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四日後の事である。放課後に訪れた根城には矢張り副会長しかおらず、最早驚けと言われても出来るものではない。

あれから週明けの一日、少し顔を出した以外で火野は此処に現れていない。それでもナンシー達よりは来ているのだからとやかく言えたものでもない。

「今日、火野さんはどうしてたのかしら」

さてそう僕に訊いてくるのは机を挟んで向かいに座る副会長で、訊いておきながら彼女は僕の方を見もせず、机の上に広げた書類達と連戦をしている。僕達の活動の報告書以外にも風紀委員関係の書類もあるのだろう。

「それを僕に訊くのが君の新しい日課か。」

火野が顔を見せたのは月曜の朝だった。よって放課後に僕が副会長にそう訊かれるのは四日連続、通算四回目、いえ撤回、火野がこの根城に来る前にも副会長に訊かれた事があったはずだ。どうやら僕が火野と同じ組だと云う事で、彼女の中で僕は火野の監視役と見られているらしい。

軽口を叩いた甲斐あって、副会長は漸く僕を一瞥する。それがやたらと強い目つきだったのは当然で、僕はそれを確認してから答える。

「これといって報告する様な事はないな。いやずっと窓際の方を見ていて教師に注意を受けていたか。」

元山がいる手前、火野が教室で僕に声を掛けてくるとは考えていなかった。そしてそれは何の感動もなくその通りになっている。

「そう」

副会長は幾つかの書類を纏めて束にしながら

「どうして来ないのかしらね」

「出席率の低さから、皆しているのだから自分もしていいだろうと云う発想に至り、そして更に出席率が下がっていく。」

「そんな一般論訊いてない」

書類の束が僕のノートパソコンを襲う。僕は開かれたパソコンの画面のフレームをなぞる。

「単純に此処よりも映研の方が居心地が良かった、と云うのも考えられる。思い当たる節はある、な。」

明らかに自分の責任に思い至った顔をした副会長を見て僕は続ける。

「曰く結局あの日は映研全員で映画を観たらしいし、それも一端を担っているのだろう。」

それに土井が水谷と普通に会話、但し片や音声なしだが、していたと云うのもある。数日前が嘘の様だが、それなら恐らく土井は火野にも会話を振っているだろうし、それが火野と他の部員と距離を縮める事に繋がっているのならば、それは良い事なのだろうと思う。

それ以降、むくれた顔になった副会長が黙々と作業に取り掛かり始めたので、僕もパソコンで自分の作業を始める。

因みに生徒会との文書やり取りの内、早さ重視の簡易報告は僕がパソコンのメールで行っているが、生徒会の会議等で正式に取り上げられ保存される本報告書は副会長の直筆、或いは僕が印刷してきた実書類で提出する。それが役割分担。

さて副会長がまた別の書類束に取り掛かろうとした時に、彼女は手を止めて

「まだ生徒会への書類には火野さんの事、書かないでおくのよね」

「そうだ。仮に前回僕達が何かしらの妨害を受けていたとすると、相手は僕達の存在を知っていると云う事だ。しかもその存在理由がハーレムの阻止とも知っている。」

「お悩み相談みたいなことはしているから、私達が何かチームを組んでいるのを知っている人はそうは珍しくない。問題は映研ハーレムに関する方。その事を知っている人は、私達五人と生徒会のごく一部のはず。もう生徒会に簡単に情報を渡す訳にもいかなくなってくるわね」

「全く関係のない誰かが偶然にもそれを知ってしまった可能性を完全に否定する事は出来んがな。」

「だとしても私達を妨害する理由がないじゃない。もし生徒会に恨みを持つ人が知ったとしても、だったら早くそれを全校生徒に言いふらせばいいし」

全くもって謎。これは寧ろ全てが勘違いで、僕が勝手に疑心暗鬼に陥っているだけに思えてくる。可能性が潰れるまでは仕方あるまい。

手詰まりを感じて再び僕達の間に流れ出した沈黙をすぐに破られた。勢いよく部屋の扉が開いて、ナンシーが入って来る。

「遊園地に行きたい!」

僕はナンシーの後ろにMがいる事を確認する。

「何よ突然」

それに答えたのは控えのMで、一枚の紙を見せながら

「実は偶然、近くの遊園地の割引券を手に入れまして、ちょうど五人だったものでお嬢に話したところ、このように大変喜んでいただけマシた」

観光案内所によくある、レジャー施設の入園料を割引くチラシか。しかし問題が一つ。

「一人足りないじゃない。私達は六人よ」

副会長の一言にMはまず固まって、それから目を泳がせて、記憶の海の潜り、はっと気づいて膝から崩れ落ちた。

「ミーとしたことが…」

「なに、そんな事は簡単に解決できる。フリーダム星人にはそのままの値段を払わせればいいだけの事だ。」

「なんで俺なんだよ!」

声のした方を見ると何故かFD星人がいた。此奴が根城にいるなんてなんと珍しい事か。火野に見つかった日の方がおかしかったのだ。

「ふっふっふ、だが今日の俺はそれに関してはあまり怒らないのだ。何故なら…」

勿体付けてそう言ったFD星人は部屋の入り口から退けて、その後ろにいた火野を前に出させる。火野は応援団よろしく後ろに腕を組んで

「映研全員で遊園地に行く事になりました!」

「というわけで俺達もいくぜ、遊園地!」

「おー!」

乗っていくナンシーを尻目に、これは多分FD星人が火野にそう言う様に仕込んでたんだろうなと僕と副会長は思った。


※※※

そして僕達は朝早くに入園口の前に出来た行列に並んでいた。

「まだ開かねぇのかよ」

時計を見た数だけ時間が進むと信じているかの様に無駄に腕時計に目を遣るFD星人。

「休日なんだから混んでるのは仕方ないとはいっても、遊園地が開く前から来る必要なかったんじゃないかと思うのだけれど」

副会長も珍しく弱音を吐いているようだが、これに関しては僕も賛同する。代わりに今日一のやる気で満ち満ちているナンシーが二人を叱咤する。

「二人ともなに言ってんの! 一日の時間は決まってるから、どれだけ早く入れるかでその日の楽しさは変わるんだよ!」

それも大変正論だとも思う。但し、

「今日は楽しみに来たわけじゃないのよ」

そう副会長が言うのも想定できるのである。

「あっ、どうやら開門されたみたいデスよ。列も動き始めマシた」

僕達の中で最も背の高いMがそう伝えてくる。じきに僕達の並ぶ辺りも動き始めた。

「さて隊長。まずは何処に行く。」

僕が訊ねると、ナンシーは人差し指を下唇に当てて

「うーん、どうしよっかな」

最初からこの遊園地の目玉に向かうか、それとも肩慣らしとばかりに中級に位置付けられているアトラクションに向かうのかを思い巡らせているのだろう。下見にと一人で前日に此処を訪れて全員分のチケットを用意しただけの事はある。因みにMの用意した割引券は映研に譲る事になった。それで火野の好感度が上がるのならば安いものだろう。

「因みに映研の連中が此処に来るまでそう時間はない。余り遠くには行けないだろうし、下手にアトラクションの行列に並んで、間に合わないと云うのは避けてくれよ。」

「それなら、先に近くのショップに入ろう」

「先に買い物は荷物を増やすだけだと思うが。」

「ノンノン、園内で身に付ける小物を買うんだよ」

副会長の少し嫌そうな顔を視界の端に捉えつつ考えるが、僕も元山にも土井にも風浦にも水谷にも顔を見られるのは避ける為にも顔を隠す為のものは必要か。

「判った、まずはそうしよう。何処に向かう。」

広げる園内地図から今から向かう場所をナンシーが指差す間、副会長が露骨に嫌そうな顔をしているのを僕は見逃さない。よって僕はナンシーに耳打ちする。聞き終わったナンシーは楽しそうにいたずらっ子の顔を見せる。

「優緒ちゃんにはあたしが、似合いそうなカチューシャとか選んであげるよ」

何を想像したか、副会長の頭を見ながら吹き出したFD星人が叩かれたのは当然で、ナンシーに腕を掴まれた副会長が本当に迷惑に思っているのか流石に僕にも判らなかった。


開いてすぐだと云うのに意外にももう混んでいる店内から僕は辛うじて脱して、軒下を支える柱に背を預けて園内を見回す。火野からまだ連絡は来ていないし、まだ映研の連中はまだ入園していないようだ。

「なにこれ」

不意に頭の上から僅かな重量が消えて僕は後ろを振り返る。副会長が僕の買ってきた帽子を取り上げて、角度を変えてそれを眺めていた。

「帽子だ。それを目深に被る事で顔を隠す。」

「シルクハットねぇ…」

「こういう所では外の普通と真逆が最も普通なのだよ。」

副会長は僕の頭に帽子を戻して、分からないと首を振った。その副会長が顔を上げて、今度はその頭を止めて一点を見つめていた。僕もその視線を追う様に見遣ると、妙な物がいた。

「なにあれ」

「着ぐるみを装飾の付いた台車で運んでいるのだろう。見ろ、子供達も喜んでいるぞ。」

「着ぐるみなんだから自分で歩けばいいじゃない」

確かに二人の係員が押す台車に乗って手だけを振っている着ぐるみは中々に奇妙ではある。そういえば、店のレジも明らかに数が足りていなかったし、微妙に塗装の間に合っていない場所も観られた。所々、大丈夫かと思う箇所が見受けられる遊園地だな。

「あっ、いたいた。優緒ちゃんに似合いそうなの見つけたよ!」

店内からナンシーのそんな声が聞こえて僕達が後ろを振り返ってみれば、フリル付きのカチューシャをナンシーが此方に掲げて見せていた。

「それともいっそのこと全身着替えちゃおっか」

ナンシーの隣に出て来たMが今度はフリル付の衣装を持ってくる。更にその隣ではFD星人が笑いを堪えていた。

「本当に勘弁して…」

顔を覆ってそう呟く副会長を僕は引き摺って店内に連れ戻す役目を与えられてらしい。帽子を目深に被って僕は郷に入っては郷に従えかと呟いた。


結局副会長は猫耳で妥協したらしい。それでも、写真を撮って校内でばら撒けば大半の生徒は合成写真を疑うだろうとは思う。FD星人は妙な装飾の付いたサングラスを購入、ナンシーは大きなリボンを頭に乗せて、Mに至ってはパーカーを買ってそれをもう来ていたのである。

