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入手した情報曰く、それは実際は僕が元山本人から聞いた話なのだが、今日の昼休みに元山は映研の女子四人の作って来た弁当を食べるらしい。
僕と別れる際に元山はそんなに食いきれないよなと的外れな事を抜かしていたが、此処で僕は高らかに言おう。なんと羨ましい事か。
よって即座に僕は連絡を入れる。連絡先はこの状況にいち早く反応してそのまま全員を急き立てる輩、FD星人。この旨を携帯で伝える。するとわずかな時間で返信が来る。
『野郎ども、全員集合じゃあ!』
見事煽られたFD星人の火の粉は周りを襲う。まあ校内を律する副会長、僕達と同じ感情を共有しているMは当然来るとして、さてナンシーは来るのだろうかと思っていたら、集合場所に現れたナンシーは割とやる気を見せていた。
「成功したら弁当がもらえるとききました!」
誰だ此奴に無責任な約束をしたのは。
「まあいい。今回の策戦は至って単純だ。元山の通ると考えられる道筋を塞ぎ、数人で元山を追い込んで階段で仕留める。そのまま昼休みが終わってしまえば僕達の勝利だ。さて割り振りだが。」
「走りならミーがいきマショうか?」
Mは運動神経が大変良く、運動部にも一目置かれている。ひっきりなしに勧誘も受けているらしいが、それを全て断っているのは此奴がMであるからか。
「今回は追いついちゃ駄目でしょう。付かず離れず、但し元山君にプレッシャーをかけ続けられる人が適任ね」
現状この中で一番怒りが溜まっているのは間違いなく
「風浦の手作り弁当をあの野郎なんぞにくれてやるものかァ…」
「やっぱり会長ね」
全員異論なし。
「それならあたしは援護射撃かな」
「ええ。元山君に脅威を与え続ける役目ね。これで元山君を追い込む担当は決定」
流石は副会長。本来、策戦の指示、つまり担当の割り振りも会長の役割のはずなのだが、その会長が怒りで正常には働かない状況でも見事にその穴を埋めている。
「教室から映研の部室に行く際に、ある教室の中を横切る事でショートカットする事が出来る。そこを止めるのはMでいいだろう。」
「了解デス」
「私は近くに他の生徒が近付かないようにするわ」
「では僕が止めを刺そう。」
「方法は考えてあんのか?」
「当然だ。」
話では火野達が先に部室に集合し、時間を空けて元山が部室に向かうらしい。そのタイムラグが狙い目だ。元山には絶対には部室に行かせはせん。
何か呟きながら元山が廊下を歩いている。
僕はまだ配置にはつかず、中庭の一角から元山の様子を確認している。よし、そろそろいいだろう。通信機で僕は連絡を入れる。副会長がこの通信機を使えさえすれば、僕も持ち場で待っていればよかったのだが。
空気の裂ける音と硝子の割れる音が同時に元山を襲った。そして元山の右手、廊下の窓ガラスが割れて床に降り注いだ。
「ひっ…!」と悲鳴をあげる前に元山の足はひたすらに前へ駆け出す。硝子がまるで弾丸に襲われたようだったと考えているのだろうな。真っ青な顔を見れば判る。それならば偶然外れたのではなくただの威嚇射撃ということにも気付いただろう。しかしだ、ナンシーは常々全力投球、威嚇射撃でも本気に感じられるだろう。
叫びながら、元山は渡り廊下に差し掛かる。さて、次は何処から来るかを元山は後ろに目を配りながら見極めようとしている。しかしナンシーは一か所に留まってはいない。場所自体を特定することは不可能ではないのだが、立ち止まって考えていると今度は全く別の方向からの弾丸が元山を狙うからたまったものではないと云う事だ。。思考停止で走って逃げるしかないだろう。さあそろそろ猛獣の出番だ。
元山が駆け抜けるとその直後、後を追うように両側の窓ガラスが割れていく。渡り廊下を抜け、もう一つの校舎に入った元山が目指すは結局例の部室である。そもそも戻ると云う選択肢を元山には与えないし、部室に向かうように誘導すらしているのだ。校舎に入った元山は部室とは違う教室に向かう。普段はわざわざ使うことはないが、部室へはこの教室を通り抜けた方が近い。それを矢張り元山は知っていたか。元山は藁にすがる漂流者のようにドアノブを掴んだ。
しかし、いくら引いてもドアは開かない。足を止められた元山は無意識にドアの上部に目線をやる。確かにドアは引き戸であったのだが、びくともしない。
仕組みは非常に簡単。棒による押さえとMが自力で扉を押さえているだけだ。純粋な力比べで元山には全く勝ち目がない。Mは体力測定上位入賞者で、走りがいいだけではない。Mは足だけでなく腕の筋力も運動部で無い事を加味すれば規格外だ。
遂に最短ルートの使用を諦めた元山の元に迫る謎の圧力。追跡者。何者かが自分を追いかけてきていると元山は直感で理解した。恐怖で直ぐに逃げ出した元山には分らないだろうが、今回FD星人は演劇部から借りて来た面と服装で正体がばれないようにしている。
最短ルートから離れたもののようやく元山はゴールへ続く階段へとたどり着く。渡り廊下のある階より二階上、校舎四階に目指す部室がある。元山は足を踏み入れ、階段を駆け上がる。踊り場を抜けて三階。そして、ついに踊り場を経て四階へと続く階段、それに足を踏み入れたその瞬間、僕の一撃が元山を襲う。。
頭上から降り注ぐ金盥。これを元山に当てて、そのまま意識を奪い取る。これが僕の策戦だ。
しかし瞬時に引っ込めた元山の足のあった場所に金盥が落ち、校舎じゅうにその音が響き渡る。その音を一番近くで聞いていた元山の耳に、直接当てられなかったその分まで含むように不快な音が襲いかかった。道連れ未遂で終わった復讐者の如く、金盥は怨めしげに跳ねて息絶えるように停止した。
元山が此方を見上げてくる。僕は直ぐに乗り出していた体を戻して柱の陰に隠す。登って来られたら少々厄介だが、真上から金盥が降ってきたということから四階にも襲撃者がいて登るのを諦めると僕は踏んでいる。四階への階段はここひとつ。即ち襲撃を完全に回避していくことはできない。さてどう出るか、元山。
暫くして人の気配が下の階から無くなったように感じて、僕は恐る恐る下を見下ろすと其処に元山の姿は無かった。
元山が去ったその後、四階への階段の前に僕達は集まる。僕が降りていった時には副会長とナンシーがいた。
「とりあえずは、成功ってとこかしらね」
誰かに聞かせるというより自分を諭すような喋り方には少し不満が見え隠れする。ナンシーは副会長の言葉なんて聞いておらず、のうのうと言った。
「ねーねー、やっぱり窓ガラスじゃなくて直接狙っちゃダメなの?」
「駄目に決まってるでしょう。それよりも、」と前置きしてから
「私は過去あなたに言ったはずよ。この学校でその銃の使用を許可する代わりに、校内の備品向けて撃ってはいけないと、唯一の例外は事前にそれが認められた時だけ」
「だから今回はいいんでしょ?」
「床だけよ、窓は許可していない」
きちんとした少女はもう一人の両頬を両手で引っ張った。
「あって、まおでもうはないとわたしのうでがなっとくいかないもん!」
「そんなものは家に帰ってからやりなさい」
副会長がナンシーの頬を引っ張る力を強くすると、その頬はゴムのように自由に伸びて、ぱっと手を離すとまたまたゴムのようにぱちんと元に戻った。
いきなり手を離されて驚いたナンシーは床に倒れ込み、頬をさすって瞳を滲ませながら
「やっぱり、人に向かって撃ちたくなる時もあるし…」
「没収します」
副会長はナンシーの手から銃を取り上げた。
「人に当てると云う意味では、僕は金盥を元山に当てたかったがな。」
僕が階段を降りながら会話に入ると、副会長は見上げるように踊り場を捉えて
「あなたは当てる気だったかもしれないけど、当てたら当てたで今後面倒なことになったとは思うわよ」
「一応作戦立案は僕なんだが。」
「総指揮は私よ」
「其れはどうも。」
確かに金盥をぶつけるという事は僕が勝手にしたのではあるがね。虚しく落ちた金盥を右手で拾い上げると、左手の制服の袖を軽く上げて腕時計を確認した。
「此れならば、暫く奴が幻影に追われる事で昼休みは終わるであろう。」
僕がそう言うと、それに対して
「なら、大丈夫ね」という少女の顔はさっきより不満の色が薄れていた。
「では機材の破損を生徒会に報告せねばな。」
「たかだか一人の男子生徒に手作り弁当を食べさせないためだけに学校の備品を壊すなんてとも思うのだけれど」
「何を言う。当然の対価だろう。」
未だ床に倒れていたナンシーもうんうんと頷いた。
「あなたたちの価値観はどこかおかしいのよ」
「手作り弁当を四つもせしめる奴だ。生半可な覚悟では相手にならん。」
またナンシーももうんうんと強く頷く。
もう副会長は呆れて物も言えないようだった。
「其れに、どうせ器具を修理するのは僕達ではない。」
「そういう問題じゃないでしょうに」
二人で言い争っていると、今度は階段を上ってMが現れた。
「どうもー、買ってきマシたよ」
Mは両腕で抱えるように飲み物を持ってきた。扉を挟んでの元山との力比べの後は特に仕事がなかった為何処に行ったのかと思えば、下の自販機に行っていたらしい。
Mが一人一つずつ配っていくと、床に転がったままのナンシーに気づいて、
「なぜお嬢は床に…はっ!まさか下からの視姦プレイデスか!」
期待と興奮の混ざった声で叫ぶM。
「男を下から見て喜ぶ女子等いるものなのか。」
「私に訊かれても困るわ」
件の寝転がり少女ナンシーはこれまでの会話を全て無視して、のろのろと体を起こす。
「ん!」としゃがんだまま、Mに手を伸ばした。
「はい、ちゃんと買ってきマシたよー」
とMはかがんで一本のジュースを差し出す。
「確か、あれってこの辺りじゃ売ってないのよね」
「此の短時間で其れを用意したのか或いは既に準備してあったのか。」
