花子さんでも居れば早いんですけどね


「花子さんでも居れば話が早いんですけどね」


 そう言いながら、晶生はトイレの中を歩いていた。


 木造建築のトイレだ。


 芳香剤と蚊取り線香の混ざった匂いがする。


 そうか、もう蚊が出るんだなと思ったとき、


「学校じゃなくても花子さんって出るのー?」

と堺が外から訊いてくる。


「さあ?

 私は何処でも見たことないですけどね」


 そう適当に答えながら、晶生は三つ並ぶ個室の真ん中のトイレの前を見た。


 今は一応綺麗になっているが、コンクリートにうっすら血の跡が残っている。


 何も知らずに見たら、少し影になっているのかなという感じだ。


 真ん中か。

 花子さんが居ても、隣だな。


 左から三番目に花子さんは居るっていうもんな。


 トイレの上の空いている部分からひょっこり顔を出した花子さんが真ん中のトイレを覗いているところを想像する。


 ちょっと可愛くて、あはは、と笑ってしまった。


「誰よ、殺人現場で笑ってるのは」

という堺の声が外から聞こえてくる。


「死んでないですってば、刺された人。

 早く意識が戻ればいいですね。


 そしたら、なにも推理しなくていいのに」


「また時が来て解決するのに任せようとしてるでしょ」


 そんなことを言われながら、晶生はドアを開けてみた。


「……死んでないから居ないですよね、霊」


 トイレの中には誰も居なかった。


 霊も居ない。


 いやまあ、霊が居たところで、殺されてパニック状態にある霊がまともなことをしゃべってくれることはあまりないのだが。


「ねえ、誰も来そうにないから、私に入ってもいいかしら」

と堺が外から訊いてきた。


「別に誰か居ても、堺さんなら大丈夫ですよ」

と言ったのだが。


「それが、男子トイレに入ってもギョッとされるし。

 女子トイレに入っても、んっ? って一瞬、止まられるのよね」


「……入ったことあるんですか」


 などと言っているうちに、堺がほんとうに入ってきた。


「やだー、このトイレ。

 結構綺麗ー」

とか妙に甲高い声で言いながら。


「……なんの真似ですか」


「女だと思われるようによ」


「女子、声高いとは限りませんよ。

 私もあまり高くないし」


 低くはないが、そう高い方ではない。


「背が高いと声が低いって言うものねえ。

 っていうか、あんたの声、なんかゾクッと来るのよね。


 ちょっと低くて。

 ちょっと甘くて。


 耳許で囁かれたら、背筋がゾクゾクしそう」


 はいはい、と堺の戯言たわごとを流しながら、晶生は上を見る。


 薄暗いので、蛍光灯をつけてみた。


 眩しいくらい明るいな、と振り返った拝殿側の窓もすりガラスで、外はなにも見えなかった。


「なんであの男、女子トイレに居たのかしらね?」


「さあ?

 ただの痴漢か覗き魔の可能性もありますよね。


 それで、女性に気づかれて刺されて放置された。


 あの巫女さん、忙しくてあんまりこっち見てないから、刺した女性は裏の参道から逃げたのかもしれませんね」


「……そんな通りすがりの女が犯人だったら、すぐに捕まらないかもしれないじゃない。

 私、いつまで犯人と疑われてるのよ」


 さあ、と言いながら、晶生は個室の中のトイレの窓を見ていた。


 小さなその窓はすりガラスで、今は閉まっている。


 そこを見ながら、晶生は、ぼそりぼそりと呟いた。


「ハサミを買ってお参りに行こうとしたけど。

 ものすごく冷えてトイレに行きたくなって、変質者に会って、刺したんですかね?


 そして、そのハサミを……


 なんで抜いて逃げたんでしょうね。


 刺しとけばよかったのに。


 返り血を浴びる危険性もあるのに。


 抜いたら出血多量になって死ぬ可能性が高くなることなんて、今の人は大抵知ってますよね。


 刑事物のドラマとかで、しつこいくらい言ってるから」


 弾みで刺したとしても、死んでくれない方がよかったはずだ。


 過剰防衛になって、被害者のはずが逮捕されてしまう危険性もあるのに。


「自分の指紋が残ってるからじゃない?」


「やっぱ、問題は指紋と血液反応ですよね。


 堺さん、やっぱり、あのハサミ、警察以外で調べてもらいましょう。

 さっき、巫女さんにも指紋もらったことですし。


 なにかの謎を解く、みたいな番組だと、よく科捜研的なところで、いろいろ調べてもらってたりするじゃないですか。


 そういう関係で、知ってるとこないですか?」


「……そうね。

 私はないけど、誰か口の堅い人間に頼んでみるわ」

と堺は頷く。


 この業界に口の堅い人間など居るだろうかな、と思ったとき、堺が言った。


「あーあ。

 誰か他に目撃者はいないのかしらね。


 今のままじゃ、通りすがりなのか、怨恨なのかもわからないじゃない」


「そうですね……」


「被害者がこのまま植物状態になって目を覚まさなかったら、手がかりがないままになっちゃうかもしれないわ」


「長い間、眠っていても、突然、目を覚ますこともありますよ」


 そう言うと、堺はずっとわめいていた口を閉じた。


 こちらを見る。


「まあ、そういうこともあるわね。

 行きましょうか。


 なにか奢ってあげるわよ。

 参道やその先に美味しそうなお店、いっぱいあったからね」


 そう言って、堺は先にトイレを出て行った。




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