一端で膝を狙うが、やや緩慢である。斐剛はこれを手刀で払おうとするが、不意に頭頂部に寒気を覚えた。もう一方の手でそれを受け止めると、なんと三節棍の逆端が閔敏の背中の死角から襲い掛かって来ていた。もしも頭頂の経穴を打たれたなら即命に関わる。受けた掌に走る痛みから斐剛は劣勢を悟った。

(二人相手に無手では拙い)

 突如斐剛は背を向けるや、裏門に向かって走り出す。逃げる気か? と叫びつつ馬参史はその肩を掻くように鉤剣を振り下ろし、閔敏は足を薙ぐ。ぱっと肩から鮮血を飛ばし足を掬われた斐剛は前につんのめるが、バシンと地面を一打するや、そのままの勢いで更に大きく前に進む。伸ばした手が門扉に突き立った剣を掴んだ。

「田舎者が、思い知れ!」

 背後に迫る猛攻に、斐剛は無造作な横薙ぎを放った。カチィンと金属音が鳴って馬参史の体が流れる。鉤剣で受けた一撃が思いの外凄まじく、支えきれずに数歩押し流されたのだ。次いで、なおも足下を攻めようとしていた閔敏に突きが閃る。間一髪これを払い除ける閔敏。しかしこれで斐剛に巻き返しの隙を与えてしまった。さらに三回刺突が閃り、閔敏は慌ててこれを防いだ。かと思えば斐剛はさっと向きを変え、今度は馬参史に斬りかかる。こちらも三回斬撃を送り、馬参史の攻め手を抑え込む。

 斐剛は左に閔敏、右に馬参史を置いて、三手攻めては相手を変える。馬閔の連携攻撃を防ぐ手であることは明白だ。しかし、それがわかったところで馬閔にはどうしようもない。斐剛の三手は強烈で防御に専念するほかなく、しかも三手毎に襲い掛かられるのでは持ち直す暇もない。焦る馬参史は、ふと視界に写ったそれを見てはっと思いついた。

「閔妹、叙兄貴を起こせ!」

 梁工は子供たちを連れて行ったが、叙修は地面に倒れたままである。果たして息があるのかどうかすら定かではないのだが、今や彼らの頼みの綱はかつての長兄しかいない。いくら斐剛のような強敵でも、三面六臂でもない限り三人を同時に相手にはできまい。

 閔敏はさっと距離を取ると、叙修に向けて走り出す。さすがの斐剛も焦った。しかと確認したわけではないので、手を下した彼にも叙修の生死はわからないのだ。田舎者と罵りはしたが、馬閔両名の武芸の腕は中々のものだ。そこへもしも叙修がまだ生きていて息を吹き返し自分を攻めて来たならば、かなり苦しい状況になる。

 斐剛は閔敏の後を追うべく踏み出した。しかし、背後からは馬参史がその背中を襲う。

「行かせるものか!」

 斐剛は既に鉤剣の間合いからは十分な距離を取っていた。馬参史がいかに吠えようとも自分を止められるはずがないと高を括っている。だから、足首をザッと斬られた時は仰天した。幸い斬り落とされはしなかったものの、鮮血がだらだらと流れ出ている。

 馬参史は鉤剣の鉤部分を噛み合わせ間合いを延ばし、鞭のように払い技を仕掛けたのだ。手元に戻した剣の組み合わせを解くなり、間合いを詰めて斬りかかる。腕を胸の前で交差させ、鋏のように斬りかかる「天開伐」の一手だ。一介の剣士はこの技に対して思わず剣を双剣の間隙に挟んでその勢いを押し止めようとする。しかし、馬参史が揮うのは鉤剣である。そのようなことをすれば剣身を左右から引っ掛けられて制御を奪われるか、最悪の場合は圧し折られてしまうのだ。

 しかしながら相手は一幇会の幇主である。さすがに凡人の轍を踏むことはなく、剣を真下から斬り上げる。双剣を跳ね上げられるばかりでなく、剣先が鼻を掠めて馬参史は冷汗をかく。だが、後退もしなければ攻撃の手も緩めない。

