犯人――
三日後の夕方、汀が襲われたのと同じ通りを男がひとり歩いていた。
スマホをいじっているその若い男は見るからに注意散漫そうだった。
駐車場や古いビルの入り口ばかりのこの細い通りは、表通りとは違い、夕刻にはあまり人気がない。
その人気のない通りを、気配を消しながら、スマホの男に近づいていく黒いパーカー姿の男が居た。
真後ろまで男が来たとき、スマホの男は慌てて振り返る。
すると、すぐ目の前、腹の近くにナイフがあった。
「うわっ、ちょっとっ」
と叫んだスマホ男は、そのスマホを男に向かって突き出そうとして、投げ出し、ポケットから急いで出したペンライトを男の目に向け、激しく点滅させる。
パーカー男が思わずよろめいたところで、ひーっ、と叫びながら後退したスマホ男、林田に、堀田が叫ぶ。
「なにやってんだ、莫迦っ。
確保だ、確保っ」
そう言いながら、堀田は自らも飛び出していった。
パーカー男の襟首をつかんだ堀田は、自慢の剛力で、後ろに向かい、男を放り投げる。
男は地面に叩き付けられたが、ナイフはまだ男の手から離れてはいなかった。
男が起き上がろうとしたので、陰から見ていた晶生がそこに向かい、走り出そうとする。
すると、いきなり、ナイフをつかむ男の手が痙攣を起こしたように、びくりと震え、ナイフが落ちた。
すかさず、堀田が立ち上がりかけた男の上に馬乗りになり、落ちたナイフを足で遠くへ蹴った。
「林田ーっ。
大丈夫かーっ」
と林田の方を振り返りもせずに堀田は叫ぶ。
「大丈夫じゃないですーっ。
割れてます、僕のスマホーッ」
「俺のガラケー、貸してやるーっ」
嫌ですーっ、という林田の叫びが聞こえたところで、堀田は捕まえた男のパーカーをはぎ、顔を剥き出しにした。
見たこともない男だった。
「……誰だ、こいつは」
馬乗りになった堀田が呟く。
「通り魔です」
側まで来ていた晶生が見下ろし、言った。
「通り魔!?」
と堀田が叫ぶ。
「なんで、通り魔っ!
何処から湧いてきたんだ、通り魔っ!」
此処に犯人が現れると長い髪の女の霊が言ったと真田に言われ、その通りにしただけの堀田がそう叫んでくる。
「いや、最初から通り魔だったんですよ。
この――」
と晶生は夕暮れの小道を見回し、言った。
「人気のない道と、店舗を挟んですぐの表通りに出た通り魔だったんです。
だから、堺さんをまだ刺せたのに、近くに来た社長を刺して逃げたんですよ。
宮崎さんが女性に恨まれるような人だったり。
俺がやりましたとか叫んでみたり。
目撃者が真田くんを突き飛ばしたり、実は、宮崎さんを殺そうとしていたり。
堺さんが如何にも誰かに刺されそうなキャラクターだったので、混乱しただけで」
と言うと、一緒に隠れていた堺が、
「最後のはなによ」
と文句をつけ加えてくる。
「……通り魔?」
ともう一度、納得がいかないように呟いた堀田は、自分の下になっている男の胸倉をつかんで言った。
「おい、お前っ。
此処とこの前の通りで男を刺したのは、お前かっ。
なんで、二人を刺した?」
「知らねえよ。
誰でもよかったんだよ」
と見ようによっては、学生にも見えるその若い男は叫ぶ。
「……誰でもよかったって、通り魔じゃねえか」
「だから、そう言ってます、最初から」
と呆然と呟く堀田に晶生は言った。
「今回の事件を複雑にしてしまった犯人は真田くんです。
犯行現場に物悲しげに女が立ってるとか言うから。
私や沐生が言ったのなら、堀田さんも身構えて聞いてたんでしょうけど。
今まで霊の話なんてしなかった真田くんが言い出したので、うっかり信じて、影響されてしまったんでしょうね。
犯人と女の霊、全然関係なかったんですけどね」
ま、と晶生はこの道と、細い道でつながっている表通りを見、
「霊による捜査の撹乱ですね」
