田中一郎って誰よ

 




「田中一郎って誰よ」


 乗り込んだエレベーターの中、堺が晶生に訊いてきた。


「さっき、あの看護師さんが見ていたカルテに書かれていた名前ですよ。


 ちょっと記入例っぽい名前だったので、真田くんにはあの看護師さんのイメージの中のものかもと言ったんですが」


 気になることがあったので、訊いてみました、と言ったあとで、晶生は壁際に立つ堺を見、

「いいんですか?」

と訊く。


 なにがよ? と言う堺に、

「そこ、お爺さん居ますけど?」

と彼の後ろの壁を指すと、ひっ、と逃げていた。


 病院のエレベーターは食事の匂いや医薬品の匂いやいろんなものの混ざった不思議な匂いがする。


 運ばれていったものの気配が残っているかのようにエレベーターの中に漂うその匂いと同じに、霊なのか、残像なのかわからないものがうろついている。


 人の想いが強く残る場所だからだろうかな、と晶生は思った。


「どうしたんですか?

 今日は波長が合いにくいんですね」


 あの看護師とも合わなかったようだが、と思いながら、

「あの霊のせ……」

と言いかけた晶生の口を堺は塞ぐ。


 堺は、なにやってんだ、という顔で見ている堀田の方を見、ははは、と誤魔化すように笑っていた。


 なにがどんだけやましいんだか、と呆れながら、晶生は、男とは思えないいい匂いのする堺の手に口を塞がれていた。


 だが、いつまでも離さないので、

「堺さん、カプってしますよ」

と多少もごもごなりながらも訴えると、堺は間近に自分を見つめ、


「して」

と言ってくる。


 ……本当に困った大人だ、と思いながら、晶生は、その手を払った。


 脱線してしまったので、また、頭から話を繰り返す。


「で、田中一郎という曖昧な名前だったので、あの看護師さんの適当なイメージなのかなとも思ったんですが。


 もしかしたら、本当に田中一郎さんって人が居たのかもしれないし。


 もしかしたら——」

と言ったところで、チン、とエレベーターが可愛らしい音を立てた。


「あ、着きましたね。

 降りましょうか」

とさっさと降りようとすると、堀田と堺が、


「だから、気になるだろうがよ、首藤晶生ーっ」

「あんた、なんでそこでやめるのよーっ」

と二人仲良く絡んできた。






 駐車場にしゃがんでる女の子が居るんだが……。


 まあ、生きてないんだろうな。


 その上を車も人も行ったり来たりしてるから、と晶生はそれを眺める。


 生きてないにしても、人が轢かれたり踏みつけにされたりするのを見ていると落ち着かない。


 本人はまるで気にせず、アスファルトの上にチョークでなにか書いているようだが。


 ゴツい堺の車、というか、会社の車を外から覗くと、やっぱり、あの霊は居なかった。


 だが、二人で乗り込むと、また後部座席に現れる。


 土下座をしていた。


 堺はもう無視することに決めたらしく、前を向いて、全然違う話をしていたが、たまに話が途切れると、後ろから、もれなく、


「……私がやりました」

と聞こえてくる。


 うーむ。

 さっきの駐車場の霊くらい落ち着かない、と思いながら、晶生は後ろを振り返りつつ、

「ねえ、この霊、遠藤のところにでも連れていったら?

 霊同士、なにか訊き出してくれるかもよ」

と言ってみたのだが、


「私、あの男、苦手なのよね」

と言って、堺は遠藤の居るホテルの前を素通りしていった。






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