とりあえず、此処に存在している意味はあるということか?



 ぼんやり階段から月を見ていた遠藤は、相変わらず、鍵のかかっていない扉が開くのを見た。


 解体作業の始まる気配に、浮浪者なども逃げ出し、めっきり人が訪れなくなっていたのに、と思ったら、晶生だった。


 晶生はこちらを見上げもせずに、がらんとしたロビーを歩いている。


 なにか考えごとをしているようだ。


 いや、お前、なにしに来た? と思っていると、晶生は端まで行って、Uターンしている最中で、ふとこちらを見上げてきた。


「あら、遠藤」


「考えごとか?」

と問うと、そうなのよ、と言ってくる。


「犯人になりたがってる人は居るのに、その人が犯人ではない事件があってね」


 なんだ、それは、と言うと、晶生は周囲を見回したあとで、階段を上がってきた。


 ところが、すぐには腰は下ろさず、側に立ったあとで、また一階を見回す。


「どうかしたのか?」

と訊くと、


「いや、なんか落ち着かない気配がする、と思って」

と言ってくる。


 すごい勘だな、と内心思っていた。


 自らを犯罪者だと思って生きてきた人間のなせるわざか。


 晶生は側にふわりとスカートを広げて腰掛けると、事件の概要を説明し、

「石塚さんは告白してくれたけど。

 結局、彼女は事件にはなんにも関係ないってことよね?」

と言ってきた。


「まあ、そうだな。

 犯人の心当たりもないんだろう? その女には」


「そうなの。

 所詮は、コンパで知り合っただけの相手だし。


 宮崎の交友関係も、コンパで顔を合わせたメンツ以外知らないらしくて」


 そこで遠藤は笑う。


「お前には理解不能だろう。

 ふと知り合った男と身体の関係を持つとか」


「いや、それが運命の相手ってこともあるかもしれないじゃない。

 石塚さんの場合は、別に相手が居たから問題だけど」

と晶生は言った。


「まあ、私は――」

と言いかけたあとで、晶生は言葉を呑み込み、膝を抱える。


 どのみち、沐生以外は考えられないというのだろうな、と思い、その横顔を眺めていた。


 さて、晶生にすべてを話すべきか、と遠藤は迷う。


 そのとき、堺の憂い顔が頭に浮かんだ。


 あの男(?)はなにやら心配していたようだが。


 真実を知ったところで、晶生はなにも変わらないとは思うのだが……。


「でも、宮崎は、自分で起き上がってきて、『俺がやりましたっ!』って言ってたくらいだから、なにかはやらかしてるんでしょうけどね」


「いや、その石塚南央って女を脅迫したことかもしれないぞ」


「脅迫くらいで、そんな悪党が起き上がってまで、謝ると思う?


 石塚さんに刺されたのなら、そう言って土下座することもあるかもしれないけど」


 余罪がありそうよ、と晶生は言う。


「宮崎は、しょっちゅう、女を変えて、そんなことやってたんじゃないかしら?」


「じゃあ、同じようなことやってて、別の恨みで刺されたのかもな。

 場所が近いようだが。

 堺が刺されそうになった件とは関係なさそうなのか?」


「そうね。

 あの店の表と裏だものね。


 ……じゃあ、犯人は、あの店の店長か、恵利さんで」

と言って、カップ麺のサインを飾ってくれているとかいう人の良い店長と、恵利が、ええっ? と言ってきそうなことを言ってくる。


「うーん。

 堺さんは、恨まれる覚えはいろいろとありそうだけど。


 でも、何処までも追って来て、刺されそう、みたいな感じは受けなかったみたい。


 実際、犯人、社長刺しただけで、深追いしてないし……」


 そう言いかけ、晶生は立ち上がった。


「どうした?」

と見上げると、


「……わかった。

 犯人は、真田くんだわ」

と言い出す。


「真田?

 なんでだ?」

と訊いている間に、晶生は階段を駆け下りる。


「ありがとう、遠藤っ。

 貴方と話してると、頭が整理されていいわ。


 違う廃墟に転居の際は教えてねっ」


 ……何処までも追いかけてきて、お前の推理を聞かせる気か。


 いや、そもそも、晶生は、自分が一方的に理解しているだけで、こちらには推理のひとつも語ってはいないのだが。


 あのうっかり探偵め。


 そのうち、警察にも、なんの過程も話さずに、この人逮捕してください、じゃあ、とかやりそうだ、と思ってしまう。


「じゃ、またねっ、遠藤っ」

と晶生はホテルから飛び出していった。


 跳ね開けられた扉は、反動で閉まりかけたが、蝶番が錆びているせいか、軋む音を立てて、途中で止まった。


「おい、閉めてけ」

と言ったが、晶生の姿はすでにない。


 だが、別の場所で扉が開く音がした。


 遠藤の頭の上からだ。


 振り返ると、二階の一室から男が出てくるところだった。


 その男に向かい、遠藤は開いたままの玄関を見て言う。


「おい、あれを閉めてくれ」


 彼は無言でロビーまで下りていき、自分も出て行くと、扉を閉めた。


 また静かになってしまったロビーで、遠藤は、

「……さて、どうするかな」

とひとり呟く。


 このあとどうなるのか気になるんだが。


 霊なんだから、此処を離れて見にいけばいいようなものだが。


 離れたことがないから、自分の存在が消えてしまいそうで、なんだか怖いし。


 第一、


「……どうやったら此処を離れられるんだろうな?」

と遠藤は階段に座り込んだまま、呟いた。


 窓枠の影が大きな十字架となって、玄関ロビーに落ちているのを、ただ見つめる。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る