と話を閉めようとした。
「お前らに寄る捜査の撹乱だろうがーっ!」
堀田に怒鳴られ、真田が、ぴゅっと駐車場の看板の陰に隠れる。
「待てよ。
じゃあ、長い髪の女の霊に、此処に犯人が来るって言われたっていうのは……?」
と堀田がその真田を見る。
「嘘です。
通り魔かどうか確証がなかったので」
しれっと晶生はそう言った。
「それにしても、堀田さん、変わりましたよね~。
霊が言ったって言って、のこのこやってくるとは」
「お前と沐生が言ったんだったら、来なかったよっ。
真田が神妙な顔で言ってきたからだっ」
と言われ、ますます真田は物陰から出られなくなる。
「もう帰れっ、お前らっ」
と犯人に手錠をかけながら言う堀田に晶生は言った。
「待ってください。
犯人に訊きたいことが」
ああ? と威嚇してくる堀田の側に立ち、晶生はまだ堀田の下に居る男に訊いた。
「貴方は、此処で人を刺そうとしてたんですよね?」
「そうだよ。
男を狙ってね」
堀田に引きずられ、立たされながら男は言った。
「女狙うのは卑怯かなと思ったんで」
いや、どちらにせよ、いきなり刺すのは卑怯かと、と思いながら、晶生は男に訊いてみた。
「前回も今回もこの道ですね」
実は、この三日間、林田はこの道を如何にもカモな感じを装い……
まあ、装っていたのか、普段通りなのかは知らないが、何度か通ってみていたのだ。
「この時間、此処は人気がないし。
また同じところでやるなんて思わないだろうと思って、此処に来たんだよねー」
「そんないろいろ考える人が、なんで一回目だけ、あの表通りでやったんですか?
あちらは夕暮れどきも、人が多いですよね?」
「さー、なんでだかわかんないけど。
なんとなくだよ、なんとなく。
なんとなく、あっちでやりたくなっちゃったんだよね」
と男は言いながら、表通りの方を見た。
そのとき、晶生には見えていた。
夕暮れの道に立つ、行き交う人々が身体をすりぬけていく長い髪の女。
晶生と目を合わせ、にやりと笑う。
そのちっとも物悲しげではない顔を見ながら、晶生は、まだ隠れている真田に訊いてみた。
「あのー、真田くん。
今も見えてる?」
え? なにが? と真田は訊いてくる。
もう見えないのか。
見たくないものは見えないのか、どっちだ……と思っていると、堀田が、
「ほら、行くぞ」
と手錠でつながれた男の手をつかみ、行こうとする。
「あ、すみません。
やっぱり、もうひとつ」
「コロンボかっ」
と堀田が晶生を振り返る。
「あのー、なんで、さっきナイフを取り落としたんですか?」
男は、
「さあ?
なにかが手に当たった気がしたんだけどね」
と呟いていた。
堀田に連れていかれながら、男が堀田に訊いている声が聞こえてくる。
「ねえ、刑事さん。
俺、刺す気はあったけど、殺す気はなかったから、どうなんの?
殺人未遂じゃないよねえ」
「刺したら死ぬだろっ」
「でも、死んでないじゃん」
「僕のスマホが死にましたけどっ?」
と言いながら、林田もついて行く。
そりゃ、知らないってーっ、と言い合う声が、離れた位置にとめていた覆面パトカーに向かい、消えていく。
晶生はそれを見送りながら、呟いた。
「……今回の一件で、なにが一番怖いって、あの人が、一発で堺さんを男だと見抜いたことですよね」
「私、ちょっと殺してくるわ、あの男……」
と横で堺が言っている。
騒ぎに気づいた恵利たちも覗きに出て来ているようだった。
ああ、うっかり探偵さんが事件をうっかり解決している、と店長と話しているのが聞こえてきたが。
いや、私的には、なにも解決してないんだけどね……、と晶生は思っていた。
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