今からが危ないんでしょ

 





 遠藤のホテルを出たあと、此処からはひとりで帰ると晶生は言ったのだが。


「なに言ってんのよ。

 今からが危ないんでしょ」

と言って、送ってくれることになった。


 堺の車の助手席で晶生は言う。


「今から仕事に戻るんですか?」


 堺はチラと車の時計を見、

「仕事の最後くらいは顔見せないとね」

と言ってきた。


 最後の最後に戻って、

『沐生ー。

 お疲れ様ー。


 よかったわよー』

と見もしないのに言って殴られるんだろうな、この人……と思いながら、堺を見る。


「行く先々で、人を土下座させて歩かないでくださいよ」

と言うと、


「あら、誰でも土下座するわけじゃないじゃない。

 心にやましいことがある人だけでしょ。


 ってことは、あの刺された男はやはり、なにかがやましいわけね」

と赤で止まった堺は言う。


 そして、あら……と呟いた。


 その視線は、向かいの歩道を見ている。


 横断歩道の側にぼんやり立っているモノが居た。


 青になっても動かない。


「あんなところに女子」

とそちらを見ながら言う堺に、晶生は目を細めて、同じ方向を見ながら問う。


「あれは、霊ですか?」


「あんた、目を細めてるじゃない。

 よく見えないんでしょ」


 じゃあ、生きた人間よ、と堺はもっともなことを言ってきた。


「危ないわね、夜の道に女の子がひとりで」


「女の子がひとりで……」

と堺のセリフを口の中で繰り返していると、ちょっと行ってこようっと、と車を出しながら堺は言う。


「ナンパですか?」

と問うと、


「なんでよ、あんた乗せてるのに」

と言ってくる。


 ……乗せてなかったらするのだろうか。


 まあ、警戒されないよなー。


 男だってわかっても、これだけ綺麗だったらなー。


 っていうか、実は、言動格好いいし。


 クラスの女の子たちが堺さんを見たら、きゃあきゃあ言いそうだが。


 でも……、と反対車線だったので、ぐるっと回って、彼女の許に向かう堺の横顔を見ながら晶生は思う。


 自分にとっては、事件のあと、雨の降る窓辺で膝を抱えていた沐生の姿以上に心惹かれるものはない。


 でも、これを口に出して堺に言うと、


『あら、じゃあ、あんたが好きなの、子供の沐生だったんでしょ?

 あれだけ育ったら、もう好みじゃないんじゃない!?」


 ほほほほほ、とか言い出しそうだ。


 いや、堺がほほほほほ、と笑うのを聞いたことはないのだが、勝手なこちらのイメージだ。


 でもなー。

 年とったら、終わりとかないよなー、と思いながら、晶生は冷たい窓ガラスに寄りかかるように後頭部をぶつけながら思う。


 年をとっても、手をつないで生きていきたい。


 あのとき、人を助けなかったこの手でも。


 もし、それが許されるのなら――。


 堺は近くのコンビニに車を停めた。


「あとで珈琲買うからいいわよね」

と言い訳のように呟きながら、先を急ぐ。


 ついていく晶生にも、本当はわかっていた。


 何故、堺が彼女を気にしたのかを。


 彼女が見ている横断歩道は、真田が事件の目撃者に突き飛ばされた場所だったからだ。


 だから、生きているのかと訊きたくなったのだが、まあ、生きているのだろう。


 そう思いながら、呟く。


「ひとりはよく見えるから、見えない方は生きてるんでしょうね」


 えっ? と早足で歩きながら、堺が振り向く。


 堺には、もうひとりの女は見えてはいないようだった。







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