「なんか、俺達めっちゃエンジョイしてんな」

サングラスのつるをなぞりながらFD星人が言っている傍で副会長は

「これは仕事上仕方なく、そう溶け込むためには必要なこと…」

と呪文のように繰り返していた。最早此奴は放っておこう。

さてそろそろ映研も来る頃かと携帯を見遣ると未だ連絡はなし。これで少し時間が空く事になる。それを告げると

「じゃああたしなんか乗ってくる!」

なんてナンシーが言うのは必然で、制止をかける副会長にも

「あたしなら平気平気」

と聞く耳を持たないのだから手に負えない。

「ま、こっから見える範囲のやつなら大丈夫だろうし、いかせてやれよ。どうせ副会長はここで見張ってんだろ?」

「そうね、それじゃああなたは残りなさい」

「あれ、何故か俺が損な役回りに!」

結局ナンシーには監視役としてMが付いていく事となった。

それから暫くして僕の携帯に連絡が入る。火野達は合流して今遊園地の入り口に着いたらしい。となるとそろそろナンシー達を呼び戻さねばなるまい。

「ただいまー」

呼び出しに応じてナンシーは帰って来たのだが、Mは

「まだまだ未熟…」

とだけ呟いて力尽き、倒れ込んだ。

「どうしたM!」

FD星人が駆け寄っていると、

「入って来たわよ」

副会長が映研を確認したと声を上げた。

「ほら、そいつは誰かが担いでベンチにでも置いときなさい。私達はあっちを追うわよ」

「鬼だ、鬼がここにいる…」


映研が最初に訪れたのはアトラクションのコーヒーカップ。どちらかというとそこに行く予定があったというよりも偶然見かけたから乗ってみようという感じである。

「あ、さっきもあれ乗ったよ」

ナンシーがそう言って、FD星人に肩を貸して貰っているMは口元を押さえた。

「ミーもまだ三半規管を鍛え切れていなかったのデス…」

Mの呟きを聞いて僕とFD星人は思う。もしやナンシーはMが根を上げる程の勢いでカップを回せるのではないだろうかと。

副会長がコーヒーカップの近くのベンチに腰掛けて、FD星人がそのベンチにMを座らせる。それを確認したナンシーは

「じゃああたしまた乗ってくるよ」

と宣言。僕とFD星人は身震いした。

「私はここで外から監視しているわ」

「ミーもパスデス…」

先行して乗らない意思を見せる二人。此れは負けてられない。

「俺も今回は遠慮しとくかなー」

「僕も今日は余り気分が優れない。ナンシー一人で行ってくると良い。」

丁重に御断りさせて頂いたのだが、ナンシーは駄々をこねる。

「えー、一人じゃつまんない。誰か来てよー」

「呼んでいるぞ、会長。」

「このヤロー、俺になすりつけんな!」

「僕は出来るだけ映研に近付かない方がいいのだよ。よって此処は君の方が適任だ。」

「テメェは何のためにその帽子を買ったんだよ! 大丈夫ばれやしないって、俺が保証するぜ?」

「全く信用できん。」

進まない話、副会長が拍手を一つして、僕達は一瞬で目を奪われた。

「いいから二人とも行って来なさい。三人でも乗れるんだから」

その言葉に呼応するように、ナンシーは僕とFD星人の手を掴んで、それを察した僕達は直ぐにMの手をも掴んでやる。

「ちょっと待って下サイ!」

旅は道連れ世は情け。道連れするなら友がいい。

こうして僕達四人はコーヒーカップの行列に並びにいった。


結論から言えば確かに帽子の御陰で僕は映研の誰にも、火野を除きだが、気付かれる事はなかった。それはいい。良い結果だ。しかしだ。

「もう暫くは回転するもの、渦も何もかもも見たくない。」

妙な恐怖症を引き起こす事になった。額に乗せた冷たいペットボトルが気持ちいい。

「ダメだ、水飲もうとしても喉が拒絶する。おえぇ…」

隣でもFD星人がへばっているし、Mはもう発する言葉を失ってしまったらしい。

「あー、楽しかった!」

これでナンシー一人無事なのは此奴が自分で回していたからか或いは異常なまでに強い三半規管を持っているからか。

「まあ、あなた達が異様に速くカップを回していたから、映研の方も対抗する形で速くなっていたから、いわゆるいい雰囲気というのも起きずに済んだわ」

もう其方の成果はいい。兎も角時間を、綺麗な空気を僕は欲する。

「そんなことしている時間はないわ。次よ」

一人ずつ副会長に急かされて僕達は歩き出す。その様は正にゾンビのようで、客に紛れた役者とも他の客に思われたとかなんとか。

因みに映研を追いつつも足元がふらつく僕達の前に現れたのはメリーゴーラウンド。

「もう回転系は勘弁してくれ!」


※※※

「これは、わっかりやすいリア充ご用達のアトラクションだな」

見た瞬間にFD星人がそう言うのも納得のもの、お化け屋敷だ。映研について、僕達は此処にたどり着いた。

「カップルがうようよいるぜ……俺達への当て付けかよ」

愚痴るFD星人を他所に映研の五人は、お化け屋敷から伸びる行列には並ばず、何やら前で話し合っているようだ。恐らく入るか入らないかでも話し合っているのだろう。

「うー、早く入りたいからとっとと並んでくれないかなー」

落ち着きのないナンシーはその期待を足踏みに表している。内側に溜め込まない体質は良い事だとは思うが、歳を考えろ。

「そこまで動きたいと云うなら、映研の近くに行って何を話しているか聞き耳でも立ててこい。」

「むしろ早く並ぶように言ってくる」

「いやそれは止めろ。」

「待って下サイ。それなら代わりにミーが」

ナンシーが出発する前にMが割り込んできたが、それをFD星人が止める。

「ナンシーが行きたいっつってんだから、お前が行ってもしょうがねぇって」

一応納得したらしくMはナンシーを渋々といった様子で送り出す。

「んで、さっきからなーんで黙ってるんすかね、副会長?」

全員の意識がナンシーの行き先に向いた瞬間に不意打ちでFD星人は副会長に話を振った。さては日ごろの恨み晴らしとして、副会長の弱みでも握るつもりか。

「別に理由なんてないわ」

淡々と答える副会長にFD星人は怯まず畳み掛ける。

「そんなこと言ってー、高校生になってもお化け屋敷が怖いって認めちゃいなよお」

大変憎たらしく冷やかすFD星人に副会長がどんな反応をするか、少し恐れも含んで眺めていると、予想外にMが手を挙げた。

「実はミー、お化け屋敷ダメなんデスよね…」

不意のカミングアウトにFD星人は呆気にとられていたが、気を取り戻して

「嘘つけよー」

まあマゾヒストが恐怖や脅かしを嫌がる理由は僕に思い浮かばないし、意外ではあるのだが。

「だって、お化け屋敷のお化けたち、特にゾンビとかこちらに危害を加えようとしてくるタイプは、遂に襲ってくるってところでやめるんデスよ! ミーが楽しみたいのはその先なのに……それが延々続いて結局お預けのまま終わり、こんなの耐えられまセン!」

完全に通常運転だった。

「ただの変態じゃねぇか!」

突っ込みを入れていくFD星人を避けて、僕は副会長の横にすっと寄る。

「それで実際の処は。」

「お化け屋敷自体が初めてなのよね」

成程。かくいう僕も記憶の限りでは相当久しぶりではある。そもそも全員が中に入る必要があるかは疑問の余地もある。この様子だと、正直Mは中から出てくる頃には大衆の前に出せる状態ではなくなっていそうだしな。

そんな事を考えていると、向こうに行っていたナンシーが戻ってきた。

「何の話をしてたのかしら」

副会長が尋ねると、ナンシーは息を切らしたままで答えた。

「うんとね、誰と誰が一緒に入るかだって」

「そこかよ!」

入る入らないの問題ではないらしい。土井は寧ろ幽霊系が好みだし、水谷と元山はそれらが駄目という話は聞いた事がない。火野は苦手だとしても元山の手前、無理してでも入ろうとするだろうし、風浦にとっては絶好の機会か。確かに入るという選択肢が必ず消える事はないのか。

「でもさこのお化け屋敷、二人ずつなんてルールはないし、六人ぐらいまでは一緒に行けるはずなんだよね。なんで五人は言い合っているのか、よくわかんないや」

この遊園地に関しては無駄に知識を持ってるなこいつは。考える仕草をするナンシーを見下ろして僕は思う。

「ならば、それとなくそれを伝えてこい。」

「それとなくってどうするの?」

僕の代わりにFD星人が答える。

「こう、人を探してるフリをしながら、五人でも一緒に入れるから集まってから入りたいのにーとかわざとらしく言っときゃいいって」

なるほど、っと手を打ったナンシーはそれ急げとまた向こうへ駆け出す。

「それなら今度こそミーが…」

「だから、はぐれたフリなんだから一人の方がいいんだよ!」

そうしたナンシーの演技がよかったのかは置いておくにして、映研の五人は遂にお化け屋敷の行列に並び始めた。跳ねて喜んだのはナンシーで、そのナンシーの要望で僕達も五人全員で列に並ぶ。ナンシー曰く、システムとしては一度に大人数が中に入り、幾つかのギミックの後の待合室で止まり、それから組ごとに更に奥へと進むらしい。そこまでの情報をよく集めて、加えて覚えているものだと少し感心する。

「なら二手に分かれていこうぜ」

そう提案したのはFD星人。同時に中に入った人々の組の順番はバラバラになるらしい。僕達は今映研の後ろに並んでいるが、二手に分かれて上手くすれば映研を挟んで前後に構える事が出来る。一応理には適っているが。

「その真意は。」

「副会長がびびる様をこの目に焼き付けるためだ!」

副会長のはたくがFD星人の登頂部に炸裂した。さぞお怒りなのだろうと思い、顔を窺ってみれば意外にも冷静であった。

「別にそれでもいいわよ。変な勘違いされたままなのも癪だし」

乗り気だった。

よって前方はFD星人と副会長、後方に残り三人が続く事になった。

「お嬢……大変見苦しいところを見せてしまうと思いマスが、どうぞご容赦を…」

「うん、いつも見てるから大丈夫」

正しく今更の発言をMがしていると遂に僕達まで中に入れる具合まで列が進んだ。

入り次第すぐに分かれる事を伝えようと目線を向けると副会長はそれだけで頷いてみせてきた、話が早くて助かる。副会長だけでも理解していればいいだろう。

洋館イメージの建物の門が開き、ちょっとした人雪崩となって中に僕達は流されていく。期待を口にする者、もう外に出たいと言い出す者とぶつかりながら前へ前へと進んでいると、「やめないで下サイ…そこで終わりだなんて、もっともっと…」と奇妙な声が聞こえた。知り合いの声に似ているが、新手の演出だろうか。

「判り易くて助かる。」

そんな訳もなく、その声を頼りに行けばナンシー、Mとは合流できた。さて残りの二人は上手くやってくれるだろうかね。

後方の門が閉まり、絵が動いたり、この館の血塗られた歴史が語られたりと続いた後に、僕達は広間に出た。此処が待合室らしく、僕達が辿り着いた時には既に最初の組が先に進み始めていた。徐々に出来始める列に僕達は混ざり込み、上手く映研五人の後ろに付けた。前を見てみれば副会長達もきちんと映研の前に陣取っている、取り替えず第一段階は成功だろう。

「お嬢、この先はどうなっているんデス?」

僕達の番が回ってくるまでの間に、少し調子を取り戻したMが質問を投げかける。

「中は非公開で入った人も教えないように言われてるからわからない。でもわからない方があたしは面白いからね」

「前の一組が出てから時間を空けて次の組が進んでいるが、あれは前を追い抜かない為か。」

最早この遊園地についてはナンシーに訊くが一番だと理解した僕は質問をぶつける。

「うん、でも途中で止まっちゃう人もいるから前を抜いてもいいみたいだよ」

「それが分かれば十分だ。」

中に入り次第、急いで映研の直ぐ近くまで迫る。何かあれば其処から映研に向けて仕掛けられるように。その旨をナンシーに説明、および説得もして、いよいよ僕達の番が回って来た。思えば前から男女二人、男女五人組、そして男女三人組と続くわけだから、僕達もお化け屋敷における所謂リア充の数の増加にしてしまったのだろうな。

「じゃっ、いこっか!」

ナンシーの掛け声で僕達は開いた扉の先の闇へと足を踏み入れた。

暫くは廊下が続く。歩いている内に後ろで扉の閉まる音がして、何となしに僕は周りを見渡した。よく考えれば、別のベクトルで危ないMと怖がるより楽しんでいるナンシーと一緒に入るとお化け屋敷の魅力が半減している気がしないでもない。

