後編――不穏ナル超常ハ延々ニシテ崩Re…
【兄編B】真依のために俺ができること
3-1.ナンジ自らを知れ
――――――【兄、夕緋悠人のセカイ】――――――
『このバケモノめ。わたしのお兄ちゃんを返して』
響く声に、飛び起きる。
窓からは差し込む日差しが、六月十六日の朝の到来を告げていた。本日は月曜日。だがニートである俺には関係がない。
大学を卒業した直後は、まだ無職となった実感もいまひとつで(いえーい、社畜たちが満員電車に押し込められているなか俺は悠々自適に朝寝坊ライフだぜ!!)と強がったりもできたのだけれど、今となっては繰り返される毎日に絶望しかない。
ニートは毎日が夏休みである。しかしただの休日なのでなく、それは「宿題を大量にやり残した夏休み最終日」なのである。と、ツイッターでフォロワーさんの誰かが言っていた。
ほんとにな。ニートである自分には、未来が視えない。真っ暗闇な道を明かりもなしに、ふらふらと歩き彷徨う感覚だ。ただひたすらに孤独で、ただひたすらに空虚だ。
ってあれ、俺はいつからこんなにネガティブ思考に。昨日とはまるで別人ではないか。昨日は《父の日》だったが、妹がおかしくなったり変な虫が暴れだしたりと、災難続きだった。
まるで連載小説で長らく更新が停止して、久々に再会されたと思ったら主人公のキャラが変わりすぎていた!みたいな、今の俺の心境はそんな感覚だった。
何かが、おかしい。
胸につっかえたような違和感。
「ぐ、ぐぎぎ」
口から獣のような声が漏れ出してくる。
ところで知っているだろうか。包丁で指を切ったとき、切った瞬間はまったく痛くないのである。指からドクドクと血が流れ出しているのを見ながら(うひゃー、これヤバイんじゃね)と思って30秒くらいを過ぎた頃に、痛みは堰を切ったように爆発する。
「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
すなわち俺は絶叫した。悶絶して布団のうえを転げ回る。
胸に鋭い痛みが走ったのである。
また虫にでも刺されたのかと思い、シャツを脱ぐ。
左乳首の少し内側のところに、一センチ程の穴が開いている。肉が抉れ、大量の血が固まった跡がこびりついていた。致命傷ではなさそうだが、ズキズキと傷口が疼く。
痛みとともに、昨夜の記憶を朧げながら思い出してきた。
そうだ。あれがもし、悪夢でないとするならば。
『バケモノッ!!!!!!!』
『変身セシ穢汚ノ異形――Ungeziefer――、このバケモノめ。わたしのお兄ちゃんを返して』
昨晩、たしか真依はそんなことを言って、俺に五寸釘を突き立てようとしたのだった。おいおいマジかよ、あれって夢オチじゃなかったのか。夢だけど夢じゃなかったー!な展開はここでは期待してねーぜ。
痛む傷口はしかし、妹の変質が疑いようのない《現実》であることを突きつけていた。
「とりあえず真依と話してみないことにはな」
胸痛から気を紛らすように立ち上がり、自室を出る。
この頃の妹は何を考えているのかわからない。中二病は構わないが、じつの兄を刺し殺そうとするなんて、ちょっと度が過ぎているではないか。
二次元のヤンデレ妹なら大好物だけれども、現実の妹がヤンデレ化してしまうのはさすがに心が苦しかった。
「おーい、真依ー。いるかー」
一階に降りて声をかけるが、真依は家にいなかった。壁の掛け時計を見ると、時刻は九時を過ぎている。今日は平日だから、真依はとっくに中学校に行ったあとだろう。
朝ごはんにトーストでも食べようかなぁと食卓を横切ったとき、視界の隅に白い紙が置かれているのが目に入った。
置き手紙だろうか。拾い上げてみる。
《汝自らを知れ》
黒ボールペンで大きく書かれた筆跡は、間違いなく真依のものだ。
やっぱり中二病を拗らせているよなぁ。中二病の女の子を主人公に描いたアニメ作品にはぐう萌えたが、現実の妹が中二病なのはやや不気味である。
よく見るとその紙切れは四つ折りにされていて、開けて裏返してみると学校のプリントのようだった。
プリントの上面には『父の日の宿題』と印字されてある。
宿題といえば、昨晩、真依は言っていたではないか。『宿題ができなくて困っている』と。なんだかこの時点で、俺には嫌な予感がした。
案の定、プリントにはこのように書かれてあった。
『お父さんにお仕事についてインタビューしてみましょう』
書き込み式のレポートとなっていて『職業』『仕事のやりがい』『仕事で大変なこと』などの記入欄があった。
「なんて前時代的な宿題なんだ!!!」
まったく、家庭への配慮に欠けている。お父さんのお仕事インタビューだって? ふざけた宿題だ!!
今の時代、シングルマザーは珍しくはないし、仮にお父さんがいたとしても失業中かもしれない。我が家はそもそも両親がいない上に、兄がニートなんだぞ!!
こんな残酷な宿題が世の中にあるものか。
怒り心頭で、プリントをくしゃくしゃに丸めて床に投げ捨てた。
嗚呼、可哀想な妹よ。せめて俺が就職さえしていれば、父の日にくだらないレポートで惨めな思いをさせなくて済んだのに。
膝から崩れ落ち、涙が頬を伝って落ちた。これは悔し涙だった。
だが、これでひとつの謎は氷解した。成績優秀な真依にもできない宿題の謎。昨日の夕食の場で、真依が仕事について面接官のように質問をしてきた理由。
初めから相談をしてくれたら良かったのに。そうしたら俺には。
いや、俺には何ができただろうか。
俺は妹のために、何ができる。
情けない、情けない、情けない、兄としてこれではあまりにも、情けなさ過ぎる。
ふらりと立ち上がると、今朝と同じく胸がキリリと痛んだ。
宿題の件は分かったが、まだ《虫》と《五寸釘》の件の謎が解けていない。
ニートのクソ兄貴に嫌気が差した妹が嫌がらせをしてきた、と考えれば腑に落ちるが、俺の知っている真依はブラコンとまでは言わないものの兄を慕ってくれる優しい妹だったはずだ。
《汝自らを知れ》
真依の書き残した言葉の意味が、気になって仕方がない。朝食の前に顔でも洗おうかなと思って、俺は洗面所に向かう。
引き戸を開けると、ソレと目が合った。
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