夕暮れの雑踏

 



 車の中に居た堀田は、


 くそっ、

 送れねえぞ、メールッとガラケーを手に苦闘していた。


 また消えたっ。


 課長が会議中だから、報告はショートメールでと言っていたのを思い出したのだ。


 こんなのなら、狼煙のろしでも上げた方が楽だ、と思いながら、太い指先で、小さなボタンをひとつずつ、ピコピコ押していると、

「堺っ」

と叫ぶ声が聞こえてきた。


 聞き慣れた名前と、その叫びに顔を上げる。


 が、目の前は、店の白い壁だった。


 後ろの道か? と車から降りると、悲鳴が聞こえた。


 男のものだか、女のものだかわからない悲鳴だ。


 慌てて駐車場から走り出ると、ビルとビルに挟まれた狭い道に男が倒れていた。


 高そうなスーツを着た男が、腹を押さえてしゃがんでいる。


なぎさっ。

 なにやってんのよ、莫迦っ」

と堺が叫んでいる。


 どうやら刺されているようだ。


 スーツの上には、あまり血はにじみ出していない。


 傷は深くはないようだ、と思い、振り返ると、犯人らしき男は凶器をたずさえたまま、広い通りに向かい、走っていくところだった。


「止まれっ!」

と叫びはしたが、銃もなにも持ってはいない。


 仕方がない。


「警察だっ」

となんの武器もなしに言っても意味のなさそうなセリフを叫ぶと、警察手帳を印籠のように突き出しながら、男に向かい、走って行った。


 警察手帳の威力か。

 勢いに怯えたのか。


 ビクついた男は手にしていたナイフをとり落とし、大通りを左に曲がっていった。


「待てっ」

と言いながら、堀田は振り返り、


「兄ちゃんっ、動くなっ。

 ――って、あんた、社長かっ」


 刺されていたのは、沐生の事務所の社長、茅野汀かやの なぎさだ。


「堺っ、電話しろっ」


 救急車、とは言わなかったが、伝わるだろうと思い、堀田は、そう叫ぶ。


「あと、晶生に言えっ」


「わかりましたっ」

と堺が返事をしてくる。


 晶生が怪我人をどうにか出来るとも思わないが、どんなときでも肝が座っていて、場慣れしている晶生が居るだけで、堺も汀も気分が違うだろうと思い、そう言った。


 おかしなものだ、と思う。


 まるで、あの殺人犯の嬢ちゃんを信用しているかのようだと思いながら、堀田は通りに向かって走っていったが。


 そこは帰宅途中の人でごった返していた。


 犯人の姿はもう人波に紛れ、わからない。


「なんでこんなに人が居るんだーっ」

と言ってもしょうがないことを叫ぶ堀田をサラリーマンがいぶかしげに見ていく。


 いや、わしより怪しい奴がさっき走ってっただろうがっ、と思ったのだが、この場で明らかに怪しいのは自分の方だった。


 堀田は足を止め、さっき、メールを打とうとしていたガラケーから署に通報した。


 なんであの社長が刺されるんだ、と思いながら。






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