廊下が少し前で折れ曲がっているのを確認。うむ、此の際仕事と割り切ってしまった方がいいのかもしれない。

「よし、入り口の係員に警戒して従順に歩いてきたが、そろそろいいだろう。あの曲り角から走り出して、前の映研連中に追いつく。」

僕が出した手の二つ別の場所が叩かれた。暗闇で余り声を出せない環境下での、簡単な意志疎通方法だ。さあ、行くぞ。

角を曲がった瞬間に床を蹴る。と同時に横から実体ある亡霊が飛びかかって来た。悪いが今は君達に構っている暇はない。振り払って先へ進んだのだが。

「なんか後ろからたくさん追ってきてるー」

ナンシーの叫び声で僕も振り返ったのが、暗くて余り見えるような物はない。しかし確かに後ろからうめき声と足音が近付いてきていると判った。此奴ら、なんて足の速さだ。

そうか、さては僕達が余りの恐怖にこの館を走破してしまおうとしていると判断しての行動か。となれば最早彼らを止める術はない。彼らの担当領域を脱するのだ。

「そういえばMは何処にいった。」

「もう先にいっちゃったよ」

流石無駄に運動が出来る男だ。体力測定で運動部と張り合うだけの事はある。

「これは負けてられないな。」

僕はナンシーを煽る様な事を言えば

「あたしなら相手が男子でも追い抜いてみせるよ!」

有言実行、とはいかなかったが僕とナンシー無事に階段に到着。そこでMと合流したのだが、そのMがもだえ苦しんでいたので僕はナンシーに射撃許可を出した。

「この階段の上、映研の皆サンがいマス」

撃たれてある程度回復したMがそう告げる。因みに階段は転落の危険がある為、驚かされる事はない。ある種の安全地帯として機能している。

踊り場から上を見上げるとまだまだ暗闇が続いているらしい。

「一旦は巻いたからいいが、走るとより演者達が本気を出してくるらしい。これから先もそれが続くとなると、元山達には追いつけそうにない。」

「お嬢、なにかお化け役の人を近付けさせない裏技とかないデスか?」

「一応イージーモードにしてくれるアイテムも売ってたけど今更買えないしなぁ」

そもそも映研に追いつくには、彼らが多少でもゆっくり躊躇いながら進んでいなくてはならない。一気に距離を詰めようにも、走れば驚かす側が本気を出してくる。となると最早手は一つしかないか。


扉を開け、先陣を切って部屋の中に入っていくナンシー。その後に続くMと僕。女子を先に行かせるとは何事かと怒るなかれ、これはナンシーが先頭を行きたいと申し出たのだから。それに

「おっ、たくさんの棺桶が」

そうナンシーが言ったと同時に全ての棺桶の蓋が独りでに開き、中から無数の亡者が出てくる。このような場合に、

「行け。」

Mは盾として前に出ていくのだ。そして僕は後方を牽制。客が前に気を取られている内に後ろから襲い掛かるのは正しく定石。

走る事が出来ない以上僕達は全方位に対応できる陣形を取り、進路を妨害して来る演者を押し退け、着実に前に進んでいく。これが最善策だ。

演者との激しい攻防。想定外の行動を客が取ったとしても直ぐに対応して来る相手に対して、僕達は陣形に改良を加えながら先へ進んでいく。そして

「いや、中々良い勝負だった。」

「でも外に出ちゃったよ?」

僕達は映研に追いつく事無く脱出に成功していた。

「それにしても映研の人達だけじゃなく、会長サンたちもいマセんね」

Mの言う通り周りを見回してもFD星人と副会長の姿が見当たらない。少なくともあの二人なら先に出たとしても何処かで待っているはずなのだが。待てよ。勝手に中は一本道だと決めてかかっていたが。

「まさか中には分岐点があったのか。」

「そういえばリニューアルしてそうなるとかなんとか…」

大変歯切れの悪いナンシーに僕は言う。

「そういう事は先に言ってくれ。」

「ていうかまだリニューアル前だと思ってた……それならもっと長く中に居たかったよ!」

しまった。僕達はなんと無駄な努力をしてしまったんだ。膝から崩れるナンシーと項垂れる僕。すると、今回は盾として使われる事で偶然攻撃されたりして割と元気なMが声を上げた。

「あれ、誰か手を振ってこっちに来マス」

僕とナンシーも顔を上げてみると、どうやら遊園地の係員が僕達の方へ向かってきている。落とし物でもしたかと自分の荷物周りを確認していると、Mの前に着いた係員はこう言ってきた。

「おめでとうございます! 完全制覇最短記録です!」

係員の話曰く、僕達はきちんと正規の道を通って突破した中で最も早く出口へ辿り着いたらしい。そして手渡されたのは蜘蛛の巣にアトラクション名のロゴが入ったストラップ、非売品との事だった。

「でも最短なら走った方が早いんじゃないデスか?」

「いえいえ、走ったら間違いなく中で道に迷うようにできてますので」

矢張り、中には幾つかの道が存在するらしい。つまりFD星人と副会長、そして恐らく映研の五人も見事、その罠に嵌ってしまったようだ。

「無限ループって怖いね」

「全くだ。」

お化け屋敷の建物を見ながら、僕達は口々に言い合った。


結局二人がお化け屋敷から出てきたのは、買って来たチキンをナンシーが食べ終わる頃で、二人は同じく迷っていた映研と偶然合流して七人で中を徘徊していたらしい。暗闇で顔も見えなかっただろうし、同じ高校の生徒とは向こうには気付かれていないはずだ。

「それで副会長の怖がる姿は見れたのか。」

「それどころじゃねぇよ……どこまで行っても同じ道でさ、ついには所々に目印つけていこうかって提案が出るザマ。そりゃお化け屋敷の楽しみ方じゃねぇよ…」

「それでよく外に出れマシたね」

「なんか出て来たお化けを避ける様に進んでたら気が付いたら出口だったわ」

中の人の誘導技術は本当に脱帽ものだな。感心して思わず頷いてしまう。

「それにさ、風浦はお化けとかそういうのは別に大丈夫っぽくてさ、今度二人で来てもお化け屋敷はパスだなぁ」

そうか周回している内に遂にFD星人は現実と妄想の区別がつかなくなったらしい。合掌。

「取り敢えずは私達が加わる事で妨害自体は出来てたと思う」

それなら良かったか。

そして歩き疲れてベンチで休んでいた映研も漸く動き出して、僕達もその後を追った。


※※※

奇数人で遊園地に行く場合は注意が必要である。何故なら殆どのアトラクションが二人乗りを基本としているからだ。よって僕とFD星人が勝負をする事になるのは必然で、其れはMは早々にナンシーと座ると宣言した為でもある。

「よし、じゃんけんで勝った方が副会長の隣な」

ジェットコースター待ちの行列に並んだ僕達は、そろそろかと云う処で座席を決める事になった。

「そんなに争うなら、別に私が一人で座るけれど」

と言う副会長を制して僕達は勝負に挑んだ。

結果はこうだ。先頭はナンシーとM、次が副会長と僕で、最後がFD星人。その後ろからは他の集団が続いていく。因みに最後尾の方には映研連中が座っている。僕は目深に被った帽子を外して足元に放る。

係員が発車の合図を出している。それを見た時僕は不意に思い至った。そういえば映研も五人なのだから誰か一人あぶれるはずだ。しかし今回はそんな様子は見た覚えがない。いや待て。このアトラクションの行列で火野を見かけていないのでは。

「私こういうアトラクションも初めてなのよね」

隣の副会長がそう呟いたのを聞いて僕は意識を現実に戻す。お化け屋敷の事も考えれば、副会長はそもそも遊園地に来た事が少ないのだろう。となると所謂絶叫系の耐性は無いだろうし、自分がそれに強いのか弱いのかも知らないと云う事になる。

轟音と共にコースターが動き始め、その車体を斜めにして坂を登っていく。重力に身を任せて背もたれに体を預けて、僕は横から景色を見る。それなりの広さはあるらしいこの遊園地、高い建物も多い。これも含めて、フリーフォールの塔や観覧車、他にも中身の判らない塔も見える。周りから察するに建設途中なのかも知れない。

「ねぇ」

隣の副会長が声を掛けて来た。もう登り終わる頃だというのに。

「私、これ駄目みたい」

振り向いた先の副会長は前を向いたまま目が座っていて、その顔がやたらと青白くなっていたのを視界の端に入れた時には僕達は落ちていた。


予想違わず興奮状態になっているナンシーと刺激が足りないと呟くMを迎えて、副会長は近くのベンチに座り込んでいた。対して最後に出て来たFD星人は笑顔で固めたままであった。大変気色悪い。

「いやー災難だったな、お前も」

確かにあれ以降は副会長が意識を失わない様に励まし続けた御陰で全くアトラクションとしては楽しめなかったが。

「君は独りだった割には楽しめたようだな。」

「はっはっ、悪いな、俺は独りなどではない! 隣には同年代の女子! 加えてカーブの所では勢いあまって彼女が俺に抱き着いてきたんだぜ!」

女には程よく怖がって貰った方が良いとよく判る話だな。口に含んだ水を飲み込んで、深呼吸を繰り返す副会長を見て僕は思う。

「それでオチはないんデスか?」

「ねぇよ、んなもん」

少し悔しそうに言うMにFD星人は即答する。Mとナンシーもある種、個々で楽しんでいた面がある故その気持ちは判らんでもない。

そんな話をしていると、近くを通った女子グループの会話が不意に聞こえて来た。

「ひどいよもー、じゃんけんで負けたからって一人で知らないとジェットコースター乗ってこいなんて!」

「別にいいじゃん、減るもんでもないし。それにちゃんとわざと隣の人に抱き着いてきた? ていうか隣、男だったじゃん」

「してきたけど…」

「それでどうだった?」

「うーん、タイプではなかったかな」

歩き去る女子達を見送りながら僕は思う。良し、オチがあったな。

「そいや、風浦たちはどこ行ったんだ?」

何も知らないFD星人は周りを見回す。答えたのはナンシーで

「みんな出て直ぐにトイレに行ってたよ」

「んで火野は?」

「あれ? 出てきてから見てないね」

同じく見回し始めた火野に僕は尋ねる。

「火野がどうかしたのか。」

「あ、うん。眞朝ちゃんは高い所ダメみたいで、多分ジェットコースターには乗らなかったと思うし」

成程。それで火野は見当たらなかった訳か。

「良かったな、副会長。火野との共通点が見つかったぞ。」

「うるさい」

取り敢えず返事が出来る程度には副会長も回復してきたようだ。

僕も少しだけ周りに目を配ってみて、矢張り火野の姿は見当たらない。恐らく合流場所も決めてないだろうに、遠くに行くとも考えられないのだが。

何となしに取り出した携帯が震えて、画面には登録された人物名が表示された。火野だ。

此処、ジェットコースターの出口近くでは電話するにしては少し周りが五月蝿いな。僕は近くの建物の影へと歩いていって、僕は電話に出た。さて何用だろうか。

『元山住吉だな』

頓珍漢な事を向こうは言ってきた。それが火野の声だったらよかったのだが、全く別物、正確には変声機越しの声だった為に、嫌でも緊張感が直ぐに体中に上って来た。

「誰だ。」

反射的に僕はそう返した。

『単刀直入に言おう。僕達は火野眞朝を誘拐した』

超展開。僕は目を見開く。

『分かっていると思うが、もちろん人違いなどではなく、今お前が思い浮かべたまさにその少女だ。実際に今君のそばに彼女はいないだろう』

言わせて貰うが、君は既に人違いをしている。この電話の相手は元山ではないぞ。

しかしそれを僕は口にしない。それは相手に対する僕のアドバンテージだ。よってそれを悟られない様に僕は出来る限り電話には答えない。

『驚きで声も出ないようだが、こちらもあまり時間がない。続きを喋らせてもらう。君と交渉がしたい』

「交渉か。」

『そうだ、安心してほしいのだが、身代金といったものを要求するつもりはない。それなら君にこうして電話を掛ける意味がない。君と交渉がしたいのだ』

これで確信した。相手は以前に僕達の妨害をした連中だ。それはつまり、相手は僕達の敵であると言っていい。

向こうは時刻と場所を指定してきた。場所から察するに、そこで交渉を行うと云うよりは移動して火野が捕らえられている場所まで連れて行く、と考えられる。

『交渉の内容はまだ伝えない。次に会う時に話す。君にはそれまでの間に、一緒に来た他の友達に上手く話をつけて、一人でこの場所に来れるよう準備してもらう。一人で来なかった場合、或いはその友達に全てを話して警察を呼ぶような事をすれば、ここにいる火野がどうなるか、よく考えるといい』