ストローをさして微笑ましいほど美味しそうに飲む少女を見てからMは手に飲み物を持ったまま、ぐるりと周りを見回して、
「そう言えば、会長サンはどうしたんデスか?」
「どうせまだ元山君を追っているんでしょう」
元山は実体のある亡者に追われているらしい。正直ただの幻影より性質が悪いだろう。副会長の中で忘れていた苛立ちが蘇って、忘れていた事にまた苛立っているのがよく分かる。終わった後の集会に来ないと云うような事を副会長は本当に嫌うからな。
「それと近道させないようにとは言ったけど、あのドアから妙な音が聴こえたのよね。もしかして壊してはいないかしら」
淡々と事務的に副会長はMに詰め寄る。Mは後ろめたそうに目を逸らして
「ま、まぁまた反対から蹴れば元に戻りマスから…!」
「壊したのね」
「少し建てつけが悪化しマシた…」
因みに校内で偶然、仕方なく破壊してしまった機材に関しては生徒会が処理してくれる手筈になっている。それが生徒会との契約でもあるのだ。
「会長が来ない件に対して今更驚く事も憤る事も無意味だ。そろそろ根城に戻って。」
と僕が言いかけた所でナンシーが声を被せて来た。
「戻ってお弁当だ!」
「だからそんな約束はしてないから」
FD星人がナンシーを連れ出す為に言った方便に過ぎないから当然といえば当然である。それでも欲するならFD星人本人を問い詰めるしかないな。
「よし、会長を追いかける!」
そう言ってナンシーも駆け出していった。
「廊下は走らない」
との副会長の声は投げやりで今更言っても仕方ないと自覚があるらしい。
「お嬢! ミーも行きます!」
Mもナンシーを追いかけて走っていった。
「もう注意しなくていいのか。」
「うるさい」
僕と副会長は少し掛け合いをして根城に戻っていった。
※※※
「というのが普段の活動だな。」
僕がその時の報告書を読み上げてみせる。それを聞いていた火野は眉間に人差し指の先を当てて
「つまりは、あのときアイツが部室に来なかったのはアンタたちのせいってことね」
「そういう事だ。」
「どうしてくれるのよ! あの日アタシは朝早くに起きて慣れないお弁当を作ったのよ! 結局それを四人で回して食べただけなのよ!」
とても女子らしくて良い事だと僕は思うのだが。
「そうか。君はそこまで元山に自分の弁当を食べさせたかったのか。」
彼女にとって想定外の返しに火野は不意を突かれて、あたふたと両腕を振ってしまい、
「そ、そういうわけじゃないから! そんなことは絶対ないから!」
と全く説得力のない事を口走った。
再び此処は根城である。僕は報告書を仕舞ってから今度は机に別の書類を放った。
「新しい依頼かしら?」
既に椅子に座っていた副会長が尋ねてくる。
「本命、正式な通達だ。」
座りながら僕がそう言うと副会長は机の端の椅子に座る火野に顔を向ける。それだけで火野は慄き、副会長が悲しみに暮れる。
生徒から来る依頼は名目上非公式、実際はその都度生徒会に報告書は出しているのだ。それで個々の事案に対応している。前回、火野を連れ込んだ依頼がその例だ。
しかし、今回僕が持ってきたのは生徒会からの通達。それは映研の中の行動に関する一種の情報だ。
「それで、これに心当たりはあるか。」
茶封筒を掲げて見せて僕は火野に訊ねる。
「それより先に一ついい?」
「何だ。」
「出席率低くない?」
ふむ、と僕は周りを見渡して
「三人も居るのだから上々だろう。」
「半分よ、はんぶん!」
「ナルシストにマゾヒスト、加えてストーカーが一か所に留まっている訳が無かろう。」
当然の事を諭すと火野は自分の頭を抱えて
「わかったわよもう……で、その書類がなに?」
首を振って、火野は僕の書類を指差す。
「生徒会から僕達が承っている依頼は唯一つ、映研に形成されつつあるハーレムを解体する事である。つまり生徒会から来る通達とは、ハーレム形成の一端を担いかねない出来事の情報提供だ。」
そこで言葉を区切って火野の方を見ると、目を細めて此方を凝視する様が分かった。
「つまり?」
「つまり、今後元山が映研の誰かと出かけるようなことがあるかと訊いている。」
「でで、デート! アイツが、誰と!」
急に取り乱す火野を僕と副会長はじっと見て、それに気づいた火野は咳払いをして乱れた服をなおす。
「その反応なら、君は何も知らないと云う事でいいか。」
「そ、そうよ! 別にアイツが誰とデートしようがアタシには関係ないし!」
そんな事は訊いていないし、そもそもデートだとも僕は一言も言っていない。
今更取り繕って興味のない振りを無意味にする火野を無視して、僕は封筒を開ける。
「まったく生徒会もどこからこんな情報持ってくるのかしらね」
同じ同好会の奴が知らない程度の私的情報。それを提供できる生徒会。権力の為せる業がはたまた密告者でもいるのか。
書類を机に広げた辺りで、火野も立ち上がって机に寄ってくる。それから少し考える素振りを見せてから
「待って。この組織は、アイツが色んな女子と関わりを持つのを避けたいのよね? じゃあむしろ…」
「二人っきりでデートする分にはいい、むしろ推奨すべきと云う事か。」
僕がそう引き継ぐと、火野は理屈と感情の渦巻く複雑そうな表情を浮かべていた。
「まあ君としても元山が誰と付き合おうが知ったことではないのだろうしな。」
軽口を叩くと、消しゴムが一直線に飛んできた。それを躱して出所を見れば副会長が鬼の形相で此方を睨んでいた。余計に火野を刺激する様な事を言うなと云う警告かね。
「そうよ! 別に知ったこっちゃないの!」
しかし、火野は普通に返事をした。副会長は安堵の息を漏らしていた。
「だとしても、君はこの事案を無視は出来ない。この際だ。幾つか説明しておこう。この度の映研の事案を受けて、我々はハーレムを段階的に捉える事にした。先ずはフェーズ1、ある人物の周囲に複数の異性がいる段階だ。これは見て呉れハーレムとでも呼べるだろう。今の映研はその状態だな。」
「でもそれってなんかハーレムとは違うというか、き、気持ちを無視しているというか…」
「正しくその指摘は尤もだ。しかし、傍から見ればそれだけでも十二分に怨念の対象足りえる。ただ、これだけならまだ言い訳はできる。事実無根だと宣言すればいいからな。
しかしこれ以上先のフェーズに進んでしまうと、言い訳が困難になっていく。生徒会は、つまり我々はそうならないようにしなくてはならない。」
「ふーん」
「フェーズ2、フェーズ3、そして特にフェーズ4以降はなんとしても避けねばならない。フェーズ4は言うなれば修羅場、フェーズ5はハーレムの完成形、別名ハーレムエンドだ。修羅場状態は破滅的で、完成形は最早手遅れ。こうなったら我々の敗北だ。フェーズが進めば進む程、生徒会にとっての映研の危険度が高くなる。よって、映研そのものが潰される可能性も上がる。」
そう告げると火野は目を見開く。
「そして二人で出掛けると云う事がフェーズ1から2への移行の契機となり得る。例えばこれと同じ様な事を複数人に対して元山が行った場合、ハーレム化が進む恐れが高い。これで君が我々に協力する根拠を得たはずだ。たとえ元山がどうしようが興味無かろうと。」
火野は傍からでもはっきり分かるほどに、あからさまに唾を呑み込む。
「そしてフェーズ2以降では君の考える方策が基本となるが、フェーズ1においてはそれとは違う、或いは真逆と云える方策が考えられる。映研の例で言うならば、元山と風浦や土井らが互いに互いを友達だと認識し、それを固定すると云う方策だ。つまり、元山が映研の誰か一人と出かけるのも余りよろしくはない。」
僕は語り終えて、火野の表情を窺う。彼女は理解しようと頭を回して、その上で自分の立ち位置も考えて、それから
「それならしょうがないわね」
そう言って机の書類を持ち上げて目を通していく。その間に副会長の方に目を遣ると、サムズアップ、親指を挙げる仕草を僕に向けていた。取り敢えずはこの説明でいいらしい。
「それで書類にはなんて?」
副会長が尋ねると、火野はゆっくりと手に持つ書類を置いて
「アイツぅ…」
ご立腹であった。
「どうした。」
「どうしたもこうしたも、うー、もうっ!」
手足をバタつかせる火野を僕と副会長は怪訝な目で見て、それから副会長が置かれた書類に目を通す。僕からは逆さであり、副会長待ちだ。
そして読み終わったのであろう副会長は額に手を当てて首を振る。
「これは、うちの会長がひと暴れしそうね」
そう聞いて僕は大体の事は想定出来て、実際に書類を見て確信した。
「まあ奴を徴集するには丁度いいか。」
※※※
その次の休日、学校の最寄駅前の喫茶店に僕達は集まっていた。副会長の指定したこの店は雰囲気の良い珈琲店と云うのが最初の印象で、僕達五人は店の一角の席に集まっていた。会議の前に先ずは注文を、とメニューを開くと、如何云う訳かコーヒーは申し訳程度に書かれているだけである。店名と内装からコーヒーを売りにした店と思っていたのだが。其の旨を副会長に述べると、曰く元々は小さな珈琲店だったのだが移転し拡大する際に客の要望に応える形でメニューの幅が広がっていったらしいと話してくれた。其れでも、此の店のブラックコーヒーが格別なのは変わらない、と副会長が語り始めた辺りで店員がやって来た。此の店に来て特性ブレンドコーヒーをブラックで飲まないなんて有り得ないとだけ告げて、副会長はいつものと店員に言った。店員は返事をして伝票に記入していく。矢張り彼女は此処の常連だったか。其れから僕達が順に注文する。ナンシーが野菜ジュース、Mがクリームソーダ、火野がカフェオレで、僕がアイスコーヒー。
「……」
「ち違うんですよ、副会長さん……アタシ実はブラックがだめで…」
