帰らないでくれっ

 




「晶生っ、帰らないでくれっ」

と真田に泣いてすがられたが、そのまま居るわけにもいかないので、晶生は真田を置いて帰った。


 まあ、あの看護師も消えたことだし。


 そのうち、霊が居る状態にもなれることだろう、と思いながら。


 それにしても、あの看護師さん、最初は居なかったけど、現れるタイミングとかあるのだろうかな? と思いながら、晶生は真田の病室を振り返った。


 そのとき、横を歩く堺の携帯が震える音がした。


「あら、やあね。

 こんなときに電話してくるなんて」


「いや、相手はこんなときに仕事場に居ないなんて、と思ってますよ」

と言ったが、堺は特に気にする様子もなく、


「ちょっと電話できるところに行ってくるわ」

と言って、居なくなってしまった。


 やれやれ。

 こんな仕事ぶりで汀は怒らないのかな? と思ったが、ずっとタレントについていたり、現場に張り付いてるだけが、いいマネージャーというわけでもないのだろう。


 そのとき、ふと、ナースステーションが目に入った。


 手前に居た若い看護師に話しかけてみる。


「あの、田中一郎さんの病室って、何処でしたっけ?」


 あのカルテが気になっていたのだ。


 田中一郎さんって、いらっしゃいますか? だと、最近はいろいろうるさいので教えてもらえないかと思い、そういう訊き方をした。


「田中一郎さん?」

とまだ年若い看護師は訊き返してきた。


「……いえ、いらっしゃいませんけど」


「ちょっと前に入院されてたと思うんですけど」


「ちょっとお待ちください」

と言って、後ろの看護師に話しかけていた。


 彼女は、やはり、まだ新人さんのようで、よく知らないようだった。


 タナカ イチロウ? 居ない居ない、という声が聞こえてきた。


「いらっしゃらないみたいです」


「そうですか。

 あの、もうひとつ、いいですか?」


 あ、くだらないことなんですけど、と照れたように晶生は訊いた。


「此処の看護師さんって、前は白いナース服でしたよね。

 いつから、ピンクになったんですか?


 あの、私、看護師になりたくて。

 最近、やっぱり、ピンクとかが多いんでしょうかね?」


 口許に手をやり、こそこそっとそう言うと、ああ、と看護師は笑ってくれる。


「よくわからないけど。

 私が学生時代、実習で来た頃は、もうピンクだったわ」


「そうなんですか。

 ありがとうございます」

と丁寧に頭を下げ、行こうとしたとき、


「三年くらい前よ。

 此処の制服、変わったの」

と少し目つきの鋭いさっきの看護師がまた通りかかり、そう言ってきた。


「あ、そうなんですか。

 ありがとうございます」

と言うと、ちょっと窺うようにこちらを見ている。


 胡散臭い見舞い客と思われたかな、と思ったとき、ちょうど、堀田がやってきた。


「あ、おじさん」

と声をかけると、堀田が、


 おじさんっ!? という顔をして、振り返る。


「あら、刑事さん」

と先輩の方の看護師が堀田を見て言った。


 堀田が頭を下げる。


 さも身内であるかのように、さささっと晶生は堀田の側に寄ると、

「どうもありがとうございました」

と丁寧に二人に頭を下げる。


 そのまま笑顔で堀田とともに、エレベーターホールまで歩いていった。


「おい、須藤晶生」

と低い声で堀田が呼びかけてくる。


「俺まで利用してんじゃねえぞ」


 はは、と笑いながら、わかってて、黙っててくれたんだろう、意外に人がいいな、と思っていた。


「一体、ナースステーションで、なにを……」

と堀田が言いかけたとき、後ろから声がした。


「見てたわよ、晶生。

 なんなの、今の小芝居は」

と堺が言ってくる。


「あんた、やっぱり役者ね。

 今、あんたが本当に看護師になりたい、ちょっと内気な女の子に見えたわ、恐ろしい……」


 その恐ろしいは余計ですよ、と横目に堺を見ながら、三人でエレベーターに乗る。




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