つまり、火野はこの電話の主の近くにいると云う事か。どうする、ここは一つ賭けだ。此方が長く喋る事で正体が気付かれてしまう危険があるが。

「まだ信用できない。本当に火野を攫ったのか。」

僕がそう告げると電話の向こうは黙りこくった。この間が嫌だな。此方の正体に気付いたのか、それとも単に返しを考えているだけなのか。

『いいだろう。人質の声を聞かせてやる』

気付かれてはいないらしい。加えて向こうから声を聞かせると言ってきた。暫く向こうから声が聞こえなくなる。そして少しのノイズ。

『…助けて』

間違いなく火野の声だった。たった一言で判る。

『それでは指定の時間と場所でまた会おう』

それだけの言葉の後に電話は切れて、機械音だけが僕の耳に届く。

正直な話、頭にきた。

僕は携帯を鞄の中に投げ捨てて、頭に乗せた帽子を目深に被る。

勝機は、向こうは僕達が此処に来ている事を知らない可能性にある。入り口付近で帽子やらカチューシャやらを買って、それを身につけていた甲斐があったな。そして電話をした相手が元山とまだ勘違いしているならば、敵の意識は元山達に向くはずである。

故に僕達が取る策戦の基本は不意打ちだ。気付かれずに準備を進め、気付かれずに忍び寄り、向こうが気付いた時にはその首元に刃物を突き付ける。

では次にどうするべきか。その次は、そしてその次の次は、と僕は策戦を組み上げ始めて、風浦達がトイレから出てくるまでどうするかを話し合っている会長と副会長と特攻と狙撃手の元へと戻っていった。


※※※

「んで、どこ向かってんだよ」

隣を歩くFD星人の言葉を聞きつつ僕は急ぎ足で進んでいく。僕に訊ねるFD星人、および他三人も僕を追って必然的に早足になる。

「その質問に答える前に、一つ教えてやる。火野が誘拐された。」

四人のそれぞれの驚いた反応を無視して僕は話を進める。

「犯人は恐らく、いやほぼ間違いなく以前僕達を妨害した連中だ。」

「それは……結構まずいんじゃない?」

副会長が呟くが、それを直ぐにナンシーが否定する。

「逆に、そっちの方がよかったかも。それならあたし達でどうにかできるし」

「私達でどうにかしなくてはいけないとも言えるのだけど」

僕達の目の前に目的地が見えてきた。時間が無い。一刻も早く手を打たねばならないだろうし、兎も角其処に辿り着かねばならん。

「女性の誘拐事件、更にその被害者が知り合いともなれば、ミーとしては自分の手で解決したいデスけどね」

「それは私も同じよ」

「つうか、皆同じだろ?」

口角を上げて会長が全員に向けて笑う。

「こーゆー時はリーダーっぽいね」

「いつでも俺はリーダーらしいからな?」

さて着いた。僕はある建物入り口前で立ち止まる。それはあるアトラクションの建物だった。当然の様に誰も並んでおらず、加えて中に人の気配は余り感じられない。唯一目に入るのは入り口に立つ従業員だけだ。

「理由は後で話す。まずは中に入ってくれ。」

僕はそう促して、全員を中に通す。従業員も急な客、しかもとてもこんなアトラクションに来そうもない奴らが来て、少し面喰いながらも淡々と仕事をこなして、僕達を中に通してくれた。従業員の目が離れ、建物の奥へと続く通路を歩きながら、僕は話し始める。

「見ての通り此処は、室内アスレチックをベースとしたファミリー向けアトラクションだ。相手が何者か判らん以上、室内アトラクションにまずは身を隠す。」

「なるほど。それでこの明らかに不景気なアトラクションに入ったのね」

「副会長サン、そういうことは思っても口に出してはいけないデスよ」

「事実でしょう」

「それはいいんだが、先に進むのにこんのめんどくさい網とか縄とかなんとかならねぇのかよ…」

「それが面白いんだよ、なに言ってんの」

「お前はノリノリだな!」

ナンシーの言う通り、子供を楽しませるアトラクションなのだから文句を言っても仕方あるまい。おっと、平均台だ。これは一人ずつ行くしかないな。

「いや、降りて行けよ! 時間ないんだろ!」

次はターザンロープか。これも一人ずつだな。

「だから一々、乗っていく必要ねぇからな!」

滑車の付いたロープに掴まりながら僕は言う。

「それならそもそも保護者用の通路を使って、先に進めば良いだろうに。」

会長と副会長の般若顔を見送りながら、僕は発車して先に向かった。

「あっ、あたしもやりたーい」

「お前はいいんだよ!」

それから、蜘蛛の巣状の網を越え、ジャングルジムを越え、丸太を渡り、斜面を縄頼りに降りて、滑り台を降りて、僕達は開けた広場に出た。

「此処が目的地だ。」

「いやー、楽しかったぁ!」

「楽しんでどうするのよ…」

「つか予想以上にハードだったんだが…」

「二人も、これしきで息が上がってどうするんデス」

「うるせぇ…」

室内広場には積み木やらなにやらと子供が遊ぶための用具と空間があるのだが、入り口からそれ用の通路を通って先に辿り着いた保護者が子供を見守れる様にと用意された机と椅子がある。僕はその内の一つの椅子に座って

「此処を本部とする。」

と宣言した。まあ、それ以前に息の上がった二人は勝手に椅子に座ってはいたのだが。

「ここならまず敵に見つかる恐れはない。僕と、総指揮として会長をここに残して、三人には園内で火野を探して貰う。」

「結構無謀な事を求めるのね。そもそも園内にいない可能性もあるでしょう」

「それはまず無いと思っていい。連中は元山一人に何か交渉する予定らしい。となれば他の水谷や土井にはそれを知られる訳にはいかないはずだ。下手に園外に誘き出すのはリスクが高い故にしないと考えられる。」

「なるほどね。一つ訊きたいんだけど、そもそも元山くんに交渉する予定するとか、それは何処で知ったの」

「相手側が元山と間違えて僕に電話をしてきた。火野を誘拐したと告げ、返して欲しくば交渉に応じろと。三十分後に再び、交渉場所を伝える為に電話をするから、それまでに他三人には上手く事実を伏せて説明して一人で交渉場に来れる様に準備をしておけとも行ってきた。」

「なら、その時刻になってから交渉場に乗り込んだ方がよくねえか?」

「急襲で畳み掛けた方が確実な上、火野に危害が及ぶリスクを抑えられる。よって、此方が先手を取るべく、連中の居場所を突き止める。」

「目星はあるんデスか?」

「この地図に連中が潜んでいる可能性のある大方の場所は印をつけた。各々、これを写すか写真を撮るかして控えてくれ。当然穴もある。個人的に怪しいと思う処も探せ。」

僕の渡した地図を広げて、すぐさま自分の持つ園内地図に写しにかかる副会長。対し、Mもナンシーは携帯で写真を撮っていた。今の世の中、機械音痴は明らかに損するとよく分かる構図だった。

「園内を区切って担当を決め、余った区域は早く済んだ者が向かう。割り振りは会長、君に任せた。後の諸注意は、周りに目を配り怪しい人物に警戒する事、そして場所を確認し次第会長に電話で連絡する事だ。副会長は仕方ない、この近くを担当して、毎度此処に戻って来い。会長は連絡を受けての細かい指示。僕は他の怪しい場所を更に選び出して穴を埋めていく。」

僕の説明が終わると、直ぐに会長を中心に割り振りをしていく。それが終わる頃には副会長も地図の準備が終わり、会長の掛け声で三人は此処から出ていった。

僕は机の上に園内地図を広げて、携帯を準備する。


受けた連絡を会長が読み上げて僕が地図に×印を書いていく。それと並行して僕は新たな穴場を地図上に見出して、そこを調べる指示を出す様に会長に伝える。これらを何度も反復していく。

携帯が示すのは園内の人の混み具合。入り口ではあれだけの人を見たにも関わらず、此処がこれほどに人がいないという事は間違いなく園内で人口密度に大きな差がある。高校生を誘拐するとなると少人数で出来るものでもないし、それを運ぶとなれば当然人目につく。人口密度の高い所は通れるはずがないから、そこを候補から外していける。都合の良い事に公式ウェブサイトには区域ごとで現在の混み具合を確認できる。また、僕達がジェットコースターに乗っている間に火野がいた場所、其処から近場にまだ相手はいる可能性は高い。問題は火野が攫われたのが何処かが確定不能な事だ。ジェットコースターのすぐ傍で待っていたのか、少し周りを散策していたのか、可能性は多岐に渡る。

地図を前にペンが止めった頃合いで、副会長が戻って来た。会長はその情報を受けて、彼女を少し此処から離れた区域に向かわせた。

「しっかし、副会長わざわざ入り口からまた入って来たんだぜ?」

少し自分の仕事に余裕が出てきたのか、会長が話し掛けてくる。

「時間もねぇんだし、出口から入って来てもいいだろ?」

「如何にも副会長らしいではないか。」

それだけ返事をして僕は地図と再び向き合う。

此処の様な人目が少ない場所、今火野は其処にいると考えるのが自然だ。しかし、ジェットコースターの近くは人気区域であり、その辺りにはそんな場所はないし、人目につく故余り遠くにも運ぶことはできないはず。ならば火野を誘拐したのは別の場所か。しかし、火野が不用意にジェットコースター近くから離れるだろうか。

待て。そもそもの話、誰にも見つからずに人一人を運べるものなのか。例えば植木の裏を通ってでも、この地図を見る限りではそれだけで運びきるのには無理がある。それなら寧ろ従業員の格好をするとかの方が。と此処で思考が飛躍した。言葉で綴るよりも結論が先に訪れる。

思い立った僕は携帯を拾い上げる。この遊園地で取られたのであろう写真を次々に見ていって、漸く自分の記憶の裏打ちが取れた。

これだ。その旨を会長に告げようとしたそのタイミングで、僕達のいる室内広場に人が入って来た。その人物の第一声はこうだ。

「あのぅ…お客様、どうかされましたか? なかなか出てこられなかったり、また入ったりして…」

しまった、という顔を会長はしていた。このアトラクションの入り口にいた従業員。中から出てこないというのは見逃しただけだと納得して貰えると思ったのだが、副会長が二度入ったのには流石に違和感を覚えたらしい。