明らかに不機嫌な副会長に火野が謝ったり、メニューも見ずに注文したため用意のない野菜ジュースを頼んだナンシーの元に店員が来て、代わりにオレンジジュースでいいとMが答えたりしている内に時計の針は進む。
「それで、会長はなんで来てないの?」
注文したものが来るまで待っている間に火野が尋ねた。
「会長にだけは集合時間を少し遅く教えてあるのよ」
答えたのが副会長で火野は少し固まって、正面のナンシーに小声で訊く。
「なんで?」
「うんとね、会長はどうせ言われた時間よりずっと早くに来ちゃうからねぇ」
とナンシーが答えた直後に店の扉が乱暴に開け放たれた。暴れるドアベルに店内にいた客も店員も誰もがたった今入って来た男の方を振り向いた。
やはり来たか。メールを送ったのは今朝なのだが、起きて直ぐに此処に来たとみて間違いなかろう。
はっと気付いて声を掛けてくる店員も、自分の歩みについてくる周りの視線も無視して男が進んでくる先は僕達の席である。それを見て入り口の店員は身を引いていった。連れが先に来ていた事を悟ったのだろう。しかし、彼奴の知り合いだと思われたくないと僕達全員が思っていたことは言うまでもない。
六人掛けテーブルの空けてあった椅子の背もたれに手を掛けて引き、FD星人は席についた。そして、両手で机を叩いて立ち上がって叫んだ。
「あの野郎が風浦とデートだとォ! ざっけんなよ、ゴラ!」
机を叩いた音、加えて叫び声でまたも店内は静かになってFD星人に視線が集まった。それよりまず何故一度座った。
「ま、まあまあとりあえず落ち着いて、一度座って下サイよ」
いや既に一度は座っているぞ、そいつは。
「ほら、とりあえずはここで何か飲んでからでも…」
果敢にもFD星人を宥めようとするMを僕達が見守っていると、矢張りその程度でFD星人が止まるはずもなく
「うるせぇ! こんなところでじっとしてる余裕なんざねぇんだよ!」
高らかに叫んだFD星人。
「あ」
火野がそう言った時にはFD星人の肩には手が置かれていた。FD星人が振り返ると、僕達の注文したものを運んできたウェイターが一人。そしてFD星人の向かいの席に座る副会長が鬼の形相で睨んでいるのを僕は知る。
「お客様、お座りください。他のお客様のご迷惑ですから」
「あ、はい」
ウェイターが掴んだFD星人の肩から何かが折れる嫌な音がしたのは幻聴ではあるまい。
席についた後も向かいの副会長に睨み殺されそうになり、FD星人は
「じゃ、じゃあ、オリジナルブレンドコーヒーをひと、いえ二つで……あと、伝票は俺に渡してください…」
「かしこまりました。では他のお客様にはお飲み物を」
そう言ってからウェイターは僕達に珈琲やらなんやらを並べ去っていった。
「もしかしてと思うが。」
と僕はウェイターの後姿を見ながら前置いて副会長に訊ねる。
「君の知り合いか何かか。」
「従兄よ」
「道理で。」
FD星人が二杯目の珈琲を飲みだした頃合いで、副会長が話を切り出した。
「事前に連絡しておいたように本日、元山住吉と風浦千尋のデートが行われる模様」
FD星人が音を立てて立ち上がろうとしたのを睨んで制して副会長は続ける。
「流石に生徒会の情報網をもってしてもデートプランまでは分からなかったらしいから、とりあえずこれから私達は二人の待ち合わせ場所に向かいます」
それから副会長は人数分の紙を取り出して机に置く。
「様々な場面を想定して、こちら側のいくつかのフォーメーションは考案されているから各々目を通しておくこと。また、今回は会長が私怨で動く可能性を考えて、私が指揮を執ります」
自分の分の紙を取っていたFD星人が素っ頓狂な声を上げる。
「え、マジで…?」
「妥当だろう。」「正しい判断デスね」「むしろ当然?」
「テメェら…」
FD星人が低く唸る声を出した瞬間、先のウェイターが近くを横切った。すっと背筋を伸ばして珈琲を啜るFD星人。これは中々に都合がいい環境だ。
「あの、すいません!」
タイミングを見計らっていた火野が声を上げる。
「さっきからデートとかって言ってますけど、二人がもうすでに付き合ってるとかはないんでしょうか?」
「ほう、気になるのか。」
「べ、別に個人的に気になるとかじゃなくて、もう付き合ってるならそれで解決なんじゃないかって思っただけよ!」
火野個人の感情は兎も角としても、その指摘は大いに正しい。二人が付き合っているならばまずハーレムになる可能性は限りなく低い。後は二股以上の可能性を潰すだけだ。まあ、若干一名気に入らないを通り越して殴り込みに行きそうな奴がウチにはいるし、他にも問題が発生するのだが。
「元山に限ってそれは有り得まい。」
「なにその逆の信頼」
「そもそもそれで付き合っているようなら、僕達が出る幕は無い。」
「それはまあ…」
納得した様な安心した様な、それでいて少し複雑そうに火野は答えた。
「そろそろ時間ね、移動しましょう」
副会長の掛け声で僕達は出発の支度をする。
「ちょまっ、俺まだ飲み終わってないんだが!」
「どうせあんたは会計するんだから最後でもいいでしょ」
「おおう、それもそうか」
結果、FD星人は実際に置いてかれた。
※※※
待ち合わせ場所から尾行すること暫く、元山、風浦両人は先とは違う喫茶店のテラス席に座っていた。青空の下で丸いテーブルを挟んで向かい合って座る二人は余りに恋人風で、怒り狂うFD星人を抑え込むのに時間を要したことは言うまでもない。
そこで僕達は二手に分かれ、僕と火野は店の近くの街角で、待ち合わせ中を装って待機していた。
「なんでまたアンタとなのよ」
「なら副会長とがよかったか。」
「…それはちょっと勘弁して?」
当人が聞いたら流石に塞ぎ込むかもしれんな。
「しかしこの割り振りは理に適っているさ。元山と風浦に面が割れている僕達は店内に入れない。よって副会長達を中に送り込み、僕達が外で待機となるのは必然。」
「でも会長を中に送り込んだのは失敗じゃない? 今度は本当に暴れ出すかも」
「それもそうだが、逆にここで待機させてみろ。彼奴は間違いなく勝手に突撃する。それなら店内までは入れてやって、副会長とナンシーで牽制する方がマシだろう。」
少し身を乗り出してテラス席を確認してすぐに体を戻す。二人の内のどちらかが偶然にも店外に目を向けた時に姿を見られては敵わない。上手く死角に隠れて、タイミングを計って中を窺う程度が限界だ。
「そういえば、あのMはどうしたの?」
携帯を弄ると云う待ち合わせ中らしい仕草をして、目を外したまま火野は僕に訊いてくる。
「そろそろ奴の出番だ。」
また向こうを窺うと、丁度副会長とナンシー、そして親の仇とばかりに元山を睨み付けるFD星人がテラス席に通されていた。その通している店員が何を隠そうMである。
「客としての潜入だけでは出来る妨害も限られてくる。そこで色々手を回して一人店員として潜り込ませる様にした。」
「それ、ホントにアイツで大丈夫なの…」
「マゾヒストといっても人間。常時自身の快楽を求めている訳ではない。その要素さえ引いてしまえばMはかなり接客業に向いている。」
目線を左上に向けて、火野は過去のMの行いを思い出して
「まぁ、それもそうか」
と納得する。
席につく三人。ウェイターとしてMが御冷を置いていく間に、三人は元山達の方を窺う。そして僕と火野の携帯に着信が入る。
『ここからじゃ二人の会話はきこえないね』
そう打って来たのはナンシーだ。副会長は機械音痴だし、FD星人はまともに連絡役として機能しそうにない為、必然的にナンシーが連絡役となる。それはそれで不安なのだが。
『仕方ない。Mにハンドサインを送れ。』
僕はそう送ってからイヤホンを片耳につける。火野にも同じようにせよと手で示して、店の方を覗く。
ウェイターとして歩くMがナンシー達の方を見たタイミングで副会長が、何かをつまむ仕草をしてから元山達のいるテーブルを差した。元々用意しておいたサイン故、直ぐにMは分かったようで、サムズアップ、親指を立てる仕草で理解を示した。
「ねぇ、何を指示したの?」
鞄から出したイヤホンをつけ終わった火野が隣で訊いてくる。僕は通信機を渡して、それにイヤホンの端子を差す様示す。
「ナンシー達の席から元山と風浦の会話が聴こえれば話は簡単だったのだが、矢張りそう上手くはいかんな。前の依頼でも使った盗聴器、あれを今回も仕掛ける。」
そう言うと、蔑んだ目で火野に見上げられた。
「いや出来れば使いたくはなかったんだ。潜入隊の席が遠かったから仕方なく、会話が判らなければ妨害のタイミングも計れんし。」
「言えば言うほど信頼が落ちてるんですけど」
くっ……矢張り盗聴という単語の印象が悪いのが問題か。
「そういえば、妨害ってなにするのよ」
受け取った受信機のイヤホンジャックに端子を差しながら火野が訊いて来た。
「…なに」
「結局君も盗聴するのか。」
「こ、これは活動だから仕方なくよ、仕方なく!」
此奴も人の事言えないな。ここで着信が入って、僕は携帯を見遣る。
『盗聴器仕掛け終わってから、妙な会話が聴こえたと思ったらすぐに教えろよ? そしたら俺が速攻で奴に水ぶっかけにいってやるからよ!』
FD星人からだった。
「妨害ってこんなことするの…」
「いや、これをしたら出禁では済まないと思うぞ。」
偶然を装ってぶつかりに行き、水をかけてしまうという手自体は無しではないが、それは最後の手段だろう。
「妨害の基本は、前回僕達が阻止しようとした事だ。本人達の意識を逸らして話題を途切れさせる必要がある。簡潔に言うなら、恋愛フラグを徹底して折り続ける事だ。」
「それなら、知り合いに会うっていうのも妨害になるんじゃない?」
「そうだな。しかしそれは余り使いたくない手段だ。効果は絶大だが、一度しか使えない上、向こうに此方の組織の存在を疑われる危険を高める行為だ。」