「叙兄貴、起きて! 起きてってばっ!」

 閔敏が叙修の元に駆け寄りその体を揺する。拙いと斐剛は心中で毒吐いたが、馬参史の猛攻を受けてそれを遮ることが出来ない。通常ならば脚技を駆使して相手を蹴り飛ばすのだが、いかんせん軸足を斬られてしまいそれもままならない。

 ところが、閔敏の呼び声はいつまで経っても終わらない。斐剛の心に余裕が生まれる。叙修はやはり、既に絶命しているのだ。だから呼びかけに応えない。であれば、相手は依然この取るに足らぬ田舎者二人だけだ。

「残念だったな! 貴様らの叙兄貴は俺が殺した!」

 馬参史の鉤剣が斐剛の剣を捕らえる。が、その瞬間斐剛は気合を発し、その手中で剣をギュルンと回転させた。カチカチカチッ、と閃光が瞬き、馬参史は驚愕と共に飛び退いた。その手には鉤剣の柄だけが残され、剣身はバラバラになって地面に散らばっている。

「よくも叙兄貴をッ!」

 背後から閔敏が襲い掛かる。斐剛はその胸元へ剣を突き出した。閔敏は猛進しながらそれを払い除けようと三節棍を揮ったが、なんと斐剛の剣はびくともしない。あっと叫んで急停止しようとするが、ぶつりとその剣先はわずかに閔敏の胸を刺した。

「閔妹!」

 剣刃から逃れようとしてよろめく閔敏を斐剛が追撃しようとするのへ、馬参史はその頸を掻いて止めようとする。が、斐剛はそれを察知してくるりと振り向き、わざと剣を鉤剣に引っ掛けた。そのままひょいと手首を捻れば、鉤剣はもぎ取られてあろうことか閔敏を襲った。肩に剣が食い込み、閔敏は悲鳴を上げて転がった。

「さあ、これで終わりだ!」

 武器を無くし、もはや馬参史に戦闘は続けられない。だが斐剛はそんな事はお構いなしに剣を突き出す。心臓に向けられた剣尖を馬参史ははっしと受け止めた。まさか白刃取りをやってのけるとは――馬参史は意外にもそれが成功したので内心歓喜の声を上げた。ところが、それは斐剛の罠だ。斐剛はわざと突き刺さる寸前に剣を止め、これを掴み取らせた。即座に膝を蹴り払い、馬参史の体勢を崩す。軸足は斬られているが、相手は剣を受け止め動けぬ身、この程度は造作もない。ぐらりと傾いだ馬参史の体に垂直に剣を立て、ぐいと押し込む。ズズンと背中まで貫き、地面にまで突き立った。

「ぐっ……ごはっ……!」

 馬参史の口から血が溢れる。それでもなお剣訣を握って剣を握る腕を狙おうとするので、斐剛はふんと鼻を鳴らして剣を引き抜いた。どっと鮮血が迸り、ばらばらと地面に飛び散る。

「兄貴っ! あ、兄貴っ!」

 閔敏が恐慌の声を上げて駆け寄る。斐剛はさっと飛び剣を構えたが、閔敏はそれに目もくれず三節棍を放り出し、倒れ伏した馬参史の体を抱き起した。

「そんな、兄貴、死なないでっ! 二人で梁姑娘の仇を取ろうって約束したじゃないか、あたしたちを憎むどころか救ってくれた恩に報いるんだって……そう言ったじゃないかっ! あたしはバカだから、叙兄貴も馬兄貴もいないんじゃ役立たずだよぉ……。どうすれば良いのか、わっかんないよぉ……」

 今まで命を懸けた戦いをしていたとは思えない有様で、閔敏は馬参史の遺体に抱き付いてわんわんと泣いている。斐剛はその光景に一瞬面食らったが、すぐに一歩近づいた。

 閔敏がその足音を聞きつけて顔を上げる。その顔面は涙と鼻水で見れたものではないが、眼光は未だ鋭く斐剛を見据えていた。斐剛はゆっくりとその喉元に剣先を向け、ぐいと顎を上向かせる。

「――命乞いをするなら今の内だぞ」

 しかし閔敏は、ただ一回鼻を鳴らしてこれに答えた。

 その意味するところを斐剛は知らないし、考えもしなかった。元より禍根を残すつもりはなく、さっと腕を一振りするやその頸を斬り裂いた。

 鮮血が飛び、また大地に血の雨が降った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る