しかし、僕にとっては丁度良い。最後の確認は内部の人間に訊くが一番だ。

「すみません。詳しい事は後に話しますが、幾つか質問宜しいでしょうか。」

僕は向こうの返事を聞かずに、すぐさま自分の質問をぶつけた。


「間違いないですね。」

最後に僕がそう問うと、女性の従業員は困惑と怯えの混ざった顔でそれでもしっかりと

「はい……出てくるのはともかく、去っていく所を子供達には見せられないので…」

また振り返って僕を見る会長の顔は自分で出した結論に驚いているようだった。

「おい、てことは火野がいるのは…」

「確定だろう。君が今考えているその手段で火野が運ばれたのならば。」

会長は直ぐに机の上の地図に向かう。

「灯台下暗しってやつだぜ……まったく。この区域の元々の担当は副会長だが、もう別の所に行かせちまった」

「仕方あるまい。其処は調査対象外にしていたからな。」

「今一番近くにいるのは……いや、これならMを走らせた方が早ぇな」

会長は直ぐに指定した場所に向かう様にMに対して連絡を入れた。

「それで、わたしは一体どうしたら…」

所在なさげに立ったままの従業員。僕が指を鳴らして、それに気を取られた内に背後に会長が回った。少し眠って頂こう。

「さて、後はMからの連絡を待つだけだな。と言ってる内に」

早くも会長の携帯が鳴った。掛かってきた電話を取り、一言二言会話した会長が口角を上げてこう言った。

「ビンゴだぜ」

僕はその言葉を聞いて立ち上がる。広げた地図を畳んで机の上を更地にしていく。すると片付け終わった丁度の時に、唯一連絡の取れない副会長が戻ってきた。副会長は僕と会長の顔を見て即座に理解したらしく、そう、とだけ呟いた。

「着くまでの間に策戦を説明しておきたい。」

「ナンシー達はいいんか?」

「あの二人は策戦を聞いておらずともやる事は変わらんが、副会長に伝達を頼みたい。」

「了解したわ。ということは一旦分かれるのね」

「ああ。最後には集まる予定だがな。」

僕達はこの建物の出口に立つ。さて、落とし前をつけさせに行こう。

「んじゃ、いきますか!」


※※※

辿り着いたのは搬入用の通路だった。本来従業員しか入る事の出来ないはずの此処にこうも容易に入れてしまったのはどうかと思う。通路には折り畳みコンテナや段ボールが重ねて置いてあり、隔離校舎の根城を思い起こさせる。

僕達五人が横一列に並んで一応隙間ができる程度の幅はあるが、日が差し込まず暗いこの場所は正に路地裏と呼ぶに相応しい。そして僕達は矢張り横一列に並んで向こうと対峙する。向こう、暗がりで顔は見えないが人影が幾つか見える。

「なあおい。聞いてた話より人数が多い気がするぜ…」

最初に弱音を吐いたのがFD星人。それは僕達全員が思っていながら口に出さなかった事だ。それをリーダーたる会長から言い出してどうする。

「僕は言ったのは飽くまで、火野を攫うのに必要な最小人数だったんだが。だとしても予想外だ。少し多すぎる。」

「どっちよ、結局」

「でもおかげで、ここで間違いないってわかりマシたし、アレをどうにかするのはミー達の役割デスよね」

まあ確かに僕は、ついでにFD星人もアレの相手はしない。通路の奥にそびえる建設中の塔、僕が目指すは向こうだ。

園内で客の過密区域と過疎区域の差が広がっている事を案じた遊園地側が現在建設中の新たな目玉アトラクション。僕達が急遽本部として利用した例の室内アスレチックがあるのと同じ区域にあるのだが、それはこの業務員通路を通って行く事が出来る。故に、僕達の目の前にいる此奴らは此処で待ち受けているという訳だ。

「作戦通りに頼むぜ」

会長の言葉にナンシー、M、副会長が頷く。

「行け!」

会長の掛け声とほぼ同時にナンシーは二丁の銃を引き抜き、向こうへと一斉射撃。意図的に地面やコンテナを狙って砂埃を上げていく。銃撃が止んだ時にはMが砂埃の中へと突っ込んでいった。

「今よ」

副会長がそう言うと、僕と会長はその場に背を向けて来た道を戻り始めた。

塔に近付かせない為にここに戦力を配置したのだろう事から、恐らく主犯はこの遊園地を熟知している。あの本部で別の従業員に訊けたのは大きかった。もう一つ本当に従業員しか知らない、塔までの行き方を聞き出せた。

「良し、会長。」

「おうよ、そっちも上手くやれよ!」

普通の園内スペースに戻ってから僕と会長は別れる。会長には別に役割があるのだ。

さて少し急ごう。火野の事を考えれば、例の塔には出来る限り早く向かわねばならない。此処からは時間との勝負だ。


見るからに建設中の塔の周りには奇妙な程に誰もいなかった。仮に休憩中だとしても監視役として誰もいないのは妙だ。何かしらの人払いを行ったと云う事だろう。でなければ、中に火野を連れ込む事は出来ないし、僕も塔内部に入る事は愚か、工事のガードフェンスの中にすら入れなかっただろう。

さて入り口は何処だろうか。曰く完成間近らしい事は調べがついている。塔の外部に設置されている仮の足場。それは何段にもなって塔に巻き付いており、それぞれの段は梯子で登り降り出来る。しかしそんな危ない処を登っていきたくはない。僕は正直に塔本来の入り口から中へと足を踏み入れる。

自然に出来た洞窟の様なひんやりとした空気。体温を持つ者として自分が初めて踏み込んだような感覚。人の気配を感じられない。完成されていないとはいえ、一つのアトラクションとして作られた塔だ。何階建てかは知らんが、階段は階ごとに違う場所にあると考えるべきだろう。ギミックそのものはまだ設置されていないのは救いか。

ホラーと謎解き要素があると聞いていたがその通り、隠し扉付の迷路や網系の罠と既に用意されているギミックは今だからこうすんなりと通れるのであって、完成後はかなりの要塞として機能しそうだな。ただ、此処の完成は、僕達が本部として使ったあの室内アスレチックを閉鎖に追い込みそうだ。似た様なギミック、最後に通った蜘蛛の巣状の網等もあるし、上位互換になるものもあった。

何回目かの階段を登ると広い空間に出た。見渡す限りには登る階段は無し。此処がこのアトラクション本来の目的地なのかは知らんが、僕としては到着したのだと確信した。

薄暗い空間の奥、恐らく此処の機材なのだろう椅子に座っている火野を発見した。

慎重に歩を前に進めると、不意に火野の座る椅子の後ろに一人の人間がいる事に僕は気付く。白装束を纏い、その上に長い髪を垂らす女。おい、流石に幽霊を相手取るとは想定していないぞ。

しかし更に近付いていくと、どうやら彼女は足があるようだし、体も透けていない。まともな人間らしい。彼女も椅子の後ろから前へ、そして火野と僕の間に立つ。その間火野に全く動きが見られなかった事から考えるに、火野はまだ気を失っているのだろう。

僕は足を止めた。間があった。

そして彼女は話始めようと口を開いた瞬間に、それを僕が手で制する。

「待て。解決篇としては、まず此処に来た挑戦者から語るのが定石だろう。」

調子を狂わされた彼女の返事を待たずに僕は話を勝手に進める。

「まずは火野を攫う方法を説明する。恐らく人の多い処にいたであろう火野を如何に誰にも気付かれずに攫うか。従業員に変装したとして何処かに火野を連れ込んだとして、其処から火野を動かす事が出来なくなる。いずれ誰かに見つかってしまいかねない。よって火野をそのまま移動させる手段も考えなくてはいけなかった。」

僕は携帯を操作しながら語り続ける。

「この遊園地には奇妙な着ぐるみがいる。それは台車に乗って、二人の係員に押して貰って移動する。着ぐるみや台車に問題があった時に対処するのを一人として、それまで客を近付かせない役割をもう一人が担う為、二人の係員が付く、という話を実際に此処で働いている従業員に聞く機会があった。それ以上人員は割けないとな。しかし、SNSを調べてみれば、今日のしかも火野が攫われた時間帯の写真に、三人の従業員が台車を押すのが偶然映り込んでいるものがあった。」

僕は携帯の画面で其れを彼女に見せる。

「それだけならまだしも、何か問題が起きたらしく近くの草むらに着ぐるみが入っていって、それを係員が隠していたという写真も投稿されていた。何かトラブルがあれば直ぐに写真を撮りたがるその根性の御陰で一つの仮説が出来た。僕の考えはこうだ。まず中の人含め三人で着ぐるみ台車を園内に送り出す。そして火野を見つけ次第、エキストラ役として巻き込む。それを見た客は火野も仕込みの一人だと考えるだろう。そのまま有無を言わさず火野を草むらに連れ込む。火野の意識を奪い、着ぐるみの中に押し込み、元々中に入っていた人は台車を押す係となる。それまでの間草むらの中を客に見られないように他二人が客を遠ざける。理解のある客はそれを見て何かトラブルがあったのだろうと見て見ぬふりをしてくれるだろう。そして着ぐるみ台車を復帰させて、三人で台車を押して園内から脱出する。その間、着ぐるみは手を振ったりは出来ないが、着ぐるみそのものは台車と一体化している為直立は保ち続ける。外から見て違和感は薄い。」

僕は少しずつ歩を前に進める。

「そしてこの仮説が正しいなら、その台車は疑いを持たれないように普段通りのルートを通るしかない。係員に訊いてみれば、園内でのルートは決まっていないそうだが、戻る場所は決まっているらしい。人の少ない其処の区域まで移動して、そこの従業員専用出口へと帰っていく決まりだ。故に君達は其処に向かう。其処で火野を着ぐるみから出して今度は何かしらの荷物として別の箱に詰めて、また台車で奥へと運んでいく。それで本物の従業員の目を欺き此の塔まで辿り着く。それから火野はこの塔の頂上に捕らえておき、塔に来る為の通路を他の協力者を配置し、指定時間と場所に現れた元山を此処に連れて来させて交渉を開始する。これが君の描いた流れだ。」

ここで初めて彼女は明確に驚きを顔に出した。何故それを知っているかと尋ねる彼女に僕は淡々と返す。

「君が電話相手を間違えただけだ。僕が予想するに、火野は元山とついでに僕と副会長、フリーダム星人、ナンシー、Mの連絡先を本名以外で携帯に登録していたのだろう。第三者が見た際に元山と間違える様な名前を付けられた事は不服ではあるが、御陰でこうして此処に来れた。」

僕は足を止めて彼女の前に立つ。これで確信できた。今回の事件は彼女の行った事であるが、もう一つ別の側面がある。

ならば僕がすべきことは一つだ。慎重に僕は言葉を放つ。

「さて配分としてはこの位でいいだろう。ではまず、君は誰だ。」

漸く自分の話が出来ると意気込んでいた彼女はそれをすかされただけでなく、復讐を果たそうとする相手に自分の事など覚えていないと宣告されたのだ。当然彼女は激怒して、それを理解していた僕に向かって、火野が意識を取り戻るのではないかと云う程の大声で名乗った。