そんな事を火野に説明していると、元山達のテーブルにMが近付いていく。注文の品を運んでいるようだ。あのパフェの皿、或いはそれを乗せるプレートにでも盗聴器を付けているはずだ。受信機の電源を入れると、ノイズ交じりに声が聴こえてくる。動作は正常。
『お待たせしマシた』
盗聴器が拾ったMの声が聴こえる。流石の丁寧な対応でMは順繰りにパフェやらカップやらを置いていく。その様な食器の擦れる音がする。
『ごゆっくりどうぞ』
Mの歩き去る音。取り敢えず設置は完了した。これで暫くは監視という事になるだろう。
そう思い、自分の携帯に目を落とした時に、不意に片耳のイヤホンが大きなノイズ音を吐き出した。僕は思わず耳を押さえて、火野は目を閉じて小さく悲鳴を上げた。
周りの目が一瞬此方に向いたのを無視して、僕は耳に入ったイヤホンを指で押さえる。駄目だ、まともな音が全く聴こえてこない。僕は確認の為、店の方を見遣る。元山達のテーブルは何やら慌ただしい様子だった。
「やられた。盗聴器が壊れたらしい。」
「嘘、なんで!」
「大方水でも零したか、或いは…。」
僕は即座にナンシー達に連絡を入れる。程なくしてナンシーから返答が来る。
『なんか、テーブルに水をこぼして、それをふこうとしたときに盗聴器が下に落ちて、やって来た店員さんに踏みつぶされたらしいよ。優緒ちゃんがそう言ってた』
踏んだり蹴ったりだ。盗聴器の冥福を祈ろう。
「この優緒ちゃんって誰のこと?」
「副会長の本名だ。今度試しに呼んでみたらどうだ。」
軽口を叩くと、火野は怯えた様に
「そんなことしたら今度こそ本当に殺される…」
そもそも副会長が火野を狙った事等無いのだが。
兎も角、緊急事態だ。如何する。
『俺が出る!』
『やれ副会長。』
店内を見ると、FD星人が机に突っ伏して意識を失っていた。良し。
『Mに出来る限り元山と風浦のテーブル近くに待機するよう伝えてくれ。但し余り怪しまれない様にな。』
それだけ連絡して僕は考え込む。
妨害のタイミングを計ると云うのは盗聴する理由の飽くまで一つでしかない。本来はその会話の内容から元山と風浦の今の関係性を推測する、加えて今日の此の後の予定を聞く事も狙っていた。それが無理となると此方は後手に回らざるを得ない。それはあるイベントの発生そのものを止める事が出来ないということであり、此方としてはかなりの痛手だ。
「ねぇ、とても偶然には思えないんだけど…」
隣の火野の呟きで僕は我に返った。
「だってそうでしょ。水で濡れてふみつけけられるなんて、とてもじゃないけど信じられないわよ」
至って常識的な感覚を火野が持っていて僕は少し安堵する。
「それを偶然的に引き起こせるのが、元山がハーレムの核である所以だろうさ。よって平凡たる僕達はそれをそういうものだと理解するしかない。」
最早それを前提にして策戦を組むしかないのだが、今回は少し爪が甘かったかもしれないな。まあ恐らく如何なる策戦を組もうともその見えざる隙を突いて来て、簡単に崩壊する羽目になるのだろうとは思う。対抗策を自動生成する相手といたちごっこする趣味はない。マゾヒストではあるまいし。
となると、逆にこの辺りで元山達が向かいそうな所を虱潰しで想定するが吉か。
「火野。」
「なに?」
店の方を窺っていた火野は僕の声に応えて振り返る。
「暫くナンシーとの連絡は君に任せる。」
外したイヤホンと通信機を仕舞って、代わりにタブレット端末を僕は鞄から取り出す。
「いきなり丸投げされても困るんだけど、まあいいわよ。今アタシ達にできることなんてないしね」
「いやあるさ。とても重要な事がな。」
火野の眉を潜めた目を画面の反射で見ながら僕は続ける。
「フリーダム星人が暴れ出さぬ様警告を発し続ける事。」
「あーなるほどねー」
納得して呆れ顔の火野が呟いた。
「本人もだが、ナンシーと副会長にも定期的に警告しておかねば、元山達の方に掛かりっきりになって制止が疎かになりかねない。」
「もはやただの厄介ものね、アイツ」
FD星人は今回においてここぞという時にはその嫉妬故に最も役に立つと思っているが、それまでの管理コストは確かに酷いな。元が取れないかもしれん。
さて。自分の役割の半分を火野に押し付けた僕は、周辺の情報を調べていく。今喫茶店にいる以上、次に直ぐ飲食店に向かう事は現在時刻を考慮してもまず有り得ない。可能性としては娯楽施設。カラオケ、ゲームセンター、ボウリング場、此れ等はこの辺りに存在しても可笑しく無い。流石に動物園やら水族館、遊園地となると其れ相応の敷地が必要だし、何より始めから其処に向かえばいい訳で今こ此処で喫茶店にいるのはおかしい。よって除外。厄介なのはカラオケ、密室な為此方が干渉出来ない、また店員として侵入しようとしてもMの顔が覚えられている恐れがあるし、盗聴器もまた偶然に壊されるのが関の山か。
タブレットを弄りながらそう考えていた辺りで、僕は思う。此処まで来ると誰がどう見てもただの恋人同士だよな、あの二人。しかしそう見えるような事を風浦は元山に提案出来るか、元山はそれを承諾するかを考えると、風浦は自然に見えるように何か明確な目的を元山に提案したとする方が普通だ。となれば風浦が元山を最も誘い易い場所は。
「映画館か。」
僕の呟きに反応して火野が此方を振り返る。都合がいいのでそのまま尋ねる。
「最近公開になった映画、君ならある程度は知っているな。」
「まあ、これでも映研だし」
「その内で、水谷が余り観る気の無かった映画はあるか。」
予想外の質問に火野は少し面喰って、それから考える仕草に入る。
「あったかな、そんなの…」
仮に風浦が、見たい映画があるので見に行きましょう、と元山を誘った場合、まず間違いなく、水谷も一緒にと元山は言うだろう。風浦がそれを避ける方法はそう多くない。
「或いは水谷に今日予定があるとか、いや其処まで流石に君は知らんよな。」
「待って」
僕の言葉を遮って、火野が僕の思考に入って来た。
「今まで気にしてなかったけど、もしかして水谷さんとか風浦さんとかと知り合いなの? クラスが違ったり、学年が違ったりするのに。ていうかそれを考えると、会長が風浦さんを好きっていうのも結構変な話よね」
「あれはただの一目惚れだ。」
僕がそれだけ言うと、火野は一目惚れってホントにあるんだと呟いてから
「で?」
「そもそも風浦にはその容姿と振舞から一定数のファンが校内にいる。フリーダム星人もその内の一人というだけだ。しかし僕から言わせて貰えば、あれは意図されたあざとさに過ぎない。」
「そう言い切るって事は、本当の風浦さんをアンタは知ってるのね」
言葉に詰まった。少し喋り過ぎたな。火野がここまで察しがいいとは想定していなかった。はぐらかさずに答えろと目で訴えて問い質す火野に僕は諦めの印に両手を挙げる。
「仕方ない。」
と前置きして僕は続ける。
「風浦とは去年初めて会った。その時にフリーダム星人もいたから恐らく一目惚れしたのもその辺りだろうな。そして、フリーダム星人がいない間に僕は彼奴と会った。その時の感想をもっていうなれば、風浦はかなり性質が悪いぞ。そもそも彼奴が映研に入った理由も、いやそれ以上は話すべき事でもないか。会長は彼奴を好いているが、僕は奴が嫌いだ。そしてほぼ間違いなく向こうも僕が嫌いだろう。」
「なにがあったのよ」
「それ以上語るのは御免だ。関係性が知れただけでも十分だろう。」
まあそうだけど、と呟く火野は思い出し考える表情を浮かべ、それから僕に訊いて来た。
「…あの子がぶりっ子ってホントなの?」
「なんだ、知らなかったのか。寧ろ女の方が気付きやすいと思うもだが。」
色々思い当たる節があるらしく、誤魔化す様に火野は目を逸らして笑った。
「さてでは監視に戻るとしよう。加えて此の後彼らが映画館に向かうと仮定して策を練らなければ。」
「ってまだ話は終わってないわよ!」
上手く話を流せたと思ってのだが甘かったか。
「ほらほら、はやく言っちゃった方が楽になれるよ?」
「何故テンションが上がっている。」
「だってそうやって隠すってことは、風浦さんのことよりも話したくないってことでしょ、水谷さんの方は」
全く理由になっていないのだが。
「ふふん、なーんか斜に構えた態度ばっかとってると思ってたけど、ちゃんと個人的な秘め事もあるのねー、アンタも」
なんだろう、とても癪に障った。というわけで僕は火野の後ろへ視線を向けて指差し、「あ」などと言ってやる。
「なによ、誤魔化そうったってそうはいかないからね」
腰に手を当てて楽し気にする火野を前に僕は懲りずに口を開けて指す。
「だからそんな古いのに引っかからないって」
そう言う火野の後ろを二枚の紙切れが飛んで行った。それがただの紙切れなら僕も取り立てて気にしはしないのだが。
「今日の映画のチケットが!」
という風浦の叫び声が聞こえてきたのだから話は違う。
「なんか今風浦さんの声しなかった?」
現状理解が一段階遅れている火野を置いて僕は体を乗り出してテラス席の様子を見る。
立ち上がった風浦がチケットの飛んで行った方へ手を伸ばしていて、元山は突然の出来事に呆気に取られて固まっていた。矢張り推測は正しかったようだ。この後二人は映画館に向かう予定だったらしい。
さてどうするか。チケットが無い事で今日のデートが流れるならば、チケットは元山達に拾われてはならない。逆にチケットが無い事でまた別の、それこそカラオケといった映画館よりも手の打ちようのない場所に移動するならば、元山達にはチケットを取り戻して貰わねばならない。後者なら映画館に向かうと分かっている方が此方は先手を取れる。欲を言えば何処の映画館で何を見るかまで分かっていれば助かるが。という事は何方にせよ、僕達が先にチケットを回収するに越した事は無い。
僕の考えがまとまった辺りで、風浦は荷物を纏めてチケットを取り戻しに店を飛び出さんとしていた。急なことで戸惑う店員に元山は
