わたし、やりました…… II
既に夜もとっぷり更けている。
階段に座る晶生は正面の高い位置にある、古く汚れたガラスから、暗くなった空を眺めた。
闇が怖いと人は言うが。
生者と死者の区別もつかなくなるような、ぼんやりとした光に満ちた夕暮れどきの方がなにかと物騒な気がするんだが、と晶生は思っていた。
真っ暗なときより、警戒心も薄いしな。
そのとき、自分と遠藤より上の位置に腰掛けている沐生が言ってきた。
「その殺人現場から逃げた目撃者の女な。
今、出て来ないのなら、もう出て来ないんじゃないか?」
お前なら、その側に立っていたという女の霊を探した方が早いだろう、と言ってくる。
「そうね。
刺された人のところに行けば、まだ居るかも」
と言うと、
「珍しいな」
と沐生が言う。
「お前から事件に首を突っ込もうとするなんて」
「いや……」
なんか気になったのだ。
あの、刺された男を見下ろし、立ち尽くしていたあの人が、と思ったが、言わなかった。
そこで遠藤が笑って言ってきた。
「お前のことだ。
その逃げたOLとやらも、実は生きてなかったのかもしれないぞ」
……まあ、ないとは言い切れないが。
他の人間も見ていたから、生きていたんだろう、と思っていると、なにやら沐生が外を気にしている。
閉まったままの扉の方を時折、窺っているようだった。
「どうしたの?」
と訊くと、
「いや、おかしいな、と思って」
と言う。
続きがあるのかと思い、黙っていたが、ない。
しゃべれ、もう少し。
幾ら子どもの頃から一緒だとはいえ、以心伝心にも限界があるぞ、と思いながら、晶生は沐生を見上げていた。
いやーっ、晶生ちゃんのところに行けないーっ!
堺はスタジオの玄関近くの壁に張り付き、心の中で絶叫していた。
その昔は、心の中で思う言葉は、まだ男言葉だった気がするのだが、今はもう、考えるときも女言葉になっていた。
じゃあ、身も心も女に近づいていっているかと言うと、真逆なのだが――。
「あ、堺さん。
お疲れさまでーすっ。
今度、一緒に呑みに行きましょうよー」
と玄関から入ってきた顔見知りのスタッフが気軽に声をかけてくる。
「あ、お疲れさまーっ。
ぜひ、行きましょうっ」
と堺は慌てて、愛想良く答えた。
スタッフは土下座した霊を踏みつけながら、笑顔で会釈し、去っていく。
さっきから、この霊、ずっと自分についてくるのだ。
……土下座したまま。
なんなのかしら、これ。
なんで、私に土下座するの?
っていうか、私がやりましたって、なにっ!?
これ、晶生ちゃんのところに行ってもついてくるのよねっ?
なんだか犯罪絡みっぽいが。
向こうが、やりましたと言っているだけなのだから、別に晶生の許に連れていってもいいような気がするのだが。
なにが原因かわからないので怖い。
なんで、この人、私に謝ってるのっ!?
晶生も知らない自分の悪事とか過去のやんちゃとかに関わるようなものだったらと思うと、ちょっと恐ろしくて、晶生には見せられない。
後ろ暗いとこういうとき出遅れるわね、と玄関から動けずに居ると、ガラス扉の向こうの夜道にその姿が見えた。
遠目でもはっきりと彼だとわかる、目立つ男。
沐生っ!
もう帰ったのっ!?
では、何処で密会していたのか知らないが、晶生ももう家に帰ってしまったのだろう。
ああ……と崩れ落ちそうになる。
今日こそ、送るふりして、晶生ちゃんを手篭めにしようと思ってたのに……
いや、違った。
二人で姉妹のように楽しく語り合いたかったのに。
――ということにして、一緒に居たかったのに。
自分に、いろいろと後ろ暗いところがあるせいか。
明るい中にも、闇が見え隠れする晶生と居ると、妙に落ち着く。
自分のこともすべて、許してくれそうな気がするからだろうか。
自分の知る真実を晶生に告げても、彼女はあのままで居てくれるだろうか?
それを思うと、知らせたくないような気もしている。
自分だけが、晶生を救えるかもしれないのに。
そう思ったとき、扉を開け、沐生が入ってきた。
「なにやってんだ、堺……
堺さん」
わずかばかり残っていた年上への敬意の念もあの空き家の一件以来、消えたらしく、すっかり呼び捨てになり、敬語も消えていた。
だが、一応、仕事場では、堺さん、と昔通り呼ぶことにしているらしい。
「あっ。
沐生っ。
早く戻らないと、ケータリングの夜食、冷えるわよっ」
一応、とっといたからっ、と早口に言う。
いつ、沐生の視線が下を向き、これはなんだ? と土下座の霊を見て訊いてくるのではないかとハラハラしていた。
だが、沐生は、
「そうか、ありがとう」
と言って、去って行ってしまう。
大股に歩く沐生は男を踏みはしなかったが、そこになにも居ないかのように乗り越えて行ってしまった。
……霊なんてその辺にゴロゴロ居るから、無視してるだけなのかもしれないけど。
もしかして、見えてないとか?
じゃあ、この霊、私にしか見えてないんじゃないの?
それは、いいことなのか、悪いことなのか。
なんだか、ますますヤバイ霊のような気がする、と思いながら、堺は、土下座する霊を見下ろしていた。
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