「私は中城愛華!」

「それで、何者だ。」

名乗っても期待した反応を見せず、寧ろどうでもいいと思っている様な反応をした僕に彼女はまた神経を逆撫でされて、大きく息を吸い込んで

「私は!」

と言いかけて、ショックに打たれたかの如く固まった。目線は僕から外れて何もないただ一点に向けられ、腕はただ重力に従って垂れていた。

僕はさっと彼女のすぐ前まで移動して、彼女の肩に手を置く。一言二言唱えると、急に彼女の体は柔軟性を取り戻して倒れ込んできて、僕はそれを両手で支える。矢張り女子とはいえ重い。もっと膝から崩れる様に倒れてくれればいいのだが。

さて、これで始まったはずだ。


[中城愛華。彼女が元山住吉に会ったのは全くの偶然である。名家の生まれで和風の屋敷に住んでいた彼女は、親に反発し半ば追い出される形で元山の通う成翔高校に転入してきた。実質彼女の生活は一人暮らしである。仲の良かった兄弟姉妹や親戚が彼女の親の目を盗んで一人暮らしの家を訪れて家事を手伝うという事があったにせよ、彼女の生活が徐々に苦しくなっていった事には変わりない。高校生という肩書は彼女がアルバイトをするのに多少なりの妨害を掛けて来たし、事情を知らないクラスメイトとの距離が開いていくのも仕方のない事だと彼女は割り切っていた。

そして遂に疲労空腹孤独、あるゆる要素の集合の結果として彼女は放課後遂に倒れてしまった。そしてこれが中城と元山の出会いとなる。


ゆっくりと目を開けた中城の視界はまだ歪んでいて、自分が何処にいるのか判らなかった。白い天井や清潔そうな雰囲気、自分が柔らかい布団の上に寝転んでいる事を感じて、辛うじて病院か保健室だと考える。

「よかった」

そんな呟きを聞いて中城は其方の方に顔を動かす。知らない男子生徒がベッドの傍の椅子に座っていた。誰だろう、多分違うクラスの人、もしかしたら学年も違うのかもしれない。ぼんやり考えていると保健室の先生がカーテンの向こうから現れた。

保険医から幾つかの注意を受けて、しょげ込む中城はもう暫く安静にしてから帰宅するよう宣告された。無駄な事だと判っているので抵抗するのは止めて素直に横になった中城だが、保険医が部屋から出ていったと判るとすぐに起き上がった。

「ちょい待てって、安静にしてなくていいのか?」

何故かまだ部屋に残っていた男子生徒が中城を止めに来た。直ぐにも振り払ってしまいたい気持ちに駆られる中城だが、取り敢えず落ち着いて話をすることにした。

「どうして私を止めるの。それにどうしてまだここにいるの」

「どうして尽くしだな……そりゃ、いきなり目の前で人が倒れてさ、それを保健室に運んだとしてもやっぱり気になるし」

「それはつまり貴方が助けてくれたということ」

男子生徒は頷いた。少しばつの悪い顔をする中城は直ぐに持ち直して、ベッドの上に正座すると頭を深く下げ

「この度はどうもありがとうございました」

と礼を述べた。こうするのが実家では基本であったし、彼女の体にそれは染み込んでいた。そんな彼女にとっては普通の行動に元山はひどく慌てた様子で

「いやいやそんな大袈裟な…」

頭を上げた中城はそんな元山にはお構いなしに続ける。

「私は中城愛華と申します。貴方の名前は」

「ああ、俺は元山だよ。それはいいから安静にしてないと…」

「そういう訳には。これからアルバイトなので」

「それこそ駄目だって! いいから休めよ、バイトの方は俺がなんとかするから」

「しかし」

「いいから」

気が付けば中城は布団を被っていた。少しショックというか衝撃を受ける。中城愛華は親と喧嘩して一人暮らしをするような者で、自分を押し切って生きてきた。初めて押し負けた。驚きで固まりだした中城の傍で元山は、まったく…と呟きながらケータイを操作していた。どうにかするといった手前バイト先に連絡しようとしているのかとなんとなく思った。

「なあ、そのバイト、どこのやつ?」

元山のその言葉に吸い出されるように中城はすんなりと答えていて、そうした後にまた驚きが体を占めていく。この男子は一体何者なのだろう。考えても答えが出る訳もない。それが少し悔しかった。

「代わりにバイト行ってくれるやつが見つかったってさ」

その為か、笑顔を見せる元山を取り敢えず中城は睨み付けておいた。


元山が何処のクラスかは直ぐに判った。ある種の敗北感を覚えた中城はそれを払拭するという目論見も含めて、元山とよく話をするようになった。中城としては元山の方からも話し掛けて来たという自覚もあった。

その日も元山と話しているとどういう文脈か、元山は今新しい同好会を作ろうとしていると話してきた。この頃にはもう中城は元山と話している中で悔しさを感じるは愚か、安らぎを感じる段階まで来ていて、その同好会に入らないかと元山に誘われた中城は何の同好会を体裁上は尋ねておきながら、二つ返事で引き受ける気でいた。

家に帰る中城はこれからの学校生活に更なる楽しさを期待していた。アルバイトも元山に止められる形で数を減らして、元山が定期的に学食を奢ると言って聞かないこともあって、彼女の学園生活は順調だったと言えよう。

帰って来て家の扉を開け、中城は食材を入れた袋を落とした。当然だ。彼女の家に、彼女を追いだしたかの母親がいたのだから。

「何しに来たの」

それでも中城は食って掛かる。正座のまま此方を向いた母親の姿勢は見本のような美しさを誇っていたが、中城にとってそれは神経を逆撫でされる光景であるのに変わりはない。中城の顔は更に険しくなる。

「貴方の学園生活を調べさせて貰いました」

「なにを勝手に」

「親として当然の事です」

だからこの人は嫌いだと中城はまた母親への嫌悪感を再確認する。そんな中城には全く気を払っている様子を見せずに淡々と母親は続ける。

「貴方には特に仲良くしている殿方がいるようですが」

「それが何」

ここに来て初めて母親は中城をはっきりとその眼で捉えた。

「あの男は多くの女性を侍らせています」

何を言いだすかと思えば、と中城は嘲笑を浮かべる。こんな母親だ、自分の都合の良い様に解釈してるだけ、根拠なんてものは存在しない。

「確かな筋からの情報です」

そんな中城の表情から余裕を読み取った母親が続けざまに告げる。

「彼が作ろうとしている同好会には他に女生徒しかいませんし、そもそも彼の周りに集まるのは大半が女性です」

中城は思わず後ろに倒れかかる。いやそれは感覚だけの話、彼女は全く動いていないはずなのに、三半規管が狂い始めていく。

嘘だ。そんなはずはない。否定材料は、嘘という証拠は。元山にとって中城愛華が大勢の中の一人の女でしかないなんてことが。

中城は踵を返す。手には何も持たず、全てを確かめる為に。

学校に付いた中城は割合直ぐに元山を見つけた。声を掛けて訊き出そうと止めた足を更に一歩前に出そうとしたその時、中城は見た。元山とその傍にいる女子を一人。

それだけならまだ彼女は平静を保てたかもしれない。いや、これだけでも彼女は十二分に心の中をかき乱されたのだと思う。そもそも彼女は元山そのものしか見えていなかったのだから。どちらにせよ、その後二人目と三人目の女子が出てきて、簡単に中城はその場から動けなくなった。


その日以降、中城は別のクラスの元山の所にはいかなくなった。元山にも見つからないように生活していた。あれから母親は家に来ていない。どうしてあれだけの事を言いに来たのか、全く見当がつかなかったが、中城に取っては最早どうでもよかった。自暴自棄にアルバイトの量もまた増やした、それは必要な事だったと自分に言い聞かせて。

転機は突然に来たと言っていい。本当に何かきっかけがあった訳でもなく、中城の頭にある馬鹿らしい考えが浮かんできたのだ。

誰かが彼女の母親に告げ口をしたのではないか。しかもそれは半ば事実と近い所があって、事実を見てもそう見えなくもない程度のものだったのではないか。つまり自分がこうなるまでが仕組まれたことだったのではないかと。

自分が転んだ事から世界レベルの暗躍を想像する位の突拍子もない発想。中城はそう理解した上で、試しに調べてみることにした。

まずは元山の同好会だ。あれから人数も揃って発足は出来たのだろうと考えて彼女は捜査を開始した。放課後、同好会が使っている教室を全て目で確認していく。同好会は専用の部屋を持たない為、活動する部屋は誰でも入れる普通の教室で行っている。故に部外者の中城でも容易に調べて回れた。

「どういうこと…」

しかし何処にも元山の姿は見当たらない。中庭のベンチに腰掛けて中城は溜息をついた。今日は活動日ではないとか、或いは元山だけは今日同好会に出ていないとか。それ位しか考えられない。

それなら元山と一緒にいた女子、それを探すのが一番だと思い至っても、顔もそうしっかりと覚えている訳でもなく、ましてやクラス学年、名前も判らないのだ。中城には彼女達を探す方法が思い付かなかった。

故にこれはまさしく偶然の産物と云う物で、その時も中城は驚きで目を見開いたのだ。

廊下に見えた女子生徒。中城の封印していた忌まわしい記憶が呼び起こされて、すぐにピンときた。彼女だ、間違いない。あの時元山と一緒にいた女子の一人。

中城は駆け出した。これは多分最後のチャンスだ。自分が何かを取り戻せる最後のチャンス。廊下を歩く彼女を先回りして校舎に入る。そして待ち受ける様に彼女の前に立って、中城は声を掛ける。このような場合に中城の押しの強さがプラスに働く。

「貴方、元山住吉という人物を知っているでしょう」

それを聞いた彼女は少し驚きつつも中城には協力的に話をしてくれた。元山のいる映研はそれはそれは普通の活動をしていること、大勢侍らせるといっても他には三人いるだけであり、そして誰かストーカーの気配を感じた事があるとも。

それを聞いて中城は自分の直感を信じる気になってきた。中城は彼女に頼み事をする。

「私に協力してちょうだい」]


出て来たか。

倒れ込んできた中城の背中から黒い靄が染み出して、それは徐々に上へと昇っていく。照明のない暗いこの場所で何故そう見えるのかと言われれば、恐らく僕にしか見えてないのだろうと思うし、それが幻覚である可能性を僕は否定しない。兎も角その靄は中城の上の方に曖昧に集合していく。何かの形を構成することなく、何となく上の方にある感じのする其処に僕は一つの球を見出す。黄色、いや金、光るその球は目だ。

僕はその一つの目に向けて言葉を掛ける。

「配分的にそろそろ僕の番だ。話すべき事はまだ半分しか話していないからな。」

一つの目は動かない。黒目にあたるものも見当たらない為此奴が僕を見ているのかは確信が持てない。

「中城を先に映研から排除、いや正確には入部を阻止したのは、彼女が明らかに危険因子だったからだ。目標を定めれば一直線、なりふり構わず突き進む彼女の姿勢は尊いものではあるが、ハーレムにとってはフェーズの促進を加速させる毒となる。もし彼女が映研に入っていればものの一か月で元山の周り、映研以上の範囲で破滅的結末をもたらしただろう。」

反応を見せない目に向けて語り続けるのは中々キツイものがある。それでも僕は必要があるから語りを続ける。

「中城を排除する事が出来たならば他の四人、水谷、火野、土井、風浦にも同じ方法を使えばよかったのではという問いは当然浮かび上がるものだが、それはハーレムがフェーズ1故に出来た事なのだ。かつて火野には、現状のハーレムをフェーズ1だと言ったが、あれは嘘だ。実際はフェーズ2、フェーズ2とは各々がハーレム中心である元山に向けて無自覚に好意を寄せている状態だな。本人はそれが好意だと自覚してはいない。まさに火野の様に。