「お代です。あ、釣りはいらないんで!」
と札を渡して風浦を追って走り出した。
「なんかさりげなくかっこいいこと言ってる!」
隣で叫ぶ火野を連れて、追わねばと足を動かす前に携帯に着信が入る。
「もしもし、ナンシーか。」
『んだあいつ、かっこつけた台詞はいてんじゃねぇぞ、ゴラァ!』
FD星人だった。質の悪い不良の如き言い回しだ。
『あ、もしもし。ごめんごめん、会長に電話奪われちゃって』
「それで取り返したのか。」
『うん、優緒ちゃんがしょっぴいてくれたよ』
しょっぴいてはいけないと思う。
『それでこれからどうするの?』
「僕達も風に飛ばされたチケットを追う。元山及び風浦よりも先に手に入れる。」
『うん、わかった。あ、ちょっとまって。ふんふん、なんか優緒ちゃんが、手に入れてどうするの、って』
「そのまま隠すにせよ、情報だけ仕入れて上手く渡すにせよ、先に手に入れねばならない。それだけだ。」
分かったわ、という副会長の声を電話の向こうの奥に聞き、僕は会話を続ける。
「兎に角急いで合流する。Mにもそう伝えろ。」
『りょーかい』
と返事したナンシーの声の奥で
『ってことは、俺達もこのテラス席から直接外に出た方がいいな?』
『それでどうするのかしら?』
『俺だって釣はいらねぇって台詞ぐらい言えるってのを見せてやるよ!』
『それじゃあ、私達は先に行くからとりあえず払っといてね。後でちゃんと返すから』
という会話と走り出す音が聴こえた。
『優緒ちゃん、まって!』
こうして電話は切れた。僕は火野に目配せして店の入り口前へと向かう。
「Mは如何した。」
「直ぐには出られそうにないそうよ。まあ一応ウェイターなのだから当然かしら」
合流した副会長が答えた。
「それで会長は?」
火野がそう尋ねると、ナンシーと副会長が目線と指差しで店の方を差す。太っ腹を見せつけると豪語していた会長はレジカウンターに居た。自分の鞄の中を弄ったり、財布の中を全部外に出してみたりとしていて、此方を向いた彼が一言。
「ここは俺に任せて先に行け!」
いや任せるも何も。
僕達はFD星人を置いて走り出した。
※※※
「それでどうするの。飛んで行ったチケットなんて見つかるとは思えないのだけれど」
走り去った元山達と同じ方向へと走りながら副会長が訊いてくる。
「僕達なら見つけられないだろうな。」
「ちょっとどうするのよ!」
火野が食って掛かってくる。
「僕達には無理でも、元山なら見つけるだろう。ほぼ間違いなくな。」
「いやいや、そんな訳ないじゃん。いくらなんでも」
と常識的に否定する火野に対して
「そうね、むしろそれを狙うしか方法がないと思う」
「むー、なんかこうむしゃくしゃするけどね…」
「あれ、二人とも意外と肯定的!」
当然だな。その傍からは奇跡にも思える様な事を間近で何度も見てきたのは僕達だ。
当惑しつつも仕方なしに納得したように見える火野は
「だとしても、それじゃやっぱりこっちが先に手に入れるなんてことはできないじゃない」
「故に手は二つ。元山達が探している辺りを僕達も探し、彼らには見つからないようにして先に見つける。または元山達が見つけた段階で妨害をして、その隙に攫う。」
「結構むずかしいこと言うわね!」
まずは元山に追いつかねばならない。今はそれすら困難ではあるし、まずは手分けして探すのが良いかと考え、僕がそう指示を出そうとした時に
「あ、いた!」
と火野が見つけるのだから都合がいい。矢張り映研の一員を此方側に引き入れて正解だったようだ。何かしら元山の元へ辿り着く力が火野に働いているのかもしれない。そうなると、恐らく火野だけでなく他のも引き寄せかねないのだが、今深く考えるのは止めよう。
元山と風浦が居たのはかなり広めの公園であった。二人が如何なる経緯で此処に辿り着き、チケットを探しているのかは判らないが、僕達がそれを理解する必要はない。
「ここで各自、分かれてチケットを探してくれ。全員、件のチケットが如何なる形か、判っているな。」
三人が頷く。良し。
「各々、副会長以外だが、元山と風浦の位置は確認次第連絡し合うように。では散開。」
そう言ってすぐ、公園に向かおうとする火野の襟を僕は掴む。
「君はフードを被っていけ。それで元山達に遠くから見られても勘づかれる事も無くなる。」
勢いよく飛び出そうとしていたのを止められて不満気だった火野も納得顔で
「それで今日フード付きの服を着てこいってメールしてきたわけね」
「それと、目の前の入り口から入るのは危険故に、別の入り口から公園内に入れ。僕もそうする。元山達が探しているからといって、そこの広場にあるとは限らない。公園全体、並びに周囲の住宅塀も注意して探すように。」
「注意が多い……しかもそれ二人には言わなくていいの?」
「安心しろ。彼奴らはそんな事、百も承知だ。」
振り返る二人が火野に向けてサムズアップを見せる。
「なんか、いけそうな気がする」
そう呟いた火野を見送って、僕はMに位置情報だけを連絡しておく。それだけで十分だろう。FD星人、誰だそれは。
携帯を仕舞い、僕もフードを深く被って、その上で視界は広く目線を忙しく振って駆け出す。
『あった、ありましたよ、せんぱい!』
丁寧に整備された茂みの裏で猫を追い出して探していた時に風浦の声がした。
「ダメじゃん!」
丁度近くを探していた火野に僕はど突かれた。
「まだだ。まだ一枚しか見つかっていない。もう一枚もこの辺りにあるはずだ。」
「そうか! そういえば二人分だからもう一枚も…」
遠くから元山の声がする。
『ほら、あそこにもう一枚があるぞ!』
「見つかってんじゃないの!」
「まだだ。まだ手に入れられた訳ではない。ここから妨害に入れば問題ない。」
「おおありよ!」
もう一枚のチケットは木の枝に引っ掛かっているらしい。元山と風浦はその木に近付いていく。それを見た火野は諦めて溜息交じりに首を振って歩き去ろうとする。
「風が吹けば或いは、とは考えないのか。」
残った僕がそう言うと、火野は
「ないない。そんな都合よく風が吹いて、チケットを飛ばしてしまいましたーなんてありえないって」
火野は僕に後姿を向けて歩いていく。元山達の方を見遣ると、元山が木に登って、枝先に引っ掛かったチケットに手を伸ばしていた。その指先が触れようとするその時、前触れのない突風がその木と元山達を襲う。
『チケットが!』
元山の叫びも空しくチケットは風に乗り、建物の向こう、此方からは見えない所へと飛んで行ってしまった。
対し、木の下で待つ風浦は風ではためくスカートを手で押さえていた。個人的な偏見もあるのだが、何処かわざとらしく見える。しかし、この場にFD星人がいたら見事に騙されているのだろうと思うとあの場に置いて来て正解だったと感じるな。
「んだよ、スカートが捲れなかったよっ…」
噂をすれば影、か。
「いつの間に戻って来た。」
気が付けば隣でFD星人が草むらに隠れて元山達の方を窺っていた。
「結局金は足りたのか。」
「この俺の交渉術で見事突破してきたぜ」
「足りなかったのか。」
人のいい店員だったか、或いはMの給料から差し引きと云う形になったのかは知らんが、正直今FD星人に戻って来られるのは色々厄介だな。
因みにチケットが飛び立つ前に伸ばされた元山の手は空を切ったのだが、焦って思わず前のめりになってしまっており、そのまま体勢を崩して落下した。まだ風は吹いている。風浦のすぐ横に落ちた元山は、頭を摩りながら顔を上げて、その目に映るは。
風浦のまた演技じみた悲鳴が通って、僕の隣の猛獣が勇ましく咆哮する前に、火野が上から覆い被さって、猛獣を偶然押さえ込んだ。
「嘘でしょ……ホントにチケットが飛ばされるなんて…」
信じられないと目を見開いて、火野は向こうを見ている。
火野の下敷きになったFD星人が呻くのを僕はど突いて制して、火野に
「もう退いていいぞ。これで此奴も暫くは暴れられないだろう。」
「あれ、ごめん。知らずにふんずけてたわ」
無意識だったのか、助かったから別にいい。火野が退いてもFD星人は干からびた蛙同然に寝そべったままだった。
「それはそうとして、アイツなに顔真っ赤にして……ていうか、いつまで寝てんのよ、さっさと起きなさいよ、もう…」
火野の見つめる先、漸く立ち上がった元山が風浦に平謝りしている方を僕も見る。恥ずかしそうに見せている風浦の本心は知らんが、この様子を見られればは風浦ファンクラブの連中は黙ってはいないだろうな。そう考えると、FD星人の記憶を消す試みも検討いた方が良いかもしれん。
記憶の定着を阻止する方法を僕が考え始めた時に火野は呟いていた。不満気な顔から思案顔に切り替えて
「…誰のでも同じ反応なのかな」
此奴何か血迷った事を仕出かさないだろうな。
「一応言っておくが、男は皆あの反応するからな。」
注釈をつけておく。ただこれで元山は風浦を異性として殊更に意識しだすだろう。そして恐らくそれが風浦の狙い。でなければ、普通木から離れた場所で見守るだろうに、あんな木の近くで待機している訳が無い。
「Mはもう向かったか。」
僕は元山達を注視しつつ、携帯で連絡を入れる。
『うん、さっき合流して、風を吹いた時にすぐチケットの方に走らせたよ』
電話の向こうのナンシーがそう答える。さて、そうなると一人を此処に残して、後の全員でMの元へ向かうとすべきか。連絡が取れない副会長、一人にするのが危ないFD星人は除外して、僕かナンシーが残るべきか。いや寧ろ火野を残した方が今後の為にはいいかもしれん。火野一人なら見つかったとしても、無難に対処できるはずだ。
その旨を伝えようとした時、火野が声を上げた。
「二人ともどっかに向かおうとしてる」
僕も視線を向けると、まだ謝っている様に見える元山が風浦の顔色を窺いながら歩き始めていた。しかし、どうもチケットの飛んで行った方ではないと見受けられる。
