やかんの音

 コンロの上で、しゅんしゅんとやかんが鳴いている。

 子供の頃はこの音が恐くてたまらなかった。永遠にお湯にならなければいいのにと思っていた。


 母が家を出てから、父の暴力は私に向いた。

 つまるところ母の目論見通りだ。彼女が私を連れて行かなかったのは、追いかけるほどの度胸を持たず、そして目先の弱きだけに食らいつく父の性格を知悉していたからだろう。

 それでも、父はそれなりに賢かった。子供を傷つければ大きな騒ぎになるだろうとは理解していた。

 だから、熱湯を使った。大した痕も残さずに悲鳴を上げさせられる方法として。

 生憎私の家は郊外の一軒家で、求めた助けはとうとう誰にも届かなかった。

 そうして父に支配されたまま大人になって、けれどある時気がついたのだ。

 父が、もう私より弱い事に。


 コンロの上で、やかんがしゅんしゅんと鳴いている。

 もうじき水は熱湯に変わる。

 その音をうっとり聞きながら、私は薄く笑んでいる。

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