これも火野に話した事だが、フェーズ1への対策は二通りある。元山から見て全員を友人として固定する方法と、元山と誰か一人を付き合わせる方法。しかし、フェーズ2以降、前者を実行し完遂するのが困難になり、後者を選択するしかなくなる。僕達が中城を排除して直ぐに映研はフェーズ2に突入し、打つべき手は一つとなった。

さてでは誰の背中を後押しするか。そこで僕達が選び出したのが火野だ。その過程は省くが、兎も角僕達の目的は火野を元山に告白できるまでに育て上げ、それを成功させる事にシフトした。自身の持つ物が元山への好意だと彼女に自覚させる、その必要性からまず火野を僕達の組織に引き込んだ。その方が彼女にアプローチし易いからな。個人的にはその場で火野に何もかもを話しても良かったのだが、自然に本人が気付くようにすべきだと何人かに反対されてな、嘘も交えつつ情報を小出ししていく形となった。

まず火野には、現状はフェーズ1であり、僕達は前者の方策、全員を元山の女友達として固定するよう活動してると嘘をついた。これにより火野は、自身を元山の女友達と認識した上で他の三人にも意識が向く様になる。畳み掛けとして風浦と元山のデートを見せ、火野に揺らぎを与えた。」

「待て…あれはこの中城が企てたものだ……それで貴様達の士気を挫こうと…」

「だから言っているだろう、僕達の方策は君達が想定していた物とは違うのだよ。あの際の僕達の真の目的は、デートそのものを妨害する事ではなく、火野に揺らぎを与える事だった。」

「くっ…」

「これらを経て、火野は自分が元山にとっての女友達と云う立場に満足できていない事に気付き…と云うのが筋書だったが、人の心をそう都合よく誘導できる訳もないだろうし、僕達が火野を見誤っている恐れもあった。故に長い時間をかけていく予定だった。遊園地もその一環だったのだが、よくもまあ邪魔してくれたものだ。」

僕は意識のない中城をゆっくりと寝かせて、相手の正面に立つ。

「さて、これ位でいいだろう。君は僕の問い掛けに応えて宿主の話をし、僕の話を聞いてそれに応えた。そして僕は最後に言おう、君の正体はそうだな、女郎蜘蛛。」

僕の前から光る球は無くなっていて、代わりに物の怪、女郎蜘蛛がいた。

「それでは、」

と言いかけた瞬間に、僕は宙を舞っていた。直ぐにそれは微妙に間違っていると判って、僕は蜘蛛の巣に捕まっていた。しまった。中城の白装束とこの塔及び先までの本部にあった蜘蛛の巣状の網。それらに釣られて蜘蛛型の物の怪を選んだのだが、これは明らかに失敗だ。

「すまないな。我の中の本能が囁くのだ。我に危害を加えかねない者、つまり貴様を排除せよと」

部屋の天井に張り付いた女郎蜘蛛はそう告げる。その隙に僕は体を捻じらせてみるが全く動けない。

「ならばその本能に訊いてみるといい。君の最も主軸たる目的は何か。」

「それは……元山住吉に接近すること」

「そう。故に僕は君を止めねばならない。これ以上映研を荒らす真似をさせる訳にはいかんのでな。ハーレムは解体するが映研は守り切らねばならない。彼女の為にそれが僕の為すべき事だ。」

僕が喋る間に女郎蜘蛛は徐々に僕に近付いてくる。確か蜘蛛の捕食方法としては体外消化、消化液を獲物の体内に注入して溶かし、その溶けた液を吸い出すというのがあったような気がする。それは大変不味い。しかしだ。

「それと君は一つ勘違いをしている。僕に与えられた役割は君を倒す事だと。違う、僕はただの時間稼ぎだ。」

数発の銃声。それに怯んで女郎蜘蛛は足を止め、僕は宙を落下した。受け身が取れず背中から落ちて、痛めた背中をさすっていると、漸く彼女たちが姿を見せた。

「助かった、ナンシー。」

銃を持ったナンシー、続いてM、副会長が現れる。

「下の奴らはどうした。」

Mの手を掴んで起き上がった僕が尋ねると、副会長が

「数も多かったし、うちの高校の不良たちだったから喧嘩慣れもしててわ。だから、隙を突いてバリケードで封じ込めて来たわ。素材には事欠かなかったし」

そう答える。

「コンテナや段ボールを使ったと云う訳か。その不良たちは恐らく中城ともう一人の協力者が集めたのだろう。」

「きょーりょくしゃ?」

構えた銃で女郎蜘蛛を牽制するナンシー。

「火野を誘拐するには、そもそも火野が一人になっていなくてはならない。つまりそうなるように上手く誘導する必要がある。高所が苦手な火野を独りにするため、ジェットコースターに行こうと誘う、それが出来るのは映研の内部の人間だ。そして風浦と元山が出掛けた時に僕達への妨害が発生した事から考えて、風浦が協力者。」

僕の言葉に合わせてこの部屋に上がって来た男が一人。

「まさか既に…」

女郎蜘蛛がその眼に捉えたのは会長。その腕には風浦が抱かれていた。

「おおう、お姫様抱っこ」

と囃し立てるMに対して僕と副会長は

「まてまて、なんだテメェらその顔は! 風浦が何もできないように拘束しろっつうからこうしただけで、他意はねぇからな!」

「手つきがいやらしいわね」

「犯罪の匂いがする。」

「なんもしてねぇから!」

そう叫ぶFD星人に信用などないのであった。

「んで、そいつが火野をさらった奴か」

僕は頷いて女郎蜘蛛に目を戻す。

「見ての通り、これで五対一だ。不良たちも閉じ込めて風浦も行動不能にした。僕は投降を進める。」

僕の言葉に、何処から発しているのかは判らないが、女郎蜘蛛は返す。

「ハッタリは止めよ。武器を持っているのも一人しかいない。それなら貴様らを蹴散らした方がいいと思わんかね?」

「考えてもみろ。僕達の中、誰一人として君を見ても驚きも何も見せない。つまり僕達は既に君と同じ様な連中を相手取って来たと君は推測出来るはずだ。それを加味した上で、君には武器が見えないからといって、向って行くのは無謀だと思うね。」

「私達はあなたを倒さなくてはならない立場にはないわ。あなたが元山君及びその周りの人に近付かなければ何もしない。ただ、一応監視位はする可能性はあるけれど」

「その口約束を我が信頼する根拠がない。既に我が同類とも相対していると言うならば、彼らはどうなったのだ」

僕達は全員が一斉に目を逸らした。

「貴様等ァ…」

女郎蜘蛛は僕達に向けて糸を吐き出して来た。当然と云えば当然か。

「ナンシー!」

会長が叫ぶとナンシーは二丁拳銃を構え、その銃弾で糸の幾つかを阻止する。その隙にMが駆け出す。

「んじゃ、後はM、よろしく」

会長がそう命じて、Mが女郎蜘蛛を思いっきり強く蹴り飛ばす。辛うじて受け身を取る女郎蜘蛛だが明らかにダメージがある。さて此処からどうなるか。

「判った……降参だ…」

向こうから降りてくれた。危うく此の侭アクション路線になるかと肝を冷やしたが、これで解決だな。

「では火野は返して貰おうか。」


※※※

以降の処理はこうだ。

中城と風浦に良い様に使われていた不良たちは副会長の管理下に置くと云う事になった。風紀委員として不良たちは議題の一つになっていたらしく、思わぬ収穫と喜んでいた。

中城に関しては以下のやり取りがあった。

路地で見つけた縄で中城の腕を縛り、僕達はその前に立つ。中城に対して発した第一声は副会長のものだ。

「私は風紀委員、その一人として今回の件を生徒会に対応を任せたいと思っているわ」

地面に直接座らされている中城は俯いたままで表情は見えない。

「今回の事の発端は確かに私達側にある。うちの高校に足を運んできた中城さんのお母さんとお話をする機会があって、その際に少し元山君の事を伝えたわ。中城さんにとって親の言葉は強い影響力を持っていた事も分かっていたし。私達の目的の為とはいえ、それは間違いなく強引で雑な配慮の欠けた行為だった。それに関しては私達のミス、本当にごめんなさい」

副会長が頭を下げて、何もしない隣のFD星人の足を踏みつける。FD星人のそれに倣って頭を下げて隣の僕の足を踏み、それが続いて全員が頭を下げた。それが中城の顔を上げさせる効果を生み、その泣きそうな顔を晒させた。

副会長は頭を上げて続ける。

「それはそれとしても、今回のあなたの行動は明らかに間違っている。私達にも問題があったのだから警察沙汰にはしないにせよ、何らかの措置を取らなくてはならない。よって一風紀委員として生徒会への引き渡しが正しいと判断するわ」

また中城は少し下を向いて、奥歯を噛みしめる様な悔しさを滲ませていた。

「というのが風紀委員の判断」

副会長の声の調子が急に変わって、今度は勢いよく中城は顔を上げた。その表情は驚きよりも戸惑いがよく表れている。重苦しさを含む事務的対応から副会長は少しいたずらっぽく楽し気に話し出す。

「私達の中で話し合って、寧ろこのままにしておくという案が出たわ」

「ほん、とう…?」

副会長の話に食いつく中城。此の侭では停学或いは退学も有り得た状況からの蜘蛛の糸だ。捕まらない理由が無い。

「勿論、ただの良心でそうする訳にはいかない。簡単な話、取引よ。生徒会にも誰にも何も言わない代わりに、あなたには私達が要請した時にはすぐに全面協力してもらう」

「そうしなかった場合は…」

「もちろん契約破棄の上、生徒会に全てを話します」

これは実質脅迫である。中城には断ると云う選択肢がまず発生しない。停学ならまだしも退学ともなれば実家に戻される事は確実だからな。

副会長が細かい契約内容を告げている間にFD星人が僕に話し掛けてくる。

「にしてもこれかなり性格悪いやつだよな」

「それを本人に言うのはどうなんだ。」

契約の大筋は僕の提案で、副会長がそれに詳細を付け加えて出来たのが、この中城救済措置である。僕としては、僕達のした事、失った時間とその間に乗れたアトラクションを考えれば、これ位は当然だろうと考える。

「そしてもしかすると生徒会に潜入してもらう事もあります、とこんな所ね。後日ちゃんとした書類を書き起こすから、その時にサインをもらうわね」

完全に弱みを握られた中城は頷くしかなく、連絡した時に来なかった場合直ぐに生徒会に連絡が行くと脅して彼女を帰らせた。


そして風浦はFD星人の必死の説得、上手く中城に乗せられただけのはずだという主張によって、大方の罪は中城に押し付けられ、そのまま他の映研の元に送り返される事となった。FD星人以外では今後活動の中で風浦には強く当たっていく事が同意されたが。

最後に女郎蜘蛛は、投降してきた為危害は加えず監視出来る環境に置いて、元山及び周辺の人間には接触しないと約束させた。因みに女郎蜘蛛という呼称には解釈の幅が存在する。もっとこの社会に溶け込みやすく、監視もしやすい形に固定することになった。