「追わないのか。」
「そうっぽいわね。なんでだろう」
兎も角、これでチケット回収の時間的猶予が出来た。此処に残る人数を更に割く事が出来る。遠く離れていても射撃で対応できるナンシーは此方に残し、全く役に立っていないFD星人を左遷してもいいが、此処は寧ろ副会長をMの方に向かわせるか。
「ナンシー、副会長にMの方へ向かう様に伝えろ。一応、Mの現在地を本人に聞いてから向かえ。そして僕達は一旦合流する。池沿いにある屋根付きの休憩所で落ち合う。」
『りょーかい』
ナンシーとの電話を切って、僕は寝そべるFD星人を蹴とばす。
「いってぇな、おい!」
仰け反って顔を上げ、抗議して来るFD星人を無視して僕は一方的に話をつける。
「移動する。」
曲芸的なやり方で立ち上がったFD星人は有り余った体力を発散する様に過剰な手振りをする。
「まだ、あの野郎に一発もいれてねぇぞ!」
「なら訊くが、その相手は何処にいる。」
「んなもん、あそこに……って、あれぇい!」
元山達は件の木の下から移動して、既に近くから姿を消していたのだった。まあ、何処に行ったかの見当はついている故焦る事も無い。
周囲を不審に見回すFD星人を無視して、僕も火野も立ち上がる。
「集合場所をそこにしたのって、なにか意味あるの?」
「行けば分かる。」
※※※
公園の中央程にある大きな池には鯉やら亀やらがいて、誰かしらが餌を上げている。他にも冬には鴨も来るようで、僕はその旨を休憩所に設置されたプレートから知る。
僕達が集合した休憩所は、池の周囲を走る歩道から少し池へと飛び出した休憩所で、池の様子が観賞できる様になっている。もう使っていない売店と木製の椅子と机が幾つか置いてあって、休日ということもあり、何組かが此処を利用していた。僕達は敢えて其処には座らず、端の方で立ったまま池の反対側辺りに目を光らせていた。
「見つけた、あのワゴン!」
柵から身を乗り出して、池に落ちるか落ちないかの処で止まっているナンシーが、掌を水平にして額に当てていたのを止めて一点を指差す。
僕達も自然とその指先へと視線が向かう。
池沿いの歩道には幾つかのクレープやらのワゴンが出ていて、駄々をこねる子供に買い与える親や自転車に乗って遊びに来た小学生が美味しそうにそれらを頬張る姿も見受けられる。因みに休日デートと称して二人で一つのクレープを食べているカップルもいて、なんと妬ましい事や。そして丁度此処からではワゴンの陰に隠れて見え辛かった購入希望者の列に元山と風浦がいた事をナンシーが発見したのだ。
「ビンゴだったね」
「判ったから、其れ以上身を乗り出すのは止めろ。」
元山が風浦に謝りながら先を歩いていた事から何かしらの埋め合わせをしようとしているのは想定できた。一枚目のチケットを探して歩いた際に、此処にワゴンがある事は知っていた為、此処に来るのではと推測したが、読みが当たったな。
僕はナンシーの後ろ襟を掴んで引き戻す。
「あたしもクレープ食べたい!」
「終わったら勝手に食えばいいだろうに。仕事が先だ。」
ナンシーはふくれ面で、はーいと返事をした。返事は伸ばすな。
池の向こう側では元山達がワゴンの前まで来ており、店員に注文しているようだった。口の動きや細かい仕草までは見えないが、矢張り元山が全額出している様に見える。予め風浦から一人分の料金を貰っていた可能性はなきにしもあらずだが。
「でもさー」
柵に肘を置くだけに落ち着いたナンシーが呟く。
「やっぱり二人ともカップルっぽいよねー」
それも本当にあっけらかんと。何故此奴は地雷を埋めずに直接投げつけていくんだ。
僕が隣に少しだけ視線を向けると、FD星人が般若顔で柵の下部を全力で蹴り続けていた。止めるんだ、それで柵が壊れて弁償なんて御免だぞ。
「あの野郎がクレープを一つしか買ってなかったから殺しに行く……それを風浦と二人で食べようとする前に、間接キスが起きる前に…」
うわ言の様に呟くFD星人。失敗した、副会長を此処に残しておくべきだったと僕は今更後悔し始めた。
「面白そうっ、あたしは二つ買ってくると思うなー」
ナンシーとはいえ、軽はずみにそんな事を言って欲しくはない。
「で、実際のところ、どう?」
「元山が余り金を持っていない、或いはあのワゴンの商品、つまりクレープだな、それが余り好きでないなら風浦の分しか買わないだろう。そもそもあれは詫びの品なのだから、二人で分け合うような事にはならないとは思うのだが。」
風浦としては、上手い事分け合う展開に持っていきたいはずだ。さて、元山の金銭事情と食の好みが吉と出るか凶と出るか。
「おっ、二人が出てきたよー。そしてその手には…二つ! 二つのクレープっ!」
よし惨劇は回避された。僕は胸を撫で下ろす。
「じゃあ、はいっ」
ナンシーはFD星人に両手を差し出す。
「なんだよ、その手…」
「敗者は勝者に何かを渡すものです」
「だいたいテメェとは賭けしてねぇよ!」
ナンシーとFD星人が言い争いをしている内に元山達はワゴンから離れて歩き出している。さて何処に行くだろうか。出来れば此処から見える範囲であって貰いたい処だが。そして絶対に此処には来るな。
願いが届いたかどうか、元山達は池の周りに定間隔で並ぶベンチの一つに腰掛けた。此処から見える位置で止まった様だが、他のベンチも大体が男女二人組で座っており、その上彼彼女らは睦まじく戯れ合っていて、池に落ちて溺れてしまえばいいのにと思う、但し二人ともだ。片方が落ちるだけでは救助活動と称した合法的接吻を見る羽目になる。
上手い事誘導して溺れさせる、せめて濡れ鼠の様なみずぼらしい姿を晒させる方法は無いかと周りを見回した時、火野が柵の上に組んだ腕を乗せて目線を注いでいるのに気付いた。
「火野。どうした。」
声を掛けると火野は漸く視線を別の方、つまり僕の方へと向ける。
「なに。どうかしたの」
「それは僕の台詞だ。妙な顔をして。」
鎌をかける。すると、火野は自分の頬を掴んでみては引っ張って、今度は両手で頬を押してみて、色々と捏ね回した後で柵に顎を乗せて
「べっつにー」
「そこまでして別に、は無いだろう。」
「…なんか楽しそうだなって」
言い始めに少しどもってから、小さな声で早口にそう火野は口にした。
「不機嫌そうに見えるが。」
「アタシじゃないわよ。バカじゃないの」
冗談も判らん奴に馬鹿呼ばわりされるのは癪だ。これ以上は話すだけ無駄、僕には処置のしようがない。本人の事は本人に解決させるのが基本的には一番だ。
さて、代わりに僕がすべき事は此方でまだ口論を続けている奴の方だ。
「あたしが合ってたんだから、クレープおごってよー」
「だから、そうする義理はねぇっつってんだろ! そんなに食いたきゃ後でMにでも頼めよ、あいつなら簡単に言う事聞くだろ!」
今はナンシーの相手で手一杯だろうからまだ気付いていないが、他のカップル同様にベンチに並んで座る風浦と元山を見たら今度こそFD星人は此処飛び出して殴り込むに行きそうだからな。そのまま言い合いをしていてくれ給え。
丁度僕に背を向けているFD星人と向かい合う様に立っているナンシーに、僕は身振りで上手く時間を稼ぐ様に知らせる。池の方を指差してから腕を交差させて、とする前にナンシーは乗せられる様に僕の指の方を向いて、それを見たFD星人もそれに倣って池の方を、元山達の方を向いた。全てが裏目に出た。
「ナンシー、銃を抜き撃て。」
目視してから駆け出すのと、命じられてからの狙撃で早かったのは、こうしてFD星人が七輪の上の鯵の干物宜しく倒れた事で証明された。更に、それを見た休憩所の人々が一目散に逃げだした事で、此処には僕達以外がいなくなった。
「良し、上手く人払いが出来たな。」
「いまのは明らかに嘘でしょ!」
前までの切れ味を取り戻した火野が叫んで、池の向こう側の人々の視線を瞬時に集めた。
不味いな。僕は床でくたばるFD星人を足蹴にして売店の壁に寄せて、火野とナンシーを引っ張って壁に身を寄せさせる。此処なら向こうからは死角になって見えない事は前に確かめてある。出来れば最も見えやすい位置にいた火野が元山達に見られていなければいいのだが。
「ちょっと! 見つかっちゃうところだったじゃない!」
声を抑えた火野の僕は隣のナンシーの方へ受け流す。
「だって、撃てって言われたんだもん!」
「声が大きい。」
ナンシーは直ぐに自分の口を両手で押さえて、それでも僕の方を見てくる。
「フリーダム星人が暴れ出しそうだったのが悪い。」
それを聞いたナンシーは立てた人差し指を口に当てて
「で、会長が暴れ出しそうになったのは向こうが悪いから…」
「つまり全て元山が悪い。」
良し、結論が出たな。
「なんでそうなるのよ!」
そろそろいいだろうか。僕はナンシーに合図を送る。向こうから見えないという事は此方からも見えないという事。ナンシーは少し体をずらして恐る恐ると云う様に向こうを窺う。
「うん、もう誰もこっちを気にしてないと思う」
一先ずは大丈夫そうだな。壁に背を預けて屈んでいた僕達は立ち上がって、今偶然此処に足を踏み入れた体で腰掛けていった。此処からだと柵の傍よりも死角が増えるが、元山達がベンチに座っている限りは大丈夫だろう。
「ほら、君も座ったらどうだ。正確には座れ。其処で寝転がっていられては不審がられる。」
先撃たれた脚を摩りながら苛立ちを顔に見せて立ち上がったFD星人も席についた。これで見て呉れは整えた。
「さてフリーダム星人。」
「ん?」
声を掛けた僕の方ではなく、机の下を覗き込むFD星人。足にでも異物が当たっていると感じているのだろうなと思いつつ僕は言葉を続ける。
「もしまた許可なく暴れる様な事があれば躊躇なく撃ち込まれるから覚悟しておくことだな。」
