天使捕縛センター

のこ

天使捕縛センター

無機質な白い部屋に彼女が入ってきた。いつもと同じ表情で。毎日同じ顔、同じ服、同じ素振りでパイプ椅子に腰を下ろす。ぼくは胸元を見て、今日の彼女の番号を見とめた。

 「おはよう、2840。今日もいい天気だね」

 ぼくの台詞もいつもと変わらない。この部屋に窓はひとつもないのに、ぼくは右手の壁に目をやった。彼女もそちらを見る。

 「そうねミカエル。今日はなんのはなしをしてくれるの?」

 彼女が言葉を口にすると、背中の小さな翼が呼応するようにふわふわと揺れる。すると、四方の壁がざわざわとうごめく気がして、ぼくはくしゃみが出そうになる。

 「きみとぼくが出会った日のはなしだよ。覚えているかい?」

 彼女は首を横に振り、白い羽がすこし舞う。

 「あの日はとても寒くて雪が降っていた。ほら、きみのその羽みたいな雪が。そう、雪が舞ってたんだ」

 ぼくはかじかむ手に息を吹きかけながら歩いていた。商店街にあまり人はいなくて、長靴が雪を踏む音ばかりが響いた。そこで、ぼくは彼女と出会った。真っ黒な長い髪にさわやかな夏物のワンピースを着て、そして背中に白い翼を生やした彼女と。

 ぼくは彼女に声をかけた。あたたかい飲み物でも飲まないかと。不審に見られるだろうかという心配はなかった。好奇心が大きく頭をもたげ、ぼくの目を、耳を、すっかり支配していた。

 彼女は笑って飲むよりも食べるほうがいいといった。警戒するどころか快く応じてくれたことと、顔全体で笑う笑いかたに、もう有頂天だった。

 彼女に肉まんを買い、寒くないかと尋ねた。寒いという彼女になかば呆れながら衣料品店に駆け込み、ファッションショーの真似事をして遊んだ。そしてさんざん悩んだあげくに、コートとマフラーを買った。彼女は買ったばかりのコートの背に、とがった爪でおおきく穴をあけ、翼をマフラーで隠した。店員も数少ない客も目を丸くして彼女を見つめ、声を潜めてしゃべっていた。

 すっかり日も落ちて、せっかくだからディナーもどうかといったぼくに、彼女はなにかいおうとしたけれど、ただありがとうといった。ぼくが夕食代を下ろしに行き、戻ってみると、たくさんのパトランプの中で、羽と雪がまじりあうように舞っていた。ぼくはもがいて暴れる彼女をただ見つめていた。結局、彼女は押さえられ護送車のような檻の付いた車に乗せられていった。

 「……とても悲しいはなしね」

 そうつぶやいた彼女の顔は、言葉に反して表情がない。この部屋に入ってきたときから、いや、培養液の中にいたときですら、彼女に表情はなかったはずだ。それでもぼくは期待してしまう。探るように顔を眺めたけれど、黒目のおおきな瞳はぴくりともしない。今日の仕事の終わりを感じて、ぼくは息を吐き出した。

 「じゃあ、きみは2304のことはなにも知らないんだね?」

 「知らないわ」

 「よろしい。戻っていいよ」

 彼女は椅子から立ち上がった。突然顔を上げてぼくをまっすぐに見つめる。

 「ミカエルはどうしてこんなことをしているの?」

 半日しか一緒にいなかった彼女のまっすぐな瞳を思い出して、どぎまぎしながらも言葉を絞り出した。かすかな希望を感じていた。

 「それは……彼女のことが、好き、だからだろうね」

 「でも、2304はいないのに」

 「ぼくにとっては、いるんだ。彼女の……彼女を見つけるまでは。彼女が生きてようが死んでようが、どこにいようが、ぼくがこの目で見つけるまでは。ぼくにとっては、彼女はどこかへ行ってしまっただけ。ぼくにとっては、彼女は存在するし、同時に存在しない。わからないから。だれにも。だから、ぼくは探してるんだ」

 ぽつりぽつりと紡ぎだした、苦悩によじれた言葉たちに耳を傾けおわると、彼女はやはり無表情で、くだらないといった。

 「あなたはここにいるべきではないと思うわ」

 「そういわれたのははじめてだな……きみ以上にこうして会話した個体は2304以外にいないよ、2840」

 卵にひびが入るように、2840の顔にしわが刻まれた。震えるように翼がはためき、雪のように羽が部屋中に舞った。四方の壁が呼応するように震え、ぼくはくしゃみをした。

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天使捕縛センター のこ @noko

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