【妹編A】こ、こんなの絶対お兄ちゃんじゃないよ!

2-1.マイちゃん人形にくちづけを

――――――【妹、夕緋真依のセカイ】――――――


 わたし、夕緋真依ゆうびまいは、生まれて初めて告白される。五月七日の水曜日、ゴールデンウィーク明けの放課後だった。


夕緋ゆうびさん! 前からずっと好きでした。ぼ、僕と付き合ってください!」

 学ランの第一ボタンまできっちりと留めた、名前も知らないメガネ男子が頭を下げる。窓ガラスから射し込んだ夕陽が、学校の廊下をオレンジに染める。もしもこれがドラマなら、感動的な告白シーンに見えたかもしれない。


「え、えーと……」

 困惑した表情を作って、窓のそとに視線をそらす。

 タイプの男子でもなければ、恋愛をしたい気分でもなかった。

 今はただでさえ、――。

「前から……って、まだ同じクラスになって一ヶ月だよね?」


「中一の頃から夕緋さんのことが好きだったんです。そ、その、夕緋さんのこと可愛いなって思ってました」

「そうなんだ……」

 冷めた口調で答える。

 好きでもない男子に《可愛い》と言われるのは、正直気持ち悪い。

 早々にお帰りいただこう。

「ごめんね。わたし、あなたのことよく知らないし。いきなり付き合って、なんて言われても、ちょっとね?」

 これで察してほしい。お願い、察して。


 メガネ男子はしかし、真剣な眼差しを逸らそうとはしない。

「僕、本気なんです。あ、名前は夜那博己やなひろきと言います。お、お付き合いを通して、夕緋さんには僕のことも深く知ってもらえれば……」

 夜那と名乗る男子は背負っていたリュックをおろして、中身をがさごそと探っている。ラブレターでも取り出すつもりらしかったが、興味はない。

 私は軽く溜め息をついて、

「ごめんなさい。これから部活があるので」

 と、その場を立ち去ろうとする。

 

 しかし夜那がリュックから取り出したものがあまりにも意外だったので、わたしは目を釘付けにされたまま動けなかった。

「残念ですねぇ。できれば使いたくはなかったんですけど」

 夜那が出したものは、ヒト型のぬいぐるみ。

 茶色の人形で、顔はなくのっぺらぼう。服も着ていない。両胸と股間の部分には、バラの花が挿してあった。

 まるで見てはいけないものを目にしてしまったように、全身がおぞましさに粟立つ。


「ふふふ、驚きましたか。これは《フィーファの愛呪あいじゅ》で使われる呪術人形のひとつです。まぁ、典型的な類感呪術なのですが、成功率を高めるために人形のなかには夕緋さんの髪の毛も入れてあります。これで感染呪術としての効果も重ねがけされます」

 夜那は人形を片手に、嬉々として語り出す。さっきまでのオドオドとした態度は何だったのかと思うくらい、意気揚々と。


 突然に豹変し、変質する。まるで、とそっくりだ――。

 薄気味悪くなって、後ずさる。廊下に設置されている消火器が背中に触れた。

 咄嗟の判断で、こっそりと通学カバンのなかに手を差し入れる。カバンの底にしまっていたものをかたく握りしめる。


「安心してください。呪い殺そうってわけじゃないので。これはあくまで恋愛を成就させるためのお人形です。僕がこの真依ちゃん人形にキスをすると、夕緋さんは僕のことが好きで好きでたまらなくなります。フィーファの愛呪の力によって、恋しちゃうのです」

 夜那は不敵な笑みを浮かべる。

 そして、まるで見せつけるように、ねっとりとした口づけを人形と交わした。


 瞬間。

 ゾワッと痺れる電流が全身に走る。

 心臓がわしづかみにされているように、ずきりと痛む。

 血液が沸騰しそうなくらい、からだが熱い。

 なに、これ……。

 頭がぼんやりとしてきて、どこかに意識が持って行かれそうになる。


 メガネを夕陽の色に反射させて、夜那はニイッと口元を歪めた。

 彼はふたたび、手に持っている人形にキスをした。


 頭の中から声がじんじんと響く。幻聴はひたすらに、愛の呪文を唱えていた。

《好き》《好き》《好き》《好き》《好き》《好き》《好き》《好き》と。

 思考がやがて、好き、という言葉に埋め尽くされてゆく。

 感情が、支配されてゆく。


 おぼろげになってゆく意識のなかで、ふと、兄との会話が思い出された。

『もしもわたしに好きな人ができたら、お兄ちゃんは悲しい?』

『は、はは、悲しいことがあるもんか。俺にとっては真依が幸せになることが一番大切だ。兄として全力で応援してやる。悩みごとがあったら何でも聞いてくれ。こう見えても俺は、恋愛のプロなんだ』

『いっとくけどギャルゲーのスキルは現実では通用しないからね』

『くっ……』


 そうだ、わたしはお兄ちゃんを助けなければいけない。

 こんなイカれた男子と付き合っている場合ではなかった。


 カバンから手を抜き出し、一閃に薙ぐ。

 人形の首から上が、ぽとり、と落ちた。

「ほへっ!?」

 夜那がマヌケな顔で、まだ唇を突き出している。

 その首筋に、カッターナイフの刃先を当てる。刃幅十八ミリ、分厚いボール紙でもやすやすと斬る。美術部の制作で使っているものだった。


 薄らぎかけていた意識が元に戻り、それどころか感覚が冷たく研ぎ澄まされる。

 殺気を籠めた視線で睨みつけていると、夜那が慌てて弁明をはじめた。

「い、いやだなぁ。か、軽いジョークですよ。気を悪くしたなら謝ります」

「呪術っていうのは、本物なの?」

「だ、だから冗談で……」

「本、物、な、の、?」

 カッターをさらに押し付ける。


「ひぃぃ、ごめんなさい、本物、本物です。ぜんぶ正直に話すから命だけは」

「そう、わかった」

 わたしはカッターの刃を収めると、微笑みの表情をつくった。


夜那やなくん、だったっけ? 付き合うって話、いいよ。その代わりにわたしのお願い、聞いてくれるよね」

「はい、もちろん!」

 夜那が顔をぱっと輝かせて答えた。


 兄を救うためだったら、何でも利用してやろうと思った。

 たとえそれが、バケモノの心を持った人間であったとしても、あるいは恐ろしい呪術であったとしても――。

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