「座る所を誘導されている気がしたが、そういうことかこの野郎」
FD星人の向かいに座るのはナンシーである。足元に銃口を向けられ脅されているという構図だ。
「味方なのよね? アンタ本当にリーダーなのよね?」
「うるせぇ…」
漸く落ち着けた所で僕は話を切り替える。
「しかし、副会長もMも中々帰って来ないな。」
「ここを知らないってことはないの?」
火野の質問にはナンシーが答えた。
「優緒ちゃんは向こうに行く前にそれは聞いてるはずだし」
「Mには既に連絡してある。」
「まだチケット見つかってないだけじゃねぇの?」
それはそれで困るな。その映画の時間は分からないが、チケットが無効という事になれば元山達二人の行動が全く読めなくなってしまう。矢張りチケットを確保して後、先回りして映画館に仕掛けを施して、それからチケットを自然に元山の手に戻す方が良いか。予定調和上等だ。賭けをして、気付かぬ間に最悪の状況に陥って取り返しがつかなくなるよりは遥かにマシだろう。そう考えるなら、早い所もう一枚のチケットを確保しなくてはならない。
「一応Mに連絡は入れてあるが、返事がない。」
僕は殆ど希望を持たずに携帯の画面を見遣るが、何も目ぼしい情報を吐き出さない。
待てよ。それなら。
「火野とナンシー、どちらでもいいが、Mに連絡を入れてくれ。」
「でも、連絡なかったんでしょ?」
「取り敢えずだ。」
合点はいってない様だが、火野はナンシーが片手を動かせない事に気付いて、自分の携帯で連絡を入れる。すると、着信音があって
「わっ! もう返信が来た」
「Mめ、矢張り女からの連絡には直ぐに答えるのか。」
「マジでタチ悪ぃな、おい」
愚痴る僕達を他所に火野は来たメールを読み上げていく。
「困っているおなごを見つけたので、ちょっと手伝って来ます。意外と時間がかかりそうです。すいません。だって」
「何故おなご呼びなのか。」
「それ以前にあいつ任務放棄しやがったぞ!」
厄介な事になってきたと僕は頭を振るが、今度はナンシーが声にだして
「あっ、元山くんが風浦ちゃんにあーんされてる」
「なんだとぉっ!」
勢いよく振り返ったFD星人に釣られて僕も池の向こう側を向く。すると確かに風浦が自分のクレープを元山の口に持っていく様が見て取れた。
「ナンシー、撃て! あの野郎の脳天を撃ち抜け!」
大きな音を立てて椅子から立ち上がったFD星人がナンシーに指示を出す。
「待て。狙撃してみろ、向こうに此方の位置が知られる。同様にクレープだけを狙う事も出来ない。」
それよりは寧ろ、と僕は周りの木、或いは地面を探して
「其処の鳩の群れを狙え。飽くまで威嚇射撃でだが。」
外で食する人の近くには必ず鳩がいる。加えて公園ともなればその数はかなりの物となる。
人の目を警戒して周りをよく確かめてからナンシーは手持ちの銃で、鳩のいる地面の少し手前を狙撃。鳩に鉄砲。驚いた鳩は一斉に飛び立って、それに気を取られた風浦は手元を狂わせて、クレープを落とす。よし、これで。
しかし、それを風浦が反対の手で掴んだ。僕は舌打ちをしてその光景を目撃した。中々の反射神経だな、風浦。クレープ屋には悪いが、地面に落としてしまえばそのクレープは破棄確定だったというのに。
風浦はまたクレープを元の手に戻すが、掴んだ手の方をじっと見ている。そうか、掴んだ拍子に中の生クリームが手に掛かったのか。そして、風浦はその手を元山に差し出しだ。
「おい、なんか舐めるように言ってるっぽいぞ、悪化してるじゃねぇか!」
「馬鹿な…。」
その展開は想定出来なかった。
「ええい、もう構うものかよ! ナンシーあの野郎を撃ち抜け!」
そう言われたナンシーが僕を見る。そして僕は
「よしやれ。」
「やっちゃダメでしょ!」
火野が止めるのも僕は聞かん。女子の手を舐めてもよい状況にある男は全員亡き者にすべし、それはこの世の男の総意だ。さあナンシーよ。奴を焼き払ってしまえ。
「あ、でも元山くん、ちゃんと断ってるよ」
ナンシーに言われて僕とFD星人が出来る限り偏見を減らしてしっかりと見ると、元山は断る仕草をしていて風浦が肩を落としていた。
「馬鹿な、あれを断るというのか…。」
「ありえねぇ…あいつの脳内どうなってやがる…」
「いや、アンタ達が不純なだけでしょ」
ちなみに風浦は手についたクリームを自分で舐めとっていた。
「あれはあれでいいものだな」
「写真でも撮ればファンクラブの奴らに高値で売れそうだ。」
「やめなさい!」
結局、FD星人がその光景を目に焼き付けただけだったのだが、それで話は終わらない。クレープそのものは無事だったのである。懲りずに風浦は元山にクレープを差し出す。無難に受け取ろうとする元山の手は弾いてしつこくそのまま食べさせようとしていた。
どうする。同じ手が通用するかどうかも怪しい上に、ギミックに出来そうなものももう近くにない。僕の思考が行き詰った辺りで不意に後ろから声がした。
「係員さん、あいつらです! さっき暴れてたの!」
まずい、先の発砲騒ぎで係員を呼び寄せてしまったらしい。思わず振り返りそうになったのを堪えて僕は直ぐにフードを被った。それを見て火野も僕に倣い、FD星人とナンシーは鞄で自分の顔を隠す。
「走れ!」
会長の叫び声と同時に僕達は駆け出した。振り返ると係員と通報者は休憩所の入り口にまでは迫っていなかったらしく、僕達は全員隙間を抜けてこの場からは逃げ出せた。しかし当然直ぐに係員は僕達を追い始める。
「散れ!」
会長の言葉に従って僕達は一人一人違う方向へと走る。さて係員は誰を追うだろうか、と素早く後ろを見ると、どうやらナンシーを狙っているようだった。エアソフトガンとはいえ明らかな物的証拠を持っている奴を狙うのは当然か。恐らく通報者がその事を教えているはずだしな。とはいえ僕が走るのを止めた結果、狙いを此方に変えられては堪らない。ナンシーなら逃げられると信じて、僕は足を速めた。
池沿いを走りながら池の向かい、元山達がいる方に目を遣ると、そこの道をFD星人が走っていた。そしてベンチに不自然に体当たりして、そのまま走り去る。これで風浦の間接キスを阻止した、つもりのようだが。そのベンチは、別のカップルが座っていたものだった。追いかけ始める彼氏と必死に逃げるFD星人。散々だな、彼奴も。まあそれで元山達はそれに気を取られて取り敢えずは阻止できているのだから、その犠牲は無駄ではない。
池沿いの道から外れて、木々が生い茂る丘への小道に僕は入っていく。直ぐに戻れる様に余り離れたくはないが、それを察して公園の係員が待ち伏せして見張っている可能性も考慮しなくてはならないだろう。森の中ならある程度は見つからないはずだ。そう思って僕はこうして丸太を置いて作られた階段を登っている訳だ。
しかしいずれはあの休憩所に戻らねばならない。副会長が戻って来た時の為にもな。彼女はまともに連絡も取れやしないからな。全員と言わず、誰か一人でも待っていればいい。FD星人は最早使えないだろう。ナンシーも丁度追われている最中とすると、まだ係員が諦めずにナンシーを追うと云う見上げた根性を発揮していると考えれば、僕が向かうべきか。階段の半ばで足を止め、戻ろうとするが、その前に一応火野達にも連絡しておこうと携帯を取り出したその時に、僕は背中を指で突かれる感覚を味わった。そしてそれは僕としては再三覚えのある感触である。
恐る恐る振り返り、そのまま視線を少し下に降ろす。
「土井、何故此処にいる。」
何を考えているか分からない顔をして土井香弥乃、正にその人が立っていた。
『それはこっちのセリフです』
そう書いてある画帳の一枚を見せてきた。既に用意してあったらしい。
『こんなところで何してるんです? もしかして趣味:散歩とか、年金生活のご老人みたいな感じですか?』
なんだその偏見。
「まあそれでいい。それで質問は戻るが君は何故此処にいる。君に散歩の趣味は無いだろう。待てよ。まさか此処に…。」
と言いかけた僕は土井の画帳に遮られて止める。
『まあそんなところです』
「嘘をつけ。」
画帳の裏で目線を逸らしていたのも、指摘された瞬間にうっと呻いたのも僕は見抜いているのだ。伊達に此奴と関わっていないさ。
「兎も角、僕には今急ぎの用事があってな。此処でお別れだ。」
返事を待たずに僕は階段を降り始めようとする。このような場面では、喋らない君は不利なのだよ、土井。そう、この場で僕を止めるには音を使わねばならない。
瞬間、背後から人の降りてくる音が聴こえた。故に僕は足を止めて振り返ってしまって、同じく振り返る土井と、降りてくる人物を目撃した。
「あれ、香弥乃ちゃん、ここにいたんだ」
声がする。見えはしないが聞いた事のある声で僕は戦慄する。
「どうしたの、さっきから周りをきょろきょろして?」
どうやら二人は合流したらしい。少し前に元山と他の映研は引き付け合うと考えたものだが、よりにもよって最後の一人までもがこの場に集まるとはなんたることだよ、水谷。
「わたし? なんかね、下の道が通行止めって言ってる人がいたからこっちの道を通って来たの」
土井が画帳を用いて、水谷が此処に来た理由を尋ねたらしい。それを聞く僕は森の中にいる。降りてきたのが水谷だと気付いた瞬間、風浦が水谷に気を取られている隙に階段から横、未開拓の斜面に飛び出た。地面の上に露出している根に足を預けて、木の陰に体を押し込んだ。これで遠くからでは僕が此処にいるとは判らないはずだ。
「それでなにか探してるの?」
水谷の質問の後に少し間が空く。恐らく土井が画帳を見せているのだろう。
「そっか、知り合いがいたんだね。それなら先に下に降りたんじゃない?」
水谷に促される様に土井も階段を下っていく。そうだ、そのまま下に降りてくれ。水谷は土井が探しているのが僕だと知らないが、正直土井相手では時間を掛ければ此処も気付かれる恐れがある。背に腹は代えられん。