監視のしやすさを考えると小さすぎて脱走されるような本物の蜘蛛の大きさにする訳にはいかない。隠れやすさを考えると人間大がそれより小さい程度か。

「つまりどういうこと?」

「そうデスね……一昔前に流行った何でも擬人化しようって感じデスかね。元々の姿も擬人化した姿も総じて同じ名前で呼ばれマスし」

「すると、あれか。下半身は蜘蛛で上半身は人間とか」

「それはまた別の空想上の動物じゃないかしら。女郎蜘蛛は和風だし、滝に身投げした女性が化けて出たものとも言うし。ほら、終わったみたいよ」

後ろで色々と言われている中で、僕の想像は完全に取っ散らかっていった。

近くにいた白装束の中城、身投げした女、擬人化、人間と別の生物の混合種。

「なんだこれ」

FD星人の一言がこの場の全員の総意だ。

長い黒髪は滝の水で濡れて首筋と背中に垂れ、来ている白装束も濡れて所々透けている。足元は草履だけを履いていて、背中から取って付けた蜘蛛要素、八本の足が生えている。何故か服を擦り抜けているのかどういう訳か。

「完全にテメェの趣味じゃねぇか!」

「今すぐ戻しなさい、今すぐ」

「もう固定してしまった。無理だ。そもそもは後ろで君たちが騒いでいたのが悪い。」

「人のせいにしやがった!」

「でもこの顔どっかで見たことあるような」

「近くに中城が居たからそれに似てしまった。ただそれだけの事だ。」

「ううん、確かにそっちにも似てるけど、どちらかというと、み」

僕はナンシーの口をすぐさま手で塞いだ。


そして僕は風浦と火野の受け渡し、残りの四人は女郎蜘蛛の後の処理をする為に一旦二手に分かれた。


※※※

「僕が呼んだのは土井だけのはずなのだが。」

ベンチに座る僕の前に現れた二人目の女子に僕は嘆息する。風浦を返すなら当然幼馴染の土井を選択するのは必然で、余計な混乱を避ける為にも土井にだけ連絡したのだ。それをこの水谷は平然と無下にした。

「余計なことをーとか思ってるんでしょ、分かるんだからね、わたしには」

ぐうの音も出ん。図星を突いてくるのは昔から変わらないな。観念して僕はベンチの背もたれに体を乗せて眠る風浦をおいて、直ぐに立ち上がった。

『もう行っちゃうんですか?』

僕の行く手を遮る様に土井が画帳を出してきた。

「風浦は任せた。」

とだけ僕は告げる。

『まだ水谷さんと師匠の関係もなにもきいてないんです』

それは別に知る必要ないと思うぞ。

「わたしとしては、なんでこの子に師匠なんて呼ばせてるのかの方がききたいけど」

水谷は土井の頭を軽く叩きつつ口を尖らせて不満気に言う。

「それなら互いに訊きあえばいいだろうに。それで万事解決だ。」

なんとなしにそう言うと、土井はなんともなかったのだが、水谷は顔に影を落として

「昔はそんなこと絶対言わなかったのにね」

と言ったか言わないかの内に水谷から僕は顔を背けた。そのまま歩き去ろうと僕はしたのだが、ふと思い至って振り返り二人に尋ねる。

「火野はどうしたのか、とは訊かないのか。」

訊いた時には二人は既にベンチに腰掛けていて、

「どうせ訊いてもはぐらかすんだろうし、ちゃんとどうにかしたんでしょ」

と水谷が僕を真っすぐ見て、土井はそれに頷いた。

「そういうとこは変わんないな、もう」

水谷の言葉に押されるように僕はもう振り返らず、帽子で目を隠して今度こそ歩き去った。


次に、また別のベンチへと僕は着く。水谷達がいるベンチからは此処は見えない。火野はそのベンチに座ってまだ眠っている。よく此処まで運んだものだと少し感心しつつ、Mの仕事を讃える。

火野の隣に座って携帯を手に持った時にはもう元山が姿を現した。

「早いな。」

ベンチへと駆けてきた元山にそう声を掛けると、膝に手を置いて肩で息をする元山が途切れ途切れに答える。

「いてもたってもいられなくて…すぐにきた…水谷たち、ああ今日一緒に来たやつらにも…知らせようと思ったけど…すぐに来られそうにないらしくて…連絡だけしてきた…」

水谷達と直ぐに別れてきて正解だったな。恐らく水谷と土井は分かって来なかったのだと思うと自然に笑みが出た。

元山は顔を上げて、火野を確認すると息を吐いて、よかった、と呟いた。

「この辺りを歩いていたら、偶然ベンチで寝ている火野を見かけてな。」

「あれ、お前って火野と知り合いだったっけ」

「これでも同じ組なんだが。」

僕が呆れて言うと、そっかと元山は笑った。

「かなり疲れているようでなかなか起きない。元山よ、君が彼女にストレスを与えてるのではあるまいな。」

元山は後ろめたそうな顔をするが、実際ストレスの原因は僕達にあるのかもしれないと僕は考える。ある種、火野にはスパイのような事をさせていたとも言えるしな。

「さて、僕はそろそろ行く。火野は任せた、と言う前にだ。」

話の流れが変わって元山は、ん?と顔に出す。

「先からこの火野は、観覧車に乗りたいと譫言を繰り返していて五月蝿い。そうだな、都合がいい。君が彼女を観覧車に連れていけ。」

僕の言葉にすぐ元山は反論してきて

「いやいや、だってまだ火野は寝てんだろ? じゃあ流石に観覧車に連れてくなんて…」

「安心しろ、すぐ起きる。」

「さっきと言ってることが違うぞ!」

元山の突っ込みを待たずに僕は火野の頭を全力で叩く。

「ちょっ、お前なにやってんだよ!」

元山の声も作用したか、火野は目を薄ら開けて、意識を取り戻し始めた。

「ほら、さっさと行け。」

僕は元山に火野の手を握らせ、もう片方の手で目を擦る火野を立たせる。

「でも確か火野って高い所はダメなはずじゃ…」

「観覧車は例外なんだろう。いいから火野を連れてすぐに行け。」

観覧車はこのベンチからほんのすぐそこにある。僕は元山と手を繋いだ火野を其処へと急き立てる。観念した元山は、見送る僕に向かって

「なんだかよくわからないけど、ありがとな!」

よく判らないなら礼を言う事もなかろうに。僕は片手だけ挙げて見せてやる。

さて火野よ。勝手に誘拐されて、僕達に此処までさせたんだ。それ相応の罰は受けて貰う。せいぜい高所を楽しんでくるといい。元山と二人でな。


※※※

録音された注意喚起の音声が扉を閉めて、少し間を空けてから穏やかな上昇音、発進音が続く。此の電車は良い。過剰な揺れも、或いは揺れの過剰な抑制も無く、僕の心と体を落ち着かせ穏やかにする。揺り籠やハンモックの幾つかの利点が分かる。

遊園地を後にした僕達は帰りの電車に揺られていた。FD星人、副会長、M、ナンシーと来て其の隣に僕が座るのは余りに良く出来ていて、組織に所属した順番でもあった。

「あーあ」

帰路に就いていると云うのに、ナンシーは今更園内地図を広げて、其れを指で擦っている。

「未練がましいな。」

「だってぇ」

映研に付き合う形で幾つかのアトラクションには乗ったものの、後半は火野の捜索で潰れてしまったし、こうして少し早めに帰路についているのだから、ナンシーが嘆息するのも判らんでもない。

「そもそも今日は学外活動として来たんだから仕方ないでしょう」

向かいの窓を眺めた侭副会長が話に加わる。

「でも遊園地は遊ぶところですよーだ」

ナンシーが精一杯に口を横に伸ばすと、副会長は乗せられるようにナンシーの方を向いて不満気な顔を見せた。

「ま、まあまあ二人とも落ち着いて下サイ」

両手に花、但し花同士が互いの花びらを散らし合う状況に置かれたMが慌てて取り持とうとする。ある種の八方美人、当然女性限定だが、そんなMの態度に女子二人が、片や口を尖らせて片や眉を更に寄せて、不満を募らせたのは道理だろう。代わりに応えたのは

「そうだ、たまには建前抜きで遊ぶってのも悪くねぇし、また遊園地に行こうぜ?」

とのたまうFD星人で、これまたひと騒動を女子二人の間で引き起こす。僕としては副会長もいい加減に素直になればいいのにという一言に尽きる。

此奴等は何故こう体力が有り余っているのか。ナンシー辺りは、朝から考え無しにはしゃいで、帰りは瞼の重みに負けて無責任な眠りに誘われると思っていた。加えて余計なイベントまで発生したのだ、睡魔の舞を進行形で眺める僕の方が通常のはずだ。

そう心底呆れていると、電車の揺れでも隣の馬鹿騒ぎでも無い、そんな微かな振動を感じた。何て事はない、着信だ。画面上で自己主張していたのはメールである。本文はこうだ。

『ぉなけたとやめやまかなやとゆねりとよなかやめ』

全く解らん。

宛先から考えて一応の推測は建ったが、さて如何返信したものか。

迷っている間に次のメールが訪れる。

『待って、やっとメールぐらいは打てるようになってきた…』

推測の正当性を得て、僕は漸く返信をする。

『観覧車の居心地は如何かね?』

今度は間が思わず空く。僕は背中側の窓から、まだ見える遊園地と、もう見えない観覧車を眺めた。次のメールが来た。

『なんでアタシがこんなとこ、こんな高いとこ、かんらんしゃに、しかもアイツと』

それなりに意味の判る文章を打てている辺り、意外と大丈夫なのではないかと思う。そんな文面を送ってやるかどうかを少し考えて、先に向こうから次の連絡が来て止める。

『ありがとう』

何に対しての礼なのか、全く付加情報がないのは今の火野にそれだけの余裕が無いのか或いは気恥ずかしさからか。どちらにせよ、この言葉は僕だけが受け取るべきものではないだろう。まだ言い合いをしているナンシーに僕は携帯の画面を見せる。そして隣へ回すように指で示す。因みに副会長は隣のMが持っている中で覗く様に見ていた。最早触るだけでも駄目らしい。四人の反応を見て楽しんでいると、回される僕の携帯が振動して、僕の元に戻って来た。また火野からだろうが。

『ようやく地面がみえてきた…それと』

この先は書いてない、いや画面をスクロールすればまだ文が残っていた。

『告白してくる』

何をとち狂った事を言いだしたんだ、此奴は。

脈絡が全く見受けられない。余りにも説明不足と云うものだ。確かに僕達の現在想定している最終目的はそれではあるが、現金が欲しいと思って家に帰れば誰も知らないのに万札の束が机の上に置いてあったような怪しさと困惑を禁じ得ない。一体火野の中で如何なる化学反応が起きてそうなったんだ。

僕が急に頭を抱えだしたので、不思議に思ったのだろうナンシーが僕の携帯をさっと奪い去って中身を見た。そしてそれを隣に渡していく形で困惑と驚愕は左から右へと伝播していく。全く訳が判らない。

「でも、別にいいんじゃん?」

ナンシーが最初にそれを口にした。確かに火野の内面での葛藤等僕達が知る由もないのだし、それが彼女の結論ならば他人がどうこう言うべきでもないのかもしれない。ナンシーの言葉で僕もなんとなくそう思えてくる。

「逆に、今送った方がいいのはこれでしょ」

とナンシーが見せて来た携帯の画面には、がんばれの文字列が並ぶ。僕はそれもまた一興かと試しに同じ事を打ってみたりする。隣を見てみれば、ナンシーは更にそれに絵文字を付け、Mは自分の分と副会長の分も打ち込み、FD星人は添付画像を漁っていた。

そして僕達は同時に火野に返事を送ってやった。

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