二人の足音が遠ざかり、僕は息を大きく吐いて額の汗を手の甲で拭った。しかし、これで簡単には下には降りれなくなった。加えて普通の道を使っていては二人に見つかる可能性があり、安心して通れなくもなった。取り敢えず僕は木の幹を掴んで、斜面を登り始める。これで上にあがるとしよう。
そういえば、水谷の声色が土井と休日偶然会ったにしては驚きの色が薄かった。寧ろ一旦分かれた二人が会った程度のものだ。まさか、あの二人は約束をして此処に来ていたというのか。こんな公園に何の用があるのか。愚問だな。元山か風浦を追ってきたに違いない。
少々厄介な事になって来た。今の僕の状況も、映研内の現在状況も。
少し斜面を登り、斜めに生えた木の幹に背を預けて僕は携帯を出す。火野に連絡を入れようと思ったのだが、先に火野からの連絡が入っていた。手間が省けていいな。曰く、副会長とは合流できたらしい。次の集合場所は例の休憩所ではなく、公園の端にある野球場のダグアウト。今日は使われておらず、自由に出入りできるらしい。
場所として悪くない。寧ろ係員の死角になるだろうし、かなり良い分類だろう。それはいいのだが、此処から行くには一度池の方に降りなくてはならない。
本当に厄介だ。後頭部を背中の木の幹にぶつけて空を見上げる。生い茂った葉が僕の空を覆っていた。
※※※
連絡があってから結構遅れてしまった。故にあの時間の番人、風紀委員様に怒られるのは仕方のない事だろうと僕は半ば諦めて野球場を訪れた。
結局、池の方へ降りる危険を嫌って、僕は一度上に登り、今度は反対側の斜面を下った。その先は公園の外の道路で、多少の段差は飛び越えて、なんとかそこに降り立った。それから公園の周りを歩いていって、野球場近くの公園入り口からまた中に入り、今に至る。
数段の石段をあがって、野球場に足を踏み入れる。整備は余りされている方ではないようだ。向かいの三塁ベンチには誰も座っておらず、つまり此方側一塁側に集まっているはずだ。
まあそうだとは思っていたが僕が最後に此処に着いたらしい。既に全員、Mまでもがベンチの席についていた。さて、我等が風紀委員様はどんな面様かと探してみれば、一番端でしおらしくしているのだから、僕が怪訝な顔をしていても驚かない。
「よお、遅かったな」
最初に話し掛けてきたFD星人は、買ってきたのだろうスポーツ飲料を勢いよく飲んでいた。飲み終えると、口元を手の甲で拭く。
「例のカップルの彼氏からは逃げ切れたのか。」
「へっ、俺を誰だと思ってやがる。何度もストーカーとして成功してきたんだぜ?」
此奴とうとう自分がストーカーだと認めたな。僕はその隣に座って一息吐く。
「水ならそこにあるぜ」
FD星人が差した先にはMとその横に置かれた数本の清涼飲料水。
「もちろん有料デスよ」
「だろうな。」
僕が小銭を放って、ペットボトルが放られて来た。僕はそれを掴んで、それが炭酸でなかった事に安堵した。
「それで元山達はどうした。」
「俺が戻った時にはもういなかったぜ。代わりにナンシーがクレープ買ってただけだ」
ナンシーの方を見ると、成程二つ目のクレープに取り掛かっている真っ最中だった。
「それから火野と、火野につれられた副会長が戻って来て、Mとお前には此処に集まるように連絡したってわけだな。ま、お前が一番遅いとは思ってなかったけどな。なんかあったのか?」
「少し手間取ってな。」
「何に?」
「過去に。」
此奴は何を言っているのかという目で見てくるFD星人を無視して僕は続ける。
「それで、チケットはどうなったんだ。」
「見つからなかったと」
FD星人は奥に座る副会長の方を見遣る。成程、それでああも沈んでいるという訳か。
「ちょっと! もう少し言い方ってもんがあるでしょ!」
と立ち上がった火野が珍しく副会長を庇っているが、僕から言わせて貰えば
「そうか。仕方あるまい。」
副会長は自責の念で勝手に押しつぶされているだけに過ぎない。
「ほら言ったんじゃん。誰も気にしてないって」
クレープを頬張りながらナンシーもそう言う。それを聞いた火野は心配して損したとばかりに音を立てて椅子に座り込んだ。
「あの後元山と風浦を誰か見ていないのか。」
「誰も。どうせもうこの公園にはいねぇだろ」
逃げられたか。今から捜し出すのはまず無理だろうな。此処にいる殆ど全員がそう思っている様だった。
「ああ、おいしかったっ」
とナンシーがクレープを食べ終わり、それに対して
「ちゃんと忘れずに出たごみは捨てなさい」
と注意できる程に副会長が回復した辺りで僕達は此処から立ち去る事にした。
公園入口近くに置いてあるゴミ箱の前で副会長による分別教室が開催されて、嫌々ペットボトルの包装をFD星人とナンシーがしているのを僕は外から見ている。
「そういえば火野よ。」
ペットボトルではなく、缶ジュースを買ったが故にいち早く分別教室から脱してきた火野に僕は声を掛ける。因みに僕はまだ飲み終わっていないので分別教室に参加する権利がない。
「週末自分には予定があると誰かに言ったか。」
「つまり今日用事があるってことを?」
と尋ねる火野は僕の質問の意図を推し測っている。僕の顔を穴が開くほどに見ていたが、収穫無しと判断したらしく、諦めの溜息をつく。
「そうね、そういえば週末の予定を水谷さんに訊かれたときに言ったと思うわ」
「そうか。なら一つ提案があるのだが。」
火野がまた僕と水谷の事を訊くというのを思い出す前に、直ぐに僕は話題を変える。その甲斐あって火野の表情は、僕が何を言おうとしているのかを疑問に思っているだけであった。
曰く、ゴミ箱の中も分別できていなかったらしく、それを見た副会長は静かに怒りの炎を燃やし、中身を引っ繰り返して再分別を行った。当然FD星人達を巻き込んで。まあ副会長が元通りになったという事で喜ばしい事だと思う。そう告げたら、参加しなかった奴が何言ってもおせぇよとFD星人に言われた。
「ねえ、火野さんはどこに行ったのかしら?」
公園から出て歩き出した時に副会長が声を上げた。それを聞いた皆が周りを見回すが、僕はそうせずに副会長の質問に答える。
「火野には少し用事が出来た。」
僕の言い方に引っ掛かりを感じた副会長はそれを顔に出して
「つまりあなたが用事を作ったのね」
人の罪を責める目は止めて貰いたいね。だから君は自分の失敗にも過剰に罪悪感を覚えるんだろうよ。
「実はこの公園で水谷と土井を見かけてな。どうやら二人は示し合わせて此処に来ていたのだろう。それで火野に訊いてみれば、それを断って僕達について来たらしい。」
「水谷さんに会ったのね」
「ニアミスだ。」
土井とは会ってしまったがな。
「それで来るのが遅くなったんデスね」
僕は頷く。
「少し二人の会話を聴いた結果、元山と風浦が向かう予定の映画が判った。まあ此処からそう離れていない映画館となれば数は限られてはいたが。恐らく水谷達も其処に向かうのだろう。」
「そうすると、映研で火野一人だけ同じ映画を観てねぇことになるのか。それはちょっとな……んで火野をそこに向かわせたと」
「偶然を装って水谷達と合流できれば上出来だ。」
副会長が大きく息を吐いて僕を見る。
「だからそういう事を一人で決めるのは止めなさい。確かに私達は今から向かっても映画を観る事はできても妨害の準備までは出来ないから仕方ないのだけれど」
「それもあるが、別に気になる事がある。Mは現れた女性を助けるのに手間取られ、副会長の前には校則違反をする生徒が現れた。僕も水谷達とのニアミスのせいで動けなかった。」
そこまで言うとナンシーが叫ぶ。
「出来過ぎ!」
「それはミーも思いマシたね。風に乗ったチケットがある家の屋根の向こうに飛んでしまって一度見失い、迂回していた途中で困っている女性を見つけたんデスよ」
Mの説明を受けて副会長も考え込む表情になる。恐らく彼女にも心当たりがあるのだろう。
「第三者の介入の可能性があるわね」
副会長の呟きを受けてFD星人とナンシーは考えが天から降りてきたとばかりに叫ぶ。
「そうか、だから俺は別のカップルのベンチにタックルしてしまったのか!」
「だからあたしだけが係員に追いかけられたんだ!」
「あなた達は違うわ」
まあ二人にも何かしらの罠が用意されていたのかもしれないが。
元山に想定されている力の影響範囲はそう広くないと考えられる。元山から離れていたMや副会長に働きかけるとは思えない。更に水谷は道が通行止めになっていると話しているのを聞いて僕と土井が会った道に迂回したと言っていた。あれは水谷を其方に誘導する為のものだったのではないか。
「その話とは全然関係ないんだけど」
考え込む僕達にナンシーがあっけらかんと別の話を挟み込んできた。
「結局チケットって一枚しか見つかってないのに、二人は映画館に行くの?」
あっ、と間抜けな声を出したのはFD星人で、代わりに僕は後悔を無邪気によって曝け出された事で苦虫を噛む。
「実は後から気が付いたが、チケットが無くても映画館で買えばいいだけの事だった。」
「えっ」
「チケットは恐らく風浦が元山を誘う口実作りに必要だったのだろう。」
「じゃあ、チケットを先に回収して映画館に行かせないっていうのは…」
「成立しないな。だが待て。チケットを探す意味はあったぞ。映画の場所と時間を予め知っておけるというな。」
「…なんか今日は全部が無駄だった気がしてきたのだけれど」
僕の後ろに立った副会長がそう言って、肩を掴まれている感触が僕を襲う。そしてその力はどんどん強くなって、そろそろ悲鳴が上がるとの処で僕は観念した。
この後の喫茶店代は全て僕持ちになったのは言うまでもない。
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